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人類の出発点

「またか! どうなっている!!」

 リンスティール王国にある、とある宮殿の一室に神経質そうな男の声が響く。

 声の主はライエル・リンスティール第一王子。痩せぎすの狐を思わせる風貌をした、リンスティール王国の次期国王であった。

「は……はっ。その、こちらの要求は全て伝えているのですが、全く聞き入れられず……」

 ライエル王子に前には、机を挟んで一人の男性が膝をついていた。俯き、冷や汗を垂らしている。その身なりから、男性がそれなりの地位にいる事が伺える。

「言い訳は聞きたくない!」ライエルが羊皮紙の書簡を机に叩きつける。「どうすると言うのだ! これでズルカは、全ての国と休戦状態になってしまったではないか!!」


 人界線の解放。その一報は瞬く間に世界中を駆け抜けた。

 これまでイマルタル聖堂会はみだりに人界線の向こう側、つまり外界を開拓することは硬く禁じて来た。人界線を越えられるのは人界門を実効支配していた探索者組合と、組合に所属する探索者だけだ。開拓禁止の表向きの理由は様々あるが、結局は財布の話である。

 しかし人々は、押し付けられた閉塞感にあえいでいた。人口は増え続け、しかし土地や資源には限りがある。

 無限に広がる大地と、底の見えない宝箱が目の前にある。だというのに手を伸ばせない。それは神に(つば)する行為だからだ。イマルタル聖堂会を敵に回せば、同時に聖堂会に属する国々も敵に回す事になる。人類は餓死寸前で、ずっとおあずけをさせられているような状態だった。


 ズルカ公国は、そのような状況に一石を投じようとしていた。イマルタル聖堂会に対抗できるほどの国力を身に付け、無理やりに扉を開かせるつもりだった。彼らも彼らなりのやり方で抗おうとしていたのだ。

 しかし、思いもよらない方法で扉は開かれた。一人の少女がその細腕で扉を押し開き、人類を解放して見せたのだ。

 そうなればもう、ズルカ公国に戦争をし続ける理由は無い。それどころか、一刻も早く外界へ打って出る為に戦力を再編する必要があった。


 それは他の国々も同様だ。剣を向ける先を変えなければならない。でき得る限り迅速に外界に部隊を派遣し、他の勢力に先んじて橋頭堡を築くのだ。その為の準備に、この世の誰もが文字通りに沸き立っていた。人間同士の戦争の終結は、当然の帰結であった。

 世界は今、大開拓時代に突入しようとしている。


 しかし、その状況を素直に受け入れられない人物がいた。ライエル・リンスティール第一王子である。

 リンスティール王国は、風前の灯だった。

 陸の港であるリンスティールには、外界を目指す多くの冒険者に、商隊等に偽装した各国軍隊が入国し、通り過ぎていく。人が動けば、金と物も流れる。それらの人々と荷物の全てに通行税を科せられるリンスティールの国庫には、膨大な量の金貨が増えていく。

 だが良い事ばかりではない。当然それを快く思わない勢力がある。リンスティールと国境を面する周辺の国々だ。

 元より周辺国は、黒い欲望を剥き出しにしているライエル王子がリンスティールの次期国王となる事を良しとして居なかった。加えてこの状況である。黙っていても肥え太る猛犬を放っておくはずが無かった。


 ライエルは、自身が国王となれば周辺国の反発を買う事は解っていた。その牽制としてズルカ公国を味方に付けた、はずだった。しかし手のひらは完全に返され、ズルカ公国はライエルとの盟約を完全に無視して、外界開拓への準備を進めている。

 聖堂会内の協力者だったアズガルド教区長も、竜の胃に落ちた。そして周辺国は国境に軍勢を集結させつつあるという。喉元にあてられた刃は、確実に食い込み始めていた。


「くそっ……! くそっ――!!」

 ライエルは俯き、頭を掻きむしる。

 元から金魚の糞だった部下共は、怯えるばかりで当てにならない。どうしてこうなった。計画は完璧なはずだったのに!

