【ミリオンズ・ブルー】(3)
「お待たせしました」
シェイクを終え、俺はシェイカーから青い液体をグラスへと注いだ。
いや、青と表現するには深く濃い色合いだ。香り立つのは爽やかなマスカットとリンゴの香り。
するりと流れ出て、緩やかにグラスの中で波打つそのカクテルの名を、俺は告げる。
「【ミリオンズ・ブルー】です」
それは、俺の作ったオリジナルカクテルの一つだった。このカクテルのテーマはまさしく『スイ・ヴェルムット』。彼女のために俺が作った、彼女だけのカクテル。
俺と彼女だけが知っている、特別なカクテルだ。
スイは俺の手元を見ていた目を上げて、俺にやや嬉しそうな顔を見せる。
だが、そんな表情とは裏腹に、口から出てきたのは憎まれ口であった。
「総ってさ。困ったときにはこれを出しておけば、なんとかなるとか思って無い?」
「滅相もない」
俺が悩む素振りもなくこの一杯を作ったことに、嬉しさと悔しさが入り交じった複雑な感情を抱いている様子だ。
だが、色恋に関する機微には疎くても、ことカクテルに関することでは、外したことはないのだ。俺は。
初めて作ったのはもう一年は前になるだろう。たまにこうやってスイと二人きりになるとき、彼女に頼まれて俺はこのカクテルを作ってきた。
マスカット、アップル、それにブルーキュラソーとライム。それらを適量計り、シェイカーでシェイクした後にカクテルグラスへ。初めて作ったときにはワイングラスであったのも、今では良い思い出だ。
マスカットの値段が張るのでやや割高なのは変わらないが、彼女は一応このバーのオーナーだ。たまの贅沢くらいは認めてあげねばなるまい。
スイは俺のあっさりとした態度に幾分面白くないものを感じていたようだが、カクテルを一口含み、うっすらと微笑んだ。
「……でも、美味しいから許す」
「ありがとうございます」
慇懃に礼をして、俺は洗い物に移った。
こうして、スイと二人でいると、嫌でも昔のことを思い出す。
今では弟子二人のうちどちらかとカウンターに立つことが多い。だがもっと昔は、俺が作業台の前に立って、スイが洗い物をしていた。
あの頃の──まだ材料も少なく、カクテルの知名度もゼロに等しい、そんな手探りの状態から、今まで頑張ってきたのだ。
「……たった一年ちょっとで、随分と遠くまで来たもんだな」
取り留めのない感想を、ずっと一緒にやってきたスイに伝える。
スイは俺の心の動きまでは読めないだろうが、それでもこの状況で何を考えているのかくらいは伝わったらしい。
「それも、総が頑張ったから」
「いや、違うよ。俺だけの話じゃない」
蛇口の水を止める。魔法の力で動いていて、結局原理は知らないままのこの魔法装置とも長い付き合いだ。
作業を終えて手持ち無沙汰になった俺は、ゆっくりと一杯を嗜んでいるスイに続くように、自分の分の一杯を作る。俺が良く自分用に手抜きで作る、簡単な【ジン・ライム】だ。
「開店初日、覚えてるか?」
「覚えてる。ギヌラのアホがバカやりにきた。で【ダイキリ】で気絶した」
「そうそう。アレは今でも笑えるよな」
俺がこの世界で店を開いて、初めての面倒な客はギヌラだった。
スイに会って、ヴェルムット家に迎えられ、イベリスの協力を受けて、ようやく足がかりを作って、そして初めて立ちふさがった客だった。
壁としては、少し小物すぎるかもしれない。なんて言うと、確かに、とスイも返す。
二人で少し笑ってから、俺達は、珍しく何も言わずにグラスを合わせた。
「それから、ベルガモが強盗に来たな」
「【モヒート】飲んで泣いたのは、後にも先にもベルガモ一人」
「そのせいかどうかは知らないけど、今でもミント系好きみたいなんだよな」
ベルガモが初めて来たときは、ウチの評判を聞いて、妹のために強盗に来たのだ。後で知ったことだが、それを煽動したのはトライスだったようだ。
コルシカを救うために『コアントロー』を求め、この世界に自然に生えている『魔草』というカクテルの材料があることも知った。
