選択の自由(13)
男性客はふらりと立ち寄っただけらしい。二杯ほどのエールと軽いつまみを食べて店を出て行った。
だが、もしかしたら、俺とギヌラのやり取りを避けて帰ったのかもしれない。
少しうるさくして迷惑をかけたことを謝ると、女性は愉快そうに笑った。
「良いのよ。ウチに来る人って結構自由な人多いから。みんな気にしてないわ」
「そう言って頂けると」
「それより、何か、悩みは解決したのかしら?」
女性の尋ねに、俺は曖昧に頷いた。
「そう。でも、良い顔してるわね」
「良い顔、ですか」
「ええ。なんというか、吹っ切れた顔をしてるわ」
女性の言葉に、俺はなにも返さなかった。
結局、明確な答えなんてものは初めからないのだ。何を選んだら正しいのかなど、神様にでもならないと、分からないこと。
しかし、何を答えにしたいのかは決まっている。
多分だけど、伊吹があのとき言ったことも、似た様なことなんだろう。
人生に答えなんてない。自分が何者であるかという問いに、答えなど存在しない。
だけど、自分が何者でありたいかという答えなら、自分の中で決められる。
身の回りに起こる出来事がどのようなものになるのか、そんなことは分からない。身の回りに起こる出来事を選ぶ自由は、人間にはない。
だけど、身の回りに起こる出来事を楽しむか楽しまないかは、自分に決められる範疇のことだ。それを楽しめる自分でありたいと思うことが、伊吹の選んだ生き方だ。
あいつにとって人生が楽しかったかは分からない。だけど、あいつは人生を楽しむと決めていた。
この先に起きる出来事が、幸運であっても、不幸であっても。
その選択の結果、命を落とすことになったとしても。
それを『カクテル』に当てはめて実感したとしても、俺は彼女の死を、楽しめる出来事だとは到底思えない。
そしてトライスの存在を、どう思っていいのかすら選びかねている。
それでも、俺は、カクテルを『良いモノ』として広めたい。そのために俺が出来る限り、立ってカクテルの形を定めて行くのだ。
カクテルに縛られていると言われても構わない。
それを選んだのは、俺なんだから。
……俺の筈なんだから。
「ま、私としてはこれからも気にせず、ちょくちょく来て下さいねってだけね」
女性は俺の表情に何を見たのか、にこりと魅力的な笑みを浮かべて、商売っ気のあることを言った。
それからちらりと、澄まし顔でエールを飲むギヌラを見る。
「ギヌラ君の友達に、こういう人が居てくれてちょっと安心したわ」
そう言われたギヌラは、まるまる五秒は固まっただろうか。
ようやく硬直が解けた後に、間の抜けた返事をした。
「はい?」
「あれ? 友達なんでしょう?」
その言葉で、ギヌラは俺を見る。
まんまるに見開いた目が、ちょうど俺の目と合う。
そして、ものすごく分りやすく眉間に皺を寄せたあとに、女性へと苦情を言った。
「冗談じゃない。こんな男が僕の友達なものか。良い所が知り合い、いや、精々が商売敵ってところだ。まかり間違っても、友達なんかであるものか」
ギヌラのはっきりとした物言いに、呆れつつも感心した。
たとえ行きつけの店であったとしても、年上相手にこうまで堂々と相手の推測を否定できるのか。
女性はちらりと俺を見る。無言で「そうなの?」と尋ねてきている様子だ。
「まぁ、友達ではないです。こいつのせいでウチの店が大変な目にあったり、嫌がらせもされたり、あとはまぁ、適度に腹の立つことがあったりしましたし」
「うるさいぞ。僕がお前を悪く言うのは構わないが、お前に悪く言われるのは腹が立つ」
「そっくりそのまま返す」
色々あってお互いに和解というか、不干渉を決めているが、蓋を開ければこんな感じだ。
ギヌラの父親であるヘリコニア氏には、結構お世話になってもいるし、尊敬するところも多い。だが、その息子は割と関わりたくない部類の人間ではある。
そんな俺達の関係であるが、女性はふふっと主にギヌラに笑いかける。
「でもギヌラ君。今日はいつもよりずっと楽しそうじゃない」
「なっ」
「あなた、機嫌が良いと悪口が進むものね。今日は一段と楽しそうに嫌味を言っているわ」
指摘されたギヌラは、痛い所を突かれたみたいに言葉を詰まらせた。
「そうなんですか? 俺が知っているギヌラはいつもこんな感じですけど」
「そうよ。この人、気になる人ほどちょっかいをかけたくなるタイプでしょ」
「あー、それは確かに」
「ぼ、僕を勝手に分類するな!」
女性のギヌラ評に相槌を打っていると、ギヌラは尚更に嫌そうに宣言した。
「ふざけるなよ。僕がお前を気にしているなどと。そんなことはありえない」
