創生の魔法薬
その晩は、そのまま野営をする事にした。ギリアムが派手にやらかしたので魔物が集まってくるかと思ったが、どうやら杞憂だったようだ。魔獣たちの楽園は、何事も無かったかのようにひっそりと静まりかえっている。
二人が見張りに立ち、四人が眠る三交代制で夜を過ごす。アベルは三番目にレナエルと見張りに立つ事になった。
明日も大きく距離を稼ぐ予定だ。一日でも早く禁足地へと辿り着き、火竜を討つ。道中も安全とは言い難いが、いつ竜がその牙を街に向けるか解らない今の状況では、のんびりと構えてもいられない。
とはいえ、今一番大切なのは少しでも身体を休める事だ。睡眠不足は集中力を奪う大敵である。アベルたちは早々に床に就き、それぞれに寝息を立てた。
アベルたちは広い河原に、各自距離をとって眠っている。
理由は二つ。一つは不意の戦闘となった時、魔装具は周囲を巻き込みやすいからだ。周囲に気を使いながら戦うよりも、魔装具の力を解放して一掃してしまった方が手っ取り早い。
そして二つ目は、一網打尽にされないためだ。可能性は低いが、あるいは竜のような強大な魔獣の標的になれば、一撃で全滅もありうる。それぞれが離れていれば被害を抑えられるという訳だ。
……。――。――――?
微かな気配に意識が浮上する。アベルは感覚の網を周囲に巡らせ、気配の正体を探る。
敵襲か。しかし見張りからの声はない。聞こえるのは近くを流れる川のせせらぎだけだ。魔獣を素通しさせるほど、脇の甘い連中ではないはずだが。
鼻先を甘い香りが撫でた。アベルはぎくりと肩を震わせる。
近い。まさか自分がこれほどまでに接近を許しているとは。
アベルは上半身を跳ね上げようとするが、首と肩を掴まれ、背中を地面に押し付けられた。
「ぐっ――!?」
「暴れちゃダメですよー?」琥珀色の瞳がアベルを見下ろす。「大人しくしていてくださいね」
「あ、アーリィ……!?」
蒼い月明かりを背にしたアーリィがアベルを見下ろす。アーリィはアベルに馬乗りになり、腰と肩と首を抑え込む。要所を抑えられたアベルは動きようが無い。
しかしそんな事よりアベルが気になったのは――、一糸まとわぬアーリィの、その姿だった。水浴びでもしてきたのか、髪はしっとりと濡れている。
「お、まえ。どういうつもりだ」
「んー?」
アーリィはくすくすと笑いながらアベルの胸に顔を近づけて匂いを嗅ぎ、小さく接吻をしながら鎖骨、首筋へと唇を滑らせる。まるで、獣が捉えた獲物をねぶるように。
「よせ。どうしてこんな――」
「あらら。もう昼間の事を忘れちゃったんですか? あんなに情熱的だったのに」
アーリィが蠱惑的な微笑みを浮かべる。この表情こそが彼女の根っこなのだろうとアベルは思った。普段の快活で天真爛漫な彼女も本当だが、その根底には追い込み、奪い、喰らう狩人としての本性がいつもあるのだ。
「ま、アベルンは意識していなかったのでしょうけれど……。私の方は火がついちゃいましたしねぇ。責任は取って貰わないと」
「責任って」
「解っているくせにぃ」アーリィの密やかな笑い声が耳朶を撫でる。「アベルンだってご無沙汰でしょう? レナレナはお堅いですからねぇ」
首元を掴んでいたアーリィの手が離れ、胸から腹、下腹部へと指を滑らせる。そしてその指が腰へ到達した。
「ほぉら、アベルンだってその気に――。……あれ? え?」
そこにはアーリィの期待した〝硬さ〟は無かった。指先に感じる感触は、いつも通りにいつも通りの、平常時なアベルだ。
「え、マジですかアベルン。私ってそんなに魅力ないですか!?」
ころりと雰囲気を一転させたアーリィが声を上げる。
「ほ、ほら。女の子の柔肌ですよー? どこを触ってもすべすべのふわふわですよー?」
「い、いやその……」
そうは言われましても。
アーリィがアベルの頬へ柔らかな膨らみを押し付ける。大きさは控えめだが、形が美しい。甘い匂いに胸がいっぱいになり、脳髄が痺れる。
