とある休日の話(14)
「え?」
自分でも情けない声が出たと思った。
そんな感想と裏腹に、頭の中では目まぐるしくノイネの台詞がリピートされる。
『あなたは、いつまでここにいるつもりなのですか』
咄嗟に、何も言えなかった。意味が分からなかった。ノイネが俺の何を推し量ろうとしているのか見えなかった。
そんなとき、職業病のように俺は笑ってしまう。理解できないことを言われたときは、固まったりせずに場を持たせようと動いてしまう。少しでも、固い雰囲気を解そうとしてしまう。
そんな俺に、ノイネは静かに首を振った。
「いけませんね。言葉が足りませんでした」
「ああ、えっと、じゃあどういう意味なんですか?」
ふと気を抜けば固くなりそうな表情筋を、意識的に動かす。
そんな俺を気遣うように、ノイネは穏やかな表情になった。
「深い意味はありません。ただ、純粋な疑問です」
「……疑問」
ノイネの言葉を待つ間、しばしの沈黙。キッチンの方では、ヴェルムット家の家族達の喧騒が聞こえる。
それを、俺とノイネは部外者みたいに遠くから聞いている。
「この家は居心地の良い場所です。私に、タリアと暮らしていた時のことを、思い出させてくれます。いえ、もしかしたらそれ以上に楽しい日々を、過ごさせて貰っているかもしれません」
「……だったら」
「ですが、私はいつかここを去ります。私には目的があり、それは、ずっとここに居ては果たせないものだからです」
楽しいと言った直後に、ノイネは心から寂しそうに笑った。
ノイネの目的は、彼女がもともと暮らしていたエルフの里を守ること。自衛のための力を持たないが故に、それを求めて里を出たのだ。
そして、その一つの答えとしての『銃』は、完成間近だ。完成すれば、彼女はその力を手に、里に戻るのだろう。
それは、彼女がこの家を去るときが近いことを意味していた。
「もちろん、それは私の事情です。とはいえ、私はあなたにも同じ問いをしたい」
ごくりと、俺は唾を呑み込んだ。身構えていた。
ノイネから何を聞かれるのか、分かっていた。
「あなたはなんのために、ここにいるのですか」
咄嗟に、口を開く。
「それは、カクテルを──」
「カクテルを広めることが、目的で、良いのですか」
「──っ」
頷くことが、できなかった。
俺の逡巡を、その悩みを慈しむようにノイネは続けた。
「あなたがカクテルを広めたいと思うのは確かに本当でしょう。ですが、それは何故ですか。それが、本当の中心ですか」
分かり切っている。論理は既に組んである。
一人でも多くの人に、カクテルを知って欲しい。楽しんで欲しい。その純粋な思いに噓偽りは存在しない。だから俺は、カクテルをこの国に広めている。
だったら、笑顔でノイネの言葉に返せば良い。より多くの人に、カクテルを楽しんで欲しいだけだと吐き出せば良い。それだけなのだ。
「良いのですよ。本心からそう思っているのでしたら」
そんな俺の独白を、見透かしたようにノイネは促す。
喉まで来ていた言葉が、引っ込んだ。
「……あなたは、人のことばかり考えている。自分の心を置いて、人の笑顔を優先する。それはあなたのバーテンダーとしての信条なのでしょうし、尊重します」
「……それは」
「ですが、あなたの人としての心にまで、その仮面を被せるのは感心しません」
本当に、ノイネには俺の心が読めているようだった。
そして彼女は、俺の先程の論理を『バーテンダーの仮面』を付けた『建前』だと言っているのだ。
「この家の人間は、あなたが好きです。ですから、あなたが悩むのならば、答えを見つけられずに居るのならば、あなたを見守りもするでしょう」
「……俺がここに、いつまでも居るのは、迷惑でしょうか」
「いいえ。むしろ逆です。できることならば、いつまでも居て欲しいと願っていると思います。ヴェルムット家も、店の従業員も、そしてこの街であなたと関わった人達も。だって皆さん、あなたが好きみたいですから」
面と向かって言われると、少し頷き難い。しかしその『好き』を『求められている』と変換すれば、納得できる。
そうだ。それが俺の責任でもある。この街で、イージーズという拠点を構えて、そして俺はカクテルの中心的人物として動いている。
街のために、俺はここにいる。
だから、俺は、ここで。
「そろそろ、人の顔色を窺うのはやめにしたらどうですか」
再び、固まりかけた結論に、ノイネは容易く待ったをかける。
「待って下さい。そうまでは言わなくても、俺にはこの街で果たす責任が」
「そんなものは、バーテンダーとしてのあなたが押し付けられたものです」