「気にしてないのか?」
「気にしてないね。僕はお前なんかに関わっているほど暇じゃないんだ。これでも、次期トップとして、色々と忙しいんだからな」
ギヌラはそう宣言した。
次期トップとして忙しいとか、出会った頃のあの体たらくで信じろというのが無理な話だ。
しかし、実のところそれが正しいらしいというのも風の噂で聞いていた。
つまり彼は『アウランティアカ』の次期トップとなるべく、忙しくしているらしいのだ。
俺が来る少し前あたりでは、ギヌラとその取り巻きは酒場で評判が悪かった。ヘリコニア氏はこの街で一目も二目も置かれる名士だが、その息子はダメだと言われていたらしい。
それが、いつの間にかぱったりと悪い評判を聞かなくなる。それどころか、ここ最近では、ちらほらと違う話を聞くようになる。
ギヌラが『アウランティアカ』で人望を集めているという話だ。
そこに働く人々の声に耳を傾け、業務改善や上層部とのパイプ役を進んで引き受けるようになった、みたいな噂が広まっていたのだ。
「本当に、真面目に働いてるのか」
そんな噂を聞きつつ半信半疑だった俺は、思わず聞き返していた。
対するギヌラは俺を睨みつけ、やや低い声で言う。
「……ちっ、本当に腹の立つ奴だな君は。僕が働いていたら不味いことでもあるのか?」
「いや。良い事だと思う」
「…………ふん」
素直に返すと、ギヌラは軽く鼻を鳴らしただけで、またエールへと向き直った。
女性は俺達の様子を見て、にんまりと笑っているだけで何も言わない。何かを言ったら、またギヌラが怒ると分かっているからだろう。
だが、そんな女性の後ろで旦那さんがまたポロリと言ってしまう。
「君達は『好敵手』と書いて『友』と読むタイプの間柄なんだね」
少なくとも、同意はしない。同意はしないが、聞き流すくらいはする。
が、エールを口に含んでいたギヌラは違った。思いっきり動揺して液体を気管に入れ、盛大にむせた。それが落ち着いた後に、今まで座っていた椅子から立ち上がり、否定する。
「冗談じゃない! 僕の友達にこんな男が必要なものか!」
旦那さんは、ギヌラの否定に面食らった様子でしゅんとした。
だが、俺はギヌラの発言がちょっと気になって尋ねてしまった。
「え、そもそもお前友達いたのか?」
「失礼だな君は本当に!」
俺の言葉にギヌラはキッと目を向いて、それから、少し無言になる。
頭の中で、友達と呼べる人間を検索するような、そんな幾ばくかの沈黙。
それから、ぼそりと言った。
「……アルバオ、とか」
「…………そうだな」
ギヌラの言ったアルバオは、恐らく俺の思い描いたアルバオと同一人物だろう。
この街からずっと北に行った所にあるポーション屋──『アウランティアカ』のライバルとも呼べる大きな店である『ホワイトオーク』──そこで働いている、同い年くらいの青年がアルバオ・グレイスノアだ。
俺とギヌラは、偶然同じ時期に『ホワイトオーク』に研修に向かい、そこでよく三人で行動を共にしていたのだ。
そんな時に、俺とギヌラが反目するのを繋ぎ止めていたのがアルバオである。
俺とギヌラは友達ではないけど、アルバオは双方の友達と言えるだろう。
「……ふん。良いのさ。上に立つ者には、身近な友人など必要ない。信頼できる人間が少し居ればそれでいい」
なんだか、寂しい感じで終わってしまいそうな雰囲気であった。
それを見る女性は、ここで上手く話題を変えるには、と思案するように苦笑いをしている。俺も店の側であれば、一つ上手い事でも言って、客を店に繋ぎ止めようと考える。
しかし、女性が何かを言う前に場は動いた。
そんなギヌラの様子を見て焦った旦那さんが、どうにか空気を変えようと口を挟む。
「そ、そうだ! せっかく『バーテンダー』さんが来たんだから、何か作って貰うのはどうかな?」
決して旦那さんは、ギヌラをさらに煽ろうと思った訳では無いだろう。
ただ、俺が噂のバーテンダーであることと、何とか話題を変えようと思ったところで、うっかり口にしてしまっただけに違いない。
だが、そのせいでギヌラが更に嫌そうな顔になったことだけは、間違いないのだった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
更新が大幅に遅れてしまい申し訳ありません。
そして次で幕間最後になるカクテルシーンの予定です。
今回はほぼノーヒントなので予想は難しいかもしれませんが、有名なカクテルで、かつ今のギヌラに合わせたものを用意しているつもりです。
※0725 誤字修正しました。




