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はぐれ者たちの故郷

 アルケミストの隠れ里は、三分の一が焼失した。隠れ里は川によって三つの区画に分かれており、そのうちの一つが丸ごと焼け落ちたのだ。風向きのおかげで他の区画への延焼は免れた事だけが、不幸中の幸いであった。


 惨劇から二日目の昼、犠牲者たちの合同葬儀が執り行われた。焼けた区画の一部を更地にし、墓地としたのだった。墓穴掘りは、アベルやレナエルたちも手伝った。そのおかげか、隠れ里の住人とレナエルたちの間にも、ある程度信頼関係が築かれたようだった。

 墓地の前に大きな篝火を焚き、その前に人々が一列に並び、順番に故人の思い出の品や弔いの花を投げ込んでいく。これが彼らの、葬儀の執り行い方であった。


 煌々と燃え盛る弔いの炎を、人々が言葉もなく眺めていた。時折、すすり泣く声が湧きあがるが、そよ風のように密やかだった。魔獣たちの領域である外界に居を構えているのだ、恐らく覚悟だけはしていたのだろう。

 しかし、たとえどれだけの覚悟をしていようとも、愛する者や親しい人々が失われる悲しみや苦しみは変わらない。髪を振り乱し、天地を恨んで慟哭して当然だ。それをこの人々は耐えているのだ。拳を握りしめ、歯を食いしばり、ただ真っ直ぐに前を見つめている。


 強い、とアベルは改めて思う。

 世界に爪弾きにされ、言葉も知らぬ異世界で必死に生き延び、人々を魔獣の脅威から救っても報われず、手酷く裏切られ、迫害から逃れて影に潜み、理性を以って力を抑え、人を憎まず、ただ己の目的の為だけに生きる。そんなアルケミストの末裔の心の強さは、神ですら舌を巻くほどであろう。


「どんな様子だ」

 ギリアムの声に振り向くと、隠れ里の端で魔獣の遺体を埋葬していたサンクションの三人とレナエルが戻って来た所だった。気が付けば、偵察に出ていたアーリィがいつの間にかアベルの隣に並んでいた。アベルは流石に少し驚いた。まったく気配を感じなかったのだ。


「しめやかなものさ、取り乱す人も居ない」気を取り直してアベルが言う。

「外の様子は?」レナエルがアーリィに問う。

「静か過ぎて、つまらないですね」アーリィが小さく肩を竦める。

「それにしても、ここの人たちは落ち着いているわね。あんな物を見たって言うのに……」

 レナエルが唸る。レナエルの言う〝あんなもの〟とは、星空を覆い尽くしたあの火竜種、サラマンダーの事だ。その威容を目にしても、アルケミストの末裔たちは取り乱すような事は無かった。むしろアベルたちの方が平静を保てなかったくらいだ。


「何をしているっ!」

 突然声が上がった。声は弔いの花を炎に投げ入れる人々の列から発せられていた。

「何事だ」

 アベルが駆け寄って声をかける。怒鳴っていた男は「ああ」と気まずそうに応えた。

「この子が、とんでもない物を火にくべようとしていたものだから」

「とんでもない物?」

 怯えて身を強張らせる女の子の足元には、いくつかの枯れた花が落ちていた。すっかりドライフラワーになっているが、元々は美しい花であっただろう。


 アベルは花を一つ拾い上げる。痛んだ花は確かに弔いには向かないだろうが、子供を怒鳴りつけるほどの事だろうか。アベルは何となく、香りを嗅いでみようと鼻を近づけた。

「おやめ。それを嗅ぐんじゃない」

 声の方へ振り向くと、顔役がこちらへ向かってきていた。腰を屈めて目線を合わせ、「この花は、どうしたんだい」と子供へ優しく声をかける。

 顔役は要領を得ない子供の言葉を辛抱強く聞き続けた。それによると、子供の父親が「綺麗だったから」と例の花をどこからか待ちかえってきた物だという事だった。父親が好きだった花を、共に煙として天に昇らせてあげれば、きっと喜ぶだろうと考えたらしい。


