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第一話  『白色』のクレヨン

――俺と似たあいつの記憶は楽しいことや嬉しいことよりも、辛いことや苦しいことの方が多かった。

  だから俺はあいつに楽しいことや嬉しいことを教えて、幸せになってほしかったんだ。

 

  ただそれだけだったのに――

 仁奈が電車を乗り継いで辿りついた先は山奥の無人駅だった。


 駅を出てすぐにバス停があったが、次のバスが来るまで1時間以上もある。


 兄と父の引っ越し先までバスなら30分ほとで、歩けば1時間くらいかかる。


 そのためか電車やバスを待つ人も道を歩く人もいなかった。


 仁奈が住んでいた場所とは違い、車や建物が少なく自然が多い。


 だからか蝉の数も多いようで、鳴く声がやたら大きくて、仁奈はよけいに暑く感じる。


 だらだらと流れる汗も不快だった。


 スマホもインターネットに繋がらないし、コンビニもない。


 なんでこんな田舎にパパとお兄ちゃんは引っ越したの?


 あまりの不便さに文句しか出ないよ。

 お兄ちゃんに会ったら文句を行ってやる。


 仁奈は心の中で不満をぶちまけながら、歩き続けた。


 それから30分ほど歩いたところにようやく人に会った。

 

 仁奈の兄と同じ年くらいの女の子二人だ。


「ねえあなた。ここらへんの子じゃないよね?どこから来たの?」


 黒髪ポニーテールの女の子が話しかけてきた。

 

 Tシャツにミニデニムで元気いっぱいなクラスのムードメーカーのような雰囲気だ。


「そういうあなたはだれですか?」


「いきなり声をかけて驚かせたみたいね。私の名前は空音(そらね)。隣にいるのは友達の神奈かなよ」


 肩より短いショートカットにカチューシャの女の子が空音と名乗った。


 隣の神奈を手で示す仕草や雰囲気、フリルの多いワンピースがお嬢様みたいに見える。


「この村から出ていく人は多いけど来る人はとても少ないの。あなたみたいな可愛いい子は特にね。だから気になって声をかけたのよ。ねえ、神奈?」


「そうだよ。どうしてこの村に来たの?誰かに会いに来たの?」


「おに……兄に会いに来ました」


 仁奈は正直に話そうとして止めた。

 

 もしかしたらママの話が本当なのかもしれない。

 そう思って、ううん。

 そうであってほしかったから。


 しかし仁奈の期待は簡単に裏切られた。


「お兄ちゃんってこの間引っ越してきた仁志くん?そういえば今日はまだ会ってないよ」


 やっぱりお兄ちゃんはいなくなっちゃったの?


 でもあのお兄ちゃんが誰にも何もいわずに、一人でどこかに行くなんて思えない。


 二人の話を信じないわけではなかったが、兄の性格を考えると、どうしても鵜呑みに出来なかった。


「今日から夏休みだから家にいるのかもしれないね。仁志くんの家はまっすぐ行った森の中だよ」


 空音が指差したずっと先に深い森が見えた。


 仁奈は二人にお礼をいってその場を後にした。




 仁奈の姿が見えなくなった後、神奈はぽつりと隣の友人へつぶやいた。 


「空音ちゃん、やっぱりあの子を止めた方がいいんじゃないかな?今ならまだ追いつけると思うし……」


「どうして?妹が兄に会いに来ただけよ。それを邪魔するなんておかしいよ」


「だってあそこは……『鬼』が人を妖怪の世界にさらって殺すっていわれてる『鬼隠しの家』だよ。今日はまだ仁志くんの姿も見てないし……もしかしたら仁志くんも『鬼』にさらわれたんじゃ……」


 神奈の顔から血の気がなくなっていく。


「そんなことあるわけないよ。だって何ヶ月か住んでいた仁志くんは普通に学校に来てた」


「でも昔本当にあそこで『鬼』を見たっていう人もいるし、事件があったっておじいちゃんから聞いたよ」


「それってクローゼットから子供の白骨死体が見つかったって話?それって虐待とかじゃない?鬼は何かと見間違えたんだよ。そんなに心配しなくても大丈夫に決まってる」


 今日は暑いから川に行こう、と空音は気にした様子もなく森と正反対の方向へと進む。


 神奈は後ろ髪を引かれる思いでその後に続いた。

 



