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簒奪者たち

「っつー……。参ったな、これは」

 壁に背を預け、爛れた腕の皮膚に薬草を練った軟膏を塗りつけながらアベルが顔を顰める。

 (ライ)(カン)が崇める月神の加護を身に宿す魔法薬〝ムーンドリップ〟。その絶対的な対火の加護を越えて肌を焼かれるとは。竜の魔霊星が宿す力は、神の裾ですら焦がすらしい。


「無茶してんじゃねーわよ。まったく、真っ直ぐ突っ込んだときは心臓が止まるかと思ったわ」

 レナエルの口調は荒く、しかし心配そうにアベルの腕を見つめている。

「チャンスを逃すわけにはいかなかったからな。勝利を手にする事ができるのは、いつだって手を伸ばした者だけだ」

「それで焼かれてちゃ世話ねーわよ」レナエルが大きな溜息をつく。「……大丈夫なの?」

「腕や身体に痕は残るだろうが、問題ない」

 なら良いけれど、とレナエルはもう一度溜息をついた。そして濡らした布に慎重に包まれた、竜の魔霊星に視線を向ける。


「そう言えば、凄い効果だったわね。あれも魔法薬なの?」

「虫除けの香の事か? 普通の薬だよ。材料はありふれたものだし、製法は前に言った通りだ、特に難しい事も無い。師匠はあれの事を、蚊取り線香って言っていたかな」

「か? あの小さい羽虫の?」

 アベルは頷く。レナエルにはどうしてもイメージが繋がらないようで、眉根を寄せている。

「作られた目的がなんであれ、結局は使い方次第という訳だ」

 アベルが言う。

「それにしたって、ねぇ。アベルの師匠は凄い人物のようだけれど、ネーミングセンスはいまいちね」

「師匠が聞いたら何と言うだろう、とアベルは苦笑いを浮かべる。別に彼女が名付けた訳でもないのだが。それにしても、今頃どこで何をしているのやら。あの人ならば、天地がひっくり返っても死ぬという事はあるまいが。


「じゃあ、カッコいい名前を考えてくれよ。師匠が喜ぶような」

「英雄伝に語られるような、大げさなのが良いわ。うん、竜滅(りゅうめつ)(こう)というのはどうかしら」

「気取り過ぎじゃないか?」

「名前っていうのは大切よ? 竜討伐の話と合わせて大々的に売り出せば、すぐに一財産くらい築けるんじゃない?」

「そんな簡単なものかよ。お姫様には解らないかも知れないがね、お金稼ぐというのは大変なんだぞ」

 レナエルは「説得力があるわね」と薄く笑う。遠くではトニスとギリアムが、指揮を取って竜の遺骸の解体作業を行っている。遺骸をパーツごとに切り分け、荷車に積み込んでいく。


 荷車はリズとアーリィが指揮を取り、古遺跡群から調達した物だ。天使の角の栽培地周辺にもいくつかの荷車が残されていたし、古遺跡群のあちこちには金属製の車輪などの、荷車作りに使えそうな資材が大量に転がっていた。

 問題は頭部だ。脳の詰まった頭部はやはり重い。さて、どう荷車に積み込んだ物かと男たちが首を捻っていたところで、ギリアムが軽々と持ち上げて見せた。その姿がどこかで見た英雄を描いた絵画の様で、しかしギリアムも自分たちもあまりにもボロボロで、現実なんてこんなものだと男たちは笑いあった。


「浮かない顔ね、竜殺しの英雄さん?」

 物憂げな表情で竜の遺骸を見つめるアベルの顔を、ひょい、とレナエルが覗きこむ。アベルは「いや」とどこか言いにくそうに言葉を濁す。

「恥ずかしながら、今さっき気が付いたんだが」

「うん」

「これからまた、外界は大変な事になりそうだな」

 竜という暴君が倒れた今、魔獣たちの勢力争いが巻き起こるのは確実だった。恐らくは熾烈を極め、力の均衡という名の外界の王が再び君臨するまで、外界は混沌の坩堝となるだろう。


「人間より、魔獣の方がよほど落としどころというものを弁えているわ。しばらくすれば落ち着くわよ」

「隠れ里の復興には、支障がでるだろう」

「どうかしら。復興するのかしらね」

 アベルは肩が強張らせ、「馬鹿な」と呟いた。

「焼けたのは三分の一程度だ。そりゃ、簡単には行かないだろうが――」

「違う違う。できる、できないでは無くて、しようとしないかも知れないって話」

 レナエルの言葉に、アベルは訝しむように眉根を寄せる。


「最初から疑問だったのよ。あの隠れ里はランダルマに近すぎる。どうしてわざわざ、いつ見つかるとも知れない近場に大掛かりな隠れ里を構えたのか。それは結局、アルケミストはアルケミストだけでは生きられないという事よ」