 足元の大地が侵食されて、徐々に崩壊していく。ライエルはそのような幻覚に捕らわれていた。人界線の解放が宣言されてから、まともに眠りに付けた日はなかった。

 扉を叩く音が響き、一人の近衛兵が部屋に入ってくる。重い空気に一瞬息を呑みながら言う。

「ライエル国王殿下。お時間で御座います」

「……ああ、解った。すぐに行く」

 迫る戦いの気配に、ライエルは王位への就任急いだ。父である現国王を強引に説き伏せ、本日戴冠式を迎える。今日この日、ライエルは正式にリンスティール王国の国王となるのだ。

 国王にさえなってしまえば、リンスティールの全軍を指揮できる。軍勢を国境に配備し、周辺国との膠着状態を作り出してこの窮地を凌ぐのだ。にらみ合いをしている間にも、リンスティールには途方もない量の金貨が集まる。

 金は力だ。金があれば大抵の物は手に入る。工作も行える。金で転ぶ愚者はいくらでもおり、往々にして国とは、そうした愚者の集まりだ。一枚の金貨は、一振りの刃に勝る。


 式は滞りなく行われた。だが聖堂に満ちる色とりどりの光とは裏腹に、場には陰鬱な気配が(わだかま)っていた。ライエルの国王就任を心から祝福している者など、一人も居はしないのだ。

 それがどうした、とライエルは尊大に鼻を鳴らす。祝福も賛辞も必要ない。欲するのはただ権力のみ。この世は権力こそが全てだ。

 しかし、とライエルは思う。戴冠式も終盤に差し掛かろうと言うのに、王の頭に王冠を乗せる総主教が姿を現していない。これはどういう事だ。

 リンスティール王国の戴冠式には、新国王の頭に総主教が神の祝福と共に王冠を乗せるのが習わしだ。そして国王は、神への一層の信仰を誓うのである。だが総主教が姿を現さないのでは、どうしようもない。


 その時、聖堂の入り口でざわめきが起きた。光を背に進み出てくるその人影に、踏ん反り返っていたライエルが、玉座から腰を浮かす。

「レ、レオノーラ。何故貴様がここに……!?」

 レナエルは白銀の甲冑を身に纏い、首にはパナギアをかけている。更にその上に祭服を乱暴に羽織っていた。荒々しくもどこか可憐で美しい、レナエルらしい装いであった。

 ライエルの驚愕もどこ吹く風。朝靄の小路を行くような足取りで、レナエルは進む。そしてライエルの前まで来ると、腰も落とさずに「お久しぶりね、お兄様」と口端を歪めた。

 無礼極まる振る舞いに、ライエルのこめかみに血管が浮かぶ。

「消えろ敗残者。その穢れた脚で我が国の土を踏むでないわ!」

「あら、そんな事をおっしゃって良いのかしら」

 ライエルは目を見張る。レナエルが手を上げると、聖堂に王冠が運び込まれてきたのだ。それが示す事は一つ。

「……総主教はどうした」押しつぶした声でライエルが呻く。

「ああ、あのおじいちゃん? なんだかショックな出来事があったみたいで、()せっていてね」

 レナエルは、ライエルの頭に神の祝福と王冠を乗せるのは、聖女という奇跡の地上代行人たる自分の役目であると言っているのだった。


「ふざけるな、そんな事が受け入れられるか!!」

 国を追われたはずの王女が、新たな国王の頭に王冠を乗せる。その意味合いは果てしなく大きい。

 レナエルは女神イマルタルの現身である聖女である以前に、リンスティール王国の第八王女だ。未だ国民の支持は厚く、反ライエルを掲げるテランス派の貴族も多い。

 そのレナエルが、ライエルの権力に手をかざす。ライエルが、レナエルの手で王冠を戴く。

 それを受け入れてしまえば、ライエルの立場はとたんに揺らぐ。王の権威の頭上に、レナエルの存在が影を落とす事になる。身を潜めていたテランス派の貴族は息を吹き返し、リンスティール国内における勢力は二分する。いくらリンスティールでは苛烈な身分制度を敷かれているとはいえ、橋を一つ架けるのですらライエルの意志だけでは行えなくなる。

