スイが選ばなかったもの
ローズマリーは、もはや眺めてすらいなかった手元の本を放り、頬杖を付いて俺の方を見た。
先程まで熱心に生き返りについて語っていた彼女だ。
それが彼女の研究のテーマの一つなのは、間違いないだろう。
「……昔、スイとも同じような話をしたわ」
「……生き返りの話を?」
ローズマリーは頷く。
そして、記憶の中のスイに話しかけるように、遠くを見たまま言った。
「あなたは、死んだ母親を生き返らせたいとは思わないの? って」
俺はもう一度、ローズマリーの言葉に聞き入るように、耳を傾けていた。
言われてみれば、そうだ。スイがその研究を行っていたとしても不思議ではない。
そもそも、スイがポーションの道を志した理由には、母親の死が深く関わっている。
スイほどの才能があって、なぜ、彼女を変えた『母親の死』を覆そうとは思わなかったのだろうか。
「その時の彼女の言葉は、今でもはっきり覚えている」
「……スイは、なんて?」
ローズマリーの目は、どこか悔しげだった。
悔しげで、寂しげで、行き場のない怒りを込めているようにも見えた。
「スイはひと言『興味ない』と」
その時のスイの表情が浮かぶようだった。
ただ単純に、その方法には『興味がなかった』だけなのだろう。
何かを考えた上で、『ポーション』を選んだのがスイなのだから。
「……君は、どうして『生き返り』の研究を?」
ふと気になった。
スイが『ポーション』の研究を始めたのと同じように、ローズマリーにも何か、ローズマリーなりのきっかけがあった筈だ。
ローズマリーは、それを尋ねられたことが意外だったように、目を丸くした。
「……どうしてって?」
「いや、単純に、なにかきっかけがあったんじゃないかと」
ローズマリーは、一度口をつぐんでから、得意気に微笑んだ。
「決まっていることです。誰も成し遂げられていないからです」
「……それだけ?」
「ええそうよ。誰もできなかったことを、私がやると決めただけ。それ以外に、何か理由が要るのかしら?」
それは大きな野望なのか、それとも野心なのか。
自信満々に言い切った彼女は、きっと魔道院に通っていたころからそうだったのだろう。
誰もできないから、自分がやる。そう言って、そして実際に、能力を見せつけてきたのだ。周りの人間からの、様々な期待に応えてきたのだ。
自分の研究にしか興味がなかったスイと違い、彼女は規範となる生徒だったのだろう。
ただ、一つだけ気になったことがある。それは、そう言ったローズマリーが、拳を握りしめているのが見えたこと。
自信満々な笑みの裏に潜む、何かを、握りつぶしているみたいだった。
『本当にそれで良いのか?』
と、なんの根拠もない言葉が、喉元まで上がってきていた。
しかし、俺はその無責任な言葉を、意識して呑み込む。
俺は彼女の事情も、人生も知らない。もし、彼女がそれで揺らぐ何かがあったとして、俺にはそれを背負うだけの覚悟もない。
「……いや、やりかたはどうあれ、目指すものはスイと似てるのかもなと」
結局俺は、当たり障りのない言葉を返していた。
これも俺の、本心だ。
動機はどうあれ、ローズマリーが言ったことは、スイがやろうとしたことと似ている。
誰もやらなかったことを、やろうとしたのはスイも一緒だ。
この世界に安価なポーションがなかったから、それを作ろうとした。そして今、その目標が形を持って、世界に広がっていこうとしている。
不可能と思われていただろうことを、可能にしようとしている級友がいる。
ローズマリーが、何も思っていないわけはないだろう。
「やめてくださいます? あの子と似てる部分なんて、一つもないわ」
ローズマリーは、心底嫌そうに表情を歪めた。
だが、その嫌そうな表情は先程までの、年齢以上に責任感を持った態度とは違った。
きっと、スイに同じことを言ったら同じ様な返答がくる気がして、俺はくすりと笑ってしまう。
ローズマリーは、俺が笑ったことに憮然とした。
