【ジン・トニック】
現在時刻は、午後三時。
その時間は、ここ『イージーズ』の開店二時間前を意味している。
果たして、そこに居るのは三人の人間……多分人間。
一人は、カウンターの中で作業しているバーテンダー。つまり俺──夕霧総。
一人は、カウンターの席に座って、俺の作業をじっと見ている赤毛の少女。ライ・ヴェルムット。
そして最後の一人は、俺が今作っている物、『カクテル』の材料を一緒に作った少女。『機人』のイベリスだ。
俺はまず、コリンズグラスと呼ばれる容量300ml程度のグラス──と規格が一番近いグラスに、カットしたライムを絞り入れた。
そのグラスの中に、トングを使って氷を満たす。
続いて、冷凍庫でキンキンに冷やされていた『ジン』──『ジーニポーション』のボトルを開けた。
メジャーカップを使って45mlを計り、グラスの中へと落とし込む。
そして最後、極めつけに、とある炭酸飲料を注ぎ込んだ。
氷に当てて、適度に炭酸を抜くスタイルもあるらしいが、俺は氷を避けて、なるべく炭酸を抜かないように気をつけている。
バースプーンで持ち上げるように二回。回すように半周だけステアして、完成だ。
手の甲に少し乗せて味を見る。すっきりとした甘さと、ほんの僅かな苦み。
それが『ジン』独特の風味、ドライさにマッチしていて、完成度を大幅に高めている。
文句無し。文句無しである。
「お待たせしました。【ジン・トニック】です」
俺は静かに、ライの前へとグラスを差しだした。
「……これが?」
「はい。最後の一つです」
俺の答えを聞いて、ライもゴクリと唾を呑み込んだ。
そして、恐る恐る。その一口を含んだ。
「……はぁあー。こりゃ、ずるいよー」
その直後、ライの表情がとろんと緩む。
そうだろう。それほどまで、幸せな味であろう。
【ジン・トニック】は、その簡単な作り方もさながら、全ての『カクテル』の基本とも呼ばれる奥深さも内包した至高の『カクテル』だ。
材料は、シンプル。とてもシンプル。
『ジン』と『ライム』と『トニックウォーター』
これだけだ。
であるからこそ、その味には、ベースとして使われる『ジン』の味。割り材である『トニック』の味。アクセントである『ライム』の味が複雑に絡みあう。
しかし最も重要なのは、バーテンダーの技術だ。
誰が作っても味が違う。
それくらい【ジン・トニック】は難しいカクテルでもある。
俺も、ふと思い立って【ジン・トニック】の練習をしていたら、一日が終わっていた──なんてこともある。それくらいの魔力を秘めた『カクテル』なのである。
「で、どうでしょう? 三つの炭酸飲料、受けると思いますか?」
既に出していた、残り二つのグラスも指差して聞いてみた。
一つは【モスコ・ミュール】
『モスクワのラバ(ミュールとはラバのこと)』という意味を持つ、ロングカクテル。
ライムを使うのは【ジントニック】と変わらない。だが、ベースは『ウォッカ』であり、割り材は『ジンジャーエール』である。
もっとも、それはあくまで『日本』だけであって、海外では『ジンジャーエール』ではなく『ジンジャービア』を使うという話も聞く。
ウォッカの癖の無い味に、ジンジャーエールの主張が合わさって、すっきりと甘く飲みやすい。そのくせ、ラバに蹴られたような、ガツンとした酔いが後からクるのだ。
個人的には、甘めのジンジャーエールを使うのが好みである。
もう一つは【キューバ・リブレ】
『キューバの自由』という意味を持つ、ロングカクテル。
第二次キューバ独立戦争の折に叫ばれたスローガンが、カクテル名の元らしい。
こちらもライムが入るが、ベースは『ラム』。割り材は『コーラ』になる。
ラムとコーラ。お互いの魅力を過不足無く引き立てあう二つの主役が、口の中という舞台で踊るような、なんとも華やかなカクテルだ。
ライムをあえて除いたり、ラムの種類を変えてみるのも悪くない。
そして最後に、先程まで説明していた【ジン・トニック】となる。
それら三つのカクテルを、代表としてこの赤毛の少女に試して貰ったところなのだ。
「うーん」
ライは少し腕を組んで唸った。
