選択の対価
ギヌラと別れ、店に戻っても皆は楽しそうに騒いでいた。
まるで今日この日に、この世全ての楽しさを味わおうとしているように。
そんな気分が全員に伝染しているかのように、笑って飲んで、また笑う。
そうやって、宴会の夜は更けていく。
この店の従業員達も、常連達も、この店の関係者や身内の関係者達も、一様に楽しみながら時間は過ぎる。
抗いようも無く過ぎていく。
俺は洗い物をしながら、その光景を眺めていた。
そして、日付が変わる時間を過ぎる。
「……ふぁぁ」
誰かがあくびをしたせいだろうか。
一人、また一人と、それまで盛り上がっていた人達は少しずつ静かになる。
騒ぎ声は、囁き声に取って代わられ、それすらも、いつの間にか消える。
やがて店内は、洗い物の音だけが響くようになる。
この店も、そして街も、それどころか世界そのものが、眠りに付いたように。
「さて。洗い物だけは、できるだけ終わらせておくか」
約束の時間までには大分余裕がある。
そして、洗い物を俺の代わりにするべき弟子二人もまた夢の中だ。
それならば、と、俺は親切心と罪悪感の混ざった気持ちで作業を進める。
まだ料理の残っている皿や、中身のあるグラスなどは下げないで、出来る限りの洗い物を済ませたころには、一時間は経っていただろうか。
その間、俺の部屋の私物とかはどうなるだろうとか、漠然と考えていた。
中身はできるだけ綺麗にしてきたが、やはり一人分の家具が『空き部屋』に入っていたら不気味だろうな。
まぁ、だから何があるわけでもないだろう。
いずれ来る誰かが、不思議に思いながらも代わりに使うだけの話だ。
……そういう、話なのだ。
「……行くかぁ」
俺は洗い物を終えたあと、大きく伸びをしながら言った。
誰に向けた訳でもない独り言だった。
だから、まさか返事がくるとは思わなかった。
「どこに行くの」
俺はぎょっとして振り返った。
そこには、眠りこける人々を少し眺めたあと、再び真っ直ぐ俺を見ているスイが居た。
俺は想定外の事態に驚きつつも、その心情をおくびにも出さず言った。
「少し、酔い覚ましにな」
言って外に続く扉を見る。
今日は月明かりの明るい夜だ。
先程外に出たときも思ったが、あの明るさは満月だろう。
そして満月と言えば──トライスとの縁が頭を過るな。
だからか知らないが、スイの反応は、まぁ、想像した通りだった。
「私も、行く」
「…………」
何を言っても無駄だという雰囲気だけは感じた。
それならばと、俺は諦めとともに、ただ肩を竦めた。
彼女には、今日ずっと色々なカクテルを作った。
だけど、彼女は思い出のカクテルを──彼女のためだけのカクテルだけは頼まなかったな、と。
そんなことを、ふと考えた。
俺達は、ほとんど無言だった。
ただし、それは居心地の悪い無言ではない。
俺は、いつの間にかスイが隣にいることに、こんなに安心するようになっていたのかと驚く程だった。
それを自覚すればするほど、胸の裡の暖かな部分が、スイという少女を求めているのを実感した。
俺はスイが、好きだ。
ただしそれは、燃え上がるような恋ではないだろう。
そういうのは、大学時代の鳥須とのやり取りでとうに終わった。
スイの方がどうなのかは知らないが、俺の中では若さ故の衝動みたいなものが薄い。
だけど、それがどうしたと思える程度には、俺はスイを大事に思っている。
ノイネに言われるまでもなく、俺は彼女を悲しませたくない。
彼女の無表情を微かに綻ばせる微笑みを、ずっと眺めていたい。
そして、そしてなにより。
俺は彼女に、決して、不幸で理不尽な死を迎えてなんて欲しくない。
たとえ、俺の何を犠牲にするとしても、それだけは譲れない。
そうして歩いていると、見覚えのある公園に辿り着いていた。
「ここは」
「最初にカクテルを放ったとき、ここに連れてこられたっけな」
この場所は、ギヌラに【ダイキリ】をぶっ放した直後に、その事態を重く見たスイに引きずられてやってきた公園だった。
相変わらず人気が無くて、中心に噴水があるだけの広場。
周りをぐるりと、黒々とした木々が囲んでいるだけの場所。
そして、あの日、スイが俺の運命を決定付けたような場所。
「誰も居ないな。この時間だから当然だろうが」
見ようによっては。
いや、割とどう見たとしても、付き合い立ての恋人同士が夜の公園で二人きりという、比較的ロマンティックな一場面だろうか。
ぼうっと月夜を見上げるスイの横顔は、どこか幻想的だ。
日本では決して見る事の無い、自然な青髪と整った顔。
彼女の正体が実は妖精や精霊の類だったと言われても驚かない、むしろクォーターとはいえエルフの血が入っているのだから、間違いでもないかもしれない。
とにかく重要なのは、そのスイを見ていたことで、俺の中に確かな衝動が生まれたことだった。
今、この衝動に従うことが、間違いとは思えなくて。
その衝動を、俺は正直に口にすることにした。
「スイ」
「なに?」
「俺は、スイが好きだ。今すぐにでも抱き締めたいくらい、君が好きだ」
シャルト魔導院での一夜でも、こうまで素直に思いを口にすることはなかった。
あの時は流れというか、なんというかで行く所まで行ってしまったので、その後の展開で自然にそうなっていて、言葉にする機会を逃したからだ。
でも今の俺は、その事実をはっきりと口にしなければいけないと思った。
他の誰でもない。俺自身の気持ちを、この少女には伝えたいと思ったのだ。
「…………」
しかし。
言われたスイの表情は、朧月のようにどこか曖昧としていた。
嬉しくないわけではなくて、それでもそんな言葉を聞きたいわけでも無くて。
すっきりしない理性と、嬉しいという感情がないまぜになったような、そんな顔。
聡明な彼女のことだ。
きっと、大体は察してしまっているのだろう。
そもそも、今この瞬間にこうして『起きて』いることでさえ、その証明と言える。
日付変更と同時にこの世界を覆った魔法は、なんの準備もしていない人間が耐えきれる程の、眠気ではなかった筈なのだから。
「どうして、今、そんな風に言うの?」
「今言っておかないと、後悔する気がして」
「どうして?」
スイは俺の目をまっすぐに見つめながら言った。
下手な誤魔化しや、優しいつもりの嘘に意味はなさそうだ。
俺が自分勝手に思いを伝えたのと同じように、彼女もまた彼女自身の欲求から、聞きたがっている。
俺の言葉のもつ意味や、これから先の未来を。
「…………」
それでもなお、言葉に詰まる。
その選択をした今になっても、後ろ髪を引かれるどころか、体全体を鷲掴みにされているような、耐え難さがある。
だけど、選んだのは俺だ。
鳥須から選択の自由を与えられ、最良の未来を選択したのは俺だ。
なぜその選択をしたのか、とその後の『人生』に問われたとしても胸を張って言える。
俺は、絶対に、この世界と、イージーズという居場所と、そして目の前の少女を魔王という理不尽で失いたくなかった。
だから、俺は選んだのだ。
「スイ。俺は、自分の世界に、帰ることにした」
たとえ、その居場所から俺が消えてなくなってしまうとしても。
それで居場所が守れるのなら、それは価値のある選択だと信じて。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
散々前振りをしていましたが、そういうことです。
自分の中の古い考えでは、冒険は帰って来るまでが冒険、なので。
0930誤字修正しました。




