一縷(3)
「……説明をしてもらってもいいかな?」
トライスの言葉に、不用意な動揺はしなかった。
あまりにも唐突すぎて理解が追いつかない、というのも理由の一つだが、一番は彼女の声音にあった。
決意した顔つきの割には、その声に躊躇いが滲んでいた。彼女自身が、それを良しとしてはいないのだろうと思えた。
俺の想像を肯定するかのように、トライスは俺の言葉を受けて俯いた。
「……それは」
「できない?」
「…………」
沈黙を返したトライス。
俺は何を言うべきか迷う。何を言えば、彼女から情報を引き出せるのか。
そんなことを頭の中で考えながら、軽い自己嫌悪に陥った。
昔は、相手がどう思うかを考えながら会話していたことなんてなかった。頭に浮かんだ言葉を、ただ口から出していた。
それが今では、相手が何を求めているのか、自分が何を言うべきなのかを考えるのが当たり前になっている。
人間関係を考えればきっと良い事なのだろう。昔の俺は今よりもずっとガキで、社交性の欠片もなかった。自分と気の合う人間とだけつるんでいれば、それで良かった。
その頃の俺に比べれば、少しは大人になったのだと思う。
だけど、そう思う反面で悲しくもあるのだ。
鳥須伊吹と話をしていた時は、そんなことを考えなくても楽しかった気がするから。
だから今こうやって色々と考えている自分が、心のどこかで嫌だった。
「言いにくいなら、せめて、これだけは教えてくれないか」
「……なにかな?」
「俺を連れて行く、なんて言うのは、自分のためか? それとも、俺のためか?」
核心からわざと外すように、俺は問う。
トライスは、その質問に小さく答える。
「……どっちも、かな」
「……どっちもね」
となると、俺に不利益があるのをなんとかしたい。かつ、その行動が自分の利益にもなる、というところなのだろうか。
考えているところで、トライスは言葉を続けた。
「総はさ、この世界に来て、もう二年近いよね?」
「……そうだな」
「じゃあ、君はこの世界のこと、どう思ってる?」
「……どうって」
率直に言えば、ゲームの中で見たファンタジーみたいな世界ってところだ。
剣と魔法があって、魔法装置と機械が混在していて、人間と亜人と魔物と良く分からない生き物がたくさんある。
そして、蒸留酒の技術がまるで進んでいない。代わりに、ポーションがある。
酒は遅れているが、ポーションのおかげで俺は『カクテル』を作り続けられる。
そう。『カクテル』が作れる限り、俺がこの世界でやるべきことは、決まっている。
「この世界に来た当初は、面食らうものばっかりだったし、色々と不安もあったよ。だけど、慣れたらあんまり日本と変わらないのかもなって思う」
俺の今の気持ちを素直に言うと、トライスは驚いた顔をした。
「変わらない?」
「変わらない。そりゃ魔法がどうだとか、ポーションがどうだとかはあるけどさ。こうして店を開いて、ここに来るお客さんの相手をしてれば、日本に居た頃とやってることは大差ない。魔法か機械か、そのどちらかで俺が欲しいものも大体手に入るし……あ、ゲームができないのは、ちょっと寂しいけどさ」
世界が違えど、結局人間は大して変わらない。
褒められれば嬉しいし、悩みを抱えれば立ち止まる。少し笑えば元気が出るし、下ネタの内容だって大した違いはない。
今いるこの場所がたまたま異世界なだけで、これが地球上のどこか知らない国だったとしても、変わらないのではないだろうか。
どこにいっても、俺は俺のやりたいことしかできない。受け入れてもらえるかどうかは分からないけど、それでもやるべき事は変わらない。
俺は『カクテル』を作るだけだ。
この世界では、たまたまそれが受け入れてもらえた。だから、俺はこうして生きていけている。
「下手をしたら、日本よりも生き甲斐を感じてるかもしれない」
「…………そっか。総は、そういう風に思うんだ」
トライスは、静かに琥珀色を呷った。俺の意見を液体に乗せて呑み込むように。
空いたグラスを口から離し、カウンターへ置く。
コトリ、と静かな店内に硬質の音が響いた。
「総、君は……」
「俺は?」
「…………っ」
トライスは再び言葉を詰まらせる。
泣きそうな顔で、痛ましいものを見るような眼で俺を見た。
