作戦会議(魔王の詳細)
街に緊急避難準備が発令されたのは、俺達が領主様から話を窺った二日後のことだった。
この街を巻き込む形で王都へと向かっている魔王ドラゴンゾンビの情報は、いかに魔法や魔物が現実である異世界においても衝撃的であっただろう。
当然ながら街中が一時的なパニックに陥ったのだが、領主様の的確な指示と説明により、それほど大きな騒ぎが起こることはなかった。
民の大半は指示に従って避難することになり、ドラゴンゾンビの到着にはそれなりに時間がある。
とはいえ、いきなりのことで困惑する感情までは整理できず、街の人々もどこか夢の中のようなふわふわした気持ちで避難の準備を行っている様子だった。
「……ふう」
そんな慌ただしさの中で、どこか逃げ場を求めるように店に来る客達の相手を終えて、俺は閉店と同時に息を吐いた。
イージーズに関しては、現在もまだ休業はしていない。
スイが領主様に要求した詳細な情報が届くのに多少はかかるのと、単純にいきなり休業すると大量の不良在庫が発生してしまうからだ。
とはいえ、俺達も俺達なりに、準備は進めていた。
いや、俺達と言うのは語弊があるだろうか。
領主様から直接話を聞いた俺とスイはともかく、他のみんなが実際に話を聞いたのは避難勧告時であり、軽いパニックに陥ったのはウチも一緒だ。
家族にも俺とスイの二人が事前に話を聞いていたこと、そして揃って領主様にまだ話があることを伝え(まだその話は決着が付いていないが)万が一のための避難準備を粛々と進めながら、もう一方の対策のことも考えていた。
避難勧告が出たのは、領主様からカクテル関係者が話を聞いて二日。
それは事前に情報を察知した領主様が、各領地へと散っていた見習い騎士達──つまりは見習いバーテンダー達へ連絡を届けるのにかかった時間でもあった。
そして、今日の閉店前にまだ仕事中であった騎士が一人訪れて、ドラゴンゾンビの詳細な情報が集ったことを伝えてきた。
明日以降はイージーズも店を閉めることになるが、俺とスイの二人は避難準備ではなく、『撃退準備』のために領主様と合流することになっている。
「……こことも、しばらくお別れか」
片づけが済んで綺麗になったカウンターや、作業台などを見ると、感慨深い気持ちになった。
もちろん、まだ何も決まったわけではないのだが、もしドラゴンゾンビをどうすることもできなかった場合、この店そのものが見納めになる。
これまでも、コアントローの実を取りに行った時や、ホワイトオークに研修に行った時など、店を開けたことはあるのだが、それまでとは比較にならないほど、不安に思う。
そんな俺の弱気を察したのか、思考を遮るように視界の端に青い髪が映った。
「総。明日の予定だけど」
「分かってる。朝七時には迎えに行く。それから一緒に領主様のお屋敷まで行こう」
「……ううん、やっぱり私が迎えに行く」
スイはそう言って俺を心配そうに見た。
いや、確かに俺が狙われている云々の話はあったが、今は緊急事態にも程がある。この状況で俺を狙ってくるなんて、考え無しなことをするとは思えない。
……いや、逆か?
