【A1】(2)
【A1】というカクテルは、本来ならば違うレシピで作られるものだ。
俺が今回使った『コアントロー』は『ホワイト・キュラソー』と言われるもの。
それに対し【A1】に指定されている材料は『オレンジ・キュラソー』と呼ばれるものだ。
『キュラソー』とは、簡単に言えばオレンジの果皮のリキュールだ。
そしてそこには見た目の色に応じて、色々な種類が存在する。
『ホワイト・キュラソー』は透明で、『オレンジ・キュラソー』はオレンジか褐色。
他にも青い『ブルー・キュラソー』。赤い『レッド・キュラソー』などなど。
だがその違いを、色だけと言い切ってしまうのは些か早計である。
例えば『オレンジ・キュラソー』の中でも名高い『グラン・マルニエ』というリキュールは、オレンジの果皮から成分を抽出するのに『ブランデーの新酒』を使うことで有名だ。
そうして生まれた抽出液を蒸留し、それに材料としての『ブランデー』や『シロップ』などを加え、最後に『ホワイト・オーク』の樽で熟成させる。
ブランデーの風味と、熟成による奥深さ。甘く華やかな印象の強い『ホワイト・キュラソー』よりも、妖艶な雰囲気を持っているのだ。
と、散々言ったところで、この場には『オレンジ・キュラソー』はない。
魔草として、存在していることは知っているが、今は手は出せない。
だから俺は『コアントロー』──『ホワイト・キュラソー』で代用してみた。
このカクテルは【A1】のようであって、決して【A1】ではない。
だがしかし、その根底にあるものは同じ思想だ。
『ジン』のキリッとしたドライさと、『キュラソー』の甘苦く、されどスッキリとした雰囲気の融合。
その二つの組合せで出来た『カクテル』が、不味いわけがない。
「どうでしょうか?」
「……いただきます」
スイはじっくりと覚悟を決めた様子になってから、ゆっくりとそのグラスを傾けていった。
────────
スイはこの時間が好きだった。
総が見た事もない『ポーション』──『カクテル』を作りあげる瞬間。
自分が体験したことのない新しい味。
自分の知らないことを、常に教えてくれる一杯。
それがたまらなく好きだった。
さらに、今日のはとっておきだ。
今まで自分から注文を付けることのないスイが、言ったのだ。
『一番のカクテル』と。
それに総は応えた。
つまり、彼はその願いを汲み取ってくれたのだ。
期待できない、わけがない。
「どうでしょうか?」
「……いただきます」
総に促され、スイは良く冷えたグラスを手に持ち、口へと近づけていく。
香りは【ホワイト・レディ】と似ている。
穏やかに漂う甘さの中に、『ジーニ』の癖のある香りだ。
ただ【ホワイト・レディ】よりも、纏う雰囲気が『濃く』感じられた。
そしてそれを一口含む。
その瞬間、これは全くの別物なのだと理解した。
舌先に液体が触れた瞬間。
スイの理解では二つの出来事が起こった。
一つは、その瞬間から『ジーニ』の鋭い味が、舌の奥まで駆け抜けていった。
そしてもう一つは、液体に触れた舌の先端で『コアントロー』の甘やかな味が踊った。
切り込む鋭さと、湧き起こる甘さ。
それらは口に入った瞬間に、お互いが主張を始めたのだ。
だが、それらは決してバラバラにはなっていない。
走り抜けた『ジーニ』が後から続く『コアントロー』を牽引し、風のようにふわりと口の隅々まで甘さを広げていく。
しかして、その風も無秩序ではない。
ほんの少し入ったレモンの酸味が、的確に、効率良く味を押し進めているのだ。
その感触が、ほんの一瞬で口の中に広がり、スイは恍惚としながら呑み込んだ。
後味は、仄かに柑橘が勝る。
『ジーニ』のカクテルは往々にして『ジーニ』の後味が残る印象があるが、このカクテルの場合は、先程の印象がそのままだ。
あえて言えば、『ジーニ』で味付けされた『コアントロー』といったところ。