しかし――。アベルの腰に反応なない。
「な、なんでぇ……!?」
女としての尊厳を傷つけられた思いなのだろう。涙目になったアーリィが水っぽい声を漏らす。
「「なんで」」「ですって?」「だと?」
不意に背後から湧き上がった声にアーリィの肩が跳ねる。
「それはこっちが聞きたいわね。これはどういう状況かしら、アーリィ?」
「見張りをすっぽかして何をしているのだ、お前は。言ってみろ。遺言として聞いてやる」
油の切れた蝶番のようなぎこちなさで振り返るアーリィの瞳に、背中から怒りを立ち昇らせたレナエルとリズの姿が映る。
「い、いやこれは、あの、その……!!」
蒼い月の光る夜空に、締め上げられた悪戯猫の悲鳴が響き渡った。
「ほどいてくださいぃぃ~……」
煌々と燃える焚火の横で、アーリィが泣きだしそうな声を上げる。アーリィは白外套と荷作り用の縄で、簀巻き状態にされていた。
「阿保な事をするからだ。しばらく反省していろ」にべもなくリズが切り捨てる。
「でもぉ。これじゃ魔獣に襲われたら、ひとたまりも無いですってー」
地面に転がされたアーリィが身をくねらせて言う。
「立派ねアーリィ? 身を捧げて魔獣の気を引いてくれるのね」
「うっ……。レナレナ、こわいです……」
引き攣った笑顔でレナエルが凄む。悪魔でも平身低頭でご機嫌取りに走りそうな迫力だった。
「しっかし、俺たちが居るのに良く事に及ぼうとしたな?」
アーリィたちの騒ぎで眠りを邪魔されたトニスが言う。川のせせらぎに多少の物音は紛れてしまうだろうが、レナエルたちは人並み以上に気配に敏感だ。
「うーん。食事にしっかり眠り薬を仕込んだんですけどねぇ。古くなっていたのかな」
「「「「おい」」」」
アベル、レナエル、リズ、トニスの声が重なる。ギリアムは離れた場所で見張り中だ。
「なんて事をするんだお前は。魔獣に襲われたらどうする」リズが眉根を寄せる。
「大丈夫ですって。みんな竜に怯えて巣から出てこないじゃないですか。今日だって一日静かだったでしょう?」
それはアベルも感じていたことだ。竜の住処であるグァイネア山からかなり離れたこの場所にまで竜は飛来した。魔獣たちがここらを安全地帯だと考えていたのなら、そうとう胆を冷やしたはずだ。もう数日は大人しくしていてくれるかも知れない。
「ま、それなら安心ね。夜明けまでそのままで居なさいな、アーリィ?」
レナエルがにこりと微笑む。
「うっ……」
失言だった、とアーリィは表情を曇らせた。
「しかしだ、お前もお前だぞ。振り払おうと思えばできただろう」
「そうよ。どういうつもりなの、アベル」
女性二人に詰め寄られ、しかしアベルは気にする様子も無く肩を竦める。
「どうにもならないと解っていたからな」
「何よそれ」レナエルが言う。
「その、だな……。俺、勃たないんだよ。感覚がないんだ。排尿なんかは問題ないが、生殖機能は失われているようだ。そういう気、というのも全く湧いてこない」
間。
ぽとりと落とされたような空虚な時間が流れる。
「ええと、つまり――」
首を傾げるレナエル。数秒後、炉に放り込まれた鉄のように顔を赤くして俯いてしまった。どうやら答えに思い至ったらしい。
リズたちにはさぞかし笑われるだろう、とそちらを見遣る。だが予想に反してその表情は真剣だった。
「子を成せない、か。お前の求める〝生命の根源に関わる魔法薬〟とは、そういう事なのだな」
「怪我や病気が原因か? お前も大変だな」
「よかったぁ。私の魅力が足りていないって訳じゃなかったんですね!」
リズ、トニス、アーリィがそれぞれに言葉を口にする。若干一名の考えがズレているが、〝子を成せない〟という事の重要性は認識してくれたらしい。
考えてみれば、レナエルやリズたちは王族と騎士の家系だ。栄誉ある名を継ぐ者にとって世継ぎを残すというのは責務であり、義務だ。血を絶やすわけにはいかない。酒場でアベルが勃たないという話をした時に腹を抱えて大笑いした、工房の親方連中とは物の考え方が違うのだ。