領主様を良く思っていない人間ならば、むしろ今のタイミングこそ領主様を陥れる絶好の機会と考えるのか。
だが、今このタイミングで足を引っ張るなどあるのか。民の命がかかっているのだ。炭酸飲料の金や利権目当てに強引に俺をどうこうしていいタイミングじゃないだろ。
「とにかく、大丈夫だよ。なんだったらまた双子に送って貰うから」
言って、俺は視界の隅に二人を捉えた。
片方のフィルは、こんな時でもいつも通り、伝票の整理を行っている。だがもう一方のサリーは、いつもの在庫チェック作業などの、明日の準備が存在しないため早々に手持ち無沙汰になった様子だった。
俺の視線に気づき、静かな足取りで近づいてくる。
「大丈夫です。総さんやスイさんがお望みなら、いくらでも護衛いたします」
「そう……でも、吸血鬼って朝弱かったりするんじゃ」
「眠ったらそうなるかもしれませんが、寝なければ良い話です。元々私達は一週間やそこら眠らなくても全く問題ありませんから。毎日眠る必要は本来ないんです」
ここに来て吸血鬼の知らなかった情報を知ってしまった。
普段、この店で当たり前のように接客している二人が、人間ではないということを今更ながらに思い直した。
いずれしっかりと、聞かなければならない。特に、ドラゴンゾンビの詳細が判明し、街の対応が決まったあとに、二人はどうするのかを。
「まぁ、緊急時でもないなら、毎日眠るに越した事はありませんけれど」
「それじゃあとりあえず、起きられそうならお願いしても良いか?」
「かしこまりましたわ」
というわけで、明日は早々に起きてスイを迎えにいったあと、その足で領主様の屋敷に訪問する流れとなった。
「それで、どうなのかね」
翌日、領主様からドラゴンゾンビの話を聞いた執務室にて。
いつの間にか、この部屋は作戦室の様相を呈しており、領主様ほか、側近らしき文官や騎士達が慌ただしく書類を整理したり走り回ったりしている。
ふと気にしたことと言えば、俺達と馴染みの女騎士ヴィオラの姿が見えないことだが、彼女にはこことは違う任務が与えられているとか。まぁ、この非常時だ。領主様のご息女に付いているのだろう。
そんな中、領主様が収拾したドラゴンゾンビの情報をじっくりと精読していたスイが、最後の資料まで読み終えて、ふぅと息を吐いた。
俺自身、そこまで詳しく内容が分かるわけではないが、それでも、その資料にはしっかりとした脅威が記されているように見えた。
だが、スイはこめかみを押さえながら、頭を整理するような長い沈黙を挟んだあと、しっかりとした声で言った。
「……討伐の、可能性は十分にあります」
固唾をのんでスイの様子を窺っていた領主様一向は、その言葉に前のめりになり尋ねた。
「本当かね?」
「はい。今回発生した魔王ですが、おとぎ話にあるような、隔絶した能力の持ち主でないことは、資料からはっきり分かります」
領主様の言葉に、確信を持っている様子で頷いたスイは、まず、束ねられた資料のうち、何枚かを抜き出して卓上に置いた。
「戦闘における反応から、おおよその体力、耐久力、攻撃力に知能などが読み取れます」
スイが示した資料に記載されていたのは、国の調査部隊がドラゴンゾンビに対して行った数々の攻撃に対する反応だった。
まず、今回の魔王ドラゴンゾンビは、自分から積極的に攻撃をしかけてくるタイプの魔物ではないらしい。
首魁は強大なドラゴンの骸が核となったと思われるドラゴンゾンビ。
その周囲に位置取っているのは、冒険の果てに骸になった冒険者や、魔物と戦い命を落とした騎士や農民──その骸が魔力によって動く傀儡となったスケルトン達。
そしてその周りに、強大な魔物が動くことによって生じる戦闘のおこぼれを得ようとする、動物型の魔物など。
魔王の強力な魔力に当てられて魔物化した動植物なども少々。
だが、知能ある魔物や、人類種に敵対的な種族は存在しない。
これは、ドラゴンゾンビそのものが人類に敵意を持っているわけではなく、王都に存在するであろう強大な魔力(暫定)に惹かれて動いている、という推測を裏付ける結果だった。
明確な目的を持って人類を襲っているのでない、というのは作戦を立てる上で大きなポイントになる。
「相手は戦争をしに来ているわけではありません。こちらの戦力を警戒したり、布陣を整えたりといった行動は皆無です。進行ルートの特定も容易であり、こちらの戦いやすい陣形にて、迎え撃つという戦法が非常に有効になります」
これは戦争ではない。
相手がどれほど強大であろうと、ドラゴンがごとき力を持っていようと。
本質的には、魔物狩りと変わらないのだ。
確かに魔物にだって知性はある。有利な場面で戦い、不利な場面で逃げるくらいはする。