 二分した権力を後押しするのは、結局は国民の支持だ。どちらの派閥に分があるのかは、考えるまでも無い。


「立ち去れ! 首を刎ねられたいか!!」

 ライエルが声を張り上げる。しかし、レナエルは大仰に肩を竦めて口端を歪めて見せる。

「神の祝福を拒否し、王冠を突き返す、と言う訳ね?」

 潰れた呻きがライエルの喉から響く。聖女の祝福を拒否するという事は、神からの独立を意味することと同義である。神に反旗を翻す事になるのだ。

 信仰の象徴たる人界線を手放したとはいえ、すぐさま信仰の炎が消えるわけではない。未だイマルタル聖堂会の権力は大きく、従う勢力は数多あまたある。ライエルがレナエルの祝福を拒否すれば、それらの勢力がライエルを神敵として討つための大義名分を得る事になる。

 あらゆる者を敵に回してまで奪い取ったはずの王座。だが、いまやその玉座はライエルにとって針の莚でしかなかった。

 受ければ内側から炙られる。拒めば矢が飛んでくる。

 大勢は決した。後はライエルがどちらを選ぶか、という話だけだ。


「……力だ」ぽつり、とライエルが零す。「この国には力が必要だ。そうは思わないのか」

 レナエルは答えず、ただ黙っている。

「綱渡りの外交も、もう限界だ。遠くない未来、リンスティールは何処(いずこ)かの国に食い荒らされる事になるだろう。ならばどうするのか。どこの国にも負けない力を手に入れれば良いではないか。リンスティールは陸の港。黙っていても金と情報は手に入る。他国の顔色ばかりを窺う必要が、どこにある! この国は強くあらねばならんのだ!!」

 聖堂にライエル声が響く。

「お兄様の言葉にも、一理あるわ」

「ならば黙って王冠を寄越せ! この国には強い指導者が必要なのだ! 我がリンスティールの名を世界に轟かせ――」


 瞬間、誰もが息を呑んだ。レナエルが、グリントソーンを抜いたのだ。

 レナエルは剣先を向け、喉を引きつらせる兄王の顔をじっと見つめる。

 小賢しいだけの男。抱く印象はそれだけだ。こうして切っ先を向けられただけで、届くはずのない剣に怯えるような、口ばかりの小心者。

 こんな。こんな男に、テランス兄様は――。


「問おう、〝王〟よ。何の為に力を欲する。その力は、誰のための力だ」

「――そ、それは。民のために……」

 刃を捻り、光を反射させる。それだけでライエルの喉から「ひっ」と情けない声が上がる。

「嘘をつくな、権力に酔いたいだけだろう。貴様は国の繁栄ばかりを謳うが、民を見ていない」聖女として、レナエルが言う。「〝力〟とは一つの物を示す言葉ではない。国を守り、繁栄させるための力は武力などでは、決してない。それを理解しようとしないから、貴様は玉座に腰かけた今でも、孤独なのだ」

「な、何を――」

 青い顔で呻くライエルに向かって、不意にレナエルが微笑みかける。

「武力なんて、せいぜいが脅しくらいにしか使えないのよ。どこかの王子を、強引に戴冠式を行わせるくらいに焦らせる、とかね」

 ライエルが息を呑む。リンスティールと周辺国の国境に集結した軍勢。まさか、それをけしかけたのは――。


「れ、レオノーラ……。貴様――!!」

 跳ねるように玉座から立ち上がり、足を踏み鳴らしてライエルがレナエルに近づく。

 ライエルが腕を伸ばし、甲冑の頸当ての隙間に指を掛けて、レナエルを勢いよく引き寄せた。

「どれだけ神聖なる聖女の名を穢せば気が済むのだ! このっ――、売国奴が!!」

 鼻が触れるほどの距離でライエルが怒鳴る。だがレナエルの顔に恐怖が浮かぶことはない。

「私の名よ。どう使おうが勝手だわ」それに、とレナエルは言葉を続ける。「売国奴はどちらかしらね。ズルカ公国の葡萄酒は、お口に合いましたか?」

 ライエルの顔から、音を立てるような勢いで血の気が引いてゆく。頸当てから指を外し、揺らぐ瞳で白銀の刃に目を向ける。

 こうしてわざわざ口にするという事は、突き付けるだけの証拠も揃っているのだろう。ズルカ公国としても、今や聖女となったレナエルと敵対した所で百害あって一利なし。望まれるままに口を開いたに違いない。

