店のモノ、俺のモノ
「やぁやぁ、これはこれは、貧乏ポーション屋のスイさんじゃあないですか」
その嫌みったらしい声を受けたのは、イベリスの所からの帰り道だった。
背後からの声にスイはピクリと反応したが、振り向かずにスタスタと足を速める。
それだけで、なんとなく察した。
「どうしたんでしょうねぇ? まるで逃げるように足を速めて?」
「…………」
相手からの言葉に、スイは無視を決め込んだ様子だ。
となると、わざわざ俺が相手をしてやる義理も無い。
であるが、相手はそれが気に入らない様子で、なおも言葉を重ねてきた。
「避けてるつもりですか? まぁ、そうですよねぇ。僕と話したら、自分の店がいかにちっぽけで取るに足らないものか、思い知りますものねぇ」
「…………っ」
無視し続けているスイだが、無表情の中に、明らかな苛立ちが感じられた。
それを見かねて俺が注意の一つでもしようとするが、スイは俺の手をグイと引く。無視しろという指令のようだ。
「はて、そちらの殿方は?」
だが、その態度で、後ろからの声はようやく俺がスイの付き人だと気づいたようだ。
「ははぁ、なるほどなるほど、まいったなぁ」
後ろの声は面白そうに、そして心底見下すような声で言った。
「あまりにも貧乏で経営が成り立たないから、男に貢がせるなんて──」
「……殺す」
男が言い終わる前に、スイが静かにキレた。
服の中に仕込んでいた携帯用の杖を取り出し、その切っ先を後ろの男へ向けた。
男は「ひっ」と軽い悲鳴を上げ、二、三歩後ずさった。
「スイ! 落ち着け!」
「離して。この男は始末したほうが世の中のため」
「少なくとも今は抑えろ!」
俺が必死に宥めると、スイはまだ苛立たしげであるが杖を収める。
その段に至って、ようやく俺は男を観察する。
「は、はは、なんだよまったく。つまらない脅しをしやがって」
軽口を叩きながらも、明らかに脅えて腰が引けている優男が居た。
短い金髪に、白い肌。身につけている服もいかにもきらびやかであり、どう見ても上流階級の人間だ。
事実、スイが杖を収める直前まで、彼の前に屈強な男が庇うように立っていた。
スイはその男ごと、金髪の男を吹き飛ばすつもりだったようだが。
金髪の男は、スイの殺意が去ったことでまた調子に乗ったのか、優雅に腰を折って、慇懃無礼な挨拶をしてきた。
「御機嫌よう。スイ・ヴェルムット君。店を畳む準備は済んだかな?」
「畳む気はないし、あなたに名前を呼ばれたくもない。さっさと目の前から消えて」
「ははは、これはこれは、ご挨拶だなぁ」
スイに戦闘の意思がないとなると、途端に饒舌になる奴。というのが俺の感想。
だが、金髪の言葉からは、それとなく『持つ者』の傲慢さが滲み出ている。
そして、スイとの会話のやり取り、以前の『嫌がらせ』の情報。
まぁ、ほとんど間違いなく、この男が『嫌がらせの犯人』なのだろう。
「ところで、君はいったい誰なんだい?」
スイの噛み付くような視線から逃げるように、男は俺を見てきた。
表情は笑顔だが、その目は欠片も笑っていない。感情は敵意が丸出しだ。
俺は、その悪感情を受け流すように意識しつつ、名乗った。
「夕霧総と言います。どうぞよろしく」
「……ふむ。一応の礼儀は弁えているようだね」
男はクク、と喉で笑って、それきり俺から興味を失ったようだった。
人に名乗らせておいて、自分は名乗らないのか。
態度には出さないが、静かにイライラが溜まった。
「総。こんな奴に挨拶することない。早く戻ろう」
「おっと待ってよ。いい加減、考えてくれてもいいだろう?」
「あなたと話すことは何も無い」
スイは俺と違って、イライラを隠そうともせずに背を向ける。
そして、強引に俺の手を引くと、引きずるくらいの力でそこから離れようとする。
その一瞬、俺は強烈な敵意を男から感じた。
見ると金髪の男が、俺のことを目だけで睨みつけていた。
スイの態度、この行動、そういった諸々が、気に入らないと言外に語っていた。
だが、男は意識的に俺を無視すると決めたようで、スイへ向けて大声を放つ。
「悪い話じゃないだろう! スイ・ヴェルムット! 店を畳んで、僕のモノになりなよ!」
俺の手を握る、スイの手が強張った。
堅く握られたそれが僅かに震えている。
スイは、表情を殺したように、ひたすらに前だけを見ていた。
「僕は君が気に入っているんだ。それなのに、なぜ君は僕に敵対するような真似をする? 僕のモノになれば、そんな貧乏人どもと絡まなくてすむのに。なぜ、あんなゴミみたいなポーションにしがみつくんだい? 理解できないよ。どうあがいたって『ウチ』には敵わないのにさ」
スイの握る力がより強まる。