その味が消えるころには、活性化された魔力が、口と言わず喉といわず、じんわりと体を熱く火照らせていく。
最初に感じた『濃い』という感触に、間違いはないと告げるようだった。
しかし、スイは元々『濃いカクテル』が嫌いではない。
辛くも甘い絶妙な一杯を、もう一口飲む。
止める理由も見当たらなかった。
────────
スイの表情が、ややうっとりと綻んだのを見て、俺は安心する。
正直に言えば、この【A1】はなかなかに人を選ぶカクテルだ。
なぜならば、甘辛くて、強い。
材料の『ジン』も『キュラソー』も40度前後の酒だ。
シェイクで作るカクテルはただでさえ度数が強いものが多いが、その中でも中々にパンチの効いたカクテルである。
アルコールの苦手な人が飲めば、一発でノックダウンしかねない。
とはいえ、スイはポーションには強いようなので、そこは安心してはいた。
あとは、口の中を奔り抜けるジンの味を楽しめるかどうか。
こればかりは、個人の好みに大きく左右される。
だが、そこを楽しめる人間であれば【A1】は深く心に残る一杯となるのだ。
「スイ、俺も一口飲んで良いかな?」
「……え? ど、どうぞ」
俺が尋ねると、スイは少しだけ躊躇い、迷った後にグラスを差し出した。
そんな一口くらいいいじゃないか、とちょっとだけ思いつつ、決して声にはしないまま口に含んだ。
なるほど。
『オレンジ・キュラソー』で作るのとは、やはり違う。
まず香り。
本来のレシピでは、熟成による色気というか、もっと妖艶なイメージがある。
それがこのレシピでは、若く瑞々しい、より華やかな香りとなっている。
次に味。
口に含んだ瞬間の広がり具合は、本来のレシピより、ややゆったりしているだろうか。
だが、甘みを抜け出したジンの刺激は、こちらのほうが鋭い気がした。
最後に後味。
これに関しては好き好きと言ったところ。
オリジナルレシピのほうが、どちらかと言えばジンの中に柑橘のイメージが強い気がする。こちらは柑橘の中にジンのイメージだ。
と、違いを挙げるとすればこんな印象だ。どちらを好むかは、それぞれであろう。
俺はこのカクテルを【A1】とは呼ばないが、二度と作らないとは決して言わない。
例えば【A1】を良く飲むお客様がいれば、試しに薦めてみることもあるかもしれない。
「総。そろそろ返して」
「あ、悪い」
スイに言われて俺はグラスを返した。
だが、急いで返せとせっついた割に、スイはグラスを前に少し止まる。
グラスの縁を、指でそっとなぞる。
何か思い悩むような時間のあとに、意を決した様子で再び口に含んだ。
「なぁ、スイ」
「へっ? な、なに?」
「いや、なんでそんな挙動不審になるんだ」
そのタイミングで話しかけると、スイは慌てた様子を見せた。
俺は何かミスしたことだけを感じつつ、彼女が落ち着くのを待つ。
そして数秒の間を置いて、再び話しかける。
「スイ」
「……なに?」
「お願いがあるんだ」
俺は前置きをしてから、少しだけ言いにくいその言葉を続けた。
「明日、もし俺が本番前で迷いそうになったら」
「……なったら?」
「……なんとかしてくれ」
俺が出した要求に、スイは、一瞬固まった。
自分でも思う。なんとかってなんだよ。
カッコいいこと言おうとしたけど、結局何も出なかった結果である。
「ぷっ、ふふふ」
その間が面白かったのか、スイは堪え切れず声を漏らしていた。
俺が憮然とした表情で待つ事、数秒。
笑い声を抑えたスイが、ほんのりと微笑を浮かべながら言った。
「わかった。なんとかする」
「……頼む」
「その代わり、私がダメそうだったら、なんとかして?」
「かしこまりました」
俺はそこで芝居がかった体で腰を折ってみせた。
品評会は明日。
出来る事はやった。
後は、なるようになるだけだ。




