寝息の隣で
『コアントロー』は、甘くて芳醇な味わいのあるリキュールだ。
柑橘──特にオレンジの皮を彷彿とさせる、華やかな味。
ホワイト・キュラソーの中でも、特に手に入りやすく、飲みやすい一品である。
一口含むと、舌の上で甘味が燃える。
四十度と高いアルコール度数と、それを穏やかに包む、オレンジの皮の砂糖漬けのような、とろりとした甘さ。
口の中いっぱいに広がったその味は、嚥下することで、ようやく引いていく。
後に残るのは、ほんの少しのほろ苦さと、切れの良い柑橘類の芳香だ。
そのまま飲んでもいいし、ロックでもいける。
水やソーダで割ってみるのも面白いし、さらにはカクテルにも良く使われる。
あるとないでは大違いと言ってもいい、バーでのオールラウンダーである。
安全を確保した上で、俺とヴィオラの二人は『コアントローの実』をかき集めた。
まだ小さい実や、すでに熟しきっている実などを避けても、この場には大量の実が残っていた。少しくらい採取しても大丈夫だろう。
《生命の波、古の意図、我求めるは魂の姿なり》
そして集めた実は籠に入れて、まとめて『弾薬化』しておく。
ちょっと重いけど、とてもコンパクトで、すごく便利です。
また、少しだけ野望を秘めて、熟しきった実も一つだけ採取しておいた。
「さて、ひとまずは目標達成だな」
「あの無茶に見合うかは、分からんがな」
ヴィオラのじとっとした視線から逃れつつ、一仕事を終えた汗を拭う。
涼しいとはいえ、湿気が多い場所だ。運動をすれば汗も出る。
そんな時には、と俺はポーチから二つの弾丸を取り出した。
「冷えた水、飲むか?」
「……頂こう」
ヴィオラは素直に頷いた。
俺はすぐに弾薬を、冷えた水のボトルに戻し、一つ手渡した。
ヴィオラはそれに礼を言って、直接口をつけてボトルを傾ける。
ゴクゴクと喉が動いた後、くぅと美味しそうな声を出した。
「ご所望なら、カクテルを出しても良いんだけどな」
「悪くはないが、遠慮しておこう」
俺が軽い冗談のつもりで言うと、ヴィオラもそれと分かったようで苦笑いを浮かべる。
そして、さっと視線をスイに持っていって、言った。
「ああは、なりたくないからな」
そのスイと言えば。
それなりに強いカクテルを一気に三杯も飲んだ反動で、潰れていた。
カクテルでは酔わないと言っても、限度はあったようだ。
今は、即席で作った巨大な葉っぱのシートの上で、苦しそうに呻いている。
「私とてポーションの副作用は聞いていたのだが、実際に見たのは初めてだ」
「そりゃ、銀貨十枚もするポーションだからな。あんな無茶な飲み方する奴は居ないだろう」
「その無茶ができてしまうのが、『カクテル』とやらの恐ろしい所だ」
副作用。この場合で言えばポーション酔いのことだ。
そして、それは薬効が強いほど、大きく出るものでもあるらしい。
とはいえ、良質なポーションであれば、すぐに影響が消えたりするし、悪質なポーションであれば、次の日まで残ったりもする。
その辺りも、まんまアルコールだなぁ、と俺はしみじみ思った。
「まぁ、この場合は無茶をした理由が理由だけに、あまり責められんか」
言いながら、ヴィオラは自分が口を付けたボトルをスイに渡す。
スイは呻きつつそれを受け取り、少し飲み、そしてボトルを戻す。
「……無理」
「無理とか言うな。夜になる前に町に戻りたいんだ。歩けるくらいには回復しろ」
「……ぅう」
「ホラ飲め」
「うっ」
ヴィオラはスイの弱気を許さず、強引に口にボトルを押し込む。
そのまま傾け、抵抗できない形でスイにグイグイと水を飲ませた。
スイは苦しそうにもがくが、ヴィオラの力に負けてなされるがままだ。
心配になって声をかける。
「お、おい」
「言うな。こいつは変な所で根性がないからな。こうでもしないと飲まん」
「そ、そうか」
それから、ボトルの三分の一程度の水を無理やり飲ませて、ヴィオラはボトルを引き上げる。
スイはゴホゴホと咳き込んで、ヴィオラに怨嗟の声を浴びせる。
「……ヴィオラ、覚えておいて」
「何をだ? 休みの日に事情も知らされずに連れ出された、という恨みをか?」
「……陰険女」
「うるさいぞ根暗」
こんな時でも言い争いを止めないのか、この二人は。