 子供を近くの大人に任せて帰らせ、顔役は枯れた花弁を見つめて溜息をついた。

「その花が、どうかしたのですか」アベルが問う。

「これは猛毒だ」顔役が言う。「強い幻覚作用と中毒性がある。火にくべるなんて真似をしたら大事(おおごと)さ。まぁ、この程度の量なら問題は無かろうが……」

 アベルの脳内で、ふと閃く物があった。そして、その言葉をそのまま口にした。

「それは天使の角、という名前の花ではありませんか?」

 顔役の片眉が吊り上る。「確かに、そういった呼び方もあるが……。どこで聞いた」

 アベルはランダルマの礼拝堂で、天使の角が香として焚かれている可能性を話した。幻覚という言葉と、禁足地から不死の魔獣の情報を持ち帰った、錯乱した探索者の事が重なった気がしたのだ。顔役は「馬鹿な事を」と顔を顰める。

「アズガルドの狸じじいめ。やはりか」

「心当たりがおありだったのですか」

 顔役が苦々しく頷く。

「こいつはグァイネア山の周辺に群生……いや」顔役は一旦言葉を区切る。「天使の角は、禁足地で栽培されている」

 顔役の言葉に、妙な所で繋がりが出てきたものだ、とアベルは眉根を寄せた。




 アベルがレナエルたちに天使の角の件を話したところ、話を詳しく聞きたいと言うので、顔役に時間を取ってもらう事になった。身の振り方が定まらないレナエルたちにとっては、少しでも多くの情報が必要だった。


「禁足地の魔獣の正体はあの火竜種、サラマンダー……ですか」

 レナエルの言葉に顔役が頷く。アベルたちは再び顔役の私室で、テーブルを挟んで向かい合っていた。

「恐らくは、巣立ちしたばかりの若い竜だ。サラマンダーはその名の通り火の竜。火山であるグァイネア山が、よほど気に入ったらしい」

 顔役の話によればこうだ。数か月前、一匹の竜が禁足地――、グァイネア山の火口に住み着いた。その竜は若く、荒々しく、縄張り意識が強く、そして縄張りの拡大を望んでいた。


「姫さんは、外界の王という存在を知っているかい」顔役がレナエルに言う。

「聞いたことはありますが」レナエルはアベルと旅装商店の店主の会話を思い出す。「正直、良くは存じません」

 知らない事を、素直に知らないと言える人間は意外に少ない。顔役は一つ頷き、口を開く。

「外界には様々な〝王〟がいる。亜人王、牙獣王、魔鳥王、斬蟲王、邪樹王――。それぞれが縄張りを守る事で、外界には一定の秩序が保たれている。この均衡を、我々は〝外界の王〟と呼んでいる」

「それが竜によって崩された、という訳ですか」

 レナエルの言葉に顔役は「その通りだ」と返した。


 禁足地に降り立ったサラマンダーは、周囲に広がる他種族の縄張りを荒らして回った。サラマンダーの力は圧倒的であり、一方的に降り注ぐ暴力の前に他の魔獣たちは、なすすべなく逃げ惑うしか無かった。かくして均衡という名の外界の王は、一匹の若き暴君に取って代わられた。

「それが、魔獣の異常行動が引き起こされた原因ですかぁ」アーリィが細い顎に指を添える。「そんな危ないのが近くに居て、逃げようとか思わなかったんですか?」

「もちろん、何もしなかった訳ではない。若いのを何度もサラマンダーの調査に向かわせた。報告では、ここまでサラマンダーが来ることは考えにくいという事だったが……」

 顔役は言う。調査によれば、確かにサラマンダーは縄張りの拡大を図ってはいるが行動範囲はそう広くは無く、その牙が隠れ里まで届く事は無いだろうというものだった。子供の持っていた花は、その調査の際に持ち帰られたのだろう。


