【ホワイト・レディ】(1)
『犬耳キャンペーン』の概要は、既に述べた通りだ。
だが、オヤジさんと色々話しあった結果、細部は詰められた。
まず、いくら対象を限定しても、半額をずっとというのはやはり厳しい。
何より、このキャンペーンは既存客にも適用されるのだ。
常連が新規を連れてくるのは良いが、その日に半額で飲まれ続けるのは痛い。
ということで、キャンペーンの時間を設定した。
キャンペーンの目的とは、基本的には集客である。
そしていつ人を集めたいのかと言えば、ずばり客が少ない時間帯だ。
繁忙時には、そもそも人が居るのだから集客する必要性は薄い。その時間帯に半額となってしまっては、売り上げ的には逆効果になる。
逆に、人が少ない時間ならば、もともとの売り上げが少ないのだから、キャンペーンで人を集めることで、その時間帯の売り上げを補強できる。
という理由で、キャンペーンの時間は『開店から三時間』──つまり『十七時から二十時』に限定することになった。
この時間、食事のほうは混み合うが、カウンターは比較的空いている。
新規の方と話をするには都合が良い。
話をして、まず店を気に入ってもらわなければ、この企画は続いていかないのだから。
それでは、なぜキャンペーンが『半額キャンペーン』ではなく『犬耳キャンペーン』なのか。
『犬耳キャンペーン』とは、読んで字のごとしである。
このキャンペーンのために、俺はイベリスに頼んで『魔力記録機能付きの犬耳』を作製してもらった。
それを何に使うのか。
ズル防止だ。
このキャンペーンの利用者には、義務として、キャンペーン利用宣言のあとに、一度は犬耳を装着してもらう。
それによって、犬耳には『一度来店した』という記録が残る。
その後、一度連れてきたことがある相手を、もう一度『新規』だと偽った場合、こちらが気づかなくてもその『犬耳』が情報を参照して、クロの判定を出す。
それだけだ。
俺は記憶力には多少の自信があるといえ、店に居るのは俺だけではない。
スイやライにも分かるように、そういった補助する何かが必要だった。
それでパッと思いついたのが、犬耳だったというわけだ。
まだ色々と実験段階ではあるが、キャンペーンは静かにスタートした。
その結果がこちらだ。
「スイ嬢ちゃん! 犬耳似合ってんな! ははは!」
「……どうも」
キャンペーンから何日か経って来店したイソトマが、犬耳のスイを盛大にからかっていた。しかし、そういう客はイソトマだけではない。
「ライちゃん可愛いよ!」
「そう? ありがとう!」
「今度それ付けてデートしてよー」
「ぶちのめすよ?」
視界の端では、犬耳のライもまた、少し酔った客にナンパされていた。
本当にぶちのめされると困るので、大きな声でライを呼び、出来上がっていたカクテルを持っていって貰う。
このキャンペーンを始めてから、俺は客だけでなく、従業員にも犬耳を装着してもらっていた。
目的は、キャンペーンの告知である。
そんな格好をしていれば、誰だって気になる。
そして尋ねる。説明を受ける。
それが面白そうだと思った人は、新しい客を連れてきてくれる。
このキャンペーンは、大々的に告知をするわけではない。
むしろ小規模に、口コミだけを使って広めることで、人を選びつつ、輪が広がっていくことが好ましい。
変に尾ひれの付いた噂が大々的に流れて、ベルガモのように勘違いした人間がまた凶行を起こすのは避けたい。
それよりは、この店を必要とする人に、正確な情報を少しずつでも届けたいのだ。
静かに、しかし確実に、これまで店を知らなかった人間に周知する。
それが、売り上げとは別にある、このキャンペーンの真の目的なのだから。
つまり、犬耳を付けているのは、そういうわけなのだ。
断じて、俺が見ていて楽しいから、というわけではない。
「ねえねえ、総、どう? 似合う?」
「ええ。とても良くお似合いですよ」
この犬耳の制作者であるイベリスも、今日はゴンゴラと一緒に店に訪れていた。
そのゴンゴラはイソトマを見つけると、すぐさま二人で飲みに入った。
結果、二人は早々に出来上がり、揃ってスイをからかう役に回ったのである。
イベリスから少し視線をずらせば、その二人とスイのやり取りが見える。
「いんや、本当に似合ってるぜお嬢ちゃん。うちの弟子ほどじゃないがな!」
「……どうも、ゴンゴラさん」
「これでもっと愛想が良かったら、言う事なしだがなぁ!」
「……すみません、イソトマさん」
親父二人に散々絡まれて、スイは静かにイラついていた。
だが、あくまで彼女は氷の微笑を浮かべたまま、耐えている。
とはいえ、気が短い彼女のことだから、いずれ爆発するのは目に見えている。
