遭遇戦②
隊列に緊張が走る。しかし襲撃を受けたのは隊列前方、こちらが戦闘状態になる事は無いだろうと後方部隊の誰もが考えていた。アベルとレナエルの二人を除いては。
「敵は?」
「ゴブリン! 数不明!!」
レナエルの背後で、森が爆発した。いや、無数のゴブリンどもが草木をまき散らして溢れ出したのだ。甲高い雄叫びを上げながら、雑多な刃物を振りかざして向かってくる。
「敵襲! バックアタック!!」
レナエルが声を上げ、二人は隊列に合流する。しかし後方部隊の動きは鈍い。
「て、敵っ!? どうして後ろから」「どうすんだ!? なぁどうすんだよ!」「うるせぇ! 自慢の剣術で何とかしてみろ!」「やべぇ! 俺、武器を荷馬車に置いてきた!」
右へ左への大騒ぎだ。しっかりと経験を積んだ探索者ばかりのパーティであれば、即座に戦闘態勢を整えられるのだろう。しかしここに居るのは殆どが素人も当然の者ばかり。組合直属の探索者が指示を飛ばすが、誰もが自らの保身ばかりを考えて、まるで纏まらない。
「何よこれ。ちょっと後ろを取られたくらいでこの有様?」
「所詮こいつらは、資金目的で集められたゴロツキだからな」
禁足地の魔獣討伐そのものは、組合の探索者のみで行うつもりだったのだろう。一般募集で集められた者は、遠征資金を得る為だけの財布代わりだ。しかも、途中で死亡すれば武具や食料などの装備は組合の所有となる。それでもこれだけの人が集まるのは、討伐成功の末に得られる名誉と報酬が多大な為だ。
ゴブリンどもの数は非常に多い。視界に収まる限りでも数十は居る。状況は、良いとは言えない。
「さてどうするか。このままじゃ食い荒らされるな」
「まったく……。目立つ行動は避けたいけれど、仕方ないわね」
「あっ、おい! 待て!」
アベルの制止も聞かず、レナエルが剣を抜いて駆け出す。一瞬で肉薄したレナエルの蒼い瞳が先頭のゴブリンを捉え、閃光の様な斬撃で切り上げる。
「ギッ……!!」
ゴブリンは悲鳴を上げる間も無く両断され、後方に居る仲間たちの頭上に、その血液と内臓をぶちまけた。
出鼻をくじかれたゴブリンどもの脚が鈍る。レナエルはその隙を見逃さずに、更に三匹のゴブリンを血祭りにあげた。完全に気勢を削がれたゴブリンはレナエルから距離を取る。
紅く濡れた剣を振り上げ、レナエルが高らかに声を上げる。
「それでも戦士か腰抜けども! この場は私が預かる! 従え!!」
男たちが夢から覚めたように目を見開き、息を吞む。
「お、女……? 女だ」「まさか、一人で止めやがった!?」「速ぇ、強ぇ……」
未だまごつく男どもに、レナエルは苛立ちを隠さずに舌打ちをする。
「呆けるな馬鹿者どもが!! 剣と槍を持つ者は前へ出ろ! 盾を持つ者は壁を作って非戦闘員と荷馬車を守れ! サイドアタック警戒、決して抜かせるな!!」
撃つような声で飛ばされる指示に、ようやく男たちの脚と思考が回り始めた。互いに声を掛け合い、陣形を作り上げていく。アベルもレナエルの横に並び、その後ろには武器を構えた男たちが列を作る。
「文字通りの男勝りだな、お前は。あまり無茶をするな」
「この程度の雑魚に、何が無茶なもんですか。それとも、私みたいなのはお嫌いかしら?」
「いや、恰好良いよ」
レナエルはニヤリと口端を歪め、真っ直ぐゴブリンどもを見据えて剣を突き出す。
「恐れるな、相手は小手先だけの小物だ! 人間の恐ろしさを思い出させてやれ! 突撃!!」
「「「おおお――――!!」」」
