【ミリオン・ダラー】(2)
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なんだこれは。
それが、ラグウィードの偽らざる気持ちであった。
カクテルについて知っているか、と言われれば、ラグウィードは頷く。
ポーションであるがポーションではないもの。
酒と同じ嗜好品の一種として親しまれているもの、そう、報告を受けている。
実際に、この店に入ってから飲んだカクテルは、体内の魔力の活性による効能と高揚を、酒のように堪能できたと実感している。
だが、今目の前に出て来た液体は、今までラグウィードが経験して来た酒と一線を画す。
赤が濃いピンク色の酒など、ラグウィードは飲んだことはない。
更に、その液体の上部、空気と接する表面もまた、薄いピンク色をした泡が覆っている。
泡だけで言えばエールなどにもそれはあるだろうが、この液体に発泡性の麦酒は含まれていない筈だ。
「……いた、だこう」
だが、ここで戸惑うのは不味い。
ラグウィードは、少しでも目の前の『バーテンダー』に良い印象を与えたいと思っている。
先程の誘いは偽らざる本心。
であれば、自身もまた、カクテルに友好的な姿勢を示さなくてはならないだろう。
(ふむ、香りは、ベリーのような華やかなものだ)
見た目の印象を裏切ることなく、ふわりと甘い香りがグラスからは漂っている。
ラグウィード自身は、野いちごなどを好んで食すわけではないが、嫌いなわけでもない。
その香りに対して、マイナスの印象を抱くことはない。
となると、バーテンダーが誘いの『答え』として出したこの一杯には、マイナスの意味を感じない。作業の手間からしても、悪い感触ではなかった。
香りの感想は己の内に秘めて、ラグウィードは一口含む。
(やはり甘い。だが、これは……)
するりと抜けて行く液体は、確かに甘い。
だが、甘さよりも幾重にも重なる香草のような華やかさが、印象に強い。
見た目から感じるイチゴらしさだけではない。ローズヒップに類するハーブのように香り高く、しかし奥には仄かに紅茶のような、樹木の果皮のような渋みがある。
だが、それらの印象が、お互いに無軌道に自己主張するだけではない。
それら、甘やかで華やかな、一夜の夢のごとき煌びやかな味わいを、何かがふわりとまとめている。
その土台の正体は、とろりとした舌触りと、先程の作業の様子から推測ができた。
「卵白か? まさか、生の卵がこのような役割を果たすとは」
ラグウィードの呟きに、バーテンダーは仄かに頬を緩ませた。
そうだ。生の卵を材料に使うなどという『贅沢な逸品』がこれなのだ。
この世界で、生の卵を食する習慣などない。
卵は加熱して食べるものだ。
だが、保存のために魔法によって殺菌したものであれば、生で食べても問題は起きないということは知識として知っている。
そう。知ってはいるが、それを実際にどのように使うなどという話をラグウィードは聞いた事が無い。
せいぜい、野蛮な獣人族などが、魔鳥の卵をデザートとして食すなどという、信じ難い逸話を聞き及んでいるくらいだ。
人間が生の卵を飲み物にするという話は聞いた覚えがないし、思いついたとしても、実際に試すなどもってのほかだろう。
それを容易く行ってみせるこのバーテンダーという人種は、果たしてどれだけの発想をその身の内に秘めているのか。
そう思うと、ラグウィードはポーションによる魔力の活性以上の興奮が湧き起こるのを感じた。
間髪を入れずに、もう一口含む。
話に聞いていた限りでは、ベースとなるポーションが多ければそれだけ強い酒と似た感触になるはずだが、この一杯からはそれが感じられない。
強い酒相応の、喉への抵抗にも似た刺激が抑えられ、率直に言えば大変飲みやすい。
だが、実際にこれは度数の高い飲み物と同じようなもの筈なのだ。
つまり、本来あるべきアルコール感も、酔いへの誘いも、またしても卵に包まれてぼやけているのだ。
