表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
51/505

【モヒート】(2)

「で、コレでどうやって飲めってんだよ」


 グラスの中には、かき混ぜられたばかりのライムとミントの緑が、涼やかに泳いでいる。

 しばらくそんなグラスを見つめてから、犬耳の男は呆れたように言った。

 コレとは恐らく、身動きができないぐるぐる巻きの状態を差しているのだろう。

 俺が答える前に、面白そうな顔をしたイベリスが、グラスを手にとった。


「じゃあ私が飲ませてあげよっか?」

「は?」

「口まで持って行ってあげるね!」

「ま、待て!」


 イベリスがストローを口に近づけると、男は慌てて拒否に入る。

 まぁ、いい歳になって、年下の女の子に飲み物の世話をしてもらうのは、恥ずかしいだろう。

 だが、周りの客達はいつの間にかこちらを見て、ニヤニヤしていた。

 仕方なく、俺が止めに入る。


「イベリス、ストップ」

「えー?」

「いいから。そういうのじゃないんだ」


 楽しむ為なら放置してもいいのだが、生憎と俺の目的は違う。

 イベリスはしぶしぶ手を収めると、ちょこんと席に着いた。

 俺は一度カウンターを出て、男の縄を解いた。

 男はあっさりと自分が解放されたことに、驚愕の目をした。


「お、おい? なんの真似だ?」

「ここで、また暴れるような方には見えなかったので」


 俺は余裕の笑みを見せて、そっとグラスを手のひらで指した。

 男は、迷うように入り口とグラスを交互に見る。だが、はぁ、と息を吐いてから、食って掛かるように言った。


「いいぜ。そこまで言うんなら、飲んでやるよ」


 そう言って、憎らしげな表情は変えずに、グラスに手を伸ばした。



 ──────



(金持ちの気まぐれってやつか。俺が無様に驚くのを楽しもうってのか)


 犬耳の男──ベルガモはイライラと心の中で吐き捨てた。


(だけど、これはチャンスだ。こいつらの目の前で、不味いって叫んでやる。この屑どもの驚いた顔にグラスを投げつけて、逃げてやる)


 そう。ベルガモは最初から思惑に乗るつもりはなかった。

 想定通りに動いて、そして、その期待を裏切るつもりだった。

 それから逃げて……逃げて?


(……どこに逃げるってんだよ。逃げたって、意味がない。ここに来た意味が……)


 頭の中で描いていた未来に、暗い影が射した。

 もともと、ベルガモには目的があったのだ。そうでなければ強盗などしない。

 しかし、顔を見られては、もう、おしまいだ。

 自分一人ならば、まだ街から出れば助かるかもしれない。

 しかし、ベルガモは『彼女』を置いて逃げるわけには、いかなかった。


(……ん?)


 そんなベルガモの意識を誘うように。

 手に持ち、口元まで運んでいたグラスから、すっきりと甘い香りがした。


(……なんだっけ。そうだ、ミント)


 ベルガモは犬の獣人なので、もちろん香りには敏感である。

 グラスからふわりと漂う香りを、認識していなかったとは言えない。

 だが、意識して嗅いでみると、香りは表情を変える。


 グラスから立ち昇るハーブの香りは、優しく導くようにベルガモを誘っていた。

 そこで彼は初めて、供されたグラスそのものに注目した。

 氷と液体で満たされたグラスの中にあって、優雅に泳ぐようにたゆたう新緑。

 見た目にも美しいそれらが、ゆらゆらと手招きをしているふうだった。


(はっ、だから、なんだってんだ)


