一縷(4)
トライスは虚を突かれた格好で驚きの表情を浮かべていた。だが、すぐにその表情を呆れへと変えた。
「……君は、人と会話しようって気はないのかな」
「待ってくれ。分からないんだけど、多分続きがある。そう、俺はカクテルが好きなんだ」
確かに、質問に対する返答としては不適切だったが、まだ結論じゃない。
トライスの言葉を強引に止めて、まとまる気配のない、心が垂れ流す言葉をただ口から零す。
「カクテルの何が好きって、味とか香りとか見た目とか、存在そのものとかまあ色々ある。色々あるそれを、最初に好きになったのはいつだったのかすら思い出せない」
「うん」
「正直言うとさ、バーテンダーを始めたころの俺は、カクテルなんて好きでもなんでもなかった。だけど、伊吹のことが知りたくて、必死になって勉強した。いつの間にか、好きになってた気がする」
「…………」
伊吹の名前を出した故か、トライスは露骨に困り顔を見せる。俺は構わずに続ける。
「なんとなくだけど、俺がこの世界に来てすぐお前に会っていたら、二つ返事で頷いた……と思うんだ。まだ右も左も分からないとき、この世界にお前がいるって分かってたら。情けない話だけど、お前が一番大切だったと思うから」
「……うん」
「だけどさ、今はたぶん、昔よりもずっとカクテルが大切で、で、その『カクテル』が何かって言ったら……俺が関わってる全てみたいなものなんじゃないかな、って」
俺の例えが突飛すぎたせいか、トライスは少し首を傾げる。
そんな彼女に、俺はあーとか、えーとか言葉を遊ばせて、説明した。
「俺はその、お酒の一つ一つは、人と似てると思う。ある一本を作るためにたくさんの人が想いを込めて、送り出す。その送り出された一本から、さらに一杯を作る為にたくさんの人が関わって、それでようやくこのグラスになる」
以前、誰かに言ったかもしれない。お酒はそれ自体が人に似ている。それぞれが、それぞれにしかない特徴を持っているということだ。
親とでも呼ぶべき酒造家の人々──この世界ではポーション屋の面々が、自然が、世界が、静かに一本のボトルを生み出す。
それらはそれぞれ個性を持った一本であり、個性をもった『個人』だ。
「世界にはたくさんのお酒がある。それぞれ似ていたり、似てなかったりするけど、それぞれに価値がある。ウィスキーとジンだったら、種類から全然違う。ウィスキーの中でも銘柄が分かれれば、似ているけど違うものだ」
「……それが人と一緒?」
「ああ」
トライスは俺の突飛な話を少し理解したように相槌を打った。
俺は小さく頷いて、心のままに持論を続ける。
「カクテルは、その『個人』と『個人』とが、関わり合ってできるものだ。相性の良い奴同士で合わせたらやっぱり良かったり、想像できない組み合わせが面白かったり、とにかく、そういうのが、俺は好きだ」
そういうの、の何がだろうか。だからなぜ、カクテルが好きなんだろう。
「それはなんとなく、俺がここに来るまで、分からなかったことなんだけど。俺は、いままでずっと一人で。誰かと合わさるってことはなくて。それが当たり前で、誰かと合わさる必要性なんか感じてなくて。だけど、ここで初めて、そうじゃないと思えたというか、俺がここにいても良いんだっていうか」
自分で言っておきながら、相変わらず答えは俺の中にない。
ただできることは、頭に浮かんでくる言葉をただ吐き出すことだけ。
「だからなんていうか、俺はその『カクテル』が好きだし、それが人みたいというか、だけど人ではないというか。だから、えっと」
うまく言いたいことがまとまってくれない。
何が言いたいのかも分からず、ただ口から出る言葉を垂れ流そうとする。
しかし、これ以上先の結論に至るために俺の理解が足りていない。何度も気持ちを言葉にしようとして、言いよどむ。
だが、そんな俺を見かねたように、トライスが口を挟んだ。
「良いよ総。なんとなく分かったから」
トライスの口調は穏やかだ。上手く言葉を話せない子供を落ち着かせるような声音だ。
「つまりは、総。君は単純に、ここが好きなんだよ」
「…………え」
「君は、カクテルが好きって言ったよね。それは『お酒』の話だけじゃないんだよ。君という『個人』が、この場に居る他の『個人』と混ざり合って作られるこの空間──お店だったり、家だったり、街だったり、仲間だったり、そういう『カクテル』が好きなんだ」
