かつての注文
かくして日付もそろそろ変わりそうな時間となっていた。
いつもであればラストオーダーとか閉店準備とかの時間なわけだが、本日に限ってはそういう話にはなっていない。
明日の予定が許す限り、飲んで騒ぐ、そういう状況だ。
飲み放題として設定していた時間もとっくに終わっていて、今の注文は普通に料金が発生する。にも関わらず、特に気にせずに追加注文する客が多いのは良いのか悪いのか。
「ん?」
そんな人ごみを遠巻きに見ているところで、一つ、気になったことがあった。
だから俺は、一杯のカクテルを作ることにする。
選んだのは【ダイキリ】だ。
ラム──サラムとライムに少しのシロップで作られる、シンプルだが力強いカクテル。
それを特に好んでいる常連──イソトマは材料だけで俺が何を作っているのかを察する。
「お、マスター。俺にサービスか?」
「サービスならもう散々したでしょうに」
「がはは」
いつの間にかカウンターに来ているイソトマだが、俺が各テーブルをまわっていた時に、他の常連達と一緒に既に【ダイキリ】を注文済みだ。
なのでイソトマの言葉を適当に流して、俺はシェイクを行う。
今日はちょっと張り切りすぎたな。もしかしたら、明日腕を軽い筋肉痛が襲うかもしれない。なんてことを少し考える。
そんなやり取りをしている横で、フィルが少女に声をかけている。
「ほら、クレーベル。そろそろ帰るよ」
「……んぅ。いや、ですぅ……私は、フィル様と……一緒にぃ」
「ああもう」
口では言っているが、誰が見ても少女は半分以上夢の中である。
彼女に対しては、俺ではなくフィルが【カルーア・ミルク】をサービスしていた。
商売のことになると聡明な少女だが、こう見るとただの駄々っ子であった。
俺はシェイクを終えたあと、良く通る声を意識してクレーベルに声をかけた。
「クレーベル嬢。少しカクテルの今後についてお話したいことが」
「! なんでしょうか?」
こうして外部から商売モードに入るような言葉をかけてやると、即座に目を覚ますのだから面白い。
隣にいるフィルから、あまり遊ばないでください、というような抗議の視線を感じるが、俺は違う違うと首を振る。
「少し外に。夜も遅いですし、夜風に当たって酔いでも覚ましましょう」
「……仕方ありませんね」
少しシャキっとしてくれ、という遠回しな物言いに、クレーベルも素直に従った。
と同時に、俺はフィルに目配せする。
「……はぁ」
フィルはため息混じりに、俺の考えを読んだらしい。
つまり、儀式的にはフィルとクレーベルは夫婦なので、彼女の支払いをフィルが代わりに済ませてしまっても問題はあるまい。
だから、俺が連れ出している間にさっさと帰り支度を済ませてしまえということだ。
「あまり遅くならないようにしてくださいね」
「分かってるよ」
フィルの言葉に俺は頷き、先程作ったばかりの【ダイキリ】と、グラスを一つ持って外に出る。
その行為にフィルは訝しげな目を向けている。
このままだと【ダイキリ】にどんどんと氷が溶けるにも関わらず、俺がグラスに注がないことが不思議なのだろう。
だが、今はまぁ、特別だ。
「よう不審者」
「……っ!?」
店の外。月がまん丸に輝く夜空。吹き抜ける風はほんの少し冷たく、心地よく酔いを掬っていく。
そんな夜の店の前、俺達が外に出ようとすると気配が慌てて離れようとした。
俺とクレーベルが連れ立って店の外に出た時、俺はそんな気配を残して、店の前から離れようとしていた不審者に声をかける。
そしてその不審者──金髪の男が不遜な態度で振り返り言った。
「ふ、不審者とは何事だ? 僕はたまたま、別の店で飲んだ帰りに通りがかっただけで」
「はいはい」
そして不審者ことギヌラの言葉を俺は適度に受け流した。
ギヌラがここに居る理由は良く分からないが、店の中に入れない理由は分かる。
まだスイの許しを貰ってないので出禁の身なのである。
「こんばんはギヌラさん。私から見ても、その言い訳は無理がありますよ」
「ぐっ」
俺と一緒に出て来たクレーベルもまた、ギヌラの言い訳に苦笑いである。
この男は本当に、顔は良いのにこう、残念なんだよなぁ。
「……ふん。まぁ良い。ここで会ったのも何かの縁だ。祝ってやる。釈放されたらしいな」
「おかげさまで」
「それで貴様が腑抜けたりしていなければ問題無い。これからも、カクテルの──ひいてはアウランティアカの利益のために存分に働くと良い。それだけだ!」
そうして一方的に言うだけ言って、ギヌラはさっさと夜の闇に消えていこうとする。
俺はそんな男を呼び止めた。
「待てよ。こっちも奇遇なことに、たまたま出来たカクテルを持ってるんだ。一杯くらい飲んでいったらどうだ?」
