スミレの香り
とまぁ、金額には驚いてみたのだが、個人的にはそれほど惹かれる話ではなかった。
大会の概要を見て、あまり出る気がしなくなったのだ。
参加資格があるのは、営業届けを出している『ポーション屋』なので問題はない。
だが、理念が少し問題だった。
原文は結構堅苦しい文章だったので意訳すると。
『崇高なるポーションの発展を目指して、皆の研究成果を見せ合いましょう』
という感じだった。
それがどうにも『金持ち』を相手にした『金持ちのためのポーション』で競い合いましょうという、意図に読めてしまう。
そんな大会は、この店の理念とはかけ離れすぎている気がしたのだ。
そして何よりも、その主催に協力している『店』が、一番嫌だった。
「このさ、協賛になってるポーション屋。なんか見知った名前があるんだよな」
俺がトントンと指で示したそこ。
この大会の協賛になっている、この街で最も有名なポーション屋『アウランティアカ』──その副店長の名前だ。
ギヌラ・サンシ。
予想が正しければ、この店を出禁になってから一度も来ていない、金髪の貴族様の名前である。
「あの野郎の顔を見る危険性がある大会に、出場するのは嫌だ」
「……それは……確かに」
スイはどうやら興奮していて、あまり内容に目を通してはいなかったようだ。
だが、俺の指摘を受けて、少しだけやる気を落としている。
「んー、でもさ。出てみるのは良いんじゃない? そんな連中の鼻を『カクテル』で明かせたら楽しそうじゃない」
そんな俺たちに、ふわりと意見を述べたのは、ライだった。
「あくまで領主様が主催で、ギヌラのクソは協賛の副店長なんでしょ? さすがに、そんな公の場で、お姉ちゃんにまた絡んでくるとかしないだろうし」
「それはそうなんだがな。顔を見ただけで『カクテル』が不味くなるからなぁ」
確かに金貨百枚は魅力的である。もちろん優勝できたらの話だが。
それができなくても、優秀な成績を修められたら、店の知名度はグンと上がるだろう。
だが、『ポーションは薬』という世界で、正しく『カクテル』を評価されるとは限らない。
ギヌラのように、この店を目の敵にするような、要らない障害を作る可能性もある。
メリットはとてもよく分かるのだが、いかんせん、もう一声が足りなかった。
「うーん。ひとまず保留ということにしておいても良いか?」
「うん。参加締め切りはまだ時間があるし。良いよ」
相変わらずの先延ばしであるが、スイはこくりと頷いた。
その用紙を適当にしまって一段落したあと、スイは目敏く、カウンターに乗っているグラスに気がついた。
「で、なにやってたの?」
スイの目が、鋭い。
最近分かるようになったが、これは怒っているというよりは、寂しい気持ちのようだ。
最近ずっと仲間はずれにされていた上に、今この瞬間も仲間はずれにされた。
そう思って、少しだけ拗ねているのだろう。
「大丈夫だって、スイの分も残してあるから」
「本当?」
「当たり前だろ。俺がスイのことを忘れるわけがない」
「……ふーん」
その辺りで、スイの機嫌はほんのりと上昇した。
そんなスイに見咎められないように、俺は小声でイベリスに尋ねる。
「……予備の瓶。あったよな?」
「……あるけど」
「…………セーフ」
「……ちょっと、かっこ悪いかも」
イベリスが何か言っている気がするが、聞こえなかったことにする。
俺は今耳が遠いのだ。営業前だし。バーテンダーモードじゃないし。
内心でガッツリと安堵したあとに、晴れやかな気持ちでスイに向き直った。
「さて、どうします、お客様」
すっと意識をバーテンダーに切り替える。
そして、スイのことを常連のお嬢様の感覚でカウンターへと案内し、尋ねた。
「本日、三種の炭酸飲料がメニューに加わりました。全てが新しい感動をお客様にお与えすることができると思いますが」
「じゃあ、全部」
「はい。かしこまりました」
俺が嫌な顔ひとつせずに頷くと、スイは機嫌を直し、その顔に期待を滲ませた。
そのときだった。
カラン。
唐突に、入り口の鐘の音が響いた。
スイのささやかな幸せを奪う者が、店の入り口から闖入してきた。
「スイ! スイ・ヴェルムットはいるか!?」
声の主は女性だった。
凛としたよく通る声。入り口に立つのは、二十歳かそこらくらいの女だ。
長い黒髪を後ろで一本に縛り、その身に付けているのは、軽鎧だろう。
騎士然としている。といえば聞こえは良いが、どうにも田舎の自警団のような印象は抜けない。
あと、胸の所の鎧がアホみたいに盛り上がっていて、それだけで騎士っぽくない。
女騎士っぽいといったら、そうかもしれない。
その女性は、声を張り上げた後に、カウンターで驚いているスイを見つけた。
大股でズンズンと近づいてくると、彼女の目の前で立ち止まり、言った。
「聞きたいことがある。スイ、答えてくれるな?」
「……えっと、なに? ヴィオラ?」
スイは怪訝な表情でもって、女性をヴィオラと呼んだ。
黒髪の女は、がしりとスイの肩を掴む。
突然の行動にビクリと震えたスイに構わず、ヴィオラは真剣な目で尋ねた。
「最近、君のポーション屋が栄えているという話を聞くが、冗談だよな?」
スイが明らかにムッとした。
まぁ、分からなくもない。聞き方が『間違い』前提であるのだから。
スイは少し固い声で、はっきりと言い返した。
「冗談じゃない。私の店は今、商売繁盛中」
「まさか!?」
黒髪の女性が、ショックを受けたような表情でよろめいた。
どんだけ信用されてないんだよ、スイのポーション屋。
まぁ、以前のゲロマズポーションを考えれば仕方ない……のか?
「となると、君が怪しい男を招き入れて、いかがわしい形態の店を開いているというのは本当なのか!?」
どんな噂を立てられているんだ、この店は。
半分は、俺の作るカクテルがこの世界では新しくて、正確に伝わっていないことが原因だろう。
だがもう半分は、元のスイのポーション屋が、どんなに頑張っても再起不能レベル。と思われていたからな気がする。
「失礼。私と総で始めた新しい事業が成功してるだけ」
スイはそこでようやく、俺のことを会話に入れた。
黒髪の女性は、俺の方を凄い勢いで睨みつける。
「えっと、夕霧総です。よろしく」
俺は失礼にならない程度に、笑顔であっさりと自己紹介をした。
怪しい男とか、いかがわしいとかいろいろと言われたし、何か誤解されているようだ。
とはいえ、真摯に話し合えば理解してもらえることだろう。
だが、黒髪の女性はキッと俺を強く見据えると、鬼気迫る表情で、跳んだ。
その動きは、俺の予想を遥かに越えていた。
というか、そんなことを予想していた人間がどれだけいるというのか。
黒髪の女性は、助走も付けずに俺の真正面まで飛び、俺の服の裾を掴み上げた。
「貴様が諸悪の根源か!? スイに何をさせているんだ!?」
何か激しく誤解されているのは、相変わらず分かっていた。
弁明の言葉の一つでも出すべきということも、よく理解できた。
だが、そのとき俺はまったく別の事を考えていた。
なんだか、この女の髪の毛からは、まるで『パルフェタムール』みたいな──『スミレのリキュール』みたいな匂いがするなぁ、と。




