術式強化
「……やあお兄さん。まさかこんな無防備に近づいてくるなんてね」
俺とエル──ヘルメスは戦闘中にあって、まるで久しぶりに知人と再会したかのように、言葉を交わす。
だが、俺とヘルメス以外の全ての人間にとっては、今の状況は、先程とほとんど変わりはない。
ただ、俺が一人前に出ているだけ。
だが、それだけの状況の変化で、精鋭の一人が叫んだ。
「奴の足を止めるぞ! 詠唱の時間を稼げ!」
声が響き、同時に俺の背後から炎の魔法の力が飛んでくる。
俺の『カクテル』が完成するのに時間がかかることは告げてある。だからこそ、近づいた時に少しでも足止めが出来るならと、お願いもした。
このタイミングを見切っていたわけでもあるまいに、詠唱が必要な魔法で即座にその攻撃に移行できたのは流石精鋭と言わざるを得ない。
だが、
「この程度で、僕を止められると思わないで欲しいけれどね」
落胆するようにヘルメスが言う。
そしてヘルメスは、自分目掛けて飛んでくる数多の魔法に対して、何もしなかった。
人が、ささやかな向かい風に対して身構えることなどないのと同じように、ヘルメスは雨風ほどの価値すら魔法に認めることなく、次いで魔法は直撃する。
その余波は確かに俺の頬を撫で、その炎の熱もありありと感じられる。
だが、目の前のヘルメスは如何程も堪えた様子を見せず、ため息を吐いた。
「僕を止めたいと願うのなら、最低でもスイ・ヴェルムットくらいの魔法の練度が欲しいね。彼女であれば、僕の力に守られた『設計書』の端に火を付けるくらいは、できるかもしれないのに」
その言葉はスイの実力を認めているようであり、同時に、スイであろうと自分を殺すような攻撃はできないだろうという余裕の表れでもあった。
欠片も効果の出なかった自分たちの魔法を見て、精鋭達の次の一手が止まる。
単純な攻撃で足止めするプランは、白紙になったということだ。
「さて、何をしたいのかは知らないけれど、僕も別にお人好しじゃないんだ。恐らく無駄だとはいえ、魔法を食らって上げる筋合いもない。お兄さんには悪いけど、さっさと退場してもらうよ」
ヘルメスは動きのなくなった俺達の陣営に憐れみのような表情を向けたあと、おもむろに左手を掲げる。
それだけで、俺を擦っただけで殺してしまいそうな、強烈な魔力を秘めた鈍色の槍が姿を現す。
今まで幾度となく、俺の命を奪わんと振るわれて来た魔力の槍だ。
俺はここで、一歩だけ左足を後ろに下げる。
その光景は、ヘルメスには俺が怯えて退いたように見えただろう。
「それじゃお兄さん。さようなら」
ヘルメスは僅かに嗜虐的な笑みを浮かべて言った。
そして、ヘルメスがその腕を振り下ろそうとする刹那、
彼女の声が響く。
「『動くな!』」
ピタリ、とヘルメスの動きが止まった。
彼は視線だけで、その言葉の正体を睨む。
それは、この世界に魔王ヘルメスを呼び出してしまった元凶であり、同時に、ヘルメスの召喚主として、その身に制約を課す事のできる唯一の存在だ。
「ローズマリー。無駄だと何度も言っている筈だよ。この程度の拘束──」
だが、ヘルメスにその拘束が大した意味を持たないのは、以前見知っている。
ヘルメスは呆れ顔を浮かべ、力づくでその制約を引きちぎろうとする。
「……なに?」
だが、その腕は動かない。
ギチギチに締め上げた拘束の『命令』が、確かにヘルメスの動きを止めていた。
「これは、どういう」
「術式強化の重ねがけの魔法陣の力。そこに更に『命令の相互干渉』を重ねたらしい」
俺は、足を全く動かさぬまま、つまりは左足を一歩だけ下げた状態のまま、拘束の維持に精一杯のローズマリーに代わって言った。
そうしながら、俺は腰に下げていた銃を引き抜く。
これは『ヴィクターフランクル』ではない。かの銃には、この場においては致命的な問題点が存在したため、改良の時間も取れず置いて来た。
だから、今俺が手にしているのは、この世界で初めて『カクテル』を使った、長年俺が愛用してきた、ただのリボルバーだ。
「──相互干渉──?」
術式強化の魔法陣は、先までスイもその恩恵に与っていたものだ。
シャルト魔導院が、恐らく基礎研究は終わっていたものを、土壇場で実用段階にまでこぎ着けた一品。
あの重ねがけの魔法陣と、これまたスイが何やら独自に研究していた魔石による詠唱破棄の理論だかを組み合わせた結果が、魔王と互角にやり合ったスイの魔法である。
だが、その本来の目的は、スイの魔法の強化ではない。
いざという時にヘルメスの足止めをするための、正攻法での切り札の一つだ。