「何の話しだ」

「人の営みの話よ。彼らには並外れた知識と技術がある。でも、それだけでは何も生み出せない。たとえば剣を作るにしても青銅や鉄が必要だし、それを得るには炉で製錬をしなければならず、炉に火を入れる為の燃料、ふいごも必要。そもそも、材料の鉱石もどこからか調達しなければならない。砥石や、剣を収める鞘も必要ね。それらをお金で解決するとして、そのお金はどこから得る?」

滔々と語るレナエルに、アベルは返す言葉が無かった。知識も技術も、単体では成立しえない。数多の知識と技術が絡み合い、それを形にする為の材料と、必要とされる場が存在して、初めて価値を得るのだ。


「知識や技術だけでは生きていけない。百歩譲って食料は自給自足できていたとしても、必需品の全てを自前で揃えるのは難しい。アベルだってそれが解っているから、ランダルマに居を構えているんでしょう? なぜ隠れ里に〝顔役〟だなんて役職が必要なのか、という事よ」レナエルは干し肉を細く裂き、口端に咥えた。「街との係わりを絶てない隠れ里なんて、最初から矛盾していたのよ。今まで表沙汰にならなかったのは、顔役たちの交渉手腕と桁違いの幸運のおかげだわ。でも、ここまでよ。抑圧されていた反動で、外界にはこれまで以上の探索者が押し寄せるでしょう。そんな中でトンテンカントン復興作業でもしていてみなさい。確実に見つかるわ」

