選択の自由(4)
「イベリス? いるか?」
街で軽い昼食を済ませた後、俺はイベリスの工房に向かった。つまりは、朝来た道を戻ったということだが。
ここ最近のイベリスは、本当に寝る間も惜しんで研究を行っているようだった。ノイネの事情もあるので早ければ早いほうが良いのだが、無理をしてないか少し心配だった。
そんなイベリスだったが、変化が起きたのは今朝のこと。明らかに徹夜明けの顔をした彼女が、ふらっと俺の前に現れて「出来た」とだけ言ったのだ。
とはいえ、朝は俺も時間がなかった。イベリス自身も眠たそうだったので、その結果を聞くのはお昼過ぎということになった。
で、その約束を果たす為にこうして戻ってきたわけだ。
物が散らかっている工房に足を踏み入れ、声をかけるもイベリスの返事はない。
代わりに、ベッドではなく床の上にある、いかにもな毛布の塊がモゾモゾと動いた。
「……もう昼だぞ」
「……んー。起きてるかもしれない……」
「はっきりしてくれ」
諦めずに声をかけてみると、毛布の中から腕が一本生えてくる。
腕はもぞもぞと何かを探し、いくつかのはずれを押しのけ、時計を掴むと毛布の中に引っぱりこんだ。
「……あれ、もう夜?」
「昼だ昼。昼の一時」
「あそっか」
何やら寝ぼけている様子だが、イベリスはそこからすぐに覚醒した。
がばりと毛布をはねのけ、うーんと大きく伸びをした後に、ぱっちりとした目で俺を見る。
「おはよう総!」
「おはよう。お疲れさんだな」
「ううん。昨日はちょっと張り切りすぎただけかも」
そうやってにへっと笑顔を向けるイベリス。こう見ると、やはり彼女は十四歳くらいの少女にしか見えない。
だが、彼女は人間ではない。身体の節々に機械が埋め込まれたような外見をした、機人という種族の少女だ。
それでもぱっと見は人間にしか見えないし、実際に人間と機人がどう違うのかをはっきりとは知らない。同じようにご飯を食べるし、力持ちだが、非現実的な程ではない。
分かることと言えば、出会ってからこれまで、外見の成長がほとんど見られないこと、くらいか。
「えっと、それで、できたんだって?」
寝起きにいきなり、とは思ったが俺自身気になることなので、すぐに尋ねた。
イベリスは、その質問に笑みをニヤリへと変えて、ふふんと胸を張った。
「一応必要とされていた魔法理論は全て組み込んだはずだよ! これでダメだったら理論がそもそも間違ってるかも」
「そうか……そうか……」
彼女はその後に、得意気な顔で有機魔法回路と無機魔法回路の連結、とかいう話をしているのだが、俺の耳にはあまり入ってこない。
単純に聞いても分からないから、というわけではない。
ただ漠然と、本当にできてしまったのだ、という感情が胸の中に渦巻いていたからだ。
「総?」
俺の動きが止まったのを気にするように、イベリスが声をかけてくる。
「ん、あ、いや。そうだ。ノイネさんとかには、伝えたのか?」
「コルシカに頼んだから、多分二人もそろそろ来るよ」
二人ということは、恐らくスイとノイネの二人が連れ立って来るのだろう。
彼女達がいつ来るのかは分からないが、それまで寮に戻っているというのも手間だ。
「それじゃ、ここで待ってても良いか?」
「もちろん! 私も待っている間の話し相手が欲しいかも」
「はは、俺で良ければ」
もしかしたら最終調整とかがあるかと思って尋ねたが、それは既に済んでいるらしい。イベリスの許可を得て、俺はこの工房で二人を待つことにした。
テーブルと椅子と、棚と資材と、あとは良く分からないもので散々散らかっている工房だ。だが、イベリス本人はどこに何があるのかを分かっているのだ。
不思議に思うが、そういう人が意外と居ることも知っているので驚かない。
さっと乗っていたものを片付けた椅子に腰をかけると、イベリスは俺の膝にちょこんと座ってきた。あまりにも自然で対応ができなかった。
急にのしかかった体重と温度に、俺は少し固まった後、なんとか抗議の声を発した。
「……おいおい」
「だめかも?」
「ダメじゃないけど……まぁ、いいか」
「へへ」
ダメと言われればどいたのだろうが、強く言うことができなかった。
イベリスが、こういう風に甘えてくるようなことは珍しいのだ。
彼女本人から実年齢も外見年齢とそう違いはないとは聞いている。
そんな彼女が、二人暮らしの師のもとを離れて、今は一人でいるのだ。たまに甘えたくなることもあるだろう。
イベリスからは、機械の匂いに混ざって、汗と女の子の匂いがした。
「……いつも悪いな」
不意に口をついたのは、そんな謝罪の言葉だった。