号令一喝。レナエルを先頭に、男たちがゴブリンの群れに斬りかかる。
レナエルの剣がゴブリン三体を纏めて横なぎにする。身体の開いた左側から別のゴブリンが襲い掛かるが、すかさず手甲を裏拳で叩き込む。ゴブリンの長い鼻はひしゃげ、細かく尖った牙が散らばる。地に転がり、色々な液体で汚れた顔を晒して昏倒するゴブリンの首へ、レナエルは容赦なく剣を突き立てる。
猛獣の如きレナエルの戦いぶりはゴブリンどもに恐怖を抱かせ、男たちを鼓舞した。
次々にゴブリンが駆逐されていく。戦況は大きく人間側に傾いていた。元より戦闘能力で言えば、武装した人間がゴブリンに負けるはずはない。奇襲の動揺さえ乗り越えてしまえば、戦線が固まったこの状況で逆転はありえない。
アベルは流れるような動作で両手に握った短剣を操り、次々にゴブリンを切り裂いていく。
低い体勢でアベルの足元に滑り込んだゴブリンを蹴り上げ、右手の短剣で切り降ろす。武器の下がった隙を狙って飛び掛かるゴブリンの攻撃を左手の短剣でいなし、死角から迫るゴブリンの頭部に、逆手に持ち直した右の短剣を叩き込む。
ゴブリンの動きは確かに素早い。しかし直線的で実に単純だ、落ち着いて戦えばどうという事はない。だが、正面から挑めば敵わないのはゴブリンどもにも解っているはずだ。奇襲が失敗に終わった今、本来は臆病であるこいつらが、何故こうまで退かないのか。
アベルはレナエルの隣に並び、声をかける。
「こいつら、何か奥の手がありそうだな。このままで良いのか?」
「寄せ集め部隊に、これ以上何を望むって言うのよ。戦わせるだけで精一杯だわ」
確かに、とアベルはつまらなそうに鼻を鳴らす。
「それにこいつらが何を企んでいようが、蹴散らしてしまえば同じこと――、っ!?」
レナエルが言葉を詰まらせる。ゴウ、と言う音と共に、何か大きなものが森の中から飛来してきた。岩だ。
投げ込まれた大岩は見上げるアベルたちの顔に影を落としながら飛んでゆき、轟音を上げて一台の荷馬車を押し潰す。巻き込まれた者たちの血華が咲き、地面を紅く染める。
一瞬の静寂。そして事態を理解し、爆発するように無数の悲鳴が上がる。
「なっ、ん――」
アベルが言葉を発するより早く、次の攻撃が〝降って〟くる。それは岩、切株、腐乱した動物の死骸など、様々だった。
場は阿鼻叫喚に包まれる。少人数のパーティであればこのような大味な攻撃が当たる訳もないが、密集し、自由に身動きのできない遠征隊は避けようもない。思いもしない攻撃に遠征隊は大いに動揺し、統制は乱れに乱れた。
「冷静になりなさい! 簡単に避けられる攻撃よ!!」
レナエルが必死に声を張り上げるが、恐怖と焦燥でパニックに陥った男たちの耳には届かなかった。声にならぬ叫びを上げ、慌てふためくばかりだ。
一人の男が森の中へ逃げ込んだ。次の瞬間、薄闇の奥から悲鳴が上がる。男は潰れた肉塊となって木々の間から弾き出され、荷馬車の側面にへばり付いた。
ずるり、と影が森の中から現れた。それの背はゴブリンよりも、いや人間よりもずっと高く、身体の幅や厚みは比べるまでも無い。
巨人種、トロールだ。
木々の緑が映り込んだような深緑の肌、分厚い筋肉と脂肪の鎧、大木のような巨体と威圧感、そして人間への明確な殺意。一体につき一小隊をあてるような魔獣が、次々に森の奥から現れ、遠征隊に迫る。
トロールが棍棒を振り上げる。木を引き抜いてそのまま持ってきたような乱暴な武器だった。しかし威力は十分にある。直撃を受けた荷馬車は押しつぶされ、数人がそれに巻き込まれた。