すっと喉を通る感じは爽快で、実際に酒を飲んでいるという感覚も希薄であるが、そこに確かに、渦巻く嵐を封じたようなエネルギーの迸りが宿っている。
そうやって、卵が果たしている役割を思いつつ疑問が残る。
それだけでこの爽やかな味わいは表現できないだろう。
甘いだけでなく、舌に感じる酸味が味を引き締めている。
視線をバーテンダーに移したとき、彼は心を読んだかのように言った。
「味わいの甘さはシロップが大半ですが、果実らしい甘味と仄かな酸味はパイナップルジュースからですね」
「パイナップル?」
「南国から、クレーベル商会に取り寄せてもらっている果物です。少し値は張りますが、カクテルの幅が広がるんですよ」
その言葉は、ラグウィードへの挑戦にも思えた。
なるほど、パイナップルという名前は聞いたことがある。南国が産地となれば、安定した供給ルートを作るには、多少の手間はかかるかもしれない。
だが、それくらいならラグウィードの力でも可能な筈だ。
故に自信を持って答える。
「分かったとも。君が望むのであれば、多少値が張ったところで材料はたちどころに揃えてみせようとも。その言葉が聞きたかったのだろう?」
ラグウィードが尋ねると、バーテンダーは静かに言った。
「こちらのカクテルの名前は【ミリオン・ダラー】と言います」
「【ミリオン・ダラー】?」
「意味は、自分の……まぁ、地元では『巨万の富』という感じでしょうか」
その返事を聞いたとき、ラグウィードの心臓は大きく高鳴った。
勝った、そう思った。
なるほど、巨万の富か、なかなか言い得て妙だ。
先程の説明を聞いていれば、この一杯を作るには、魔法使いのコネや、遠い南国との繋がりなど、様々な苦労が必要だろう。
苦労とは、ほとんど費用と言い換えてもいい。
だが、そうして生み出される一杯は、今まで高い酒を幾度となく飲んで来たラグウィードをして唸らせるものだ。
苦労を差し引いても、この一杯にはそれだけの『価値』がある。
それを『巨万の富』と評するのであれば──そしてそれを『答え』として差し出したというならば。
ラグウィードの誘いに、乗るという意味に他ならないのではないか。
「なるほどなるほど。これはそういうことだと考えて良いのだね?」
内から溢れる笑みを隠す事もせず、ラグウィードは分かりきった答えを求める。
対するバーテンダーも、にこりと魅力的な笑みを浮かべて言った。
「残念ですが、お誘いはお断りいたします」
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「残念ですが、お誘いはお断りいたします」
「は?」
ラグウィードは、それまでの友好的な笑顔が嘘のような、間抜けな顔をした。
それまでの流れから、俺が彼と手を組むと想像していたのだろうことは分かる。
だけど、その気持ちを汲んだ上で、俺は【ミリオン・ダラー】を作ったのだ。
「説明しました通り、このカクテルの意味は『巨万の富』となります」
「そう、そうだろう。つまり君は、私に巨万の富を──」
「はい。ですから差し上げました。このカクテルが、私があなたに捧げられる精一杯です」
俺の言葉は、まだラグウィードの納得には届いていない様子だった。
そんな状況で声を出したのは、以外にもこの場で働いて日が浅いリトロだった。
「つまりマスターはこう言っているわけだ。金が欲しい、と言っている相手に『金』という名前がついたカクテルを出すことしかできない、と」
なんとも直接的な喩えには苦笑いしかできない。
だが、リトロの言葉に、ようやくラグウィードは理解が追いついた様子だった。
「どういうことだね。いや、どういうつもりだね」
「先程、そちらの彼が言った通りです。ただのしがないバーテンダーがお出しできるのはお金などではなく、一杯のカクテルだけです」
「そういう話をしているのではない。私に協力すれば──」
苛立ちの見える、ラグウィードの言葉をあえて遮るように返す。
