王家の命令
「ヴィオラ!? なぜここに居る。君には別の任務を与えていた筈だ」
「任務は完了いたしました。改めて、対魔王作戦に参加させていただきたい所存です」
恐らく、領主様のご息女の側に付いていた筈のヴィオラだが、何かの任務は完了したという。
だが、俺達がその任務の内容を窺い知る前に、領主様はヴィオラに首を振った。
「駄目だ。君の参戦を認めるわけにはいかない。君には……民の避難に付いてもらう」
「お聞きください! 領主様!」
領主様の決定に抗うように、ヴィオラは声を上げた。
「私は……いえ、全ての騎士団の者達は、この街を愛しております」
「……ヴィオラ」
「領主様は初めから、領民だけでなく、私達騎士団の者達の安全も考慮し、避難を前提とした作戦を進めていたことも理解しております。しかし、我々騎士団は、元よりこの街と民を守るもの。たとえ勝ち目のない戦いであろうと、魔王と戦えと命ぜられれば、立ち向かうだけの心構えは済んでおります」
「やめなさいヴィオラ」
領主様は、ヴィオラの発言を止めようとしている。
それは、彼女の意志を止めようとしているというより、彼女の言葉によって、この場所にいる騎士達の心が固まってしまうのを止めようとしている風にも見えた。
「いいえ、お聞きください! もし、我々になんの打つ手もないのであれば、涙を飲んで街を捨て、民を守る為に力を奮う事を良しとしたでしょう。しかし、そこのスイから聞いた通り、我々には魔王に対抗する手段があります。街を捨てなくとも、抗う術があります。逃げることで確実に救われる民の命がありましょう。しかし、逃げることで確実に失われる、これまでの営みもあるはずです。だから、我々騎士団にどうか戦わせては貰えないでしょうか! 我々の力を、民の生活を守る為に、使ってはいただけないでしょうか!」
ヴィオラの真摯な言葉が終わったとき、空間には静寂が満ちていた。
重苦しいと感じる沈黙の中で、ヴィオラと領主様は見つめ合っていた。
「それは、騎士団の総意ではないはずだ。ヴィオラ。君は単純に、友人であるスイ君の言葉に同調しているだけではないのかね?」
「それであっても構いません。民の生活を守るためならば、たとえ今この場で騎士の位を返上しようとも、スイの作戦に乗る準備があります」
ヴィオラの言葉は彼女だけのものではあるまい。彼女がこう考えるということは、たとえ全員でなくとも、そのように考える騎士が居るということだ。
はぁ、と領主様がため息を吐く。
「ヴィオラ。私の娘は……セラロイは、逃げるのではなく、立ち向かうべきだと言っていたかね?」
領主様は、自分の娘の名前を出してヴィオラに尋ねた。
ヴィオラは、考える素振りも見せずに、はっきりと頷く。
「はい。セラロイ様は、その為に戦うべきだと」
「どうしてこう勇ましく育ってしまったものか。息子といい、娘といい」
領主様はもう一度ため息を吐いて、深く考え込むように沈黙する。
だが、闖入者はこれで終わりではなかった。
最後の闖入者である少女が、案内の騎士に連れられてこの部屋へと足を踏み入れた。
「失礼いたします。ネストの街の領主、セージ・エゾエンシス様はこちらに?」
その少女は真紅の髪を持っていた。
薔薇の様に濃い、艶やかな紅色の髪を揺らしながら、彼女は堂々とこちらに歩み寄る。
その後ろには、白髪の壮年男性が、執事のように寄り添っている。
「ロージー?」
俺の傍らに控えていたスイが、ぼそりと名前を口に出した。
その声を聞いたローズマリーは、一瞬だけこちらを見たが、すぐに領主様へと向き直った。
「メリアステル嬢。ご機嫌麗しゅう。この街に滞在しているとはお聞きしていましたが」
「堅苦しい挨拶は止めておきましょう。今はそのような事態でもないでしょうし」
恭しく礼をした領主様に対して、ローズマリーもまた静かに答えた。
もう一度、その場に居る顔ぶれをちらりと見渡し、小さな声で言う。
「この場で重大な話をしてもよろしいかしら。本来であれば、二人で話すべきことなのですが、なにぶん事態が事態ですので」
「構いません」
事態が事態、という口振りからなんとなく察することがある。
ローズマリーの話というのは、恐らく今この街に迫っている魔王についてのことなのだ。
ローズマリーがちらと後ろの執事──確かメギストだったか──に目をやる。メギストは一礼をしたのちに懐から何かの書簡を取り出し、ローズマリーに手渡す。
ローズマリーはそれを手に取り、読み上げる。
「王家の懐刀たるメリアステル家の長女、ローズマリー・メリアステルが、伝令役として王家に代わり、ネストの街、及びエゾエンシス領を収める、セージ・エゾエンシスへと通達致します。
現在確認されている『魔王』に対する、王都での防衛戦力の準備に遅れが見られる。ついては、王家よりセージ・エゾエンシスに命を下す。