 空音のいっていた家までの道は一本だけだった。


 車がやっと通れるほとの道をまっすぐ進んだ。


 土の道は背の低い小さな雑草がたくさん生えていた。


 大きなその家……というより豪華すぎて、映画とか本とかで見る洋館のような建物に、兄と父は住んでいるらしい。


 兄と仁奈の通う小学校の体育館と変わらない大きさだ。


 入り口の扉も仁奈を二人並べたよりも大きいかもしれない。


 しかし全体的に暗い雰囲気で、やや汚れている様にも見えた。


 壁には蔓性の植物がはっており、豪華と反して不気味な雰囲気が漂っている。


 仁奈は細かい模様が彫られたドアノブに手をかけて、ゆっくりと押して中に入った。


 もうお兄ちゃんは怖がりのくせに不用心なんだから!

 ちゃんと鍵をかけないとだめじゃない!


 仁奈は心の中で兄を責めながら先に進む。


 日差しがなくなった分、楽にはなったがクーラーがついていないため暑かった。


 だが仁奈はそれに気づくことはなかった。

 なぜなら外装よりも内装の方が豪華だったからだ。


 中はとても広くて玄関ホールは教室が入りそうだった。


 見上げてもなお高い天井には大きなシャンデリアがぶらさがり、二階に続く階段もある。


「こんな広い場所に一人で住んでたんだ」


 思わず仁奈はそうこぼした。


 掃除好きな兄のおかげか中は全然汚くない。


 こんなに広い場所ならばどれだけ呼びかけたところで声が届きそうにない。


 う~ん……どこから探そう。


 仁奈が考えこんだ時、その音が聞こえた。


 ――――チリン


 涼しそうな鈴の音だった。


 声の方を探すと、二階へ行く階段の踊り場の途中に、仁奈の膝丈もないほど小さな黒猫が振り返ってじっと仁奈を見つめていた。


 目が見えないのか瞼は固く閉じていて、鈴のついた赤い首輪をしている。


 お兄ちゃんが飼ってるのかな?


 猫は鈴を鳴らしながら階段を登って、また振り返って仁奈を見た。

 

「もしかしてわたしをお兄ちゃんのところへ案内してる?」


 仁奈が猫の後をついていくと二階の突き当りの部屋に辿りついた。


 猫は器用に扉を開けて中に入る。


 続けて入ると猫は部屋の奥にあった古くて傷だらけのクローゼットに向かっていた。


 仁奈はうまく言葉にできないが、そのクローゼットを見ていると吐き気や頭痛を感じ始めた。


 なぜだかわからないが、恐怖と焦りと悲しみと怒りと憎しみも感じる。 


 そもそもなんでこんなクローゼットがこの家にあるんだろう?


 誰が使ってるの?


 猫は仁奈の疑問には応えず、クローゼットの扉を開けて、中に入っていった。


 仁奈はこんな怖そうな場所に兄がいるとは思えなかった。


 兄ならこれを見ただけで泣きそうだからだ。


 しかし兄に飼われている様子の猫が進んでいくならきっと何かあると思った。


 気持ち悪さに耐えながら、恐る恐る取っ手に手をかけて勢いよく開いた。

 

 次の瞬間に目に飛びこんだのは吹き向けの玄関ホールだった。


 後ろを振り返るとそこはさっきまでいた部屋ではなく、あの玄関ホールの大きな扉とドアノブに変わっていた。


 仁奈は確かにクローゼットを開けた。


 にも関わらず、どうしてさっきまでいなかったはずの場所にいるのか?


 答えてくれるものは誰もいなかった。


 立ち上がって扉を触ってみる。

 取っ手を押しても引いてもびくともしない。


 さっきとは違ってまるで鍵でもかかってるようだ。


 それに部屋の空気がよく冷え、蝉の音が止んでいた。


「わたしは夢でも見てるの?」


 仁奈は不思議に思った。 


 周りを見渡すとシャンデリアの下に何かが落ちていた。


 近寄って見ると、使いかけの白いクレヨンだった。


「なにこれ?白いクレヨン?どうしてこんなところに……?」 


 少し屈んでクレヨンを拾った瞬間に、仁奈の目の前が真っ白く塗りつぶされた。 



         ◆                  ◆



 誰かが木漏れ日の漏れる森の中を歩いている。 

 

