外界の夜風
遠征隊が野営地に辿り着いた頃にはすっかり陽が沈んでいた。平時であれば探索者の活動拠点として賑わっている野営地だが、今は遠征隊以外の人影は無い。
結局、遠征隊は先の一戦で全体の二割の損害を被った。図らずもアベルの予想通りになった訳である。
だが、精神的な消耗と混乱を単純に数字で言い表す事はできない。何とか撃退したとはいえ、出立一日目で全滅寸前まで追い込まれたのだ。緊急作戦会議が開かれるのは自然な流れで、そこへ後方部隊の指揮を執り、亜人王を討ち取った功労者であるレナエルが呼ばれるのも自然な事だった。
だが、アベルの姿は会議室には無かった。野営地の周囲は、丸太を隙間なく立て並べた高い壁に囲われ、内側の東西南北には計四つの見張り台がある。アベルはその一つで周辺警戒の任務に就いていた。どうやら、アベルはレナエルの従者か何かだと思われたらしい。
「止めを刺したのは、俺なんだがなぁ……」
見張り台の上から、黒一色に塗りつぶされた森を見つめて呟く。篝火の光が視界の端でゆらゆらと揺れている。
確かに決め手になったのはレナエルの魔装具だ。だが、火球を突っ切って亜人王の魔霊星を砕いたのは自分だ。別に認められたいとか、ちやほやされたいという訳でも無いが、もう少し労いと言うものがあっても良いと思う。
アベルは、野営地に点在する木造二階建ての宿泊施設の一つを見遣る。その一室から、時折怒号が響いてくる。心底嫌そうに会議に向かうレナエルを送り出してから早数時間、未だに会議は紛糾しているようだ。
「しっかし、被害が出てからようやく会議とは、な」
そうひとりごちり、手の中で二つに割れた魔霊星を弄ぶ。魔霊星は大変高価な代物だ。理由は単純極まる。魔霊星を宿す魔獣は例外なく強力で、しかして魔霊星の需要は大変高い。魔霊星の保有量は国の軍事力に大きく影響するからだ。
魔霊星は純粋な力の結晶である。神、あるいは魔神の類であろう者の力を呼び寄せる、鍵や扉のようなものだとも言われる。
女神イマルタルにより人界線が築かれる以前、人と魔獣は激しく争っていた。魔獣はその強大な力を以て、人間は数の力とその知恵によって互いにしのぎを削りあっていたが、戦況は芳しく無かった。魔獣の操る魔術の為だ。
魔獣は時に、天災に匹敵するほどの事象を自在に操って見せる。その力の前では人間など、ひとたまりもない。
しかし人類とて、ただ黙って震えていた訳では無い。魔術の源は魔獣の宿す〝魔霊星〟にあると見抜き、それを利用し、神々の力を呼び寄せ行使する技術を生み出した。
魔術は人の手に落ち、人類に希望の光をもたらした。数の力で魔獣を抑え込み、そこへ魔術の一撃を加える。そうして強大な魔獣と対等に渡り合えるようになると、次には一際強力な魔獣の遺骸や魔霊星を加工し、その力を宿した魔装具を造り上げた。
魔装具の力は圧倒的であった。新たな力の獲得は数多の英雄を生み出し、人類はその戦線を瞬く間に押し上げた。
そうして魔獣を広大な森林地帯まで追いやると、女神イマルタルが大地を隆起させて人界線を築き、人類と魔獣の住む世界を切り分けた――と言うのが、イマルタル聖堂会の語り継ぐ伝説であり、多くは史実だ。
そして魔獣との戦いが終焉を迎え、英雄たちはそれぞれに国を興し――、新たな戦乱の時代が幕を開けた。
人間同士の戦いにおいても、やはりその主役となったのは魔術と魔装具だ。だが魔装具は数が少なく、適性者でなければ扱えない。そして大規模魔術の行使には大量の魔霊星が必要であった。
人界線の内側にも未だに魔獣は出現するが、極めて少数である。魔霊星を宿す者は更に少ない。故に、国々は別の場所に目を向ける。人界線の向こう側、外界だ。
外界には多くの魔獣がおり、大量の魔霊星がある。各国は外界へ軍隊を派遣し、魔霊星の確保を試みようと考えた。だが、その行為を許さない組織があった。イマルタル聖堂会だ。
人界線を越えなければ外界へ行くことはできない。しかし聖堂会は外界の開拓行為を〝人類に平和をもたらした神に対する冒涜〟として、頑なに認めなかったのだ。
