【ホワイト・レディ】(2)
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グラスを近づけて、イベリスが最初に感じたのは、鋭い香りだ。
すんと鼻の奥まで入り込んでくる、甘苦い、爽やかな香り。
誘われるように、イベリスはその液体を口に含む。
ふわりと、抜けるような爽快な甘酸っぱさが、舌の上を飛んでいった。
その味は、大空を流れる雲のような、白く鮮やかな情景を連想させる。
口の中で広がり続ける豊かな香味は、喉と言わず鼻と言わず、通れるところを探して突き進んでいく。
液体を呑み下すと、微かに喉を焼くような『ポーション』の感覚。
そのすぐ後に、スッキリとした後味が、じわりと口内を染め上げていった。
香り高く、それでいて濃厚な甘みと酸味が渾然一体となった、一口の物語だった。
それは今までの『カクテル』とは、何かが違っていた。
甘みの質とでも言おうか。
今までの甘さが、ダメというわけではない。
しかし、その一杯には、今までの甘さとは違うコクのようなものがあった。
イベリスの舌は、その答えをはっきりとは出せず、もう一口を含む。
呑み下し、そして思う。
体全体を包むような高揚感。
細胞が湧き上がるような、熱。
それこそが、総が以前言っていた、薬効というものなのだと、少女は思った。
その弱点を、彼がどんな手段を使ってか、克服したのだと、悟った。
だが、そんな先のことを今思っている余裕はない。
なぜならば、目の前にはまだ、手招きするような白い液体があるのだから。
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イベリスのとろんとした表情に、俺はほっと安堵の気持ちを抱く。
実際のところ、スイは美味しいと言ってくれていても、、少しだけ不安だった。
だが、イベリスが表情で嘘を吐くとは思えない。
【ホワイト・レディ】は、ポーション品評会のための切り札だ。
味もさることながら、スイ曰く、今までの『カクテル』には足りなかった、薬効が大分強化されているという。
それは『魔草』である『コアントロー』の影響が大きい。
コアントローは『土蛇毒』の特効薬になるだけでなく、その他様々な養分を含んでいる。
それ単体で飲んでもある程度効果のあるポーションとして使えるらしい。
それらの効果を抽出し、研究を重ねて合成しているポーションも多いとか。
だが、俺にとっては『リキュール』だ。
その真価は、やはり『カクテル』になってからである。
四大属性の中で『ジーニ』を選んだのは、あえて言えば対抗心。
『アウランティアカ』のポーションが『ジーニ属性』だから、それに正面から当たりたかった。
大会までに、出来ることはまだあるだろう。
だが、現時点でやるべきことは、大会に向けて悩むことではなくなった。
俺はイベリスから少し目を離し、こちらをチラチラと窺っていた男性二人へと近づく。
ベルガモに連れてこられた、若い男たちだ。
「どうですか? 『ポーション』を嗜好品として飲んでみるのは?」
ベルガモの友人は、顔を見合わせたあとに、少し緊張した様子で言った。
「は、はぁ。とても、その美味しいです」
「で、でも。ここって本当に大丈夫なんですか?」
本当に大丈夫なのか。
それはきっと、値段のことだろう。
俺はしっかりとした笑みを見せて、はっきりと言った。
「はい。この店の飲み物は銅貨二枚。さらにベルガモさんのご友人として来店してくださったので、今は銅貨一枚です」
「…………そう」
「…………なのか」
それでも、男達はまだ警戒を解くには至らない。
初めに作った【ジン・トニック】と【スクリュードライバー】を、ちびちびと、なくさないように飲んでいる。
打ち解けるために、どんな話題を振るべきか考えていると、男の元気な声がした。
「大丈夫だって! この人は、妹の命の恩人だぞ!」
