シャルトリューズの秘密
「あら、ごきげんよう、バーテンダーさん」
ローズマリーは、相変わらず自由のなさそうな姿で、それでも優雅に微笑んだ。
自由がないと言っても、仕事ができないというわけでもなさそうで、彼女もまたその他の、恐らく魔術師達に混ざって何かをしているのは分かった。
「何をしているんだ?」
「なんだと思うかしら?」
「分かる訳がない」
俺の目には、彼女を含めた魔術師達が、机の上に図面を広げてああでもないこうでもないと頭を悩ませている光景にしか見えない。
俺はちらりと隣のスイに目線で尋ねれば、彼女はその図形をちらりと見て言った。
「術式強化の重ねがけ」
「……一目で分かるなんて、本当に流石ね」
スイの言葉で、それまでこちらに注目していなかった人も、こぞってこちらを見た。
老若男女、というには若い人間がいささか少ないが、それでも多種多様な──言い換えれば方々からかき集めた魔術師が集っている気配がある。
その中では、監視の目こそあれどローズマリー本人もそこそこのびのびしているように見える。
「それでどうしてこちらへ?」
「ここに、ミス・スクアロサが居ると聞いて」
ローズマリーの質問に、スイは余計な修飾をせず答えた。
そしてその視線はこの中にいる魔術師のうち、一人の女性を捉える。
その女性は、老女というには少しだけ物足りないくらいの、そこそこに歳のいった女性である。スイが魔法陣についての所見を述べた際にもこちらを好奇の視線で見る事無く、黙々と睨むように図面を見ていたので、少し印象に残っていた。
だが、さすがにスイを含む大多数の視線が自分に集ったとあっては、無視するわけにもいかないらしい。
少し上品ながらも、確かにため息を吐いてその女性──ミス・スクアロサはスイに向き直った。
「ごきげんようミス・ヴェルムット。あなたに探されていると聞くと、まったく良い予感がしないのは何故かしらね」
ミス・スクアロサはスイに向かって微笑みを浮かべる。
「奇遇です。学生時代の私も、先生に対して全く同じ感想を抱いていました」
「それは貴女がっ!! ……んんっ。今は、少しは落ち着いて──はいませんでしたが、ああもう。とにかく、なんの御用でしょうか?」
訂正しよう。彼女は微笑みを精一杯維持しているが、微妙に頬が引き攣っている。想像することしかできないが、彼女はスイに随分と悩まされていたようだ。
もしかしたら、スイに散々匿名の論文を送りつけられていたのも彼女なのではないだろうか。だとすれば、心中お察しする。
それに対するスイは相変わらずの無表情で、そして、とんでもない発言をする。
「簡単です。私にシャルトリューズの秘密を教えて下さい。シャルトリューズ・スクアロサ最高魔導士様」
スイの発言に、それまではなかった確かな緊張が部屋中に走った。
和やかとは言わないまでも平和だった空気が、完全に凍り付いている。
大多数は戸惑いを混ぜた視線をスイに送っているが、俺を含めたごく少数はもう一人を見ている。
即ち、それまでの穏やかな印象を微塵も感じさせぬほど、鋭く目を細めたミス・スクアロサをだ。
「…………それが、どういう意味の発言か、お分かりでしょうね?」
ミス・スクアロサは激昂したりせず、静かにスイに問いただした。
そもそも、シャルトリューズとは俺が居た地球において、リキュールの女王とも言われる程メジャーで、かつ有名な逸話を持つハーブ系リキュールだ。
『シャルトリューズ』は、もともとシャルトリューズ修道院という場所で、凍える身体を温めるために飲まれていた薬酒が元とされていて、味わいは甘く、華やかである。
だが、一番有名な逸話は、シャルトリューズを作るために必要なレシピが厳密に秘されており、三人の修道士のみがその秘伝を伝えているというものだ。
これが、この世界におけるシャルトリューズについても奇妙な符号をみせる。
この世界のシャルトリューズは、シャルトリューズ草という魔草の果実から作られる、特殊なポーションの一つだ。それだけ聞くならば、シャルトリューズ草を育てれば誰にでも作れるように思えるが、その果実に謎がある。