イマルタル聖堂会は多くの国家で国教であり、表立って対立することは世界中を敵に回すのと同義であった。故にどの国も人界線を越える事ができず、魔霊星の流通は聖堂会が取り仕切る流れになった。
魔霊星の流通を一手に担い、実質的に世界を操る力を手に入れたイマルタル聖堂会であったが、その隆盛はいつまでも続かなかった。魔霊星と引き換えに過剰な要求をする聖堂会に、嫌気がさした各国が見切りを付けたのだ。
聖堂会に対する不信感を募らせていた者は他にも居た。実際に外界に赴き、魔霊星を採取していた〝探索者〟たちだ。過度なノルマや強制的で熾烈な労働を強いられていた探索者たちは聖堂会に見切りを付け、その支配を受けない独自組織〝探索者組合〟を立ち上げ、魔霊星の流通を担うようになった。各国も表では聖堂会の顔色を窺いつつ、裏では探索者組合を支持していた。そして聖堂会は魔霊星の市場から爪弾きにされたのだ。
聖堂会は大いに慌てるが、押さえつける事しか知らなかった聖堂会は有効な対策を打てないまま時だけが過ぎ、働き蟻程度にしか思っていなかった探索者たちは瞬く間に力をつけていった。そして気が付けば、境界都市ランダルマでの勢力を二分するまでになっていたのである。
世界中に信徒を抱える最大勢力、イマルタル聖堂会。
戦争の行く末を決定づける魔霊星の流通支配権を掠め取った、探索者組合。
そして少しでも多くの魔霊星を手にしたい、いくつもの国家。
互いにせめぎ合い、にらみ合う。それが今の境界都市ランダルマの現状だった。
「っはぁー。疲れたわ……」
誰かに居場所を聞いたのだろう。会議を終えたらしいレナエルが見張り台を昇り、アベルの隣へやってきた。手すりに両腕を乗せ、眉根を寄せて溜息をつく。
「お疲れさん。その様子じゃ、どうも大変だったみたいだな」
「まったくよ。責任の擦り付け合いばかりで話にならない」レナエルがゆっくりと頭を振る。「それよりも驚きよ。魔獣の異常行動で勢力図に変化が起きている事は解っていたはずなのに、斥候の一つも出さずに遠征隊を進ませたって言うんだから」
亜人王は明らかにこちらを待ち伏せしていた。遠征隊にとっては突然の遭遇戦であったが、奴らにとってはそうではなかったのだ。ランダルマから一番近いこの野営地を繋ぐ道は一本だけで、獣や魔獣と違い、人は道があれば必ずそこを通りたがる。その性質を魔獣に利用された。人類として恥ずべき事態だ。
「焦り、だろうな」
「それで全滅していたら世話無いけれど」
「だな。で、そこの所はどうするって?」
「これからしばらくは周辺調査に費やすらしいわ。当面、ここを拠点にする事になるわね」
幸いと言うべきか、ここはランダルマのすぐ隣だ。補給は容易だろう。腰を据えて周辺の様子を確認し、慎重に歩を進める。探索者としての基本を改めて行うという訳だ。
「そういえばアレ、どんな仕組み?」レナエルが言う。「火球を受けて、どうして無傷なのよ」
「どんなって、魔法薬だよ」
「……へぇ。本当にアルケミストだったんだ」
「確証なかったのかよ!?」
アベルは思わず声を張り上げた。訝しげに見上げてくる男達に「なんでもない」と手を振った。
「そりゃあ、そうよ。魔法薬の材料とか、知る訳がないでしょ」
考えてみればその通りだ。魔法薬の精製を疑うのであれば、少なからずその材料や製法に通じている必要がある。だが魔法薬は秘匿された技術だ。存在自体を知らぬ者の方が多い。
なんという間抜けだろう。レナエルの単純なカマかけに、素直に頷いてしまったのだ。
「まぁ、理由なんて何でも良かったわ。手段を選ぶつもりもなかったし」
「悪役だな、まるで。どうしてそこまでする」
「どうしてって、私なりの優しさかな」
くすぐったそうに笑い、レナエルが言う。
「優しさぁ? 脅迫して面倒事に巻き込むのが? 絶対に意味をはき違えているだろう」
「そんな事ないわよ。アベルとその師匠はアルケミストだって、私は教区長のアズガルドから聞いたのよ? 私の従者って事で連れ出せば、捕えられるような事にはならないでしょう」
「……はっ?」
アベルは呆けた声を返す。バレていた? 本当に……?
