白州の残り香7
冒頭からは三人称視点になります
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「そろそろ俺は帰るわ。明日休みだけど、この歳で二日酔いもきついしな」
夜道の散歩で覚ました酔いの分をまた取り戻すように、飲んで笑って楽しんでをしばらくして、この場に居る青年の一人、青木は笑った。
今日は久しぶりに大学の友人と飲んで、家飲みで更に飲んでで、飲み過ぎたことをふわふわとした気分の中で自覚していた。
まだ大丈夫だが、これ以上飲んだら明日に差障りがあるだろうことは間違いない。
スイはそんな青木の言葉に、無表情ながら柔らかい返事をする。
「青木さんは総と同い年ですよね? まだそんな歳じゃないですよ」
「いやー、もう四捨五入だと三十だから。そろそろ身体を労る意識を持たないとね」
ははは、と笑いながら、青木は自身の腹を撫でるように摩る。
総もそんな青木の様子を見ながら、営業中とは違って引き止めることもせずに言う。
「じゃあ、心配だし途中まで送ってくよ」
「良いって、いい歳した男なんだから」
「ちょっと足元怪しかったぞお前」
「マジか」
酔っている自覚はあったが、そこまでの自覚はなかった。
だが、軽く座ったまま背筋を伸ばしてみたところ、驚く事に少しふらつきを覚えて、青木は素直に友人の言葉に甘えることにした。
「……そうだな、頼むわ」
「おう。その前にちょっとお手洗いに」
そう言うと、総は勝手知ったる自宅のトイレへと向かう。
戻ってくるまでそう時間はかかるまい。
かからない筈だ。
「…………」
「…………」
そうは言っても、さっきまで話題の中心として気を配っていた家主が居なくなると、気まずい沈黙が部屋に満ちた。
初対面の友人の彼女と、友人の部屋で二人きりというシチュエーションで、何を話せば良いのかの知識が、青木には圧倒的に不足していた。
「……あー」
ふと青木は先程の夜道で総に言われたことを思い出した。
『スイの友達でも紹介して貰えるように頼んだら?』
あの時は、冗談と本音のどちらなのか判別は付かなかったが、今の流れなら軽く聞くくらいは許されるだろうか。
いやいや、もし何かの間違いで口説いているとでも思われたら、大変な問題になる。
そもそも、そこまでして紹介して欲しいわけでも──ないとは言わないけど! でも友人との友情に傷をつけてまでとは思っていない。
「ふふ、そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。青木さんのことは、だいたい分かりましたから」
青木がそんなことで悩んでいると、スイは見透かしたように、ほんのりと口元に笑みを浮かべた。
まだ二十歳くらいの女性の余裕のある素振りに、青木も少しだけ緊張を解した。
「そんなに分りやすいかな俺」
「まぁ、そうですね。本当はちょっと警戒してたんですけど、思った以上に、総と仲良くしていただいていたみたいで」
「まぁ、大学からとはいえ、親友みたいなもんだと思ってるよ」
嘘偽りのない本音である。
もちろん、総の方がどう思っているのかを確認したことはない。
だが、多分そう違わないと思う。
だから、青木はその言葉を誇らしげに言ってみせた。
「本当に、総の辛い時期を支えてくれて、ありがとうございます」
「いやいや、そんな大層なことはしてないから」
本心からの謙遜を込めて、青木は言った。
それがなおさら、青木の人間性を示しているように、スイには見えた。
故に、スイはその表情に少しの悪戯心を混ぜて、唐突に言ってみた。
「だから、別に私の友達を紹介しても良いんですけど」
「え、マジ?」
スイの言葉に、思わず素で反応してしまった青木であった。
全く期待していなかったと言えば嘘にはなるが、それでも通るとは思っていなかった希望であった。
歳の差というのは少し考えてしまうが、それでも、現状のままよりはきっと良い。
(ん? でも……)
しかし、その後に、ふと思う。
あれ? 夕霧とそういう話をしていたとき、彼女は居なかった筈では?
