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ランダルマの薬師

 手のひらほどの白い布に軟膏を塗り付け、患部に張り付ける。つん、とした膏薬の匂いが辺りに漂う。


「これでよし……と。はい、もう動いていいですよ」

 アベルはそう言うと、岩を削り出したような背中を軽く叩いた。背中の主は大きく伸びをし、欠伸を漏らす。

「おう、あんがとな兄ちゃん」

「いつまでも子供じゃないんですから、そろそろ別の呼び方をしてくれませんか?」

「どう呼ばれてぇんだよ」

「たとえば、先生とか?」

 アベルがそう言うと、男は熊のように笑った。

「背伸びすんじゃねぇや。兄ちゃんは、まだまだ兄ちゃんだよ」

「敵いませんね、まったく」


 アベルの苦笑いに満足したのか、男は椅子から立ちあがり、服に袖を通す。ここまではいつもの会話、常連客とのお約束と言う奴だ。

「兄ちゃんには感謝してるぜ。女神様は大病ならば癒してくれるかもしれんが、肩や腰の痛みは眼中に無いらしいからな」

「剣を一本仕上げる時間を祈りに費やせば、女神様も聞き届けてくれるかも知れませんよ?」

「俺に膝をついて、何時間もじっとしていろってか? 肩凝りどころか石像になっちまうぜ!」

「石化を解く治癒薬も取り揃えております。その際は是非に」

「がっははは! 少しは言う様になったじゃねぇか、兄ちゃん」


 鍛冶屋の男は豪快に笑い、代金をテーブルの上において立ち去った。一人残されたアベルは小さく息をつく。男はアベルの営む薬屋の常連客であり、とある鍛冶工房の親方だ。

 彼に限らず、常連客の殆どは日夜を肩凝りと腰痛に悩まされている職人達だ。多くの人々は女神に祈りを捧げ、痛みや病からの解放を願う。しかし職人たちはいつ訪れるとも解らない奇跡に(すが)りはしない。同じ金額を支払うのであれば、布施を収めるよりも薬師に代金を支払い、彼らの作り出す治癒薬を求める事を選ぶ。決して安価ではないが、奇跡と違って確実に効果はある。

 

 部屋には、オレンジ色の光が差し込んでいた。アベルは窓辺に寄り、目を細める。

 ガラス窓の遠く向こうには切り立った岩山が高くそびえており、山肌は様々な色ガラスで飾り付けられている。良く見れば、それは張り付く様に作られた小屋の集合体であった。小屋からは細い階段が伸び、他の小屋に繋がっている。そんな光景が岩山の一面に広がっているのだ。


小屋の殆どには色ガラスの窓が取り付けられている。それは大工工房が自らの仕事ぶりを喧伝する為の物であり、工房ごとに特定の色を持っている。

まるで巨大なステンドグラスのような山肌だが、特出して多いと見える色は無い。まだまだ熾烈な色塗り合戦は続きそうだ。

 岩山は幅も広い。両端は霞み、果てを見る事ができない程である。山肌の木造街だけで一生を過ごす者がいる、という噂もあながち冗談ではないかも知れない。


 岩山には一部分だけ、小屋の全くない箇所がある。そこにあるのは巨大な門、人間と魔獣の世界を繋ぐ唯一の扉、〝人界門(じんかいもん)〟である。そして人界門の守衛や整備の為に集まった人々が山肌に小屋を作って住み付く様になり、それが今に続いている。


 人界門とそれを支える長大な岩山。それらを纏めて人々は〝人界(じんかい)(せん)〟と呼び、人界門を起点に広がるのが、アベルが小さな薬屋を構えている〝境界都市ランダルマ〟である。