「君は、あれだけ死にそうな目にあっておきながら、それでもこの世界が、日本と変わらないと言うつもりなの?」
トライスの必死な言葉に、頭をハンマーで殴られたみたいな衝撃を受けた。
内容そのものじゃない。彼女の必死な物言いが、何故か胸に来た。
「あー。た、確かに魔物とかは居るし、そういう意味では日本と違うけど」
「そうじゃないでしょ! 君は今まで自分がいったどれだけ死にかけたのか、忘れちゃったの!? 魔物に、吸血鬼に、誘拐犯に……君は、何度も殺されかけたんだよ?」
「…………あ」
なぜ、そんなことを知っているのか、という疑問は浮かばなかった。
浮かんだのは純粋に、俺の内面への疑問だった。
確かに俺はそれらのことを鮮明に記憶している。その場その場での、死への恐怖を思い出せるつもりだ。
だけどそれらの出来事を、何故か俺は他人事のように思っているふしがある。もう終わった出来事で、そんなこともあったなぁ、って具合にだ。
俺は、それらの出来事と隣り合わせだった『死』に、あまりに鈍感すぎやしないか。
「だ、だけど、お前が指摘するのはおかしいだろ。そいつらをけしかけたりしたのは、大体お前だったわけだし」
俺は自身の混乱から目を背け、気づいたらトライスに言い返していた。
彼女の以前の言葉を信じるのであれば、それらは彼女が関係していたはずだ。目的は俺へのヒントだったとしても、その危険を黙認したのはトライスだ。
俺の言葉に、トライスはぐっと唇を噛みしめる。
「……分かってる。私は滅茶苦茶なことを言ってるし、やってきた。それは承知してるつもり」
「…………あ、すまん。責めるつもりじゃ」
俺自身の混乱を理由に、他人を傷付けて良いわけじゃなかった。
俺は咄嗟に謝るが、トライスは首を振った。
「良いの。どんな言い訳をしても、私自身が総を危険な目に合わせたのは事実だから。でも、総だってもう分かったでしょ。この世界はね、君が思っているほどには安全じゃないの」
トライスは重苦しい声で、腹の中に責任を溜め込むように言った。
彼女の白髪が、どこか儚気な光を宿した気がした。
「人はね、自分で思ってるよりもずっと簡単に…………死ぬんだよ」
ドクンと、心臓が大きく跳ねた。
言ったトライスの顔が、どこか人間離れして見えた。
俺はそこに、初めてはっきりと、違いを見た。
少なくとも、俺が知っている鳥須伊吹は、俺の前でこんなにも苦しそうな顔をしたことはなかった。
猛烈に、頭の奥がズギズキと痛み出す。
思わず低く呻き、カウンターに手を付いて身体を支える。
何かが、俺の脳味噌から頭蓋骨を割って外に飛び出そうとしているようだった。
「……ねぇ、総。もう一杯だけ、作って貰えないかな」
そっと寄り添うような声でトライスが言った。
彼女は俺の手を包み込むように、小さくひんやりとした手を重ねている。
不意に、頭の痛みがいつの間にか消え去っていることに気づいた。
「……いま、何か、したか?」
「…………さあ」
トライスは誤魔化すように笑った。
追及をしても無意味な気がした。
彼女はきっと答えない。答えない上に、追及される度に何か悲しい顔をする。
そんな気がした。
「……ご注文は、いかがなさいますか?」
俺は背筋を伸ばして、彼女へと尋ねた。
色々と言いたいこと、聞きたいことは尽きないが、彼女はそれを全て教えてくれることはないだろう。
そんな彼女に対して、俺がただ一つ十全にできることは、カクテルだけだ。
だったら、せめてその一つくらいはやりきってやろう。
「……うん。実はね、材料が揃ったみたいだから、頼みたいものがあったんだ」
「ということは」
「ウィスキーベース」
それを注文する機会を今まで待っていたのだと、表情が語っていた。さっきまでの悲しそうな笑顔ではなく、心から楽しそうな笑顔だ。
そこに垣間見えた彼女の遊び心が、心地よく俺の耳を叩く。
「【オールド・パル】……もちろん、私と総とで二杯分ね」
一杯じゃなかったのかよ、とは突っ込まなかった。
ウィスキーベースのカクテル【オールド・パル】。
材料に『ウィスキー』『ドライベルモット』そして『カンパリ』を使用するカクテル。
その名前が持つ意味は『懐かしい友人』だ。
※0226 誤字修正しました。




