一縷(5)
「いつから、居た?」
トライスと入れ替わりの形で入ってきたスイだったが、彼女は俯いたまま何も言わなかった。閉店後の店内なので、薄暗いから表情はよく見えない。ただし、あまり悪い顔をしているようには見えなかった。
あえて言えば、寂寞と安堵が入り交じったといったところだろうか。
「とりあえず、座ったらどうだ?」
「そうする」
口数は少ないが、スイはしずしずと俺の言葉に従い、カウンター席に腰を下ろす。
トライスが空にしたグラスがある席の、隣だ。
初めに聞くべきはなんだろうか。なぜここに、とか、どうしたんだ、とか、彼女の立場に関するあれやこれ、だろうと頭の中で結論が出る。
「ご注文は?」
なのに、ほとんど条件反射で俺はそう口走っていた。
言ってから、俺は思わず自分の口を押さえる。頭を殴りたくもなる。羞恥で頬が軽く熱を持つ。
そう言われたスイは、俯いていた顔を上げ、唇を分りやすく歪めた。
「ふふっ」
そして、普段無表情な彼女にしては珍しく、はっきりと笑った。だというのに、その笑みはやっぱり、どこか寂しそうにも見えた。
彼女の笑い声に合わせて、俺も愛想笑いを浮かべるのだが、ちょっと状況に着いて行けていないのは明らかであった。
「総が帰ってこないって、コルシカから連絡があったの」
そもそもなぜスイがこの場に居るのかという問いに、彼女はそのような切り口から始めた。
俺は今日、だいたい何時くらいに帰る予定だと告げて寮を出た。遅くとも日は跨がないだろう、くらいの曖昧な答えだ。
だから心配するな、くらいの意味で言ったつもりだった。だが、コルシカは本日作ったという、ベルガモが採集してきた木の実のケーキを一ピース、俺の為に取っておいて待っていたようなのだ。
しかし、待てど暮らせど俺は帰ってこない。心配になり、まだ飲んでいるのかとヴェルムット家に『音声送る君(改三省エネ型)』で連絡を取ると、俺はとっくに出たという。
どこかで寄り道して飲んでいるのだろう、と周りの者は思ったようだが、スイだけは心配になり、俺を捜しに来たらしい。
そしてまた、閉まっているはずの店が開いていて、その中に人の気配を感じたというわけだ。
「じゃあ、なんで、入ってこなかったんだ?」
彼女の心配性に少し苦笑いを浮かべる俺。
俺がここに居ることに気づいてから、彼女は入口の外で待っていた。その理由を尋ねると、スイの声は少し強張った。
「……怖かったから」
「怖い?」
「総が、あの人に着いて行っちゃうんじゃって」
スイがあんまりにも真剣な顔で言うから、俺は咄嗟に『大げさだ』と笑い飛ばそうかと思った。
「……なんで」
だけど、そんな気持ちとは裏腹に出てきたのはやや乾いた疑問の声だった。
彼女がいつから聞いていたのか分からない。だけど、トライスが俺を誘っているその声を聞いたのだけは間違いない。
だから彼女は店に入ってくるのを躊躇ったんだと思う。
それに対してのスイの返答はやっぱり、嬉しいのか悲しいのか分からないような、震えるような声音だった。
「……総は前に、私に言ったよね。私たちをほっぽって、どこかになんか行かないって」
「……言ったな」
「それを、守ってくれたのは、すごい嬉しかった」
はっきり嬉しかった、と言ったあとに、スイは「でも」と続ける。
「でも、総は、本当にそれで良かったの?」
彼女の感情の中にある、戸惑いの色の理由がなんとなく分かった気がした。
「総だって、本当はこの街を離れたほうがって、思うんでしょ?」
スイは俯きがちだった顔を上げて、真っ直ぐに俺を見た。
普段はどこか無表情でぼんやりしていることも多い目を、しっかりと開いていた。
彼女の顔をまじまじと見るでもなく、その美しさに目を奪われる。そこにある、張りつめた緊張の色と、覚悟の雰囲気が、俺からその場しのぎの言葉を奪う。
それは、先程のトライスの表情と似通って見えた。
トライスもスイも、期待と不安をごちゃ混ぜにしている。
俺が先程断ったことを知っていてもなお、スイは俺に答えを求めた。
俺がトライスの誘いを断った理由が、ここに居る皆のためだと聞いたから、だからスイはそれを確かめた。
彼女が、俺に何を言いたいのかは、いつもはこういうのに鈍い俺の頭でもはっきりと分かる。
彼女は、彼女やここに居る者達のために、俺が自分のやりたいことを諦めたと思ったのだ。
そして、そう思ったからこそ、感じる必要の無い罪悪感を、感じてしまっている。
俺が自分の意思で、ここに残る意味があると思ったから、トライスの誘いを断ったのにも関わらずだ。
出会ったころには分からなかったことがある。
彼女が、普段の無表情の裏に色々な感情を持っていて、その実は結構な激情家だってこと。