更に言えば、心を入れ替えたベルガモを、この店に迎えることにもなった。
「その後は、ポーション品評会か」
「今思ってもヒヤヒヤする」
「土壇場で【ブルー・ムーン】を作れて良かった。ヴィオラには助けられてばかりだな」
ポーション品評会という場に、カクテルを引っさげて乗り込んだりもした。
そこでも多少のトラブルはあったのだが、ヴィオラと、彼女の仕えている領主様の娘セラロイに助けられた形だった。
そのおかげで、規定されていなかった『特別最優秀賞』なんて賞まで貰った。それはカクテルが認められる大きな一歩になった。
「ああ。そういやあれからセラロイお嬢様には、まだ一度も会ってないんだよな」
「…………」
「スイ?」
「……あ、ううん。また女の話してると思って」
「そういう話じゃないだろ……」
俺がふと領主様の娘のことを話題に出すだけで、スイの言葉が止まる。
彼女の呆れるほど嫉妬深い面に少し苦笑いしてから、俺はいつの間にか始まった思い出話を続けた。
「そのあとは、吸血鬼の双子の来店か」
「フィルはともかく、サリーはよくまだ続いているよね」
「いやいや、俺は最初から、サリーはクソ生意気だけどやる奴だって思ってたぞ」
吸血鬼という種族と、生まれて初めての弟子、そんな二つの問題が降り掛かったのは、俺がこの世界に来て半年くらいのことだ。
二人ともまだまだ言いたいことは当然あるが、それでもこの短期間で、びっくりするくらい優秀なバーテンダーになってくれたと思っている。
少し前にサリーの相談に乗ったところだが、今度はフィルの相談にも乗ってあげなければ。
「それから、カクテルグラスのこととか、コーヒーとか」
「アドヴォ鳥のこととか、フィルとサリーの独り立ち……二人立ちとか」
「俺が研修に行くまで、詰め込んだな」
俺の研修の話は、ポーション品評会のころに決まったことだった。
第五属性の研究──樽熟成の研究のために俺はこの街を一時離れることになっていて、そのために弟子二人だけで店を回せるようにする必要があった。
あの頃は忙しくても、充実していたと思っている。
「それで、総は勝手に『ホワイト・オーク』に研修に出掛けて」
「……勝手にって……まぁそこで、アルバオと一緒に色々あって、ウィスキー……『オールドポーション』ができたわけだ」
「ギヌラも一緒だったよね」
「思い出させるなよ。つうか帰ってきたとき、あれは酷いぞ」
「しらない」
それから俺は研修に向かった、何故かこの街から同時に研修に行くことになった、ギヌラとイベリスを連れて。
大きなポーション屋には、大きなポーション屋なりの問題があって、だけどそれも少しずつ前に進んでいくと知った。
そしてその中で、俺はついにウィスキーの尻尾を掴んだのだ。
……その途中で、うっかりスイを怒らせたせいで、帰ってきたときに酷い目に合ったのである。
スイは誤魔化すようにそっぽを向いているので、俺は諦めて話を続けた。
「帰ってからは……ノイネさんの登場か」
「……お母さんが残してくれたものを、知った」
「…………」
俺の中で最後に残っていた課題。ベルモットを作り出す手助けをしてくれたのは、人間嫌いのエルフであるノイネであった。
スイとライの母親、オヤジさんの妻でもあったタリア・ヴェルムットが残した、薬酒をヒントにして、俺は二種類のベルモットを手にすることができた。
だが、交換条件であったノイネの抱える問題に、俺はまだ正解を示せてはいない。だけど、もう少しで何かができそうなところに来ている。
俺にしか扱えない筈の『銃』と『カクテル』の一つの答えがそこまで来ている。
「……言葉にしてみると、案外あっさりしたものだな」
「うん。だって、この思い出話にはさ、その当時の感情はこもってないもん」
「……感情。感情か」
スイのあっさりとした物言いに、俺は考え込んだ。
今こうやって昔を懐かしむことで、当時を思い出すことはできる。しかし、当時感じていた感情までを思い出すことは難しい。