 レナエルには、今この場でライエルを切り捨てるだけの理由と権利がある。


「王よ、もはや……」

 慌てて駆け寄った側近らしき男が、ライエルに耳打ちする。ライエルはそれでもしばらく迷うような仕草を見せるが、やがてレナエルの前に(ひざまず)いた。

 グリントソーンを鞘に納め、レナエルが横合いから差し出された王冠を手にする。

「貴様などにっ……!!」

 ぎしり、とライエルの奥歯が鳴る。

「そうね。私一人では、どうしようも無かったでしょう。でも私には、頼れる仲間がいる。こんな私を、どこまでも慕ってくれる騎士たちと」くすり、とレナエルが笑う。「どこか迂闊で、いつも詰めの甘い、間の抜けたアルケミストとかがね」

 そう言って、レナエルはライエルの頭に王冠を乗せる。


 噛み破られたライエルの唇から、一滴の紅い(しずく)(こぼれ)れ落ちた。


            ■


 初夏を迎えた森には、命の気配が満ちていた。

 天の恵みが大地を潤し、草木は降り注ぐ陽光を求めて枝葉を伸ばす。蝶は花から花へと飛び渡り、樹葉に隠れて小鳥が愛を囁き合う。

 陽光が差し込む、とある森の奥。少し開けた場所に一つの墓があった。その前に一人佇むのは、白銀の甲冑に祭服を羽織った隻眼の聖女だった。


「テランス、兄様……」

 子供の腰の高さほどしかない、小さな石碑。そこに刻まれた名が、心を上滑りする。

 石に刻まれた傷を、何度も目で追う。そうしていると、油を塗った革にもいつかは水が浸みこむように、その名がここにあるという事の意味が、少しずつ胸に落ちてきた。

 それでも心のどこかでは、まだ信じられないでいた。人好きのするあの笑顔に、また会えるのではないかと思っていた。だが、それは叶わないと解った。


 レナエルは片膝を付き、墓前に一輪の花を添える。

「お兄様、この花がお好きでしたものね」レナエルがふわり、と微笑む。「でもお兄様、〝名も無き花だからこそ愛でられるのだ〟なんて妙な事をおっしゃるものですから、私も未だに、この花の名を知りませんの。だから誰に頼む事もできなくて、あちこち歩き回って、自分で摘みましたのよ?」

 少し頬を膨らませてみるが、なんだか可笑しくなって、小さく噴き出した。

「駄目ね、私。こんな事じゃなくて、もっと色々、お話したいことがあったのに」

 返る声はない。レナエルの言葉は、そよぐ風に混ざるばかりだった。

「ねぇお兄様。私、外界に行くわ。外界に出て、子供の頃に夢見たような、誰も知らない景色を探すの。素敵じゃない? 世界にはきっと、まだまだ秘密が隠されているはずだわ」


 外界を旅する。

 レナエルにとってそれはアベルとの約束であり、同時に自身の夢でもあった。

 幼い頃、レナエルはよくテランスと二人で頬を擦り合わせておとぎ話や英雄譚を読み耽った。そして物語の余韻の中で、未知に包まれた外界には、きっとこのような素敵な物語があるに違いないと、二人で夢を膨らませた物だ。

 テランス亡き今、リンスティールに思い残すことは無い。もちろん国民を愛してはいるが、だからこそ、自分の足で人生を歩んで欲しいと願っている。王族の役目とは明日に希望を抱かせる事であり、一方的に庇護をする物ではないと思っている。希望の種は撒いた。道を選択し、明日を選び取る。リンスティールの民にはそれができると、レナエルは信じていた。


「色々あったのよ。本当に、色々と」呆れたように、しかしどこか嬉しそうに溜息をつく。「亜人王を倒したり、魔獣に追い掛け回されたり。竜を討伐して、復活させて氷漬けにしたり……。そうそう、私、イマルタル聖堂会の聖女になったのよ? 信じられる? 可笑しいわよね」