つまり強化する対象は、ローズマリーの『拘束術式』だったのだ。
しかし、ローズマリーの想定としては、その虎の子の魔法陣であってもヘルメスを拘束するにはまだ至らない。
そこにもう一つだけ術式を強化する当てが生まれた。
それが『命令の相互干渉』。
「まさか!」
「ああ。さっきの命令は『俺』と『お前』に同時にかけられた。ローズマリーを起点とした命令と、俺達を起点とした相互命令。この二つの効果でもって、拘束の命令はその効力を増しているんだ」
理論はともかく、話としては簡単だ。
ヘルメスと同じように、俺もまたローズマリーに召喚されたものだ。
そして本来、召喚獣(獣?)というものには、その主の魔法に干渉して『効果を高める』能力を付与するのが一般的らしい。
俺は全く知らなかったが、その能力は実は俺にも備わっていた。当然、ヘルメスにも。
つまり、先程ヘルメスにかけられた命令はローズマリーからだけではない。
俺とヘルメスは、相互に命令を掛け合ったらしい。
さらに、ここでもう一つ細工があった。
俺からヘルメスに、そしてヘルメスから俺に、そしてまた俺からヘルメスに、といった具合に、俺とヘルメスは互いに干渉しあってその『命令』の効力を引き上げたのだ。
これは、俺とヘルメスが互いに『同じ魔力適性』を持つからできることらしい。
詳しい理論は知らない(というか説明されても理解できなかった)が、双子の使い魔が互いの魔力を高めあう能力を持っている、みたいな設定と似たようなものだろう。
普通『拘束命令』でそのような『増幅』を行うことはありえないらしいが、悩んでいたローズマリーにスイが当たり前のように助言したのだ。
誰もそんなことしないから分からなかったが、理論上はできる筈だとスイは言った。
そして、実際に今こうして実現した。
もっとも、ヘルメスから俺に対する命令は『(その場から)動くな』なので、俺の手だけは自由だった。
だって、俺とヘルメスの距離が変わらず、手が動くというのなら『カクテル』を作るのに何ら支障はないのだから。
「ふふ。まぁ良いよ。僕が動けるようになるまで、君のあがきを見物させてもらう」
「どうぞご自由に。バーテンダーは、見られるのも仕事ですから」
ぐぐぐ、と今この瞬間にも拘束を食い破りそうなヘルメスに、俺はおどけて言った。
拘束が破られた瞬間が俺の最後だ。
いつ訪れるとも分からぬその瞬間までに、俺は『カクテル』を完成させなければいけない。
そう考えると、心臓が早鐘を打つように暴れ出すが、反して思考はとてもクリアだ。
俺はバーテンダーのスイッチを、もう一度しっかり入れ直した。
だって、ここまで、いくつもの不確定要素があった。
この部屋に無傷で辿り着けたことも、スイが魔王までの道を切り開いたことも、俺のかけた保険が十全に働いたことも、ローズマリーの拘束が成功したことも。
全て、なんの保証も無い綱渡りにも関わらず、通ったのだ。
なら、ここに来て、俺が最も信頼する『カクテル』を作る技術で失敗するなんて、
あるわけないだろう。
俺の胸の内に宿る、自分の技術への絶対的な信頼が、俺の手の震えを止める。
スウィングアウトしたリボルバーのシリンダーに、一発、二発……合計六発の弾薬を詰め終える。
最初の一発目になる弾薬をしっかりと確認してから、かちり、とシリンダーを戻し、俺はその銃口をヘルメスへと向けた。
「準備はできたのかい?」
「生憎と、まだです。この『カクテル』はここからが本番なんですよ」
そう。ここからだ。
俺は我慢のきかないお客様に苦笑いをして、カクテルの説明をする。
「自分は今まで、この銃でカクテルを作るときは、既に完成したカクテルを弾薬にしていました。だけど、これは違います。このカクテルは、今、材料を入れて作りはじめるものなんです」
「ふむ? しかし、そうやって作るのであれば、君達が完成させた『銃』を使うのが的確なのではないのかな?」
ヘルメスが疑問を挟む、そのとき、ピキリと何かが割れた音がした。
背後でローズマリーが呻く。
どうやら、重ねがけした拘束が一つ破られたらしい。
ヘルメスがにんまりと唇を歪めるが、俺は冷静なままだった。
「それはできません。何故なら、あの『銃』は、材料を『混ぜ合わせる』ためのものですから」
「…………? それが、カクテルだろう?」
ヘルメスの疑問に、俺はただ笑みを返した。
「このカクテルは、混ざってはいけないんですよ」
ここまで読んでくださってありがとうございます。
こんな場面で更新が一日遅れてしまい大変申し訳ありません。
明日も投稿してペースは元に戻る予定です。