俺とイベリスはその様子を、ただひたすらに待つ。
何を隠そう。彼女にそれらを試飲してもらったのは今日が初めて。
いくら『カクテル』に自信があるとはいえ、緊張するのは常に変わらない。
そして、ライが口を開く。
「私が欠点を付けるところが見当たらないくらい、美味しかったです」
はにゃり、とはにかみながら、ライは優しくそう評した。
その言葉に、俺とイベリスは目を合わせ、盛大にハイタッチをした。
「やったぜイベリス! 完成だ! ついに念願の『炭酸飲料』が全種類完成したぞ!」
「本当だよ! これでようやく、あの試行錯誤の地獄から抜け出せるよ!」
「俺たちの未来はバラ色だぁあああああああ!」
「ひゃっはあああああああああ!」
俺たちは大袈裟に飛び跳ねて、喜びを表現した。
いや、本当に大変だったのだ。
その計画は、『イージーズ』でバーを開いて二週間が経ち、本格的に始まった。
俺とスイの経営するバーは、着実に客足を伸ばしていた。飲んだ人間が口コミで広めてくれているところもあるようで、一口飲んでみたいという人間が増え、店はにわかに盛り上がっていた。
そうやって順調になってくると、嬉しい反面、むくむくと欲も出てくる。
そろそろ、メニューを増やす時期ではないか、と。
結果。メニューを増やすための、大製造作戦が開始されることになった。
最初の狙い目は『炭酸飲料』である。
簡単に説明すると、バーで主に使われる炭酸飲料は四種類がある。
『ソーダ』、『トニックウォーター』、『ジンジャーエール』、『コーラ』、この四つだ。
そして、そのうちの『ソーダ』はすでに量産体制に入っていた。
機人であるイベリスには『機械』を作る能力がある。
ソーダの構造を教えてあげただけで、ものの一週間でソーダを作り出す機械を開発してしまったのだ。
であるのならば、残りの三つは時間の問題だと思っていた。
はっきり言って、少し舐めていた。
何故ならば、それらは『原液』を『ソーダ』で炭酸飲料にする、という方法で作ることができるからである。
つまり、様々な薬味や薬草なんかを調合して、原液を作り出すことができれば、それらの量産も可能になるということだ。
それがまぁ、大変だった。
色々な薬草、シナモン、バニラ、ナツメグにその他、名前も知らない異世界の香草や薬草達。
それらを片っ端から買い集めて、過去に日本で調べたネットの情報を参考に混ぜ合わせた。
コーラはシナモンとバニラでそれっぽい風味に。
ジンジャーエールは生姜に甘みと酸味でそれっぽく。
この二つは、比較的楽だった。
完全な市販品に比べればまだまだだろう。とはいえ、道筋というか、原型は知識として持っていた。音を上げることもなく、満足の行く品は何日も掛からずに作れた。
だが、トニックウォーターが問題だった。
原料になるはずのキナが、市場のどこにも無かった。
もともと、キナは南アメリカ原産の植物だ。この世界の地理には詳しくないが、この街は温暖な気候なので、ちょっと遠いと思われる。
しかも、キナはもともとマラリアの特効薬だった。だから、それを使った健康飲料のトニックウォーターが作られたのだ。
その用途がないのなら、市場で取り扱われる筈がないと言えば、それまでだ。
キナが無いため、独特の苦味の再現は困難を極めた。
だから、当たりを引くまで手当たり次第に試してみた。
あらゆる薬草の成分を抽出して、混ぜまくった。
ただひたすら、苦みと砂糖とレモンを混ぜて、舐める生活を続けた。
その地獄が何日か続いた後に、ぽっと『トニックの原型』が完成したのだ。
それは、不思議だったことでもある。
『トニ』という、いかにもな名前の香草が『トニック』の決め手になったのだ。
ともあれ、そんな研究を俺とイベリスで、何日にも渡って続けていたのだ。
スイは成分の抽出にだけ参加して、あとは店の準備を任せていた。氷を割ったり、器具を用意したりというのは、誰かがやらなくてはいけないことだ。
その間、俺とイベリスは、泣きながら苦みを味わっていたのだ。
そしてついに今、その苦労が報われたのである。
「えっと、そんなに大変だったの?」