いつの間にか厨房から出てきたベルガモが、大量の皿を持ちながら二人に言った。
二人は知り合いの姿が見えたことに安堵しながら、少し気安い声で言う。
「だけどよ。ポーションって高いんだろ?」
「嘘とは言わないけどよ。それ以外に何か取られるんじゃ」
「男のくせに、みみっちい事言ってんなよ」
ベルガモは、にかっと笑みを浮かべたかと思えば、俺に向かって注文した。
「マスター。俺に付けて良い。この二人にとっておきの『一杯』を出してやってくれよ」
その言葉に、男二人は「え?」と驚いた声をあげる。
俺は確認を込めて、ベルガモに尋ねた。
「良いのか?」
「良いぜ! そうやって知ってもらうのが、目的なんだろ? 俺は、あんたの為になることなら、なんだってしたいんだ」
萎縮する二人に変わってベルガモはニッと笑う。
その拍子に、持っていた皿を落としそうになって、慌ててバランスを取った。
皿はグラグラと揺れるが、ベルガモの動きに合わせて直立に戻る。
その器用なしぐさに、周りから「オー」と喝采の声が出た。
「へ、へへ。どうも」
ベルガモは照れくさそうに笑うのだが、
「ゴラァ! 新入り! さぼってんじゃねえぞ!」
「すいません! すぐ戻ります!」
厨房からの、野太い罵声にベルガモは慌てて返事をした。
そして、友人二人に意味有りげな視線を送ってから、急ぎ足で厨房へと戻っていった。
現在、ベルガモは皿洗いと簡単な仕込みの手伝いをしている。
彼の元の職場は、彼が妹のことで仕事を休んだときに、クビになったらしい。
なんの後腐れなく、という言い方も変だが、元職場とは遺恨の一つもなくオヤジさんにしごかれている毎日だ。
そのしごき方が厳しすぎるように見えるのは、俺が甘いだけかもしれない。
ベルガモがここで働くようになってからも、店の雰囲気はさして変わっていない。
たまにあの現場を見た人間が「吹っ飛ばされてた人」と驚いたりするが、ベルガモはそこで大袈裟なくらいに、俺やスイへの感謝を述べる。
初めは訝しげな目をしていた客も、そのあまりの熱意にいつの間にか笑ってしまっているのだ。
もともと、見ていた人間からしたら『魔法ショー』の演目みたいなものではあったのだろうし。
そしてその度に「さぼるな!」とオヤジさんに怒鳴られるので、それもまるで一つの見世物になっている。
もう一度吹っ飛ぶ姿が見たいと言われていた時は、さすがに全力で拒否していたが。
ともあれ、ベルガモはやや空回り気味ながら、店に馴染み始めていた。
「それでは、ベルガモの奢りで、一杯お作りいたしましょう」
俺は穏やかな声でそう告げた後に、二人に供するカクテルを考える。
そうだ。せっかくだから、アレにしよう。
彼らの猜疑心を払ってくれるよう、願いを込めて。
この場が、ゆっくりと穏やかに盛り上がることを信じて。
もう一度、あの時と同じ【モヒート】を。
「ごちそうさまでした!」
「絶対また来ます!」
「ありがとうございます。またお越しください」
二人はそれから、それぞれもう二杯のカクテルを頼んでから、店を出た。
ベルガモの人柄はそれなりに信用していたが、柄の悪い人間でなくて良かった。
あの二人なら、きっとまた良い人間を連れてきてくれるだろう。
店の入り口でその後ろ姿を見送りながら、俺は更に思う。
あの二人が浮かべてくれた笑顔が、スイの願いを叶える一歩になれば良いと。
「総! 新しい注文!」
「はい! ただいま!」
カウンターの中から俺を呼ぶ声がした。
俺はさっと踵を返して、その青い髪の少女の元へと早歩きで向かった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
ここから、品評会までは日常回が少し続きます。
相変わらず地味な展開ですが、読んでいただけると幸いです。
※0814 表現を微修正しました。
※0815 誤字修正しました。