俺が上手く言葉にできなかったことを、トライスがまとめてくれた気がした。
人を酒と言ったり、何か漠然としたものをカクテルと言ったり、俺の中でまとまっていなかったそれを、彼女が定義してくれた。
俺はカクテルが好きだ。しかしそれは、お酒だけの話でもない。
つまり俺は、今の俺と、周りの人とが混ざり合って作られている『この場所』が好きなんだ。
「……ぷ、ふふ。あははは!」
俺の意見が、俺の中でまとまった頃合いを見計らうようにトライスは笑い声を上げた。
何がそんなに面白いのか俺は分からず憮然とした表情を浮かべる。トライスはひとしきり笑ったあとに、またしても少し寂しそうな顔をした。
「そうなんだね。君はこの世界に来て、カクテルがより大事になったんだ」
「…………」
「つまりは、君が言った通りだ。『私個人』という一本のボトルより、『この場所のみんな』っていう、たくさんのボトルから作られる『カクテル』が好きなんだって話」
「……それは」
俺が突拍子もなく言った例えになぞらえて、トライスは結論を述べた。
それが失礼なことなのかも良く解らなかった。ただ、俺が言った言葉を彼女がどう解釈したのか、それだけははっきりと分かった。
俺は確かに無意識だったが、こう言ったのだ。
俺は、この場所が大好きだ。だから、ここから離れられない。つまりは、トライスの誘いに乗ることはできない、と。
「トライス、だけど俺は」
「あー、別に言い訳なんて要らないよ。君が私のことを大切に思って無い、なんて勘違いはしないから」
彼女は俺にフォローさえもさせてくれなかった。そんな俺の感情の動きすら、まるきり理解した風に、ただ寂しげに笑うだけだ。
俺が鳥須伊吹を大切に思っていることも、彼女が好きだったということもしっかりと理解した上で。今の俺が、この場所から離れたくないと、思ってしまったことを理解しているのだ。
トライスは、すでにほとんど空になっていた【オールド・パル】の最後の一口を飲み干した。
「……古い友人か。確かに、そうだったよね」
「……何が」
「夕霧総と鳥須伊吹は、結局『友人』のまま、その関係を終えたっていうこと。決して『恋人』ではなかったんだよね。たとえ何を犠牲にしても優先するみたいな、関係では、ね」
友人という言葉をトライスは強調した。
俺が何も言えず眉間に皺を寄せると、彼女は少し申し訳なさそうに手で自分の額を押さえた。やや俯き気味に、済まなそうな顔をする。
「……ごめん。八つ当たり。本当は、君に振られたのが、今、ちょっと、悔しかっただけ」
「……俺は、振ったつもりは」
「うるさいうるさい! 私がみじめになるからやめなさい! あーもう、お姉さんの余裕が、ちょっと品切れですわよ…………いや、肉体年齢では、総の方が大人なのかな」
トライスは冗談めかして言った。言われてみれば、トライスは俺の記憶にある姿そのままで、まったく歳を取っていないように見えた。ということは、彼女の肉体年齢は恐らく、今の俺よりも年下なのだろう。
そんな彼女の冗談で誤魔化されてあげても良かったのだが、トライスの声がどうしようもなく震えていた。それで笑えというのが、難しいほどに。
唾を呑み込んだ。彼女をその状態に追いやったのが自分だと分かっていて、それでも、彼女の震え出しそうな手を握っていた。
「伊吹、俺は──」
「ブー。トライス、だぜ」
俺の手を振り払い、俺が思わず口をついた名前を、彼女ははっきりと否定した。
俺は咳払いをして、改めて言葉にする。
「……トライス、俺は、ここで多分、見つけなくちゃいけないことがあるんだ」
「……カクテルのために?」
俺は根拠なく、頷いた。
確かにトライスの誘いは魅力的だったが、それに答えるわけにはいかない、俺はそう思ったのだ。
「俺はいま、この場所で、何も見つからなくて凄く苦しいんだ。苦しくて、どうしようもなく逃げ出したいと思ってる。だけど、いや、だから、お前の手を取っちゃいけない」
「どうして?」
「今その苦しさから逃げても、手を引かれた先でまた同じ苦しさを味わうだけなんだ。ただの先延ばしなんだ。俺はこの場所で、その苦しさを乗り越えなくちゃいけないんだ」