俺たちの大袈裟な喜びように、ライが目を丸くしていた。
「ああ。もう途中から、何飲んでんのか分からなくなったな」
「ソーダが一番美味しいって結論に、何回も行き着いたよね」
「あ、そう、うん」
俺たちの死んだ目を見て、ライは少しの同情を俺たちに向けてきた。
「でも、その研究からハブられたって、お姉ちゃん拗ねてたよ」
ライはこそり、と俺達に打ち明けた。
先程も出たが、この期間、スイには準備を任せていた。
そう。俺たちはこの研究からあえてスイを外したのだ。
だが、その理由は単純明快だ。
「だって、あいつ、味音痴じゃん。『美味い』の守備範囲が広すぎる」
「ごめん。全く否定できないよお姉ちゃん」
それは、もう最初にスイのポーションを飲んだときから感じていたことだ。
スイは、あのポーションを本当に美味しいと思って作っていたらしい。
聞いた話では『質の悪い魔石』で作ったポーションは、どれだけ加工しても一般受けはしないという。薬と思って『蒸留酒』を出されたら、そりゃウケは悪いだろう。
それが『薬』であるポーションの、世界における認識だ。
そして、スイはそれをどうにか飲めるものにしようと工夫を重ねた。
が、結果出来上がったのは、クソ不味いポーションだったのである。
「少し味覚が鋭い俺と、普通の感覚のイベリスでこれだけ苦労したんだ。スイを入れても劇薬が量産された結果しか見えない」
「総の推測だって結構外れてたよねー。むしろ私よりも悶絶してたかも?」
「酒を混ぜるならともかく、香料や薬草は専門外なんだよ」
俺は言い訳してから、少しだけ思っていたことを述べた。
「ところで、その肝心のスイはどうしたんだ? この場に居るかと思ったんだが」
俺はキョロキョロと店の中を見回してみるがスイの姿はない。
俺とイベリスは、試作品の『炭酸飲料』を完成させ、その足でこの店まで来た。
その時点で既にスイの姿はなかったのだ。
だからというわけでもないが、こうやってライに試飲してもらったのである。
「あー。お姉ちゃんは、なんかポーション屋向けの会合とやらに向かったよ」
「会合?」
ライののんびりとした声に、俺は言葉を返した。
「うん。なんでも、この街のポーション屋さんに向けて、重大な発表があるとかで」
どうやらライにも良く分かっていない様子だった。
俺もふーんと、要領を得ずに頷いているところで、カランと入り口の鐘が鳴った。
そちらに目をやると、何度見ても飽きる事ない、綺麗な青い髪の少女。
スイ・ヴェルムットが、珍しく少し興奮して立っていた。
「おう、おかえりスイ。それでちょっと飲んでもらいたい──」
「それより総。大ニュース」
俺の言葉を遮る勢いで、スイはこちらに走り込んでくる
面食らった俺の目の前に、スイが手に持った一枚の紙を広げた。
「どう? どう?」
「待てって、まだ読んでない」
感想を急かしてくるスイを宥めつつ、俺はその用紙のタイトルに目を向けた。
相変わらず字は分からないが、意味は分かる。
そこには、恐らく達筆な字でこう書いてあった。
『ポーション品評会、開催のお知らせ』
タイトルだけで、なんとなくの概要が伝わってきた。
要するに、ポーション大会だ。
「分かったけど、これになに? 出るのか?」
「下見て。ここ重要」
下、とスイに指さされた所に目をやると、小さくこう書いてあった。
『優勝店には、金貨百枚が進呈される』
「なんじゃそりゃああああああああああ!」
この世界の法外な優勝賞金に、俺は思わず目を剥いて叫びを上げていた。
俺の感覚的日本円に換算すると、賞金は『二千五百万円』である。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
なんか、色々と凄いことになっているのですが、あとがきであまり書くことでも無いと思われたので、この辺りで。
ここから、二章が始まります。
始まりなので、少しだけ長くなってしまいました。
相も変わらず、あまり派手なシーンは来ませんが、
カクテルの良さが少しでも伝わるよう、精一杯頑張るのでよろしくお願いします。
※0729 表現を少し修正しました。