とはいえ、俺もスイに早く回復してもらいたいので、止む無く間に入る。
「ほらスイ。今はとにかく寝て体調を回復させてくれ。少し休めば治るんだろ?」
「……うん」
「じゃあ、暫く眠ってろって。その間は、俺とヴィオラで守るから」
スイはまだ、もの言いたげな目をヴィオラに向けていたが、素直に目を瞑る。
すると、ものの一分もかからない内に、穏やかな寝息を立て始めた。
スイの状況もまた、ポーション酔いの亜種みたいなものだ。
擬似的な魔力欠乏状態とでも言おうか。
先程、カクテルの力で強引に魔力の最大値を引き上げ、それを消費した。
その結果、魔力許容量と現有魔力量で混乱が生じ、体がブレーキをかけているのだ。
水を飲ませるのは、体内の魔力状態の平均化とかで、効果があるらしい。
それは普通のポーション酔いでも同じこと、だとか。
慣れで普通に水を飲ませていたので、全然気づいていなかった。
ともあれ、スイが眠りについて、俺とヴィオラは二人きりで見張りをすることに。
特に話題を出さないでいると、二人の間に微妙な沈黙が挟まる。
「……なんだかさ、急に二人きりになると落ち着かないよな」
「……うむ、そうだな」
思わず零してしまった俺の言葉に、ヴィオラはぼそりと反応した。
そしてまた、暫くの沈黙。
集中して、見張りができているといえばそうだが……。
正直に言おう。
俺は、バーテンダーのスイッチを入れていないとき、女の子と何を話して良いのか分からない。
会話の中であれば、適当なことも言える。相手を観察しながら、これは喜びそうだなとか、考えることができる。
だけどオフのときに、何も考えずにそんなことができる性格ではない。
つまり、俺は今、非常に困っている。
このお嬢さんと何を話していいのか、まるで分からん。
「総」
「お、おう?」
そうやって俺が思考を空転させていると、ヴィオラから声がかかった。
「君はそれなりに信頼できるし、口も固いと信じて、話したいことがある」
「安心してくれ。バーテンダーは客の情報を安易に誰かに漏らしたりしない」
「ここはバーとやらではないが、信じよう」
言ったことは本当だ。
たとえその客同士が知り合いだとしても、個人情報をバーテンダー側が漏らすことは基本的にない。
バーテンダーでなくとも、当たり前といえば当たり前のことではあるが。
「それで、何か聞きたいことでもあるのか?」
俺はある程度の覚悟を決め、尋ねた。
「聞きたいこと、というよりは言いたいことだな」
「言いたいこと?」
「……スイのことを助けてくれて、ありがとう」
言って、ヴィオラは頭を下げた。
俺はその突然の行動に面食らう。
「……助けてって、さっき助けられたのは俺のほうだ」
「そうじゃない。一人で意固地になり、叶う筈もない夢を追っていたスイを、君が助けてくれた。だから、ありがとうだ」
「……じゃあ、どういたしまして」
叶う筈のない夢。
たとえばそれは、スイのポーション屋が、誰かのために役に立つ……そんな未来。
残酷だが、それはきっと真実だったのだろう。
スイの思いは、そのままでは誰にも届く筈のないものだった。
そんな状況を、俺が──いや『カクテル』が変えてしまったのだ。
それは、俺にとっては当たり前の行動だった。
この世界で初めて会って、世話をしてくれた少女に対する恩返しだった。
だけど、ヴィオラの立場であれば、話は違うのかもしれない。
心配で仕方なかった友人を、俺が突如現れて助けた。そう見えるのかもしれない。
「なぁ、ヴィオラ」
「ん?」
「それをどうして、スイに聞こえないように言うんだ?」
「…………」
あえて揚げ足を取ってみると、彼女は少し顔を赤くして、ふんと鼻息を漏らす。
「あいつに聞かれると、少し癪だからだ」
「素直じゃないな」
「うるさいぞ」
ヴィオラは俺を黙らせようとギロリと睨む。
だが、俺はそんな彼女に少しも恐怖を抱くことができない。
耳には、スイの微かな寝息の音が、吸い込まれるように届いていた。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
本日、諸事情により早めに投稿させていただきました。
感想の返信など、いつも以上に遅くなります。
申し訳ありません。
※0811 誤字修正しました。