だが、ほとんどの魔物にこちらの思惑を見通すような知恵はない。
それはつまり、作戦次第で戦闘を有利に進めることは難しくないということを指している。
「それは国の方でも確認済みだ。王都ではすでに迎撃陣地の準備が進められている」
もともと国も王都に戦力を集めている。つまり、王都であればこのドラゴンゾンビを倒す算段が付いているということ。
それが、この街を中心に準備していては間に合わないからこそ、領主様は頭を悩ませることになるのだ。
「現時点での敵の総数は、およそ二千。内訳は、ドラゴンゾンビを首魁としたスケルトンが千五百。動物型の魔物が五百。これは現時点での数字で、この街に着くころには多少増加する見込みだ。対して、この街の戦力は、騎士団に自警団を合わせても千が良い所。住民の避難にも半分は割かねばならないから更に減る。どれだけ効果的に罠を用いても、四倍近い戦力差では到底敵わないのでは」
それが、領主様が出した結論だった。
だからこそ、領主様はこの街を捨てる選択をしたのだから。
だが、スイはその答えに対し不敵に笑う。
「しかし、その五百の中に『魔法使い』が五十も居れば話は変わります」
「…………」
「領主様もご存知とは思いますが、スケルトンは魔法に弱い。五十も居れば、千五百のスケルトンであれど、ものの数ではありません。そうなると、戦力差は四五〇対五〇〇、それも熟練の騎士なら相手にもならない動物型の魔物です。その上で陣形も作戦もこちらで選べるとなれば、脅威とはなりえません」
ここで少しだけスケルトンの説明が入る。
スケルトンは、魔力で動くモンスターだ。
俺はこの世界の魔物についてあまり詳しくないが、スケルトンという魔物がどうして動くのかは疑問だった。
だって、奴らには筋肉がない。筋肉がなければ動物は動かない。
が、それは植物でも同じだ。植物の魔物だって当たり前のように動いている。まぁ、そういう生態の食虫植物みたいなのなら分かるけど、そうじゃないのもいる。
で、答えとしては、魔力で動かしている、ということらしい。
魔力がなんなのか、については答えを持っていない。暇ならスイにでも尋ねれば一週間くらい付きっきりで持論を展開してもらえるだろう。大学の講義並の内容で。
重要なのは、スケルトンは魔力で動いているため、多少身体を壊されたくらいでは動きに全く影響がないということだ。
水の流れに剣を突き立てたところで、一瞬切れるだけで流れに影響がないのと一緒で、スケルトンの体に傷をつけても相手に有効打は与えられない。
それゆえに、熟練の戦士であってもスケルトンの相手は難しい。要は疲れを知らないゴーレムと武器だけで渡り合えというのとそう変わらないからだ。切るより砕く技術が必要だろう。
だから、スケルトンには魔法をぶつけるのが有効だという。
水の流れをぶち壊すようなどでかい一撃をぶちこんで、流れごと崩壊させる、というわけだ。
スケルトン程度の魔力なら、普通の魔法使いの魔法でなんら問題なく処理できるとか。
ついでに、スケルトンはそういう魔物というだけでアンデッドという区分ではあるが、聖なる祈りに弱いとかそういう設定はないようだ。あくまで魔力で動く魔物である。
つまり、魔法使いが揃えばスケルトンは敵ではない。
その魔法使いを揃えるという部分が、本来であれば大変難しい。だが、この街には、示し合わせた様に『魔砲使い』が揃っている。散っていた見習い達はすぐにでも戻って来る。
となると、敵はおこぼれ狙いで群れている、大した脅威でもない動物型の魔物が五百。
そして。
「それで、動物とスケルトンがどうにかなるというのは、一応理解できる」
「…………」
「では、ドラゴンゾンビそのものはどうするのかね」
圧倒的戦力差を覆す魔砲使いと、熟練の騎士達により、魔物の大群の相手はなんとかできそうだ。
だが、肝心の部分に答えが出ない。
その首魁であるドラゴンゾンビの相手ができなければ、勝利はない。
「確かに他の魔物達も重要だ。しかし最も肝心の魔王は、どうなのかね」
領主様の言葉に、スイは少しだけ沈黙する。
もともと、スイが見たいと言った情報はそこなのだ。
例え周りの魔物がどうにかなっても、ドラゴンゾンビを止められなければ、街の被害は変わらない。
やがて、何度も頭の中の推論を繰り返しているような沈黙を終えたスイが、力を込めて言った。
「条件付きで、討伐可能です」
その言葉には、嘘偽りのない確信がこもっていた。
「条件、とは?」
領主様の顔に、緊張の色が浮かんでいた。
想像していなかったのだろう、ドラゴンゾンビを討伐する可能性があることを。