「しかし、サラマンダーはここまで飛来してきた――と。笑えない状況だぜ」

 トニスの言葉にギリアムが同意する。

「あの翼なら、数日程度の距離など長めの散歩と変わらん。サラマンダーは隠れ里の存在をしっかりと認識しただろうし、ランダルマにも気が付いたかもな。もし奴が、人間を敵と認識していたら……」

 場に深い溜息が満ちる。既にサラマンダー何度も人間と争っているはずだ。人間は敵、として認識されていると思って間違いないだろう。周囲のあらゆる状況がアベルたちの不利に働いていた。いつサラマンダーが隠れ里を、あるいはランダルマを焼き払いにやってくるのか、それは誰にも解らない。


「サラマンダーを倒す、というのはどうだろうか」

 唐突なアベルの発言に、全員の視線が集まる。顔役が皺の走る頬を歪ませた。

「火竜に限らず、竜種というのは実態を持った自然災害だ。空を切れば嵐が止むか? 大地に剣を突き立てれば地震が収まるか」

 竜には様々な種類が居る。地中に住まう者、海底に潜む者、大空を支配する者と様々だ。しかしそこには一つの共通点がある。それは〝不死〟であるという事だ。

 大地の化身である地竜は脚を土につけている限り、水竜は水中にある限り、そしてサラマンダーのような火竜はたとえ頭を砕かれても、僅かな炎があればたちどころに傷を再生し、復活してしまうという事だった。それこそが竜種が伝説たる所以であり、他の魔獣と一線を画す存在である理由であった。


「ふざけた存在だな、竜ってのは。そんなの、どうしようも無いじゃねぇか」

 舌打ちをするトニスに、アベルは首を横に振る。

「竜を打倒することは可能だ。過去の英雄たちがそれを証明している」

 人界門が築かれる以前、人類は竜とも戦火を交えていた。そして数頭の竜を討伐することに成功している。それらの武勇は伝説となり、英雄譚として今に語り継がれている。


「都合の良い事を言っているが、お前、本当は竜の魔霊星が欲しいだけだろう」顔役がアベルに向かって言う。「まだあの魔法薬の生成を諦めていないのかい。お止しよ、あんなものは先代たちが冗談半分で記した夢物語だ」

「あの魔法薬?」レナエルが眉根を寄せる。

 馬鹿な話だよ、と顔役が吐き捨てる。「生命の根源に関わる魔法薬さ。製法だけは伝えられているが……、必要な素材が冗談のような代物ばかりでね」

「その生成に、サラマンダーの魔霊星が必要って事?」

 そうだ、とアベルが頷く。

「竜の魔霊星はいくつかある最重要素材の一つだ。サラマンダーの物となれば申し分ない」

「こんな時に何を言い出すんだ、お前は」鼻を鳴らしてリズが言う。「英雄の真似事をしたいのならば一人で行け。そんな馬鹿げた話に付き合うつもりはない」

「もちろん、竜の魔霊星は俺が個人的に欲しいものだ。だけど、サラマンダー討伐は全員にとっても悪い話じゃ無い」

 訝しむような表情のリズの眼を見て、それからこの場に居る全員の顔を見回しながらアベルが言う。

「全てをひっくり返す手段を思いついた。聞いてくれ」




 顔役にレナエルたちの置かれている状況を説明したうえで、アベルは自らの案を全員に話して聞かせた。

 アベルの話を聞き終わった一同の顔には困惑が張り付いていた。誰もがどう反応をして良いのか、考えあぐねている様子だった。

「承服できん」ややあって、リズが口を開く。「不確定要素が多すぎる。上手く行くとは思えないな」

「俺も反対だ」ギリアムは腕を組んで、首を横に振る。「たった六人で竜の討伐だと? いくら俺でも、それがどれだけ無謀な事かは解るつもりだ」


「俺は乗ったぜ」トニスが頷いた。「確かにリスクは大きいが、状況を打破するには良い手段だ。つーか、俺も他に手は無いと思うね。後は、一番危険の大きい姫様がどう思われるかだ」