それは大義名分のない、願いである。もっと優先すべきことがある中で、なんとなくという曖昧な気持ちで、俺が思っていることだ。
カクテルを広めるために取るべき行動では、決して無い。
それでも、今この場所で感じている焦燥を、はっきりと自分の中で処理しないと、俺はこれ以上カクテルの先に進めない。
いや、カクテルだけでなく、俺自身が人間として先に進めない。その苦しさから逃げて、また新しい場所でカクテルを広めるのは、問題の先送りに思えた。
俺が行き詰まっている何かを、俺自身が解決するのが、今一番必要なことなのだ。
「ここで他の場所に行ったら、伊吹が言っていた『あの時のカクテル』の答えが、一生分からない気がするんだ」
「…………」
トライスは『あの時のカクテル』という単語に、目を僅かに開いたのだった。
例えば、ここでトライスに答えを問うのは簡単だ。本人に、あの時俺に飲んで欲しかったカクテルは何だと、尋ねれば良いだけだ。
だけど、俺がそれを望んでいないことも彼女には伝わった気がする。
それは、俺の中の答えに直結する問題だと思った。
俺が自分でその答えに辿り着いたとき、初めて自分の中の『鳥須伊吹』に決着を付けることができる。先程のトライスの問いに、答えを投げることができるのだ。
理屈ではなく、心でそんな気がしている。
俺の変に頑固な一面を見たせいか、トライスは大きくため息を吐いた。
「昔から面倒くさい奴だったけど、カクテル馬鹿になって、輪をかけて面倒くさくなったもんだね。そんなんだから、モテないんだよ」
「悪いか」
「悪くないよ。悪くないけど、悪い男だよ、まったく」
トライスは、寂しげな笑みを浮かべて、空になっていたグラスをそっと前に出した。
「ごちそうさま。美味しかったよ。奢ってくれてありがとう」
「……次は?」
「生憎と、これでも結構忙しいんだよね」
俺はほとんど無意識に彼女を引き止めたが、トライスはやんわりとそれを拒否した。
そして席から立ち上がり、俺に背を向ける。
「トライス。また、来るよな?」
「……さて『トライス』がこの店に来るのは、最後かもしれないね」
その言葉に秘められた意味に気づかないほど、鈍いつもりはなかった。
「何があるのか分からないけど、頑張れよ」
「えーい、うるさい。振った女に、優しくするものじゃないんだから」
トライスは俺の杓子定規な言葉に、相変わらず冗談めかした言葉を返す。
それから、首だけを動かして俺を見た。その瞳が、どうしようもなく揺れていた。
「総……どうか、死なないでね」
いきなり告げられた心配の言葉に、俺は目を丸くした。
俺が彼女を心配する場面だったはずなのに、彼女の瞳はどう見ても、自分よりも俺のことを心配しているのだ。
「それは、どういう」
「……詳しくは言えない。だけど、覚えといて」
俺の耳を、彼女の非現実的な言葉の響きが、過ぎて行く。
「……まもなく、この街は戦火に包まれる」
戦火、という言葉が俺の中で実際のイメージになるまで時間がかかった。
俺はしがないバーテンダーであって、それをイメージするにはあまりにも経験不足だ。平和な世界をずっと生きてきた。
トライスはおかまいなしにスタスタと出口まで歩を進める。俺は慌てて追いかけようとするが、彼女は俺の見送りを拒否するように手を立てる。
俺は不思議と、思わず足を止めていた。
出口の扉に手をかけた彼女は、薄く笑みを浮かべて言った。
俺ではなく、その場にいる第三者へと向かって。
「総のことは任せたよ──『二千年の魔女』さん」
カラン。とドアを開けた音が確かに店内に響き渡る。
俺が気づいた時にはトライスは消えていた。俺は、彼女が消えた空間を暫く見つめ、頭を振った。
トライスのことは置いておく。思考は、彼女が最後に言った言葉に向かった。
最後のひと言は、明らかに俺ではなく、他の人物へと向けられていた。
「スイ。居るのか?」
俺は店の入口の扉に向かって声をかけた。
先程、トライスを見送ったのと同じ、カランとした音が店内に響く。
「……うん」
そして、トライスと入れ替わる形で、青い髪の少女はドアから顔を見せたのだった。
※ 0316 表現を少し修正し、ルビ修正しました。