「……なんだその奇遇は」
「お互い様だろ」
俺の物言いに今度はギヌラが顔をしかめる番だったが、存外素直に彼は戻ってくる。
そして俺がグラスを手渡せば素直にそれを持ったので、俺はカクテルグラスへと勢い良く【ダイキリ】を注いだ。
やはり少し溶けてしまったか。致し方ない。
「これは?」
「【ダイキリ】だよ。お前が初めて店に来た時、飲めなかったカクテルだ」
「……そうか。そうだな……」
思いの外、ギヌラは素直に【ダイキリ】を受け取っていた。
実際、飲もうと思えば飲む機会はいくらでもあった。俺とこいつは、ホワイトオークの研修で同室だったし、何度かカクテルを飲ませもした。
だが【ダイキリ】だけは、どこか避けているふしがあった。
単純なトラウマという以前に、自分は【ダイキリ】を飲む事を許されていない、というような想いがあったのだろう。
これは、この世界における魔砲の始まりのカクテルでもある。
この世界に特殊な魔砲使い──バーテンダーという職業を確立させたのは、紛れも無くギヌラの事件であった。
あの一件があって、俺はカクテルを魔法として放つことに気付いた。
ギヌラの敵対的な刺激が、俺の成長を促したとでも言えば良いのか。
以前、彼はカクテルの内側ではなく、外から、批判的な目を向け続けることでカクテルを成長させる、と言っていた。
ある意味では、最初に敵対したことで歴史が始まっているのだから、その頃から役割は変わっていないのかもしれない。
「……ふっ。まあまあだな」
「そりゃどうも」
素直に褒めることはしない。
だが、もう飲んでも居ないカクテルを、捨てるような真似もしない。
俺にとってギヌラは、それくらいで良い。
俺達は友人ではないが、俺のカクテルをこいつが飲むくらいのことは、もうできるのだから。
「さて、ギヌラと、それにクレーベル嬢。改めて少し話があるんだ」
「本題ですか?」
ギヌラに一杯を渡した後に俺は言う。
クレーベルを連れ出すに話した動機は、別に全部でまかせというわけじゃない。
本当に、彼女達に相談したいことはあったのだ。
「今、炭酸飲料の売り上げの一部を俺は貰っているよな?」
「はい。なんでしょうか……やはりもう少し比率を?」
「いや、そういう方向じゃなくて」
ただでさえ、個人が貰うには多過ぎる金が入ってくるのに、これ以上求めて何に使えというのだろうか。
クレーベルの想定を遮り、俺は考えていたことを告げる。
「俺に入ってくる分を、そのまま『バーテンダー協会』みたいなのの設立、運営なんかに役立てたいんだ」
「…………バーテンダー協会ですか」
クレーベルの言葉に頷き、俺は続けた。
「この先、どうあってもバーテンダーの数は増える。バーテンダーを志す人達も。だけど、ゼロからバーテンダーを始めるには、色々と用意するものが多いだろう? そういう人達の助けになったり、バーテンダー達の援助をしたり、そういう互助組織みたいなものにしたり、とまぁ、なんていうか、俺以外のバーテンダーの助けになる組織が、この先は必要になると思うんだ」
「言いたい事は、分かりますが」
「どうせ使い道がないのなら、未来のバーテンダーのために使いたい。ダメかな?」
俺の言葉にクレーベルはうむむ、と首を傾げている。
だが、ギヌラの方は鼻で笑った後に、俺に賛成した。
「良いんじゃないか。最低限のノウハウも持たずに違法バーを勝手に開いたりする連中が増える前に、権威や認定を作ってしまうのは悪くない。商会としても、損のある話じゃないだろう」
「それはそうですが、思いつきで決めるには、少し」
「この男のアイディアの大半は、カクテルに活かせる思いつきだぞ。とりあえず飲んでおいて、詳細は後で詰めれば良いだろう」
そう言われると行き当たりばったりの男みたいに聞こえるからやめて欲しかった。
だが、この件に関しては、本当にそうなので否定もできないが。
少し悩んでいたクレーベルも、少しため息を吐いた後に頷いた。
「分かりました。総さんの権利をどう使うかも、総さんの自由ですしね。前向きに検討いたしましょう。その『バーテンダー協会』についてを」
宣言した少女は、いつも通り、歳不相応に頼りがいのある顔で言ってくれた。
「ふん。アウランティアカも噛ませてもらうぞ。今後は中々に大きな動きがありそうだしな。精々、甘い汁を吸わせてもらうことにしよう」
かくいうギヌラも、口ではこう言っているが、きっとカクテルのために一生懸命に働いてくれるのだろう。
「ありがとう。二人が居てくれて、本当にこの世界のバーテンダーとカクテルは幸せだよ」
「主語が大きいぞ全く」
俺の言葉に、ギヌラは呆れを隠さなかった。
だが、俺は素直にそう思った。
0602 誤字修正しました