 レナエルは声を上げて笑う。ひとしきり笑い、ふっ、とレナエルの表情に涼風が吹く。

「きっと、これからも色々あるわ。お兄様はどうかしら。天国ってどんな所なのかしらね。いつかまたお会いしたら、どうか聞かせてくださいませね」

 レナエルは立ち上がり、祭服を墓に掛ける。その墓に刻まれた名を、今一度見つめた。

「また参ります、お兄様。その時は、あっと驚くようなお話を、お土産に致しますわ」

 旅立つレナエルの背中を、柔らかな風が祝福するように、優しく撫でた。



「もう、良いのか?」

 森の小路を行くレナエルに、背後から声が掛けられる。傾けられた銀製のスキットルが鈍く光り、水の音が鳴った。

「――何よ、アベル。びっくりするじゃない」

 レナエルは声の主に背を向けたまま応える。目元を指で拭い、目頭を揉む。

 振り返った時には、果たしていつも通りのレナエルだった。瞳は力強い光を宿し、自信に溢れる気配を振りまいている。


「あら、お酒?」レナエルの視線が、スキットルに向けられる。「そういえば、アベルって思ったよりお酒を飲まないわよね。とてもお酒で笑えない額の借金を拵えたとは思えないわ」

「必要がなくなったみたいだ」アベルが言う。「飲みたくなる時は、心の状態が手に余る時だけだよ」

「ふぅん?」レナエルは愉快そうにアベルを眺めている。「今も、持て余しているのかしら」

 アベルは「まぁな」とスキットルを一振りして見せる。

「あれ、トニスとアーリィは?」レナエルが周囲へ視線を巡らせる。

「……気を」

「うん?」

「気を、使って……、くれた」

 は? と眉根を寄せるレナエル。落ち着かない様子のアベルをたっぷりと眺めた後、突然に噴き出した。

「まったく、何をそわそわしているのよ」

「いやその、なんだかな。二人きりになるのは、久しぶりな気がして」

「ま、確かにそうね」

 解放宣言以来、アベルたちは怒涛の毎日を送っていた。混乱するランダルマを収める為に、文字通り寝る暇も無かったほどである。今もリズとギリアムはランダルマに残り、探索者組合と共にランダルマを統治する新体制作りに奮闘している。


「それにしても、本当に良かったのか?」

「探索者組合の事? 良いのよ、あれで。彼らには恩を売っておいて損は無いし、私も椅子に座ってふんぞり返るのは、趣味じゃないしね」

 ランダルマは、探索者組合が取り仕切る事になった。

 探索者組合にランダルマを任せる理由は、竜の遺骸の所有権を主張せず、沈黙を持ってアベルたちの計画に協力したことに対する礼である。失敗すれば共倒れするしかない計画であった。その賭けに探索者組合を乗せたのは、トニスとアーリィだ。

 そして何よりも、レナエル自身がランダルマの領主となる事を拒否した為であった。理由は単純極まる。性に合わないからだ。それ以上でも以下でもない。


 だが、無条件にランダルマを譲り渡した訳ではない。レナエルは探索者組合といくつかの盟約を結び、その中には〝ランダルマにアルケミストの為の区画を造る〟という物もあった。

 恐らくは、一カ月を待たずに形になるであろう。驚異的な早であるが、それもさもありなん。人界線を色とりどりのガラスで飾り立てている、大工工房たちが総出で行っているのだ。アルケミストたちの為の区画は、空から見ればステンドグラスのように輝いて見えるのだろう。

 一番の問題であったアルケミストたちへの異端認定は、レナエルが聖女の名のもとに取り下げた。とはいえ、炎を消してもしばらく煙が漂うように、直ぐにアルケミストたちへの迫害が無くなるという事はないだろう。だがそれでも、ランダルマはアルケミストたちにとって世界で一番安全な街となったのだった。

 しかし結果として、隠れ里は放棄される事になってしまった。移住を決めたのは彼ら自身だが、アベルはそれを不甲斐なく思い、顔役に謝罪した。

 しかしどうだろう。顔役は悲しむどころか、アベルを抱きしめた。そして〝ありがとう〟と、ただ一言だけ呟いたのだった。


「ところでレナエル、ずっと気になっていた事があるんだが」

「何よ」

「聖女の件だよ。どこまで予測していたんだ?」

 ああ、とレナエルが頬を掻く。

 イマルタル聖堂会第五十六代総主教、トーレ・ベッティオの敗因はただ一つ。それはレナエルという人間を、見くびっていた事だ。

 聖女などという代物に突然担ぎ上げられれば、当然誰でも戸惑う。どうしていいのか解らず、より上位の権力を持つ者の言いなりになる。普通はそうなる筈で、総主教もそう考えていた。