イベリスは少し身体を傾けて、俺の顔を覗き込んでくる。
「何が?」
「いや、いつもいつも、その、仕事を押し付けて」
今更考えるまでもなく、ウチの店は──ひいてはこの世界の『バー』は、機人の技術力に依存している。
冷蔵庫や冷凍庫は言うに及ばず、空調だったり、金属を加工した道具だったり。
およそこの世界の技術とはまったく別方向の要求は、全てこの少女へしてきた。
イベリスはそんな仕事を、文句一つ言わないどころか、いつも楽しげにやってくれた。
「ウチがあるのは、本当にイベリスのおかげだ」
イベリスが居なかったら、どれだけの問題が残ったままだっただろう。そう思うと感謝してもしきれない。
そんなことを、彼女の軽さと体温を感じて、ふっと思ってしまった。こんな小さな少女に、これまでも、そしてこれからも頼るのだと。
だが、イベリスはそんな俺の気持ちにどこまで気づいているのか、訝しげな目で俺を見つめた。
「どしたの? なんか変だよ総」
「変か。すまん」
「謝るのも変かも」
指摘されると、自分でも何か変な事を言っている気になってしまう。
トライスのこともあって、俺自身が意識しすぎているのはある。この街に何かが迫っているとすれば、当然『イージーズ』に関わる全ても、無関係ではいられない。
だから、心配になる。今の内に何か出来る事を、言わなければいけないことをと焦ったりもする。
無くなるかもしれない、と考えて初めて気にし出すなんて。本当に。俺は昔から、何も変わっちゃいないようだ。
イベリスは俺の表情が安定しないことに少し首を傾げる。しばし悩む。そして、気にしないと決めたようだ。
寝起きを感じさせない溌剌とした、いつもの彼女らしい声で言う。
「私は、総に色々と面白いことさせてもらって、感謝してるよ」
面白い。というのは、機人の行動指針らしい。
機人は、この世界の技術はおろか、俺の世界の技術すらも上回るものを持っている。だが、そんな彼らが居ても、この世界に急激なイノベーションが起こる気配はない。
それは彼らが、自分に興味のあることにしかその技術を使わないからだ。
故に、彼らに協力してもらうには、その仕事が面白いと思ってもらわないといけない。カクテルは、たまたまそのお眼鏡に適った。
「でも、今作ってもらってるのなんて、もう店とは関係ないし」
「ううん。総が関わるなら関係あるよ。私は総の専属だもん」
「…………」
再び、専属という単語が出てきてしまった。
いい加減、そろそろその単語の意味をはっきりさせないといけない気がした。
それが機人達にとってとても重要だというのは、人間達も何となく知っている。しかし、それが本当はどういう意味を持つのか、実はよく知らないのだ。
簡単な理解とすれば、契約を結んだ者は、何か仕事を頼むときには必ず専属の人間に頼む。専属の人間は、見返りを一々要求せず、その責任をもってやりとげる。そんな感じ。
仕事を頼む時の契約を、すっとばす役割しかないような気がしてしまう。
ただ、機人にとっては『死が二人をわかつまで』的な意味のある単語なのでは、という推測がまことしやかに囁かれている。
俺がそれを知っていたら、あっさりと専属契約は結んでいなかっただろう。
……いや、それを知った時に、本当はさっさと確認をしておくべきだったのだ。
……今からでも、きっと遅くない。
「あのさイベリス。その、専属契約っての、そろそろ意味を教えてくれないか?」
俺がそう切り出すと、イベリスははっと目を丸くした。
「知りたい?」
そう改めて尋ねられると、あっさりと頷き難い何かがある。
だが、ここでなあなあにしていると、最後に重大なしっぺ返しが待っているかもしれない。
俺は意を決して、頷いた。
「……おう」
「分かったかも。でも今日はダメ。また今度、師匠の都合が取れたときに」
俺の決意と反比例するような軽さで、イベリスはあっけらかんと返した。
これはやっぱり、俺達人間が考えるよりは軽い話なのではないだろうか。
そう思いつつ、イベリスの師匠であるゴンゴラの前じゃないとできない話だとすれば、本当に重いのかもしれない。
俺がその二つの思考をぐるぐるしていると、ぽんと膝が軽くなる。
イベリスが、勝手に座ったときと同じくらい、あっさりと俺の膝から降りていた。
「そろそろスイが来そうだし。見つかったら面倒くさいかも」
俺が理由を尋ねる前に、イベリスはにやっとした笑みを浮かべて言った。
ふふん、と子供らしい言い方なのだが、ひょっとしたらイベリスが一番、俺の周りの女子の中でしたたかなのではないだろうか。そう思った。
※0724 誤字修正しました。