我がままで甘えたがりで、嫉妬深くて研究肌で、家族想いで結構ズボラで、時々のプッツン癖があって、そして、根底には他人の思いを尊重する優しさを持っていること。
自分の力で誰かを救いたいなんて、そんな大きな夢を、本気で見ていること。
そんな彼女だからこそ、俺の『カクテルを広める』という最初の目的のために、止めてはいけない、なんて思っているだろうこと。
たとえそれが、恋敵に塩を送る形になったとしてもだ。
俺がこの世界に来て、少しの時間は経った。
でも、出会ったときに十七か八だったから、スイはまだ、二十歳にも満たない少女だ。
そんな彼女が、ごちゃ混ぜの感情の中で、それでも俺に道を示そうとしてくれた。
俺は、スイの気持ちを嬉しく思うと同時に──少しだけ腹が立っていた。
「スイさ。いつもムダにやきもち焼くくせに、なんでそういう時は殊勝なんだよ」
俺はややわざとらしく、芝居がかった苦笑いをしてやる。
「……なっ!?」
スイは少し間を置いて、憮然とした声を上げた。
だが俺は構わず、トライス相手にそうしたように、頭に浮かんでくる言葉を矢継ぎ早に言い立てる。
「ほんと、いつもは俺に全く非がないのに、やたらとやきもち焼いて不機嫌になって、理不尽に俺に辛く当たるくせにだ。トライス相手にだけ、そんな『私に勝ち目が無いのは分かってるから』みたいな顔をするなんて、おかしいぞ」
「ちがっ!? というか何その言い方! 私はそういうこと言いたいんじゃなくて!」
「つうか、まぁ確かに多少考えはしたけど、それでもはっきり断ったんだ。それなのにそんな風に言われるのは、なんか信頼されてないみたいで、釈然としない」
「……んぅ……!」
スイは何か言い返そうと開いた口を閉じ、少し恥ずかしそうにしつつ黙りこんだ。
彼女はなんだかんだで、俺が望むのならここから去ることを許してくれる気でいたのだろう。
以前、自分も着いて行けば良いんだ、みたいなことを言っていた気もするが、本気かは分からない。
でも、なんというか俺が彼女に言って欲しいのはそういうことじゃない。
「スイだったらさ。俺が行くって言ったとしても『行っちゃだめ!』みたいに、強引に止めにくる方が、合ってるんじゃないか? 自己完結して勝手にさ、俺が出て行くことを、俺の意思を無視して認めるんじゃなくてさ」
「……そんなことないし」
「そうか? 少なくとも俺は、ここで大人しくしてるスイの方が、無理してる気がするけどな」
つまりはそういうことである。
俺は彼女が不器用ながら俺のことを思ってくれるのが、どうにも嬉しかった。
そしてそれ以上に、こんな俺なんかの為に、自分の気持ちを犠牲にしようみたいなところに、腹が立ったのだ。
彼女の優しい性格がそうさせたのだとしても、そういうのは、なんというか彼女には似合わない。もっと、年相応に子供っぽくても良いと思った。
そうしてくれた方が、俺は、嬉しい気がした。
……引き止めてくれと頼むのは、流石に俺も自惚れではあるが。
「…………もう知らない」
俺に散々言いたい放題言われたスイは、明らかに機嫌を損ねた。
だが、その表情はトライスと入れ替わりになって入ってきたときの、曖昧な表情とは大分違う。
言われて当然腹は立っているが、それとは別にスッキリした様子でもある。
「もう分かった。総がこの後に『やっぱり行きたい』とか言っても、許さないから」
怒ったように我がままに、でも、ちょっとだけ嬉しそうな顔でスイが言った。
俺は今度こそ、自然に浮かんでくる柔らかな笑みを返す。
「まてまて。もしそうなったらお互い納得するまで話し合おう。たとえば労働環境が悪くなったとき、俺には交渉の自由もあるはずだ」
「審議拒否」
「参ったな」
そっぽを向いて、ツンと機嫌を崩したポーズのスイ。
しかし、俺が彼女の機嫌を直そうと何かを言う前に、スイは横目で俺をチラリと見て、ぼそっと言った。
「……でも、あれ、作ってくれたら、許してあげる」
彼女の試すような注文だった。そういえばまだ、ご注文を聞いてはいなかった。
これが俗に言う、今の私にピッタリのカクテルを作って、というやつである。
これが実際、店で言われると困ること請け合いなのだが、今の彼女にピッタリのカクテルと言われると、まぁ、簡単である。
「かしこまりました」
さっきまでのタメ口から一転、バーテンダーに意識を切り換えて俺は作業に入ったのだった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
更新安定せず大分期間が長くなってしまいましたが、もうそろそろ幕間二は終わります。
大変お待たせして申し訳ありませんが、もう少々気長にお待ちいただけると幸いです。
※0424 表現を少し修正しました。