「そ、それなら何で放置されていたんだ。アルケミストは例外無く捕えられて処刑って――」
「随分と素直なのね。魔法薬なんて規格外の力、普通は抹消するより利用しようと考えるでしょ。アベルもいずれ利用できるかもしれない――なんて思って、泳がされていただけよ」
レナエルは言う。捕縛、即処刑とは表向きの方便だ。どの国も、自国内で捉えたアルケミストは飼い殺しにしてその知識と技術を搾り取っているらしい。死んだ事にしているのは、それが表ざたになっても事実無根と主張するためだ。
アルケミスト。先駆者。先導者。そして、扇動者。
無価値に価値を与え、一を百に変え、闇から光を紡ぎ出す者。
人々の手に魔術をもたらし、魔装具を生み出し、魔獣と対等以上に渡り合える力を与えたのは、他ならぬアルケミストだ。
アルケミストに力を与えられ、人々は世界に自らの居場所を生み出した。しかし、平和の水は未だ遠く、戦禍の炎が絶えることは無かった。
最も被害を被ったのは力なき民衆だ。戦禍に怯え、野盗に怯える日々。死は常に隣にあった。
アルケミストは民衆の為に新たな力を生み出した。それが魔法薬だ。
魔法薬の効果は様々だが、手順を覚えれば扱う事自体は誰にでもできる。子供でも、老いた者でもだ。精製には危険で複雑な作業が伴うが、それもレシピを覚え、慎重に行えば誰にでも作り出せるものだった。必要な魔霊星はごく少量で、材料の魔獣素材は魔霊星の副産物として手に入る。
魔法薬は世界に新たな変革をもたらすはずだった。ありふれた魔術は陳腐化し、戦力の拮抗は戦争を終結へ導くだろうとアルケミストは考えた。
だが、それを良しとしない権力者は多かった。最たるものは探索者組合が生まれる前の、魔霊星の流通を独占し、莫大な利益を得ていた頃のイマルタル聖堂会だ。
少量の魔霊星で強大な力を生み出す魔法薬。そんな物が一般化すれば魔霊星による利益は失われる。価値が損なわれるからだ。
それを恐れた聖堂会は、アルケミストを〝世界を混乱と混沌に陥れる異端者〟とし、魔法薬の封殺を謀った。
正義とは数の力だ。世界中に信徒を抱える聖堂会の言葉は絶対の正義として扱われ、魔法薬を自分達だけの物にしたい国々はそれに乗っかり、各地でアルケミスト狩りが始まった。
かくしてアルケミストと魔法薬は歴史の裏側に埋もれた。人々の間では、アルケミストはもはや妖精か精霊のような扱いだ。
それでも、未だにアルケミスト狩りは続けられている。魔法薬の量産に成功すれば、それはすなわち世界の覇権を手にする事に直結するからだ。
「しっかし地味な魔法薬もあったものね。もっとこう、どっかーん! って感じだと思っていたけれど」
「大勢の目の前で使えるかよ。それとも、リンスティールのお姫様は、やはり派手な方がお好きですかね?」
息を呑む気配が伝わる。やがてレナエルは諦めた様に肩を竦め、薄く微笑んだ。
「やっぱり、気が付くわよね」
「あれほどハッキリ魔装具名を言われたらな。他の奴らには聞こえなかっただろうが」
神格魔獣グリントソーン。
それは城に巻き付く、巨大な茨の魔獣として伝えられる。山の様に大きな花を持ち、常に輝き、近づく者を天上から降り注ぐ光の鎖にて撃ち滅ぼす。