「お金は手に入るかもしれません。ですが、それをしたら自分は胸を張ってバーテンダーを名乗ることはできません」
確かに、ラグウィードに協力すればお金はもっと手に入るのかもしれない。
だが、それがなんだと言うのだ。
「バーテンダーは、バーの空気を守るのも仕事なんです。曲がりなりにも自分が築いてきたバーはこの場所です。ここにいる、全ての従業員と、今まで出会った全てのお客さんが作ってきたのがこの場所です」
先程ラグウィードが言ったような富に大した興味はない。
そりゃ、働かないで一生遊んで暮らす、なんて言葉には魅力の一つくらいはあるが、それでもバーテンダーとして頷く事ではない。
この場所で今まで時間をかけて築いてきた人間関係を、金儲けを理由にぶち壊す人間が居たら、それはバーテンダー以前に人としてどうかと思う。
「守るべき立場のはずの自分が、率先してこの場所を壊すようなことはできません。そのため、私がお渡しできる精一杯は、そちらの『巨万の富』だけです」
ラグウィードは、俺の言葉に納得したような表情は見せなかった。
ふつふつと湧き上がるような怒りと、憐れみと、呆れを混ぜたような顔。ただ、さきほどまで絶えず浮かべていた友好的な笑みはどこにもない。
「何を、馬鹿なことを。君さえ居れば、いくらでも『カクテル』を広める手だてはあるだろう」
俺をカクテルの生みの親と知るラグウィードはそう言う。
だけど、俺はそこにそもそもの誤解があると思った。
「ラグウィードさん。確かに自分は『カクテル』という発想をこの世界に持ち込みました。ですが、今世間に広がりつつある『カクテル』は自分だけで作ったものじゃないんです」
そもそも、根本の部分からして異なっている。
俺はカクテルをこの世界に持ち込んだだけで、作り出したわけじゃない。
そして、それをポーションとして広める努力をしてきたのは、俺だけじゃない。
俺が本当に一人でできたことなんて些細なことだ。
俺の周りの誰か一人でも居なければ、今のように上手く話が進んでいたとは思えない。
例えば、最初にスイに出会えなければ。
オヤジさんを納得させられなければ。
イベリスに気に入られなければ。
ライの微かな気持ちに気付かなければ。
それだけで、この店に俺の居場所はなかった筈だ。
「自分だけで作ったものでなければ、そこに込められている思いも自分だけのものじゃありません。確かにお金はあれば嬉しいですし、こうしてカクテルを出してお金を頂いているのも事実です。しかし、カクテルを広めたいのはお金儲けのためじゃありません」
もちろん、協力してくれている領主様やクレーベル商会、アウランティアカが金儲けを考えていないわけではない。
だが、それ以前の部分で彼らは分かってくれている。
「カクテル──いえ、この新しいポーションで少しでも多くの人を救いたい。それが、自分が今まで共に歩んできたスイ・ヴェルムットの願いなんです」
スイの願いが=で俺の願いであるというわけではない。
俺の願いはカクテルを世界に広めること。ひいては、その先でカクテルを極めて──かつて鳥須伊吹が俺に飲ませようとしたカクテルに辿り着く事。
極論を言えば、ラグウィードに協力することを選んでその結果に行き着くならそれでも良いかもしれない。
しかし、あの純粋な願いを持った不器用な少女の助けになりたいというのは、確かに俺の心の中にあるのだ。
「自分は、彼女の願いの手助けをしてあげたい。それが、カクテルを作ることしか能のない自分の偽らざる気持ちです」
俺が居れば、カクテルの正統性が保たれるなんて、馬鹿げた話だ。
俺が持っているのは技術だけ。
もはやカクテルとは俺だけのモノじゃない。
俺と、スイと、そして俺達に協力してくれた全ての人々の想いが混ざり合って『カクテル』なのだ。
俺が接客を忘れて語ると、カウンターを挟んだラグウィードが唸った。
その顔にはもはや、今まで見てきた人の良い笑顔などどこにもない。