 黙って話を聞いていたレナエルが「悪くないわね」と微笑んだ。

「どうせこのままじゃジリ貧だしね、上等よ。〝竜殺し〟だなんて、格好良いじゃない」

それに、上手く行けば……、とレナエルの口端が歪む。何やら、ろくでもない事を考えていそうな雰囲気だった。

「ま、やるなら、私も付き合いますけれどね」気のない風に言いながら、アーリィの瞳は好奇に濡れている。「でもでも、アズガルドはこちらの思惑通りに動いてくれますかねぇ?」

「心配無いだろう。奴が自分の名声を高めるチャンスを、見逃すとは思えん」

 苦々しく、あるいは呆れたように顔役が応える。アベルとしても同じ考えだった。アズガルドは、必ずこちらの誘いに乗るだろう。


「私は構わないが、ランダルマはお前の街だろう。それを危険に晒すような真似をするのか?」

「確かに無関係な人々を巻き込む事になるが、計画が失敗しても、あるいは俺たちが竜を倒せなくても結果は同じ事だ」

 現在竜の存在を知り、それを倒そうとしているのはアベルたちだけだ。竜をどうにかしない限りは、ランダルマが早晩炎に包まれることになるのは避けられない。

 ランダルマへ迫る危険を排除し、アベルたち自身も窮地を脱する。その両方を叶える手段がアベルの案以外に無さそうなのも事実なのだ。それがどれだけ無謀な代物でも。

「しかし、それは――」

リズが声を上げる。それは人の道から外れた行為だ。アベルの言っている事は、確かにその通りだろう。アルケミストらしい合理主義ともいえる。だが、どうせ遅かれ早かれ焼かれるのだから、街一つを自分たちの為に利用してしまおう、などという考えをリズは納得することができなかった。


「リズ。それに、ギリアムも」

 レナエルが二人に視線を向け、ややあってリズとギリアムが頷いた。感情の問題はどうあれ、レナエルがやると決めたのだ。二人は従うしかない。なれば、アベルの無謀で危険な作戦が成功するように、全力で挑む他に無いのだ。


「それで、アベル。お前、どうやって竜を倒すつもりだ」リズが言う。

「それは――」アベルは喉を詰まらせた。「こ、これから考える」

 アベルの詰めの甘さに、リズは呆れたように頭を振った。

「レナエルとアーリィの魔装具二本と俺の魔法薬で、どうやってサラマンダーを倒すか――」

「二本では無かろう」

 アベルの言葉を遮った顔役の目がリズとギリアムへ――、正確にはその背に向けられる。そこにはリズが肌身離さず持ち歩く大盾と突撃槍のセット、そしてギリアムの大剣があった。

「サンクションの部隊長は、全員が魔装具の適性者と聞いている。戦力だけは十分かも知れん」

 驚くアベルに向かってトニスが頷き、「俺もだ」と言った。この場には一軍に匹敵すると言われる魔装具が、五つも揃っている事になる。それに加え、アベルの魔法薬もある。顔役の狭い私室に、地平を埋め尽くすほどの戦力が収められていた。


 渋い顔で唸っていた顔役が、何かを決意したように立ち上がる。そして奥の部屋へ向かい、すぐに戻って来た。その手には一冊の古めかしい書物が握られている。

「禁足地の魔獣が竜であると知ってから、先代たちの遺した書物を調べていた。こいつはその際に見つけたものだ」

 顔役がテーブルにその書物を置く。簡素ながらもしっかりとした装丁が施されていた。

「これは過去に先代たちが、竜の遺骸を解体し、その詳細を記録した本だ」

 まさに値千金の情報であった。武力だけでは戦いに勝利することはできない。戦において、たった数文字の情報が勝敗を左右するという事はよくある話だ。


「お前たちは馬鹿だ。たった六人で竜を倒そうなど、正気とは思えん」顔役がかすれた声で言う。「だが、その馬鹿さ加減に賭けてみたい」

 ささくれの目立つテーブルに両の手をつき、顔役は深く頭を下げた。


「どうか、竜を倒してくれ」


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