 総主教はレナエルを操り人形として、ランダルマを支配するつもりであったのだろう。奇跡の担い手たる聖女は、総主教にとって都合の良い道具となるはずだった。

 だが、総主教は見誤った。レナエルは、その程度で揺らぐような人間では無かった。〝力〟という物の本質と扱い方を、正しく理解していたのだ。 

 二転三転する〝力〟の応酬。その中で繰り広げられたレナエルの演説は、明らかにあらかじめ練られた物だった。アベルには、事の展開を予測していたとしか思えないレナエルの行動がずっと疑問だった。


「戦いは先の読みあいって事よ。それが剣での戦いでも、言葉での戦いでも同じことだわ。聖女に担ぎ上げられる可能性は、まぁ第三候補といった所ね。あちらが言い出さなければ、私から〝神の言葉〟を宣言するつもりだったわ」

 しかして聖女という立場を手に入れたからこそ、ここまでスムーズに事を運ぶことができたのだ。栄誉ある名とその威光をこれほどまでに使い倒されるとは、さしもの神も思いもよらなかったであろう。

トニスのように心を盗み、アーリィのように隙を突き、リズのように相手の力を逆手に取り、ギリアムのように豪快に叩きつける。

 なるほど、あの一癖も二癖もある強者たちが、なぜこうまでレナエルに付き従うのか、アベルにも理解できる気がした。

 そして、自分も。


「それはそれとして、〝アレ〟は完成したのかしら?」

 レナエルがそう言うと、アベルは腰から二本の短剣を抜いた。

 不思議な短剣だった。刀身は透き通るように紅く、照らす陽光を呑み込んで、内側で炎が揺らめいているように見えた。

「それが、〝竜の魔装具〟……」

 僅かに喉を引きつらせながら、レナエルが呟く。まるで短剣自体が、殺気を放っているかのようだった。

 竜の魔霊星は巨大だった。だがアベルの目的である〝創生の魔法薬〟の材料には一欠けらもあれば事足りる。そうなると問題は、残りの魔霊星の保管だ。

 どう管理したものかと頭を悩ませるアベルに、アーリィが言った。〝魔装具にしてしまえばいかがです?〟と。

 今や魔装具の生成技術を持つのは、顔役と長老衆などの数人のアルケミストのみ。アベルは流石に難しいだろうと、駄目で元々の気持ちでお願いをしてみたら、顔役は二つ返事で引き受けてくれた。

 かくして竜の魔霊星は、二刀一対の魔装具として生まれ変わったのだった。

 問題はその適正者が存在するのか、という点だった。だがそれは杞憂に終わる。アベルが手にすると同時に、短剣が輝いて応えて見せたのだ。


「ねぇねぇ、魔名(まな)は? どんな能力なの? 見せてよ!」

 好奇心を隠さずにレナエルが言うが、アベルは困ったような顔で首を横に振る。

「それが、まだ上手く扱えなくてな」

 頬を膨らませながらも、レナエルはしぶしぶ頷いた。今レナエルたちが居るのは森の中。そして魔装具は火の竜、サラマンダーの魔霊星から作られた物。魔装具を暴走でもさせて炎にまかれるのは、勘弁願いたい所であった。


 不意にアベルが辺りを見回し「懐かしいな」と呟く。

 二人が居るのは出会ったばかりの頃、剣の修業に使っていた森だった。いつか腰かけた岩を見つけ、その低さと小ささに時の流れを感じた。

 アベルが腰掛けると、レナエルも隣に腰かけた。昔はよくこうしたものだが、今では狭すぎる。二人の肩はぴたり、と密着していた。

「ちょっと。狭いんだけど」

「レナエルがそっち行けよ。こっちは限界だ」

「こっちだって、いっぱいよ」

 笑いながら言い合う二人は不意に黙り込み、風に揺れる葉擦れの音に耳を傾けていた。


「本当に探すのか?」

 どれだけそうしていただろう。ぽつり、とアベルが口を開いた。

「目標はあったほうが解りやすいでしょう。目指す先があれば、歩いて行ける」レナエルは降りしきる陽光に目を細めながら言う。「異世界への門。見つけ出したら、歴史に残る大発見よ。テランス兄様への良い土産話になるわ」