大袈裟な落胆と、根底に静かな怒りが宿った、苦笑いにも似た表情だった。
「価値観が、違いますな。君がそこまで価値を見出しているものが理解できない。君はは本当に、『カクテル』で世界の貧しい人々を救う気でいるのかね?」
「スイ・ヴェルムットはそうでしょう。私自身としても、何もやらないよりは意味があると考えます」
「それは、私と組んでも結果は変わらないのでは?」
「もしそうであれば、予約は早い方を優先いたしますので」
最後の言葉は、営業中のバーテンダーらしく爽やかに。
それが逆に煽っていると思われたのか知らないが、ラグウィードは深いため息を吐く。
「君はまだ若い。一時の流れに身を任せてしまうのも分からなくはない。だが、お金と違って、人と人との繋がりや、居場所など、些細なきっかけで壊れてしまうものだ。近いうちに、必ず後悔することになる」
「胆に銘じておきます」
頭を下げると、ラグウィードは返事の代わりに、ふっと鼻息を吐いた。
そして、目の前にある『ミリオン・ダラー』を一瞥し、しかし残りに口をつけることはせず立ち上がった。
「近いうちに君の気が変わるのを待つとしよう。いつでも連絡をするといい」
そう言って、ラグウィードは懐から名刺のようなものを差し出してきた。
この街ではない、どこか遠い街の住所が書かれたそれを確認し、顔を上げるとラグウィードは既に立ち上がっていた。
カウンターの上には、飲んだ分以上の金額が置かれている。
「それでは夕霧君。一応、美味しかったよ」
「はい。ありがとうございます」
彼に手で制されたので、入口まで行って見送ることはしなかった。
しかし、その後ろ姿は、誘いを断られた男とはとても思えない、スッキリとしたものだった。
まるで、いずれ俺が自分のもとに来るのを確信しているかのような。
「あの、総さん」
フィルが不安げに声をかけてくる。
俺が断ったのを見ていた筈なのに、おかしな奴だ。
「さぁ、フィル。もう今日は店じまいだ。さっさと片してしまおう」
「は、はい」
俺は手をパンパンと大袈裟に叩いて、フィルの不安を打ち消すように声を張った。
その時、ふと視線を感じてそちらを向くと、リトロの探るような視線に気付いた。
「どうしました?」
「いや、良くもあそこまでキッパリと断れるものだなぁ、と」
「あの人には悪いと思っていますけど」
リトロの控えめな感想に、俺は苦笑いを返す。
一応、彼の思惑がどうであれ俺にメリットのある話だと思って持ちかけてきたことには変わりない。
そういう意味で、彼の好意を無下にしたという罪悪感はある。
だが、それ以上にスイやイージーズの皆、それに領主様やクレーベル商会などを今更裏切るというのは、ぶっちゃけありえない。
ある程度金で動く人間だって、ここまで大それた裏切りはちょっと難しいだろうに。
というか彼は下調べがまず足りていない。
俺が受け取る金額を引き下げたのは、他ならぬ俺自身なのだから。
「第一、営業中のバーテンダーを口説いたところで、上手く落とせるわけがないんですけどね」
億歩譲って俺にその気があっても、営業中にそんな話誰がするものか。
と、そんなタイミングでふらっと現れたサリーがひと言。
「それでこそ、カクテル馬鹿ですわね!」
「サリー、褒めてるように見せかけて絶妙に馬鹿にしてるのが見え見えだぞ」
「ちっ」
相変わらずクソ生意気な弟子だなこいつは。
俺はため息と共に、サリーをいつものように適当に罰したあと、先程の男の去り際の表情を考えていた。
なぜ彼は、話を断られても笑っていられたのだろうか。
彼ははたして、何を隠しているのだろうか。
もちろん、答えが出てくることはなかった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
味の説明がやや希薄なのは意図してのことなので申し訳ないです。
見た目も可愛く、甘くて美味しいカクテルなので気になったら是非試してみてください。