 抱いたイメージを掻き消す。

 ベルガモは、心に冷たいものを抱えたまま、憮然とした表情でそれを口に含んだ。



「……なっ!?」



 そしてそれは、弾けた。

 それまで抱いていた、冷えきった心のモヤモヤが、消し飛んだ。


 細い管を通って運ばれてきた液体は、仄かに甘い。

 だがそれはほんの入り口に過ぎなかった。

 ストローを介すことによって、舌の中央から広がる液体は、『ラム』と炭酸の暖かな刺激を伴って、じわりと口中を染め上げる。

 それはさながら、夜の平原を夜明けの太陽が呑み込んでいくようだ。


 そうやって照らされた舌の上に、ミントの香りが次々と芽吹く。

 口から鼻に抜けるような、甘く華やかな香味が、広がっていく。

 ライムの酸味も、爽やかな風のようにミントの香りを広げる役割を果たす。

 その二つが広がりきるころには、いつの間にか液体は飲み干されている。

 そして、後に残るのは、爽やかな草原のような、無量の清涼感だけである。


 穏やかに、そして爽やかに、その飲み物はベルガモの心を包み込んだ。

 ずっと暗い所にいたのに、やさしく手を引かれて太陽の元に出たような気分だった。


 そのとき、ベルガモの中に逃げ出そうという気持ちは、残っていなかった。


「……ごめん。ごめんよ」


 代わりに出たのは、自分が犯した罪への、償いの言葉であった。



 ──────



 スッキリとした味が特徴のミントには、それが元なのかこんな話を聞いたことがある。


『ミントには、魔除けの効果がある』


 それにあやかった訳ではない。だが、少しだけ思ったところもあった。

『魔』が差しただけなら、それを払えば、本心が見えてくるのでは、と。


 犬耳の男は【モヒート】を一口飲み、それから、懺悔のように謝罪を繰り返す。

 俺は少し待ってから、静かに言った。



「その【モヒート】──いくらだか分かりますか?」

「え?」



 犬耳の男は、その質問にさっと顔を青ざめさせた。

 呼応するようにへたれた耳。やがて、恐る恐るという感じで、答えを出した。


「……銀貨四枚、くらいか?」


 銀貨四枚。およそ『二万円』か。

 銀座で飲む【マティーニ】だって、普通はそこまでいかないだろうな。

 俺は、そんな彼に、優しく、されど突き放すように言った。


「いいえ。銅貨二枚ですよ」

「……は?」

「ここの『カクテル』は、全て銅貨二枚です」


 銅貨二枚。俺的な換算では『千円』である。

 男はもう一度グラスに目を落とし、立ち上がって叫んだ。


「嘘を吐くな! そんなわけが! そんなポーション屋があるわけが──」

「あるんですよ。ここに」


 激昂した男に、なおも俺はまっすぐに目を向け続けた。

 男は、俺の目を覗き込んで、そこに嘘の色を見出せなかったようだった。

 意気消沈したように、ストンと座り込む。



「この店は、もともとあそこの『オーナー』が、貧しい人達のためのポーションを作りたくて、始めた店なんです」



『オーナー』という単語に反応して、スイがピクリとするが、続行する。

 俺は、この犬耳の男が、やっぱりそこまで悪い奴には思えないのだから。


「ポーションは高級な薬だから、貧しい人には行き渡らない。結果、貧困の連鎖に繋がる。そんな状況を改善したい。安価な材料で、できるだけ安価なポーションを。それが、彼女が目指した、この店の形です」

「…………そんな店を、俺は?」


 男の顔には、後悔の色が滲んでいた。

 きっと彼は、ただ噂を聞いただけなのだろう。

『この辺りに、流行っているポーション屋がある』とでも。

 それだけを聞けば、ここは、いかにも儲けていそうな店になるわけだ。


「ですから、事情が聞きたいんです。あなたがなぜ、ポーションを欲していたのか、を」

「……なぜだ?」

「決まっています」


 こちらの思惑を計るような目に、俺はまっすぐ言った。

 たぶんそれが、スイの思いと矛盾しないと信じて。



「うちのポーションをお求めになるお客様がいらっしゃるのなら、それをお届けするのが仕事です」



 事情は知れない。

 解決できるのかも、分からない。

 だが、それを放って見捨てられるなら、スイは初めから『ポーション屋』など、やろうとは思わなかっただろう。



 視界の端では、スイが微かに、だが確実に頷いていた。


ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

皆様に支えられて、やっていけております。


ここから、しばらくファンタジーな展開や、魔法の話に入る予定です。

展開上、ご都合も多少入るので、心を穏やかに読んでいただけると幸いです。


『ウォッカ』や『テキーラ』の出番が少なくてすみません。

活躍の場はこれからある予定です、もう少々お待ちいただければと幸いです。


※0805 誤字修正しました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