「とにかく、スイが何をしようとしているかは、私には関係ありません」
「そのスイが心配で、ここに来たんじゃないのか?」
「心配? 違います、失敗したら面白いから、それを笑いに来たのです」
そう言って、それきり俺と会話する気を無くしたらしい。
さきほど、テーブルの上に放り投げたはずの小説に手を伸ばし、冷めた目をしながらラブストーリーを読みはじめる。
俺も俺で、中断していた調べ物を再開する。
図書館で調べ物をしている隣に、とてつもない美人がいる。普通だったら落ち着かないだろうその状況に、俺は不思議と懐かしさを感じていた。
さっきまで、鳥須伊吹のことを思い出していたからかもしれない。
「……二人で何を話してたの?」
それからそう間もなく、スイとアルバオが俺達を見つけた。
時間もいい具合になってきていたので、調べ物にキリをつけて、昼食に向かおうと提案した。
そんな折、ローズマリーが何か思いついた顔で『さっきの話は、スイには内緒で』とか言ったから、スイのさっきの台詞である。
「軽い世間話だって」
「本当に?」
「本当に」
スイは、俺の返答に納得していなさそうに、尚も俺を睨んでいる。
「なんでただの世間話を、私に秘密にする必要があるの?」
「それこそ、ローズマリーに聞いてくれ」
肝心のローズマリーは、本を借りてくるといって、アルバオを引き連れて貸し出しカウンターへと向かっていた。
彼女はこの街の住人ではないので、色々と手続が必要なのだそうだ。
「この短い期間で、随分ロージーと親しくなったみたい」
「それは、まぁ、話す事もあったから」
「ふーん」
スイが、ずいっと睨んだ顔を近づける。
相変わらず、嫉妬深い少女だ。しかし、今回のはいつもよりやや言動がストレート。
実のところ、怒っているというよりは、拗ねているのかもしれない。
それも多分、俺と、ローズマリーの双方に対して。
ローズマリーと俺が気安く話すのが少し気に入らないのと同じように、友人であるローズマリーが、俺と気安く話すのも落ち着かないのだろう。
それで、なんとなくもやもやして、八つ当たりの一つでもしないと気が済まないのだ。
「……なあスイ」
「なに、私ちょっと機嫌が悪いんだけど」
「一つ、聞きたいことがあるんだ」
このままスイのペースに付き合っても良い事がないので、無理やり話題を変える。
それは、ローズマリーと話をした時から、実は気になっていた質問。
「スイは、『生き返り』って、どう思う?」
「…………」
スイは無言で、ただ問い返すような視線を俺に向けていた。
俺も無言でスイを見つめ返す。それだけで、スイは俺とローズマリーがどんな会話をしていたのか、なんとなく察したみたいだった。
「……興味ない」
「……それは、何故?」
重ねて尋ねた。
先程のローズマリーとの会話では分からなかった部分。スイはなぜ『生き返り』の研究をしなかったのか。
「……だって、それじゃ母さんは救えない。あの日の母さんの死をなかったことに出来ても、あの日救えなかったことは変わらない」
そう言ったスイもまた、先程のローズマリーと同じように、掌を握りしめていた。
……スイはああ言ったが、本当に興味がないわけじゃ、ないんだ。
スイはその道を選ばなかっただけだ。
母親が甦ったときに、救われる『今の自分』と。
ポーションを作る事で、救われる『かつての母親』を天秤にかけて。
自分のポーションで救われる『かつての母親』と同じ境遇の人達を取っただけだ。
俺は、強く握りしめていたスイの手を、そっと包んだ。
「総?」
「大丈夫だ。俺も、いるから」
「……うん」
スイは、固く閉じていた掌を開いて、俺の手を握り返してくる。
その手の温かさを感じる。彼女の幼い頃の、熱意に触れた気がする。
それでいて、俺は頭の片隅でトライスのことを思い出していた。
もしあいつが、本当に甦った伊吹なら、それは確かに、存在するということになる。
彼女まで辿り着いたとき、俺は──俺は、スイやローズマリーのために、何かができるのだろうか。