「じゃあどうする。路頭に迷えというのか」

「そこまではいわないけれど、そうね、ランダルマに移住するって手もあるかしら」

 アベルたちの計画が成れば、ランダルマはアルケミストたちにとって比較的安全な土地になるはずだった。しかし、とアベルは首を横に振る。

「あの大所帯だぞ。外界からあんな人数で移動してきたら、盲人だってその正体に気が付く」

「もっと大きな、別の何かに視線を向けさせてやればいいのよ。たとえば外界に何千何万もの人々が押し寄せるような事態、とかね」

 言葉の意味が理解できず、アベルは片眉を上げる。


「魔獣の勢力争い、私はチャンスだと思うのよ」

「チャンス?」

「あらゆる魔獣が、互いに潰しあうんでしょ?」

「……お前、何を考えている」

 レナエルは答えず、口元をニヤリと歪めて見せる。

「これは絶好の機会だわ。上手く事が運べば、私の夢にも手が届く」

 悪そうな笑顔を浮かべるレナエルに、アベルは肩を竦めて息をつく。

「変わらないな、レナエルは。屋根裏の時みたいに、またとんでもない事を考えているんだろう。まぁ良いさ、どうせ言い出したら聞かないしな」

「懐かしいわねぇ。あの時のアベルったら、傑作だったわよ。目の前で終末のラッパを吹き鳴らされたみたいな顔してさ」


 肩を揺らしていたレナエルが、不意に動きを止める。アベルの正面に回って両肩をがしり、と掴み、瞳を覗き込む。鼻先が触れあいそうなほどに近い。

「思い出したの?」

「あ、あぁ」

「本当に? いつ? 全部? どうして?」

 ぐいぐいと迫るレナエルの圧力に、アベルはたじろいで顎を引く。

「こ、古遺跡群の地下に落とされた時に、頭を打った衝撃で、な」


 しばらくアベルの瞳を覗き込んでいたレナエルだったが、やがて放り出す様に両肩を離すと盛大にため息をついた。

「記憶って、頭を打って消えたり出てきたりするような代物だったの?」

「俺だって困惑しているよ」

 呆れたように言うレナエルに、アベルは少し唇を尖らせる。

「まぁ、あれよ。記憶は失ったんじゃなくて、思い出せていなかっただけかしらね。なんていうのかしら、失ったと思っていた記憶が、比較的浅い所に浮かんでいたと言うか」

「つまり……、どういう事だ?」

「私がリンスティールの第八王女だって名乗っても、アベルの態度は変わらなかったでしょう? それは、私との距離感を忘れていなかったからじゃないかしら」

 言われてアベルは思い返す。レナエルが王女様だと解って、抱いた感想は「それで?」という物だった。


「普通、目の前の絶世の美女が王女様だって解ったら、跪かないまでも、それなりの反応っていうのがあるはずなのよ。あの遠征隊の生き残りたちみたいにね」

「余計な言葉が混ざっていたような気がするが、まぁ確かにな。知っている事を改めて言われた、くらいの印象でしかなかった」

「呼び名にしてもそうよ。ずっと〝レナエル〟のままだったでしょ?」

「特に意識はしていなかったが……」

 子供の頃、レナエルが稽古の合間に〝レオノーラは王女としての名前であって、私じゃない〟とよく言っていたのを思い出す。思えばリズたちも、レナエルをレオノーラと呼んだ事は一度も無かったのではないか。恐らく、レナエルが近しい者にはそうさせているのだろう。


「名前で思い出した。店の壁をぶち抜いてくれたあの時」

「うっ!? な、なによ。弁償はしたじゃない」

 アベルは人差し指を突きつけられ、レナエルが小さく呻く。

「顔を見た瞬間に、俺だって解ったはずだよな。なんであんな小芝居をしたんだ」

「初めは本当に強盗だと思ったのよ。突然気配絶ちなんてするんだもん」

 その点は完全にアベルの落ち度だ。「だからって……」

「ついでだから軽く手合わせをと思ってね。本気を出してもらうために軽く芝居も絡めて、さ」

「それで熱くなって酒を投げつけた、と」

「それもいずれ弁償させてもらうわよ」レナエルは少し頬を膨らませる。「それでさ、顔を見せて名乗っても、アベルってば私が誰か解らないって様子だったじゃない? だから〝ああ、まだ芝居を続ける気なんだな〟って思って乗っかって……、いたつもりだったのよ」

 レナエルの表情に影が差す。念願の再開を果たした相手の態度が、妙につれない。悪ふざけをしているのだと思っていたら、記憶を失っているという。当然自分の事も覚えていない。レナエルは平気なふりをしていたが、胸が痛まなかったはずはないのだ。


「その、なんだ。……悪かったな」

「別に謝る必要なんてないわよ」レナエルが困ったような、それでいて嬉しそうな笑顔を浮かべる。「こうして思い出してくれたし、外界にも一緒に来れたしね。まぁ、私はまだ全然満足していないけれど」

「そうだな、俺達が今回歩いたのは、外界のほんの一部だ。まだまだ、凄い所が沢山あるんだよ」

「す、凄いって?」

 まるで子供がとっておきの秘密を囁くように、アベルが言う。

「例えばずっと南の方に、深い水晶洞穴があるんだ。その最奥に〝星閉じの湖〟といわれる場所があってな。天井に開いた穴から月明かりが差し込んで、水中の水晶がこれでもかというほどに輝いて、凄く綺麗なんだ」

「なにそれ、素敵じゃない!」

「他にも想像を絶するような代物があちこちにある。外界は想像もできない程の未知で溢れている」

 レナエルの胸が高鳴る。途方もない未知の世界。それこそ自分が追い求めてきた自由の象徴だ。当然、素敵な物ばかりではないだろう。竜のような強大な魔獣も沢山潜んでいるに違いない。だが、それでこそだ。

 未知の世界。まだ見ぬ強敵。素晴らしいではないか。

 誰も彼も、底の無い宝箱が目の前にあるのに、恐れるばかりでそれを開かないなんて勿体ない。レナエルは決意は、より強固な物になった。様々問題は起こるだろうが、それがどうした。人々が新たな一歩を踏み出す為に切っ掛けが必要だというのなら、私がそれを与えてやろう。


 やがて出発の準備が整い、アベルたちは禁足地を後にする。トニスとアーリィは、とある目的のために先行した。一足先にランダルマに入り、工作と諜報を行うためだ。

 出立を急いだのが幸いしたのか、帰りの道中も大きな問題は起こらなかった。並みの獣や魔獣は竜の遺骸に恐れをなして近づく事も無かったし、はぐれ者の魔獣によるたまの襲撃も、そよ風と変わらなかった。本格的に魔獣たちが動き出すのは、もうしばらく先の事と思えた。


 数日後、アベルたちは隠れ里へと帰り着いた。顔役たちと相談し、遠征隊の生き残りたちを隠れ里へ迎え入れた。

 アベルたちの功績を讃え、(ねぎら)いも兼ねてささやかな宴が催された。久方ぶりの人間らしい食事と旨い酒にアベルたちは舌鼓を打つ。遠征隊の男共は生の歓びを謳うように酒を呑み、肩を抱えあう。