あれだけ怒りを覚えたはずのギヌラを、俺は今それほど嫌ってはいない。色々あったと言うのは簡単だが、その感情の変化を説明するのは難しい。
今に至るまでの色々な感情を覚えてはいても、実感として今も残っているものは少ない。
だけど、自分で言ったはずのスイは、蒼いカクテルを含み、少し酔ったように笑う。
「ふふ、でもね。私は今も昔も、ずっと総に感謝しっぱなしなんだよ」
そんな大袈裟な、と言いそうになった俺の口をスイは目で止めた。
「だって、総のおかげで、この街で『魔力欠乏症』にかかる人は、減ったんでしょ?」
それは、俺が先程ヴェルムット家で話したことだった。
領主様から聞いた話では、この街でその不幸な病気にかかる人間は減っている。それまでは金持ちしか対処する術をもたなかったが、今は貧しい人達にも少しずつ広まってきている。
それこそが、安価で簡単で、そしてそれなりの効果を持つポーション、カクテルの功績。
それこそが、俺とスイが出会い、彼女の夢と俺の目的が重なった点。
「私が、総に行っても良いって思ったのは、やっぱりそれが一番なんだと思う」
「……でも、まだ俺は」
「うん。だけど、それはこの街でやるより、他の街でやった方が良い事だもん」
先程まで、俺とスイが変に意地を張っていた話を蒸し返すようだった。
だが、スイは俺が口を挟むを許さずに、すぐに続ける。
「だけど総が言ったんだからね。この街でやる事があるって。だから総には、とことんまで付き合ってもらうから」
年相応に思える、柔らかい我がままを口にするスイ。
手に持ち掲げたグラスに揺れている蒼い液体ごしに、珍しく彼女のニッとした唇が見えた。
「今までありがとう総。そしてこれからもよろしく総。まずはそのことだけ、伝えたい」
これから、という言葉がいったいどれくらいかかるものなのか。
俺達が最初に出会ったときの、口約束程度の簡単な目標はもうない。それでも、これからも一緒にいるというのは、簡単なことではないのだと思う。
だけど、俺もスイもそうしたいのだと今は、少なくとも今は思っている。
「もう一度、乾杯しようよ?」
「え?」
スイは唐突に提案した。薄暗い店内にあって、薄い表情の変化は分かり辛い。
それでも声ははっきりと伝わる。楽しむような響きのある声だった。
「総はいつも言ってるでしょ。その日の良い事に乾杯だって。だから乾杯しよう。今日のこの話は、私にとっても総にとっても、良い事になりますように、って」
それは、俺が今までしてきた乾杯とは違うもののような気がした。
今確かにある過去に対してではなく、これから先の漠然とした未来のための乾杯。その未来が良いものであるという保証もないのにする乾杯。
いつもの俺だったら、少し理屈っぽくその違いを指摘して、うやむやにしていたかもしれない。
だけど今の俺は、自然にスイとグラスを合わせていた。
「つまり何に乾杯なんだ?」
「こういうときは確かアレ。カクテルの未来に、とか?」
「随分と大袈裟なもんだ」
「嫌なの?」
「嫌じゃない」
俺達は、そんな言葉で笑い合いながらグラスを合わせた。
スイは【ミリオンズ・ブルー】を……この世界にたった一つだけのオリジナルを手に。
俺は【ジン・ライム】を……この世界であっても、広く普及したであろうなんの変哲もない、スタンダードなカクテルを手に。
俺達は、生まれた世界も、生きた時間も、お互いの目標すらも違う。
だけど、そんな違う二人が、違う二つのカクテルをこうして合わせることができる。
願わくは、カクテルの未来が輝かしいものでありますように、と。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
更新大変遅くなって申し訳ありません……
活動報告にも書きましたが、これからは遅くてもなんとか一週間に一度は更新したいと思っています。
とはいえ、長かった幕間もそろそろ終わります。最終章予定の六章の話は、幕間の終わりのときにまた少し話したいと思います。
※0417 表現を少し修正しました。