シャルトリューズ草は通常、育てても可食部の無い、種だけの実をつけるのだそうだ。
種に甘みはなく、果肉もほとんどない。到底、果実をしぼってポーションなどが作れるわけがない。
だが、シャルト魔導院の三人の最高魔導士だけが代々、シャルトリューズ草から果汁の絞れる果実を作る手法を知っているのだという。
そう。目の前に居るミス・スクアロサこそがそのうちの一人というわけだ。
彼女に質問の意図を尋ね返され、スイは表情を動かさずに淡々と答える。
「存じています」
「では続く返事も分かる筈です」
まさしく、にべもないとはこのことだろう。
彼女はスイの言葉に、検討する素振りすら見せることはない。
それだけ、シャルトリューズ草の秘密はこの魔導院にとって重要なものであり、いかなる手段をもってしてもそれを教えるつもりはないということだ。
「そうですか」
「ええ。そうですとも。今が緊急事態なのはあなたも分かっているでしょう。そんな妄言を振りかざすくらいならば、術式の改良の一つでも手伝ってください」
話は終わりとばかりに、ミス・スクアロサは再び微笑を浮かべた。
彼女が優しく流したことに、周りの魔術師達もホッと安堵の息をこぼしていた。
当然、こういう返事が帰ってくるのもスイは予想していた。
当たり前だ。俺なんかより、彼女の方がよっぽどこの世界の魔術界隈に詳しいのだから。
そして、その予測をしていたからこそ、彼女は次の一手を用意してある。
「では、明確に秘密の公開を拒否された私が、推測でその秘密を全世界に公開しても問題はありませんね? それはあなたから漏れたものでは、ないのですから」
「はい?」
ミス・スクアロサを含む全ての人間が、スイが何を言っているのか理解できなかった。
スイに聞いた話では、シャルトリューズの秘密は、数百年の間、この魔導院が守り通して来たものだ。
それを、主席とはいえ、たかが三年魔導院に通っただけの少女が知っている筈がない。
筈が無いのに、スイのあまりにも堂々とした物言いは、周りの人間にもしやを想起させた。
当然、それはミス・スクアロサも例外ではない。
「な、何を馬鹿なことを。いくらあなたが、我が院始まって以来の天才であろうと、そんな──」
「比率は、2:7:3:5がベースですよね」
「ちょっ!?」
スイが口にした、他愛も無い数字に、誰よりも早く動いたのはミス・スクアロサだ。
彼女は即座にスイの口を手で塞ぎ、彼女を至近から睨みつける。
「じょ、冗談ですよね? ミス・ヴェルムット?」
そして、恐る恐るスイの口を開かせ、彼女に耳を向ける。
スイは察したように、ミス・スクアロサの耳元に何かを呟いた。多分、次の条件か何かを。
「──────」
「ひっ」
スイは相変わらずの無表情で。
そして、ミス・スクアロサは悲鳴を上げた。
そのあからさまな態度に、周りの人間全員が『もしや』という顔になる。
そしてそれに気付いた最高魔導士様は、あからさまに表情を取り繕って、告げた。
「ま、まったくもって見当違いですね。やはり、シャルトリューズ数百年の歴史に間違いはありません」
「…………」
「それはそれとして! ミス・ヴェルムットと、そちらの、バーテンダーさんは私に付いてきて下さい!」
その反応で誤魔化しきれたとは、誰一人思っていないだろう。
だが、彼女がそう告げた以上、この話はそれでおしまいなのだ。
みな、シャルトリューズの秘密に興味はあるだろう。だが、魔導院の最高魔導士を敵に回してまでその秘密を探ろうと考えるものはそういない。
それこそ、対魔王のために、どうしてもそれが必要なほど切羽詰まっている、俺達のような存在でなければ。
そうして、俺達はその場に確かな混乱を撒き散らしながら、最高魔導士に連れられてどこかへと向かうのだった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
少しだけ更新遅くなり申し訳ありません。
本日より、再び隔日更新いたします。