 鳥と蝉の鳴き声が森に響き渡って、耳が痛いくらい。

 

 日差しは強そうだけど、それほど暑くない。

 葉っぱが日差しを遮っているからかも。


 なのに気持ちは正反対だ。


 その人はなんだかとても悲しいことがあったみたい。

 だって泣きながら歩いているんだもの。

 

 人目を気にしないくらいなんだから、きっとすごく悲しいことがあったんだ。


 声と頬を伝う涙の感覚でしか分からない。

 

 けど、なぜか胸が裂けそうなほど悲しい気持ちも伝わってくる。


 道のない森を歩き続けているとふいに頭の上から葉が揺れる音がした。


『うるさい!黙らないと殺すぞ!』


 音の方へ顔をあげると、黒に近い紅髪の少年が驚いたようにこちらを見ている。


 怒鳴られた声が幼くて、驚いて涙が止まった。


 十五歳くらいの”額に一対の角が生えた”少年は太い木の枝に座っていた。


『お前……俺が見えるのか?』


 ゆっくりと首を縦に振る。


『悪いことはいわない。ここは人間の子どもが一人で来る場所じゃない。さっさと家に帰れ』


 少年はぶっきらぼうにそういって来た道を指差した。


『どうしてだめなの?』


『熊や猪なんかの野生動物や妖怪が出るからだ。特に妖怪は人間の子どもの柔らかい肉が大好きでな。お前みたいなやつは一飲みで食べられるぞ』  


 少年はにやりと意地悪な顔で笑った。


『よ、妖怪って、なに?』


『はあ?お前は妖怪も知らないのか?』


 少年はめんどくさそうに顔を歪めた。


『ご、ごめんなさい……』


 他人が知っていることを知らない自分に対しての劣等感が一気に湧き上がる。


 つられるように、さっきまで持っていた悲しい気持ちを思い出し、また泣きそうになった。 


『妖怪っていうのは自然が産み出した人間とも動物とも違う奴らのことだ。何もしないやつもいるがこの森には人に悪さをするやつらがいる』


 さっきよりずっと優しい声が降ってきた。


 俯いていた顔をあげると眉間に皺を寄せた少年が見下ろしている。


『ごめんなさい。難しくてよくわからない』


『とりあえず殺されたくなかったら今すぐここから離れろ』


 少年は真剣な顔で睨みつけてきた。


『……わかった。ねぇまた会える?』


『さあ。……お前がまた俺を見つけたら会えるかもな』


 少年は森の奥へ顔をそらした。


 頭ごなしに来るなといわれなかったことが嬉しくて、悲しい気持ちが一気に吹き飛んだ。


『うん!わかった!また来るね!』

 

『もう二度と来るな!』


 家への道へ駆け出すと後ろから少年の怒鳴り声がした。


 でももう怖いとは思わなかった。




 また目の前が真っ白く塗りつぶされて、周りの景色が変わった。


 今度は森じゃなくて部屋の中だ。


 誰かが部屋の中央で頭を抱えてうずくまっている。


『ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!』


 泣きながら謝っても体へ鞭打つ音は止まらない。

 

『お前に家から出る許可はやっとらん!もう二度とこんなことをしないようにきっちりと躾けてやる!』


 四十歳くらいの男の罵声が投げつけられ、さらに激しく鞭を打たれる。


 小さな体で鞭を受け入れる。


 周りに家政婦や執事がいるのに、助けてくれる人は誰もいなかった。


 それどころか道端に落ちているゴミでも見るような冷めた目を向けた。


 ――……誰か、誰か、ぼくを助けて。


 痛くて、つらくて、苦しくて、悲しくて、怖くて、寂しくて。

 涙で歪んだ視界が再び、白く塗りつぶされた。



          ◆                  ◆



 恐る恐る目を開けるとさっきと同じ玄関ホールだった。


 違うのは仁奈が床に座りこんでいることくらいだ。


「今のは夢……?」


 でもそれにしてはまるで本当に経験したような生々しさがあった。

 

 あの記憶は?

 それに少年と男の人は誰? 


「そこから離れろ!」


 仁奈の耳に聞き覚えのない男の声が飛びこんできた。


 声の方へ振り返る間もなく、天井に吊るされていたシャンデリアが“仁奈へ”落ちた。


 いきなり仁奈が大ピンチですが、物語はまだまだ続きます。

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