 異世界への門。それはアルケミストたちが追い求める、世界の秘密だ。

 未知の中に知を求め、果ての無い旅路に足を踏みだす。

 レナエルもまた、アルケミストを名乗るに相応しい。


「俺が創生の魔法薬を作り上げるのと、どちらが先かな」

「どっちが先でも構わないわよ。二つとも手に入れるのだから、同じことだわ」でさ、とレナエルが言葉を繋げる。「アベルは、誰との子供が欲しいわけ? 誰と家族になりたいのよ」

「え」アベルは言葉を詰まらせた。「あー……、どうだろうな。考えた事はなかったが」

「はぁ? なにそれ」レナエルは眉を顰め、そして微笑んだ。「まったく、アベルらしいわ。開拓のし甲斐がありそうね」

「うん? 何の開拓だって?」

レナエルは「なんでもないわよ」と身をよじり、アベルの肩に身体を預ける。


「ま、これからもよろしくね。私のアルケミストさん」

 甲冑の冷たい感触。だが、その内側に宿るレナエルの魂が、アベルに熱を与えていた。

 心地よい重みを感じながら、アベルは微笑む。


「……ああ、こちらこそ。俺のお姫様」


            ■


 新体制となったランダルマは順調に動きだし、街には活気満ち溢れていた。連日各地から外界を目指す人々と様々な品々が流れ込み、毎日が祭りのような騒ぎだった。

 街には商隊や傭兵などに偽装した、どこかの国の軍人と思わしき一団の姿も増え始めていた。しかし、まだ数は多くない。もちろん、どの国も外界へは強い興味を持っているだろうが、ほぼ完全に未開の地である外界への軍派遣は簡単な話ではない。ましてや、軍隊に他国の国内を通過させるのは容易な話ではなく、ランダルマにまとまった数の部隊を送ることですら困難だ。

 ランダルマに近い国々であれば、こうして偽装した小部隊を直接送る事は出来るだろうが、大半は国境のない海を渡り、港湾都市グリックペルからニュージロン連峰を迂回するというルートを取ることになるだろう。何にせよ手間と時間の掛かる話であり、今の所はいくつかの国が、どうにか少数の先遣調査隊を送り出すのが精一杯といった情勢であった。外界の開拓が本格的に開始されるのは、もうしばらく先の事になりそうだった。


 中には人界線に勝手に穴をあけ、新たな扉を作り出そうとしている過激な動きもある。国土の七割が山岳地帯であり、人界線の一部もその内に含む採鉱国家レイテファングなどは、既に着工を始めている。聖堂会はこうした動きに反発を見せているが、レナエルによって人界線に関する権利は既に放棄させられているので、目立った影響力を及ぼすことはできないでいた。


 一方、ランダルマへ移住したアルケミストたちは平穏に暮らしてはいたが、ランダルマに馴染むまではもうしばらくの時間が必要なようだった。やはり、ランダルマの住人としても今まで異端とされていたアルケミストに対して恐れ、あるいは畏れに似た感情を拭いきれないらしい。

 アベルは、そんなアルケミストたちの為に、自分の店を提供することにした。レナエルの援助により経営赤字は補填されたが、自分には商才というものが無いらしいという事をようやく理解したアベルは、ランダルマの住人とアルケミストの懸け橋になれば、と経営権を引き渡したのだった。

 アルケミストの持つ異世界の医療知識は、この世界の文明レベルよりも遥かに進んでいる。彼らの存在は、必ずや多くの命を救うはずだ。その他の文明も、彼らの知識や技術、そして概念が広く伝われば、飛躍的に進歩する可能性がある。異端者というレッテルを取り払われた彼らアルケミストは、これから何度でも世界を変えていくだろう。


 ある日、アベルたちの元へ外界監視班からの一報が舞い込む。外界で繰り広げられていた魔獣たちの闘争が、収束に向かっているとの事だった。魔獣の各種族は大きく損耗し、火事が燃え尽きて自然に鎮火するように、粗方の縄張りが定まりつつあるという。