「横撃、トロール!! 護衛隊、前へ! 徹底して足を狙え!」
レナエルが指示を飛ばすが、陣形が崩れた遠征隊はもはや部隊の体を成してはいなかった。誰もが戦々恐々といった様子で、もはや戦意は欠片も無い。
中衛の惨状を見ていたアベルの背後で悲鳴が上がる。男の喉に、ゴブリンの持つ刃の欠けたナイフが深々と突き刺さっていた。
「ギャギャギャギャギャ――――!!」
耳障りな声を上げながらゴブリンが再び突撃を仕掛けてきた。もはやこちらには立ち向かうだけの士気は無い。及び腰になった男どもが次々に倒れていく。
戦線は破られ、包囲された遠征隊は砂山に水が浸みこむように徐々に崩れ始めた。瓦解はもはや時間の問題だ。
「まずいわね、全滅コースよこれ!!」
戦線は壊滅。逃げ場のない一本道。森に逃げ込むのは論外。ここから逆転の目がるとすれば……。
アベルは考える。ゴブリンにここまでの作戦行動を行う知能は無い。ウドの大木なトロールは言わずもがなだ。それならば。
「どこかに指揮をしている奴が居るはずだ。そいつを叩ければ、まだ可能性はある」
「ほいほい出てくる訳ないでしょ。くやしいけど、眼前のゴブリンを掃討、道を開いて一時退却が最善の――」
再びゴウ、と獣の唸り声のような音が響く。また岩か、と視線を向けたレナエルの口から「へっ!?」と言葉が溢れる。
それは火球だった。赤々と狂暴な輝きを放ち、空気を溶かし、景色を歪ませながら飛来してくる。
火柱が上がる。隊列の横腹に着弾した火球は炎の渦となり、熱波を撒き散らしながら何もかもを焼き尽くしていく。
「まさか、魔術!? どうして」
レナエルは辺りを見回し、そして見つけた。隊列から離れた場所に小高い丘があり、その頂上に黒く、大きな人影があった。
その人影には〝頭部が二つ〟付いていた。炭を塗ったように黒い肌。でっぷりとした身体。成人男性の倍はあろうかという巨体。そして身体には金属製の飾りと、人間の頭蓋骨を数珠繋ぎにした悪趣味な装飾品を巻きつけている。
腹は赤熱した石炭を放り込んだように仄かに発光し、二つの頭部の口元から、蛇の舌の様な細い炎がチロチロと揺らめいていた。先ほどの火球は、こいつの仕業らしい。
明らかな異質。明らかな異様。周囲には他のゴブリンやトロールを侍らせている。
あれは何? というレナエルの疑問の答えは、へたり込んだ〝地元じゃ有名〟な男の口からもたらされた。
「あ、亜人王……。なんで、なんでこんな所に居るんだよ!?」
その呼び名にはレナエルも聞き覚えがあった。亜人王。亜人種と巨人種を束ねる、炎を操る双頭の巨人〝アグニス・プルート〟。
チェックメイトだ。遠征隊は絶望の色に塗りつぶされ、剣が手から滑り落ちる音が幾つも響いた。その様子に満足したように、亜人王の二つの口がニタリと歪む。
「勝利宣言って訳ね……。ダメ押しの一撃で心を折って楽しむなんて、悪趣味ね」
亜人王は勝利を確信していた。故にこうして堂々と姿を現し、これから自らが辿るであろう運命に人々が絶望する様子を味わいにやってきたのだ。
もうお仕舞だ。誰もがそう思った。しかし、絶望の中に一筋の希望を見出した二人の人間がいた。
「探す手間が省けたわ。戦功としてはまぁまぁかしら」
「見た目は人に近くても、所詮は獣の類という事だな」
これも例の〝魔獣の異常行動〟の一つだろうか、と二人は茶飲み話のような気軽さで言葉を交わし、視線を重ねて頷きあった。そしてアベルが口を開く。
「行くぞ。王狩りだ」