 ギリアムはどういう訳か里の子供たちに大人気で、肩車をせがまれたり太い腕に三人もぶら下がられたり、と大変そうだった。だが本人も楽しそうにしていたし、元来子供好きであるのだろう。子供の遊び相手を見つけるスキルには、熟練探索者でも舌を巻く。

 他にも甲斐甲斐しくアベルの元へ食事を運ぶリンコと、その様子につまらなそうに半目を向けるレナエルが一触即発の状態になったり、驚くほど酒に弱いリズが早々に潰れ、その介護にトモキが手を焼いたり、と騒がしい夜を過ごした。


 トニスとアーリィが隠れ里へ帰ってきたのは宴の翌日。二日酔いで腐っているリズの為に、アベルが薬を調合してやっている時だった。

 レナエルたちを呼び、顔役の屋敷の二階でテーブルを囲む。五人の顔を見渡し、トニスが口を開く。

「概ね予想通りだ。アズガルドは大々的に、竜の遺骸をお披露目するつもりらしい」

 トニスとアーリィは遠征隊の生き残りに扮し、竜の鱗を持ってランダルマ中に竜討伐の成功を触れ回った。普段ならば相手にもされないだろう。しかし、二人の話には竜の鱗という証拠が伴う。ランダルマは瞬く間に沸き立ち、蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。

 アズガルドは、この状況を逆手に取る事にした。隠し通すのはもはや不可能。ならば竜の遺骸を衆目に晒し、不死たる竜の死を持って、神の威光と自らの権威を世に知らしめようとしたのだった。


「そして竜を召喚した魔女として、レナレナを公開処刑するつもりらしいですよ」

 アーリィが言う。しかし驚くような声は上がらなかった。それも予想できたことだからだ。むしろ、そうなるように誘導していた。

 アーリィたちは、それとなくレナエルの無事も噂の一部に含めていた。アズガルドにはライエル王子との契約がある。当然、レナエルに生きていられては困るのだ。しかし外界での暗殺が失敗に終わった以上、残された道は多くない。

 あらぬ罪を着せて処刑する、というのはアズガルドのみならず、彼ら聖堂会の常套手段だ。そこにランダルマを混乱に陥れた竜の遺骸の登場。これをアズガルドが見逃すはずはない。


「しかし魔女とはな」アベルがくつくつと喉を鳴らす。「せいぜい、神敵たる竜を信奉する異端者に仕立てる程度だと思っていたが。インパクト重視という訳か?」

 口元を緩ませるアベルの足を、レナエルが恨みがましげに蹴りつける。

「で、だ。ここからが問題なんだが」トニスが咳払いをして、言葉を繋げる。「遺骸のお披露目には、ディナン大聖堂から総主教もやってくるらしい」

 アベルたちは思わず息を呑んだ。イマルタル聖堂会の総主教。聖堂会の頂点に君臨する人物である。その権威は人の域を超えており、もはや神に近い。世界中の王たちが総主教に頭を垂れ、総主教は神の祝福と全ての国民の命をその頭上に乗せる。


 アベルたちの目的は〝アズガルドをランダルマから排除する〟という一言に尽きる。アズガルドがその丸い尻を乗せている〝神の代理人〟という座を、〝奇跡の創造〟をもって奪い取る。つまりは、ランダルマにおける聖堂会の影響力を、丸ごと頂こうという訳だ。その場に、聖堂会の最高権力者である総主教がやってくるという。

 冗談ではない。聖堂会にとっても、人界門を抱えるランダルマは重要な土地だ。目の前でその支配権が簒奪される様子を、黙って見ているはずはない。


「どうする。他の方法を考えるか?」

 太い腕を組んでギリアムが唸る。突っ伏しているリズの瞳にも思案の光が宿っていた。

「くそっ、やってくれるわね。どうせアズガルドが呼んだんでしょ」レナエルが歯噛みする。

「餌が大きすぎたんですかねぇ。総主教も、竜を見てみたかったのかも知れませんね」

 アーリィは肩を竦めて溜息をつく。

 予想以上に抜け目がない。アベルはアズガルドという男を見くびっていたのかも知れない。ピンチをチャンスに変え、その好機を最大限に生かす。誰にでもできる事ではない。


「ピンチをチャンスに……。逆手に取って……。そうか」

アベルの呟きに視線が集まる。


「計画は続行する。これは好機だ」アベルは口端を歪める。「ランダルマを奪い取るぞ」


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