だが、青木がそれを疑問として放つ前に、スイは言葉を続けていた。
「でも、私の友達よりも、きっと青木さんには良い縁があると思うんですよね」
「あー、はは……」
ガーンという気持ちを、青木は決して口にはしなかった。
希望を持たせてからやんわりと断るようなスイの物言いに、青木は梯子を外された気分になった。
そんな青木の心を知ってか知らずか、スイはマイペースに言葉を紡いだ。
「だから、良い縁があるようにお祈りしてあげますね。私こう見えても、実は魔法が使えるんですよ」
「え? それは、どうも?」
スイの言葉に、青木は苦笑いを浮かべて俯いた。
反省のスタイルであった。
もともと、女子大生と知り合おうなんていい歳した男の考えることじゃないのだ。
たとえ冗談であったしても、拒絶から入らなかっただけ、恵まれていたのだ。
青木はそう自分に言い聞かせ、げんなりしそうになる心をなんとか保っていた。
だから、青木は気付かなかった。
青木が俯いていたその瞬間に、スイが先程総が作った【ホワイトレディ】をごくりと飲み干していたことを。
《風の魔素よ、変化を司る精霊よ。彼の者に風の祝福を与えたまえ》
ふわりと部屋の中なのに風が吹いた気がした。
「え?」
その風に驚いた青木が顔を上げた、その一瞬。
(青い……髪?)
目の前に、透き通るような青髪の少女がいた気がした。
だが、目をゴシゴシと擦ってもう一度見ると、なんてことはない。
そこにいるのは、先程までと同じ、黒い髪をした親友の彼女であった。
「はい。これできっと、風が青木さんに良い縁を運んでくれますよ」
「あ、ありがとう?」
青木は先程見た気がした光景に戸惑いながら礼を言う。
やはり、どう見ても目の前にいる少女は、黒髪であった。
「その、四方木さん? さっき、髪が……」
「今のは、総には内緒ですよ。もし話したら、おまじないの効果はなくなりますからね」
青木の呟きのような問いに、スイは人差し指を唇に当てて、似合わないウィンクをした。
それだけで、先程見た髪の毛の話を、青木は口に出せなくなってしまった。
何かの見間違いだったのだろうか、そう思いつつも混乱が覚めやらぬ間に、総がお手洗いから戻って来たのだった。
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「お待たせ……どうした青木?」
「え、ああ?」
俺がトイレから戻ると、青木は呆けたような表情で、俺の顔と、どこか澄ました顔をしているスイとを何度か見比べる。
一体何が? と尋ねる前に、青木は俺にこう尋ねた。
「夕霧。その、青い髪の女の子って──」
「またその話するのか?」
「いや、ええと……悪い、やっぱなんでもないわ」
また、俺が二次元の美少女どうのの話を蒸し返すのかと思ったが、青木は口に出さず、代わりに頭をトントンと叩く。
まるでその仕草は、頭の中の都合の悪い記憶を追い出そうとしているようでもあった。
「悪い、やっぱ酔ってるみたいだわ」
「それは知ってる」
変な青木の態度に疑問を覚えつつ、俺は訳知り顔で頷いてみせたのだった。
そのあと、俺の家と比較的遠い青木の家まで、短い時間ではあるが見送りをした。
どうというわけではないのだが、風が吹く度に、びくりと身を震わせる青木の姿が、どうにも不思議であった。
なお、この後日に。
青木が偶然にも突風によるパンチラを目撃してしまった女性と、紆余曲折の末に親交を深めることになり、最終的に俺が営業中のバーにてお互いに思いを伝え合って交際に至る──というイベントが起こる。
起こるのだが。
それは、この時の俺には知る由もないことであった。
ただ、俺の自腹から出したお祝いのカクテル二杯分の怨みは、ここに書き込んでおこうと思う。
さて、どこまでが本当でどこまでが嘘なのか。
スイがいいタイミングで総に電話をかけられたのは、本当に女の勘だけで済む話だったのか。
真相は月明かりの中です。
蛇足だった特別編は明日の更新でおしまいの予定です。