「それでも、その期待に応えるのが大人でしょう」
無責任はしたくない。俺にできることならば期待に応えたい。
それが、スイと一緒に店を始めた俺の答えだ。彼女の夢を隣で支えると決めたんだ。
だがノイネは、ふと悲しそうに眉を寄せる。
「他の者は言わないでしょうから、私だけは言います。あなたには、この街を出て行く自由もあるのですよ」
ノイネの強かな言葉が、俺の頬を打った。
今まで、意識にのぼりもしなかったその選択肢が、俺の頭をガツンと叩いた。
「……俺は」
「スイや他の者と、なんの話をしたのかは知りません。しかし、あなたが本気でカクテルを広めることを目的とするのならば、一所に留まることもありません。この街はもう充分ではないですか。あなたがこの街で、これ以上求めることがありますか」
店を構えて、ゼロから広がって、品評会で認められて、そして結果も出た。
弟子も増えて、リキュールも揃い、俺が居なくても店は回るようになった。
今はまだやることも多いが、それも時間の問題だ。
炭酸飲料の大量生産に、希望者へのカクテルの手ほどきも、じきに終わる。
そうなったとき、俺は。
「どうですか。あなたは、あなたの目的のために、この街を出て行く気になりますか」
突きつけられた最後の問いに、俺は自身の建前の脆さを思い知った。
出て行きたくない、と思ったからではない。
分からなかったからだ。
そうなったとき、自分がどこに進めば良いのかが分からなかった。
建前としても、本心としても、俺が選ぶべき道が決められなかった。
漠然と、もっとカクテルを作り続けるにはどうするべきかと、悩むだけだ。
出て行くべきか、残るべきか。その答えを選ぶ指針が、俺の中に無かった。
「……分かりません」
大義名分を掲げることの、なんと楽なことか。
それを取っ払ったとき、本当に残るもののない虚しさが、俺の胸中を埋め尽くしていた。
それは、この世界に来た当初に、オヤジさんと話したことでもあった。
俺の目指す目標は、いずれ達されるときがくる。そしてそのとき、俺はどうするのか。
あのときに先送りした現実が、今近づいている。だというのに、俺にはまだ、その時の答えが見えてはいないのだ。
ノイネは、そんな情けない俺にずっと、優しげな笑みを見せていた。
「……では質問を変えましょう。あなたは、カクテルが好きですか」
「え? はい」
唐突な質問だったが、そちらには素直に答えを返せた。
そんな俺に、ノイネは「カクテル馬鹿ですね」と楽しそうに零したあと、続けた。
「今は、それで良しとしましょう」
「……えっと?」
「すみません。偉そうなことを言いました。私はあなたではありませんから、あなたの答えが分かるはずもありません。私はただ無責任に、先程の選択肢をあなたに知って欲しかっただけなのです」
彼女の言葉はそこで途切れた。
だが、その先にある沈黙に彼女の本心を見た気がした。
彼女はいずれ、ここを去る。だから、自分が居るうちに、俺とこの話をしておこうと思ったのだ。
それは残酷な優しさだ。俺の為に、俺を苦しめる選択をあえて与えた。何も考えなくても済むのに、それは駄目だと諌めたのだ。
俺と近くて、そして、それを一番自然に言える人間として。いやまぁ、エルフだけど。
「すみません。年を取ると、ついつい説教臭くなってしまいます」
「いえ、こちらこそ、すみません」
二人して、ペコペコと謝り合った。
そこにあったのは、決してお互いを否定するようなやり取りではなかった。それなのに、お互い心を痛めているのだ。世の中というものは、不条理だ。
耳には再び、遠くヴェルムット家の喧騒が戻ってきている。ノイネもまた、その声に注目しつつ、締めの言葉を選んだ。
「私が思うに、あなたはカクテルがないと生きてはいけない。そういう人間です」
「それは、褒められてます?」
「褒めてはいません。それでも、迷ったときに思い出すべきだと、私は言っておきます」
なんとなくだけど、分かっている。俺は、そこから目を背ける事はできない。
うむと力強く頷きを返すと、ノイネは少し心配そうに俺を見てから、ぼそり。
「それだけです」
そして彼女もまた、ヴェルムット家が生み出す日常らしさへと向かっていった。
その後ろ姿を見送りながら、俺は拳を握りしめ、その場に立ち止まっていた。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
大変遅れてしまい申し訳ありませんでした。
次回更新は明日の予定です。今度はしっかりと……
※0112 表現を少し修正しました。