 ランダルマはどこの国にも属しておらず、常駐する軍隊も居ないが、基本的には平和な街だ。

街の治安を守るのは、長大な岩山を隆起させ、人間と魔獣の世界を別った女神イマルタルを崇める〝イマルタル聖堂会〟の、神の剣たる〝聖堂騎士団〟。そして物流などの経済面では〝探索者(シーカー)組合(ギルド)〟という組織が取り仕切っている。神の慈愛に包まれたランダルマ人々の活気と笑い声に溢れ、その繁栄を享受していた。


 アベルの薬屋は、通りに面したとある建物の二階にある。一階は酒場だ。夜の訪れを告げる鐘が鳴り響く。視線を下げると、あちこちの建物から仕事を終えた人々が溢れ出してきた。ある者は愛する者が待つ家に急ぎ、またある者はそのまま酒場へ直行だ。色町へ行く者も居るかもしれない。

 

「さて、俺も今日は上がるか」

 出入り口へ向かい、札をかえしてクローズに変える。扉を閉めたアベルの耳に、ふと階段を上ってくる足音が聞こえてきた。

 金属の擦れる音が混ざっている。防具を身につけているという訳だ。足音は一人分、迷いなく真っ直ぐに向かって来る。やがて扉を叩く音がした。手甲による硬い音色だった。


 アベルは扉の少し横に備え付けた小窓を覗き込む。小さな鏡を組み合わせた、身体を露出することなく外の様子を確認できる仕掛けだ。

 客はフードを目深に被っていた。体格は小柄だが、子供ではない。


探索者(シーカー)か……?」


 探索者とは人界線の向こう側、つまりは外界へ出向き、毛皮や牙などの魔獣素材、そして外界にしかない鉱石や薬草などを採取する事を生業としている者たちである。当然その仕事には危険が付き物であり、傷や病を癒す治癒薬を必要とする事も多い。アベルにとっては客筋の一つである。

 しかし、こんな時間にやってくる事は滅多にない。となれば、強盗の(たぐい)か。高価な治癒薬を扱う薬屋はそういった輩に狙われる事も多い。

 なんにせよ面倒だし、今日はもう店仕舞いだ。アベルは息を潜めて気配を消す。


「んん……?」


 扉の向こうから声が漏れ聞こえてくる。時間も時間だし、食事にでも出かけて留守にしていると判断するだろう。ほどなくしてフードの人物は立ち去るはずだ

 さて、そろそろ良いだろうか、とアベルは再び小窓を覗き込む。瞬間、トン、という軽い音と共に、アベルの顔のすぐ横に白刃が現れた。


「……へっ? うぉあ!?」


 アベルは思わず飛び退る。壁に行く筋もの剣閃が走り、次の瞬間には木製の壁を砕いてフードの人物が飛び込んできた。積木のようになった壁材が頬を掠める。

 白刃が迫る。アベルは腰から短剣を抜き、火花を散らしながら斬撃を受け流す。


「この強盗め! 壁に大穴を開けやがって!!」

「失礼な事を! 強盗は貴様の方だろう!」

「俺はこの店の主人だよ!!」

「ほう、最近の薬師は客に居留守を使うのか? わざわざ気配まで絶って?」

「う、ぐ。それは」


 アベルは思わず喉を詰まらせる。確かにそんな真似をする薬師は居ない。自分が逆の立場なら、同じように疑うだろう。

 もはや問答無用とばかりに、再びフードの人物が白刃を振るう。


「速い……っ!」

 アベルは呻く。何者かは知らないが、相当の使い手だ。少なくとも新人探索者などでは絶対に無い。

フードの人物の剣技は独特だった。細剣を扱うように剣先を突き出し、一定の距離を保ちながら矢継ぎ早に剣を繰り出してくる。しかもその一撃が鋭く、重い。


 右からの剣を流した思えば左から。凌いだと思えば突きが来る。躱したところへ足を狙って一閃。それも躱せば更に踏み込んで勢いを乗せた一撃。徹底して手足を狙って来る。まずは動きを封じようという腹積もりなのだろう。