少し、フォローを入れておいた方が良いだろうか。
「スイ」
「……なに?」
呼ばれたのに気づいて、スイが目をこちらに向けた。
イライラしているだけあって、かなり強い。
だが、それがピンと突き立っている犬耳と妙にマッチしていて──
「俺はスイが一番似合ってると思う」
「なっ?」
ついうっかり、フォローではなくただの感想を述べてしまった。
言われたスイは、呆気に取られたように俺をポカンと見つめている。
俺は、あー、と照れた後に、続くごまかしの言葉が出てこない。
「えっと、それだけ」
「……そ、そう」
という、意味の分からないやり取りをして終わってしまった。
俺がそそくさと前を向くと、じっと俺を見つめていた少女と目が合う。
「えー……私に似合ってるって言ったのに!」
「イベリスも良く似合ってますよ」
「それは本心じゃないんじゃないのー?」
ややご立腹なイベリス。
仕方ない、と俺は彼女の機嫌取りに一つのカクテルを薦めることにした。
「それでは、イベリスにだけ特別で、とっておきのカクテルを出してあげよう」
「え? なになに? もしかして、言ってた秘密兵器?」
俺の言葉を受けて、イベリスは身を乗り出すように前に出る。
落ち着くように促しつつ、俺はボトル棚に飾ってあった、一つの瓶を手に取った。
「相場が分からないから、まだ値段は決めてないんですが。いつもお世話になってますから、犬耳のお礼ということで」
そして俺は、その瓶の液体を使ったカクテルの名前を言う。
「今度の『ポーション品評会』に提出するカクテル──【ホワイト・レディ】を」
取り出す主な材料は、三つ。
『ジン』──『ジーニポーション』と『レモン』、そして『コアントロー』だ。
お気付きかもしれないが、その材料は【バラライカ】や【マルガリータ】と良く似ている。
『ベース30ml』『レモンまたはライム15ml』『ホワイト・キュラソー15ml』という組合せは、様々なバリエーションがあるのだ。
ジンベースの【ホワイト・レディ】
ウォッカベースの【バラライカ】
ラムベースの【X.Y.Z】
レモンがライムになり、塩も加わるが、テキーラベースの【マルガリータ】
更に、今はまだ遠いブランデーベースの【サイドカー】などが挙げられる。
かように、その比率は甘みと酸味のバランスが良く、大勢の人間に好まれてきた。
これほどたくさんのバリエーションがあるカクテルは、そう多くはない。
俺はさっと材料を出し、グラスを用意して氷と入れ替えに冷凍庫にしまう。
そして材料をテキパキと、シェイカーの中へと送り込んでいく。
副材料の組合せが同じであっても、ベースが違えば表情はまるで違う。
軽く混ぜて味を見る。立ち上る風味に、ジンらしいキリッとした辛さが光る。
確認を済ませて、シェイカーの中へと氷を詰め込んでいく。
ゆったりと余裕を持って、シェイカーの中で氷と液体が揺れた。
確認もそこそこに蓋をして、ゆっくりとシェイクを始める。
シェイクの前、ココンとまな板に打ちつける音が、すでにこの場での合図のようだ。
これは半分以上、癖のようなものだが、
俺は最後に締めたあと、少しだけ周りを見る。
すでにシェイクを知っている人間は、見たり見なかったりとまちまちだ。
だが、知らない人間は大抵がこちらを見る。
今日、ベルガモの紹介で訪れた二人組の男も、こちらを興味深そうに覗いていた。
心に、少しの緊張がブレンドされ、俺は手首を利かせた。
シェイカーの中で氷が踊る。
氷は液体と空気の仲人として、その二つの間をせわしなく行き来する。
急速に冷やされ、空気を含んだ液体は、出口を求めて冷気を発し、
その冷気はシェイカーを通して指まで伝わってくる。
準備が終わったと確信したところで、ゆっくりとシェイクを止めて、グラスを取り出した。
「失礼します」
俺が一声かけると、イベリスは目の前の出来事に目を輝かせる。
よく冷えたグラスの中に、ゆっくりと液体が流れ込む。
空気をからませ、周りに仄かな柑橘の香りを撒いて、液状の宝石がグラスを満たした。
「お待たせしました。【ホワイト・レディ】です」
ぱぁっとイベリスの表情が輝いた。
俺はそれに作らない笑みを浮かべて、彼女が口をつけるのを見守っていた。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
今日は二回投稿の予定です。
次の投稿は二十二時過ぎを予定しています。
よろしければ、覗いていただけると幸いです。
十九時と言っておいて、結構遅くなって申し訳ありません。
※0814 タイトル微修正しました。
※0814 表現を少し修正しました。