「基本的に、ドラゴンはその巨体を、膨大な魔力によって動かしていると推定されます。生体のドラゴンは心臓や身体そのものが強力な魔力を秘めていると言われていますが、死体であるドラゴンゾンビには魔力を生み出す器官がありません。そのため、なんらかの心臓の役割を果たす『コア』が存在し動いているはずです。総魔力量も本来のドラゴンよりは大分劣るでしょう。魔法抵抗にも影響することが、調査資料からも窺えます」
要約すると、生きているドラゴンよりは弱いってこと、だろう。
続きを促す領主様の視線に、スイは頷く。
「私の見立てでは、上級魔法五十発分、またはそれに類する物理的衝撃で、魔力の心臓部を破壊できると思います」
「……五十!」
スイの断定的な口調に、領主様の目が驚愕を浮かべた。
上級魔法五十発分が、多いのか少ないのか、俺にはいまいち分からない。
が、領主様は明確に反応していた。
「無茶だ。一流の魔道院を優秀な成績で卒業するような人間を五十人も集めることはできない。逆に尋ねたいが、即席のバーテンダーに上級魔法ほどの威力の魔法は使えるのかね?」
「そこの総でもない限り、難しいかと」
どうやら、上級魔法五十発は無茶なくらい多い計算だったらしい。
でもそれで、国が王都に戦力を集めている理由も、それに時間がかかっている理由も把握できる。スイが敵戦力の概算ができるということは、王都でも同じような結論に至って居るのだろう。
「やはり、ドラゴンゾンビを退けるというのは、無謀ということなのか、スイ君」
領主様の表情には諦めの色が濃い。
もともとの戦力差に加えて、敵のボスが固過ぎる。
倒す方法があっても、その方法を実行できないのでは意味が無い。
だが、スイは断言した。
「可能性は、あります」
「しかし」
「肉体が存在するドラゴンと違って、ドラゴンゾンビであれば露出した核を直接叩くことも可能なはずです。魔法でなく、物理的に」
調査資料によれば、ドラゴンゾンビの核と思われる部位も確認されているらしい。
本来のドラゴンであれば、心臓や細胞の一つに至るまで、肉体全体で魔力を生み出し循環している。しかし、ドラゴンゾンビは(スケルトンであれば)肉体がない。変わりに核となる魔力の塊が存在してその巨体を動かしている。
その核を狙い撃つことができるのが、生きているドラゴンとの大きな違いだ。
「しかしだ。上級魔法に匹敵するような物理攻撃手段も我々は持ち合わせていない」
上級魔法の使い手が貴重なのと同じで、それに匹敵する物理攻撃の手段を準備するのもまた容易ではない。
だというのに、スイは確信めいた言い方をする。しかし、その顔がどうにも、踏ん切りのつかないような、ばつの悪さを抱えているような表情である。
「準備する、必要はないんです」
「なに?」
「ただ、説得できれば、それで」
説得?
誰を?
「……人間以上の、物理的攻撃手段を持つ相手。まさか」
領主様がその存在に思い当たったのと同時に、スイは頷く。
「はい。人間には無理でも、吸血鬼であれば、物理的な破壊は可能と考えます」
スイの言葉に、その場に居る人間がみなハッとする。
だが、直後には苦々しい顔で領主様が否定した。
「それは無理だ。確かに、彼ら、吸血鬼の力を借りることができれば、有効な作戦を組み立てられるかもしれない」
スイの発言の有用性を認めながら、この場に居ない双子の事情を述べる。
「しかし、彼らは厳密にはこの街に『滞在していない』ことになっている。そんな彼らを、街を守るための作戦に動員し、仮に命を失うような事態となったら、確実に問題に発展する。最悪、吸血鬼の国家と全面的な戦争状態に突入する可能性もある。仮に、彼ら自身が協力を口にしても、それを認めるわけには」
領主様がはっきりと否定しようとしたタイミングだった。
「失礼いたします! 至急、領主様に取り次ぎたい案件がございます!」
作戦会議中の俺達に話しかける若い騎士。領主様は俺達へと視線を寄越す。
皆が構わないと頷いたところで、領主様はしかたないと言いたげに頷いた。
「用件を聞こう」
「はっ。さる高貴なご夫人が領主様との面会を求めております」
「高貴なご夫人?」
「『預けていた雛について』と言えば伝わると」
「……そうか、丁度良いかもしれないな」
領主様はフッと諦めたような笑みを浮かべる。
このタイミングが狙ったものかは分からないが、いったい誰が尋ねて来たのかはしっかりと分かる。
領主様に雛を……つまり『子供』を預けている高貴なご夫人は一人しかおるまい。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
すみません、切りどころが難しくて長くなってしまいました。
カクテルってなんだろう。