そのグリントソーンの遺骸と魔霊星から作られた魔装具を所有するのは、リンスティール王国を収めるリンスティール王家。そして現在の適正者は、その第八王女レオノーラ・リンスティールであった。
「で、私が王女様だったらどうだって言うのよ」
拗ねるような口調で、しかし笑顔のままでレナエルが言う。
「別に。ただ、どうしてこんな所でこんな事してんのかな、とは思うがね」
あぁ、とレナエルが息をつく。
「私はね、功績をあげてお兄様が国王になる為の手助けをしたいのよ」
現在リンスティール王家では、ライエル第一王子とテランス第二王子との間で次期国王の座をかけた熾烈な権力争いが行われている。
アベルには縁遠い話だが、レナエルが言うには国王となるには大きく分けて二つの道があるらしい。
一つ、他の王位継承者を蹴落とし、力で封じ込める事。
二つ、国の内外から多大な支持を集め、次期国王に相応しいと認めさせること。
レナエルの支持するテランス第二王子は争いを望まない。故に功績を積み上げて支持を集めるほかないのだが、それは他者を蹴落とす行為より遥かに難しい問題だった。功績を上げるには、まず前提として大きな問題が必要だからだ。
細事を重ねても意味が無い。周辺他国とも友好的な関係を維持している現リンスティール王国では、大きな軍功を上げる事も叶わない。
「だから私が聖堂会内で、一つでも多くの功績を上げようと思ってね。サンクションを連れて来られなかったのは誤算だけれど、これがあれば戦えるわ」
レナエルはそう言って、腰に下げたグリントソーンを慈しむように指で撫でる。確かに所謂〝テランス派〟であるレナエルが世界中に根を張る聖堂会の内部で名を上げれば、これ以上の功績は無いだろう。
「それで、こんな訳の解らない任務に飛びついたってか。いくら腕に覚えがあると言っても、流石に軽率なんじゃないか?」
「なんの為に、あんたを連れてきたと思っているのよ」
半目でアベルを睨み、レナエルが言う。
「……ま、付いてきたからにはお役に立ちますよ、お姫様。報酬は期待して良いな?」
「飛び切りの物を考えておくわ」
「それは楽しみだ」
笑いあい、それから二人は黙って真っ黒な森を見つめ続けた。様々な思いが浮かんでは消え、夜闇に溶けていく。
「まぁ、呼んでいないのも何人か付いて来ているけれどね。一体どういうつもりなんだか」
「うん?」
不思議そうな顔をするアベルに、レナエルはなんでもない、と首を振る。
「さて、と」
一つ息をつき、レナエルが寄りかかっていた手すりから身体を浮かせる。
「休むか?」
「流石に疲れたしね。アベルも無理するんじゃないわよ?」
立ち去ろうとするレナエルの背中に、アベルが声をかける。
「そういや、野盗狩りをしていたのもテランス王子の為か? 〝鮮血王女〟なんて呼ばれてまでやる事だったのか」
レナエルは振り向き、静かにアベルを見つめる。月の光を映しこんだその蒼い瞳は、息を呑むほどに美しかった。
「あんたの為よ、アベル」
レナエルはぽつりと、そう言った。
「俺の、ため?」
「まぁ、必要なかったみたいだけれどね。約束も果たせたし」
微笑みながら再び背を向け、今度こそレナエルが立ち去る。それをアベルは呆然と見送った。
「約束……?」
アベルの胸を、未だに大きな失態を演じ続けているような焦燥感が駆け巡った。
その透けた背中を、冷たい夜風がするりと撫でた。




