ポーションとスピリッツ
ショックは長く続かない。
自分が夢を見ているという可能性を早々に捨て去った俺は、とりあえず状況確認を進めることにした。
少しだけ酔っていた頭を振って、スイに断ってから立ち上がる。
そしてキョロキョロとあたりを見回す。どうやら自分は酒場のようなところの、床に転がっていたことが分かった。
教室くらいの広さの空間に所狭しとイスやテーブルが並んでいる。だが、周りにはいま人が居ないし、窓から見える明るさから今が日中だということも分かる。
そして、光が当たらない薄暗い一画に、あまり数が多いとは言えないが酒瓶のようなものが並んでいるのが分かる。それは俺の目にはまさしくバーカウンターに見えた。
「えっと、ここはひょっとして、ダイニングバー的な店の中で、君はそこの店員みたいな感じなのか?」
ダイニングバーとは、バーと食堂を融合させたような形式の飲食店のことである。居酒屋よりも本格的なお酒が楽しめる、ちょっとオシャレなお店とでも考えればいい。
俺はこの空間がそうであると予感してスイに尋ねるが、彼女は俺の言葉にまた不思議そうな表情を浮かべるのだ。
「ごめんなさい。その『ダイニングバー』というのが分からない」
「……じゃあ、ここは何の店なんだ?」
「お父さんの食堂。地元で評判の安くて美味い『イージーズ』ってお店」
スイは淡々と答えを述べた。いくらか宣伝というか、営業が入っているが。
しかし、その答えでは俺は納得できないのである。
何故ならば、それでは店の一角にある『バーカウンター』が説明できないからだ。
「じゃあ、あそこはなんなんだ?」
俺が十数本程度のボトルが並んだ一画を指差しながら尋ねると、スイは胸を張るようにして答えた。
「あそこは、私の店。お父さんに場所を借りて、店をやってるの」
少女は答え、テテテと早歩きでカウンターの中に入る。くるりと俺に振り返ると愛想の足りない笑みを浮かべて言った。
「『スイのポーション屋』へようこそ。どんなポーションが入り用ですか?」
無表情ながら、その言葉を言いたくて仕方なかった感じのスイ。
「えっと、良く分からないから説明してくれるか?」
俺はなんとなく、どういう状況かを想像しながら、スイへと説明を求めた。
「つまり。この世界には『火』『水』『風』『土』の『四大属性』があって、それぞれに対応した魔力や魔法がある。そして人間はその魔力のバランスを崩したり、魔力が欠乏したりすると病気になって、最悪死に至ると」
少女から教わったことを端的にまとめるとこうなった。
ついでに、それまで少女はやたらと専門的な単語や説明をダラダラと並べてくれていたのだが、あまりゲームの設定を気にしない派の俺からするとまったく無駄な知識であった。
そして肝心なことを要約するとこのようになった。
「そんで、『ポーション』ってのは、それら『四大属性』のバランスを崩した人間に、外部から魔力を吸収させる薬みたいなもん、ってことだ」
「……まぁ、そんな感じ」
スイがあまりに端折られたことに少し不満げな顔をしているが、おおよそのことは分かった。
つまり、難しく考える必要もないということだ。
この世界に発生する病気のいくらかは『ポーション』を飲めば治る。
「じゃあ、スイは薬屋さんってことなのか」
「うん、そう」
少女は自分の職業に誇らしげだが、俺は表に出さない落胆でいっぱいだった。
どうにもこの世界には、リキュールやカクテル──そもそもバーというものが存在していないようなのだから。
「……どうかした?」
俺が無言でいると、スイが心配したかのように声をかけてきた。
「いやなんでもない。ところで、その『ポーション』って、試しに飲んでみてもいいものなのか?」
「……え! 飲んでみる?」
聞いてみると、スイはやたらと嬉しそうな顔をした。
なんだこの反応。まるで、人に自分のポーションが頼まれたことが嬉しくて仕方ないとでも言いたげだ。
俺が訝しんで見ていると、少女は棚のボトル、特に手前に出ている四つのボトルを楽しそうに指差しながら尋ねてくる。
「風の『ジーニ』に水の『ウォッタ』。火の『サラム』に土の『テイラ』──どれが気になる?」
どうやら『四大属性』のどれを俺に飲ませるかで悩んでいるらしい。
しかしそれらの名前が、俺としては大変気になる。
『ジーニ』『ウォッタ』『サラム』『テイラ』とは。
まるで俺の世界の『四大スピリッツ』──四大蒸留酒のこと──である『ジン』『ウォッカ』『ラム』『テキーラ』のようではないか。
そう連想してしまった俺は、なんとはなしに選んでいた。
「じゃあ『ウォッカ』の気分だから『水』で」
「『ウォッカ』じゃなくて『ウォッタ』だけど?」
「気にするな、こっちの話だ」
スイはまた不思議そうに俺を見つめてくるが、すぐに顔を無表情に戻すと一つのボトルを手に取った。
薄ぼんやりと青みがかった液体だ。
彼女は慎重に栓を開け、中の液体をショットグラスのような、30ml程度しか入らなさそうなグラスへと注ぐ。
「そんな少しで良いのか?」
「当たり前。一度に量を飲んだら、体内の魔力のバランスが崩れて『ポーション酔い』を起こす」
「へぇ」
そう聞いていると、『ポーション』はますますアルコールのようであった。
俺が関心を酒へと移しているところで、少女がグラスへと注ぎ終えた液体を、そーっと俺に渡してくる。その手が少しだけ震えているように見える。
なんだろう。ポーション屋のくせに、その作業がひどく慣れていないようだが。
「ど、どうぞ」
少女から差し出されたショットグラスを受け取り、俺はまず香りを嗅いだ。
液体の表面からふわりと香るアルコール臭。
「ウォッカだ……」
間違いない。これは『ウォッカ』の香りだ。
スイがまた、それは『ウォッカ』ではなく『ウォッタ』なのだ、と訂正したそうだが、そんなことはどうでもいい。
酒だけに特化したバーテンダーだった俺が言うのだ。これはウォッカである。
「じゃあ、味も」
遠い地球のとある国に思いを馳せながら俺がそれを口にしようとしたとき。
「助けてください!」
店のドアを、一人の中年女性がこじ開けながら入ってきた。
俺とスイがポカンと女性を見るが、彼女は構わずに叫ぶ。
「息子が! 息子が魔物に襲われて『魔力欠乏症』に!」
『魔力欠乏症』というのがピンと来ない俺でも、女性の鬼気迫る雰囲気は充分に伝わってきたのだった。
※0805 誤字修正しました。