 時は来た。縄張りの線引きが終わり、一息ついている魔獣どもの横腹を、思い切り突いてやるのだ。一息に戦線を押し上げ、魔獣の王たちを討ち取る。そして橋頭堡を築き、未踏の地への足掛かりとする。

 まずは、禁足地まで。

 グァイネア古遺跡群には、未知の技術が使われていると思わしき品々が大量に転がっていた。今まで聖堂会が禁足地としていたので、調査も進んでいない。あの場所には、きっと何かがあるはずだ。グァイネア古遺跡群まで人の領域を押し広げる。それがアベルたちの、当面の目標だった。


 数日後。朝霧の残る早朝の人界門の前には、大勢の人々が集っていた。人類解放戦線、その第一陣を飾る(つわもの)たちである。

 国籍も装備もバラバラ。しかし皆、(こころざし)は一つだ。地位も身分も国籍も関係なく、外界というただ一つの大きな存在に立ち向かう。それこそが、レナエルの望むものだった。全ての人類一人一人が、新たな人界線を敷く〝ライン・メイカー〟なのだ。


 朝日が昇る。太陽の光を受けて、人界門が濡れたように輝き始めた。

 誰もがその様子を、固唾を呑んで見つめていた。


 その先頭に居るのは、当然レナエルだ。白銀の甲冑と白い外套に身を包み、鎧を纏った白い軍馬に跨っている。

 レナエルの背後には四人の騎士、そして一人のアルケミストが控えている。

 リズたちサンクションの部隊長は、参集したサンクションの生き残りや聖堂騎士団からの引き抜き、そして探索者組合からの志願兵などからで編成された新生サンクションともいうべき部隊を率いていた。そしてアベルもまた、とある部隊を率いていた。大半がアルケミストの末裔たちで組織された、小規模部隊である。


「まさか、緊張してるのー?」

 トニスからプレゼントされたスキットルを傾けるアベルの両脇へ、トモキとリンコが姿を現す。表情を強張らせているアベルへ、リンコが悪戯な微笑を向ける。

「こっちの台詞だよ。リンコこそ、(こん)が震えているぞ」

「こ、これは武者震いだよ!」

 各所に鉄での補強が施された棍を背中に隠し、リンコが顔を赤くする。リンコは棍術を操る。その腕前はバング・ウルフを三頭同時に相手にできる程度だ。もはや達人の域である。

「お前ら、静かにしろよ。恥ずかしいだろうか」

「「トモキに言われたくない」」

 二人は声を揃え、トモキに刺すような視線を向ける。トモキは大げさにため息をつき、やれやれ、と首を振った。トモキの腰の左右には、嘴のような突起の付いた全長一メートル程のビークハンマーと呼ばれる軽戦鎚が下げられていた。


「ヤクモさんに、早く追い付かないとな。さて、どこにいるのやら」トモキが言う。

「気を付けろよ? 闇雲にあの人を追っていたら、地獄に踏み入りかねない」

 アベルの言葉に、げんなりとした様子でリンコが頷く。

「あぁ、思い出すなぁ。棍術を教えて貰っていた時に、修行だと言って魔獣の巣に置いてけぼりにされたんだよ? 地獄が本当にあるのだとしたら、あの時あの場所がそうだったよ」

「俺にも覚えがあるな……」

 トモキが青い顔で呟く。そうだろうな、とアベルは頷いた。あの人に関わると、大抵の人間はろくな目に合わない。

「ほら、あんたたち。おしゃべりは、また後になさいな」

 レナエルの言葉に三人は咳払いをし、視線をまっすぐに人界門に向ける。


 恐らくはもう二度と、この扉が閉じられる事は無いであろう。

 人界門は開け放たれ、これまで人類の限界点であった人界線は、新たな出発点となるのだ。


 レナエルは仲間たちの顔を見渡す。

 背中を預けるに足る仲間たち、その一人一人に微笑みかけ、頷き合う。


 レナエルがグリントソーンを抜き放つ。

 白銀に輝く剣先で天を突き、高らかに叫ぶ。


 新たな旅が、幕を開ける。


「開門――――!!」



                                        『完』


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