「ちっ。チョロチョロと……」

 フードの中から苛ただしげな声が零れる。だが舌打ちをしたいのはアベルも一緒だ。反撃の機会が掴めない。相手は身体を引き、右半身と剣先のみをこちらに向けていた。貴族が使う剣技に似ている。対するアベルの武器は短剣。リーチの差は大きく、懐に飛び込もうにも相手の技量がそれを許さない。


 フードの人物が距離を取り、おもむろに棚の上に手を伸ばす。それをみたアベルは「ちょ、よせ! よしてくれ!」と声を張り上げた。フードの人物はそれを無視し、手にした酒瓶をアベルへ投げつける。

 下戸でも一目で高級とわかる酒瓶が、くるくると宙を舞う。アベルは受け止めようと手を伸ばすが、短剣を手にしたままでは上手く掴めるはずも無い。床に落ちた酒瓶が絶望的な悲鳴を上げる。


「ぬわぁぁ! お前、これが一体いくらすると!」

 フードの人物は動揺するアベルに剣先を突きだす。これまでで最速の一撃だった。

 アベルの瞳がスッ、と細められる。甲高い金属音が響き、果たして剣先は短剣に絡め取られて勢いを逸らされた。

 フードの奥で瞳を見開く気配がする。すぐさま腕を引き戻そうとするが、その手首をアベルに掴まれる。


「くっ……。貴様、何者だ!?」

「ここの主人だと言っているだろ!?」

「貴様のような薬師がいるかっ!!」


 なおも激しく言い合う二人。その時足もとから突き上げるような衝撃が走り、思わず息を呑みあった。

『うるさいよ!! 酒にホコリが入るじゃないのさ!』

 一階で酒場を営む女将さんの声だった。モップか何かで天井を突いているのだろう。

「す、すみません女将さん! また野良猫が迷い込んできまして」

『まったく! 猫でも女でも連れ込んでくれて構わないがね、ホコリを落とすのだけはよしとくれ。うちは清潔さを売りにしてんだからね!』

 嵐のような一時が過ぎ、場を静寂が支配した。先に口を開いたのはフードの人物だった。

「強盗、ではないようね」

「お前も野良猫ではないがな」

 フードの人物は鼻を鳴らし、剣を鞘に納めた。アベルもまた短剣を納める。


「で、お前さんは何者なんだ。客って訳でもなさそうだが」

 フードの人物は咳払いを一つ。そしてフードの端に指を掛け、一息に払った。露わになったその顔にアベルは息をするのも忘れてしまう。

 フードの中から現れたのは少女だった。それも、絶世と言って差し支えの無い美人である。神の威光が形を持ったような金髪。月に照らされた湖面を思わせる蒼い瞳。穢れの無い新雪のような肌。それらの美が少女の持つ凛とした雰囲気に包まれて、息を呑むほどの美しさを湛えていた。

 だが、その中にあって一際目を引く物がある。少女の顔を縦に走った傷跡だ。その傷は深く左目を裂いている。もはや左目は機能していないだろう。だが、そんな傷跡も少女の美しさを損なう要因足りえなかった。


 夕闇に咲いた金色の薔薇に魅入られていたアベルに、呆れたようなため息が向けられる。

「何を(ほう)けているのよ」怪訝そうな表情で少女が言う。「……ああ、そういう事? ま、いいけれど。始めたのは私の方だからね、気が済むまで付き合ってあげるわ」

「何を言っている? お前は何者なんだ、と聞いているんだ」

 意味不明な事ばかりを口走る少女に、アベルは眉を顰める。


「今は、こう名乗っているわ」と、おもむろに少女が胸元からペンダントを取り出す。そこには〝レナエル・ルクレール〟という名と、救世の女神イマルタルの紋章が刻まれていた。

「聖堂騎士団の、上級騎士……!?」


 目を疑うアベルに、レナエルは一番星のように微笑んで見せた。


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