ともあれ良かった。覚悟をしていたとはいえ、笑いものなどにされたら心が痛む。これでも、それなりには気にしているのだ。
「それで、お前は不能を治す魔法薬を作るために、竜の魔霊星を欲しているのか」
「そうだ」
アベルはリズの言葉に頷く。
「本当に存在するのかね、そんなもの。もし実在するなら世界中の王侯貴族がこぞって求めるだろう」トニスが言う。
トニスの言葉は正しい。後継者問題は権力者にとっては、常に付いて回る大問題だ。世継ぎを作れない不能者となれば、家督を継ぐのも難しくなる。その問題を解決する文字通りの魔法の薬。もし実現できれば、そこからもたらされる恩恵は計り知れない。
「で、でもさ。調合に必要な素材はどれも馬鹿げた代物ばかりなんでしょう? 命がいくつあっても足りないじゃない。そこまでする必要はあるの?」
レナエルがアベルに疑問を投げる。
「夢、なんだ」
「夢?」
「家族が、欲しいんだよ」
過去を闇に閉ざされ、未来もおぼつかないアベルが生きていくには、何かの目的が必要だった。そんな彼が唯一欲した物、それが家族だった。
「人並みの幸せが欲しい、って奴か。解るぜ、そういうの。俺もこんな仕事をしていると、不安になる時があるよ。何も残せず、何も成せず。このまま野垂れ死にでもしたら、死んでも死にきれないってな」
トニスが頷く。
「男どもは軟弱だな。死んだらそれまでの器だったと言うだけだ。鍛錬が足らんのだ」
「でもよ、リズだっていつか騎士を引退したら、自分の家庭を持ちたいとは思うだろ?」
「それは、まぁ……。そうかも知れないが……」
死ぬために生きる者など居はしない。皆それぞれが守るための者の為に、目指す未来の為に生きている。それが生の本来の姿であるし、人とはそうあるべきだとアベルは考えている。だが、その未来に自分の居場所を作れないのでは生きる甲斐も無いという物だ。
いつか自分の家族を得る為に。命を懸ける価値は十分にある。
「ま、私たちは特に戦場から戦場への根無し草ですからねー。やっぱそういうことは考えちゃいますよね。子孫は自分の生き写し。自分がこの世に生きていた証みたいなものですもん」
「だからって、お前はケツが軽すぎだろ」
「トニトニひどーい! 私だってちゃんと相手は選んでいるんですからね」
「トニトニってなんだよ! 初めて言われたわ。てか、選んでるってどういう事だよ」
「アベルンって、長生きしなさそうじゃないですか。後腐れがなさそうだなーって思ったんですよ。サンクションの関係者でもないし、面倒事にもならなそうですしね」
「そんなに早死にしそうかな、俺」
アベルが困ったように頬を掻く。というか、そういうのを〝軽い〟というのではないのか。
「うーん、なんていうか、死の匂いって言いますかー……。瀕死の獣? みたいな雰囲気があるんですよね、アベルンって。生と死の狭間に漂っているって感じで」アーリィがけらけらと笑う。「なんか、そそられるんですよね、そういうの。狩人の本性が疼くと言いますか」
「お前、結構えげつないな。結局は遊びたいだけじゃねぇか」眉を顰めてトニスが言う。「さて、夜明けまで、まだ時間があるぞ。少し寝直しておくか?」
「そうだな。一旦ギリアムを呼び戻すか」リズがニヤリと口元を歪める。「そうだ。アベル、お前も来い」
「ん? 別に構わないが」
リズに言われ、アベルは腰を浮かせる。
「あ、じゃあ俺も行こうかな」「みんな行くの? それなら私も行こうかしら」
続いてトニスとレナエルも立ち上がり、見る間に焚火から遠ざかっていく。
「……え。えっ!?」ぽつんと取り残されたミノムシが一匹。「ちょ、ちょっと待ってくださいー! 一人ぼっちは嫌ですよー!!」
闇に響く悪戯猫の叫びに、応える声は一つも無かった。