ネストの街の戦力でもって『魔王』と対峙し、『魔王』の戦力の低減を計り、また、可能であれば『魔王』を撃退すること。
なお、この作戦に関して、王家からの追加の戦力は見込めないものとする。
貴君の健闘を期待する。
エルブ・アブサント王国第四王子、シヌルス・エキノプス・スフェロケファルス・エルブ・アブサント。
以上、通達を終わります」
ローズマリーは、書簡を読み上げ終わったあと、あからさまに顔をしかめた。
そのまま言葉を失っている領主様に対して、苦みばしった声で言った。
「あのボンクラ傀儡王子め、とんでもない伝令を任せてくれたものね。クソ食らえだわ」
伝令役となったローズマリーは、先程ちらりと聞こえたような良家のご息女とはとても思えぬ悪態を吐いたあと、身構えた。
きっと、いつ領主様に殴りかかられてもおかしくないと思ったからだろう。それを甘んじて受ける態勢をとったことで、背後の執事も荒事に備えるように態勢を整える。
だが、伝えられた領主様は俯いたかと思うと、噛み殺すような笑い声を零した。
「なるほど、なるほど。くくく。そう来たか。この街を護れぬと突き放しただけでは飽き足らず、国の為に、命懸けで時間稼ぎをしろと。はは、なんだこれは」
これまでの経緯を何も知らぬ者が見たとすれば、領主様が壊れてしまったと思っただろう。
事実、この伝令を伝えに来たローズマリーは、気の毒そうに領主様に声をかける。
「心中お察しするわ、この時代において、あなた以上に災難に見舞われた領主は居ないでしょうね」
「痛み入りますメリアステル嬢。だが、しかし、これで腹が決まったというものです」
そうだ、これまでの領主様の悩みは、民の命を最優先に逃げるか、民の生活と街を守るために戦うかの二択であった。しかし、王家からの指令で戦うを選ばざるを得なくなった以上、もう悩みは残っていない。
あるとすればきっと、ぐつぐつと煮えたぎるような、腹の中の憤りくらいだろう。
「スイ君、夕霧君、フィルオット君にサルティナ君、サフィーナ嬢。それにヴィオラ。どうやら、我々の選ぶべき道は最初から決まっていたようだ」
その場にて、魔王ドラゴンゾンビと戦う方針を見せていた者達に向かって、領主様が声をかける。
「指令は足止めだけではない。可能であれば『撃退』をしろとのことだ。ならば、撃退をしてみせようじゃないか」
そう決断してからの領主様は早かった。
まず、ちらりとその場に居るローズマリーに目を向ける。
「メリアステル嬢。大変厚かましい願いであるのは承知の上だが、聞いて貰えないだろうか」
「願いを聞くだけなら、いくらでも」
「この街に君が居るということは、君の護衛か、君の声で動く私設騎士が近くに居る筈と考えても?」
「ええ。彼らもこの街で休暇のような護衛任務を満喫しております。いつでも動けるものが数十。声をかければ、数百は簡単に集められるでしょう」
さらっとそんな言葉が出てくるローズマリーにぎょっとした。
今まで、スイを目の敵にしているだとか、アルバオの友人だとかで軽く接していたが、もしかして俺が想像する以上にとんでもないお嬢様なのでは。
だが、そんな事情をもちろん汲んでいる領主様が、ローズマリーに頭を下げる。
「二週間──『魔王』がこの街に到着するまでそれだけある。王都での戦力として数えられているだろう君達に、この街で戦ってくれとは言わない。だが、その期間のうちに、近隣の街へと避難する民の護衛を引き受けては貰えないだろうか」
そういう風に、領主様が人に頼るという場面を俺は初めて見たかもしれない。
領主様とローズマリーに身分の違いなどがあるのかは分からないが、少なくとも、自分より遥かに年下の少女に頭を下げるというのは、そう気軽にできることではあるまい。
それを受けたローズマリーは、ふっと静かな微笑みを返す。
「そのくらいなら、お安い御用でしてよ。流石に私も戦線に加わるというのは難しいでしょうが、王都へと向かう際に、ついでに貴方の領民の護衛を引き受ける程度なら問題ありません」
「……ありがたい。よろしく、お願いします」
「王家の懐刀、メリアステルの名に誓って」
トン、とローズマリーが左胸に手を添える。彼女は決して騎士などではないのだろうが、それでもその仕草は、どこか騎士然として見えた。
ローズマリーへの要求も無事に通ったことで、吹っ切れた顔の領主様が言った。
「ここに集ってくれている諸君。この場に居ない者にも後で伝えて欲しい。我々は、王家の命に従い、『魔王』撃退のために戦闘準備に入る。目的はここネストの街の防衛、及び魔王ドラゴンゾンビの討伐だ。協力を頼む」
先程までの、悩みを抱えた力無い声とは違う。
腹を決めた領主様の声は、この街の少なくない領民を支えて来た、上に立つ者の威厳に満ちたものであった。




