神様?
俺はどうやら死んだらしい。
突然の目眩で倒れ込んだと思ったら、目の前にトラックが迫ってきた。
これで生きてると思う方が、どうかしている。
いざ死んでみると、驚くほどに感慨がなかった。
結局自分が何者だったのか。
そんな答えはどこにもなかったからだろう。
ただ淡々と日々をこなしていて、目標もなかった。なりたいものには、なれなかった。
なんとなく、死にたくない。
そんな気持ちで生きてきたくせに、いざ死んでみると別に思う事もないのだ。
体がどうなっているのかは知らないが、感覚としては何もない空間にふわふわと浮いている気がする。
目は開いているんだか閉じているんだか、何も見えていないことは間違いない。
恐らく、天国とか地獄とか言われる場所に連れて行かれているのだろう。
そう思っていると、頭の中に声が響いてきた。
『あなた、名前は?』
神様はどうやら女性らしい。それもひどく若い声だ。
だが、神様のくせに姿も見せなければ、俺の名前も知らないってのか。どうやらこの神様は全知全能とはほど遠いようだ。
「夕霧総だ」
『ユウギリ・ソウ……? 変わった名前ね』
神様に変わった名前なんて言われる筋合いはないのだが。
「それで、あんたは神様なんだろ?」
『……神?』
謎の声に尋ねると、声は戸惑いを多分に混ぜて返してきた。
おいおい、近頃の神様は神様慣れしてないってのか。
『私は、スイ・ヴェルムット。神様なんかじゃないわ』
「神様じゃない? しかし良い名前だな」
『……そう?』
『神様?』の反応はさておいて、俺は彼女の名字の部分が気に入った。
ヴェルムット──ドイツ語でニガヨモギを指す単語。それからイメージされるリキュールがある。『ベルモット』だ。
俗に言うフレーバードワイン。日本でもいくつか有名な銘柄があるが置いておこう。重要なのはこのリキュールが、本当に様々なカクテルに使われているということだ。
そんな素敵なリキュールの名前を持っているなんて、きっと彼女は素敵な神に違いない。
『それで聞きたいんだけど』
そんな酒に愛された神様が、少し声のトーンを落として、訝しむように言った。
『あなたは、いったいいつまでそこで倒れてるの?』
「は?」
この神様は何を言っているんだ。倒れてるどころか俺は死んで──
──あれ?
いつの間にか、体が感じていた浮遊感が消え去っている。
ずしりとその身に体重を感じるし、背中には地面の感触がある。握っていた荷物は相変わらず手の中にあるし、なんなら、自分が目を瞑っていることも分かる。
俺は恐る恐る、閉じていた目を開いてみた。
「おはよう? 生きてる?」
目の前に、俺の顔を覗き込んでいる少女の姿があった。
とんでもない美少女だ。
まず俺を見ている目。少しだけ眠そうに細められているが、緩やかに伸びるラインが驚くほど綺麗で、その中の瞳は、とても艶やかに輝いている。
顔の作りも実に端整である。すっと伸びた鼻筋も、ほんのりと開いた口元も、顔の輪郭そのものも、人間というよりは美を象った人形のようだ。
いや、事実人間ではないのかもしれない。
彼女を見たときに最初に抱いた印象は、髪の毛が綺麗だということだ。
本当に綺麗な、薄い水色の髪を彼女は持っているのだから。
「……おやすみ?」
俺が彼女に見とれていると、目の前の少女が首を傾げてボケたことを言った。
「ああ、いや、おはよう、でいいと思う」
「じゃあ、おはよう」
俺が返答すると、少女はあまり表情を動かさないながら、面白そうな声を出した。
俺は状況の整理をおこなう。大丈夫。こういう展開にも動じないタイプなのだ。
「それでさ、何個か聞きたいことがあるんだけど」
俺は地面に倒れたまま、少女に問う。
「ここは……いや、この国は『日本』か?」
「……ニホン? 知らないけど、この国は『エルブ・アブサント』よ」
少女の困惑混じりの解答に、俺はふむふむと頷く。
まだだ、まだ慌てるような段階じゃない。
もしかしたらこの星のどこかに、何故か髪の毛が水色の人間が住んでいて、公用語が日本語である『エルブ・アブサント』という国が存在しているかもしれない。
だから俺は、もう一つだけ尋ねる。
「それじゃあ、この星の名前は、『地球』か?」
「……星って、あの空にあるやつ? なんでそんな話になるの? チキュウって何?」
OK。把握した。
ここは日本でもないし、なんだったら地球でもないらしい。
そんなの、どう考えても答えはあれじゃないか。
「……俺、異世界に来ちまったのかよ」
俺がなんとも言えない感情を言葉に乗せて呟いてみると、少女──スイはまたしても不思議そうな目で俺を見つめてくるのだった。
※0805 表現を少し修正しました。