怒りと嫌悪、そんな負の感情をひしひしと感じてしまう。
そういうことか。
金髪の男が嫌がらせをする理由が、ひどく幼稚で笑ってしまいそうだ。
男は、おそらくこの街の『ポーション屋』なのだろう。
それも、金持ち相手に商売をしている、真っ当なほうの店だ。
そして、男はどういう理由かスイを欲している。まぁ、美人だし分からなくもない。
だが、スイは男の店とは、真逆の経営方針の店を開いている。
貧乏人を相手にする、庶民のための『ポーション屋』を。
それが男はひどく気に入らないのだろう。
まったく、くだらない。
「……っ! いい加減に──」
「──スイ」
もう一度、弾けそうになったスイを制して、俺は一歩前に出た。
急に俺が出てきたことで、スイと男は、そろって俺を見る。
「……なんだい? えっと、ユウギニ君? 君はどうでもいいのだけれど」
男は、突然割って入ってきた俺に、明らかな不快感を見せている。
上等だ。
同業者ならば愛想良くしていようかと思ったが、これなら遠慮はいらない。
俺は、事の成り行きを探っていたスイの肩を、強引に抱いた。
「へ?」
スイが戸惑いの声をあげるが、俺は構わずに、男を挑発するための言葉を放つ。
「悪いな、金髪の貴族様。スイはもう俺のモノなんだ。だから諦めてくれ」
「……えっ!?」
スイから驚愕の声が上がってくるが、俺は止まらない。
金髪の男が、はっきりとした憎悪でもって、ようやく俺のことを認識した。
「ふざけた冗談はよしたまえ。君ごときが、スイになにを──」
「冗談じゃないさ。スイとはもう将来を誓い合った仲だ。これから先、ずっと一緒に『ポーション屋』を盛り上げて行こうってな」
涼しい顔で言ってやると、表情では余裕を見せていた金髪の男が、はっきりとその顔を曇らせた。
俺はスイに向けて、精一杯のウィンクを送ってから言う。
「な、スイ?」
「……え、あ、うん」
スイは戸惑いながらも、一応は返事をする。
よし。後は、適当に捨て台詞を吐いて退散しよう。
「じゃ、そういうことだから。もしスイに用があるんなら、今後は俺を通してからにしてくれ。あばよ」
それだけを告げて、俺はスイごと、くるりと男に背を向ける。
背後から、男のじりっとした視線を感じる。だが、追いかけてくることはなかった。
男から見えない所まできて、俺はようやくスイを解放した。
スイは、少し顔をぽうっとさせながら、俺をじっと見つめてくる。
「……総、さっきのって」
スイは、まだ手を震わせながら、ぎゅっと自分の服を掴んでいる。
その仕草は、爆発しそうな怒りを堪えているように見えた。
俺は慌ててばっと頭を下げ、謝罪した。
「すまん! くだらないことをやった! 許してくれ!」
「……えと?」
説明を求めるようなスイの視線に、俺は正直に思ったことを話す。
「ああでもしないと、あいつの気を俺に引けないと思ったんだ。こうすれば、あいつの目下の標的は俺になるだろう?」
そう。あの場で俺の存在は、あの男にとって路傍の石にすぎなかった。
それを意識させるには、多少強引な手段を取る他なかったのだ。
「俺はまぁ、いろいろ言われ慣れてるから、気にしないし。スイがあいつに色々言われることも減ると思ったからさ」
金髪の男は、きっとこれからも嫌がらせに来るだろう。
それも狙いがスイであるならば、店がある限り、ずっとかもしれない。
だったら、その標的を俺にしてしまいたかった。
バーテンダーは、何を言われても良い。内心気にしないわけではないが、接客中に言われたことは、そういうものだと割り切る術は磨いている。
だから、標的が俺になれば、少しでもスイの負担を減らせると考えた。
「……それだけ?」
だが、スイは俺に何か続きを期待していた。
「えっと、何が?」
「……俺のモノ、とかの、言い訳は?」
「それは、まぁ、半分本心だからな」
「っ!?」
かっと、スイの顔が赤く染まった。
彼女の感情が爆発する前に、俺は慌てて補足説明を入れる。
「だって俺たちはもう運命共同体だろ? 俺たちは店のモノだし、店は俺たちのモノだ。転じてスイが店のモノなら、スイは俺のモノでもある。何も間違ってない」
「…………はぁ」
俺がしっかりと説明したら、スイの驚愕はやがて色あせ、しとしとの怒りに変わった。
やばいな。なにか選択を誤ったかもしれない。素直に謝るべきだったか。
だが、彼女はふと、吹っ切れたように爽やかに笑みを浮かべて、判決を告げた。
「分かった。総のやったことは許す」
「すまん、助かる」
しかし、その直後にはじとっとした目で俺を睨み、静かに付け加えた。
「でも総は許してあげない」
「な、なんでだ」
「禁酒でもして考えたら?」
スイはそんな捨て台詞を残し、スタスタと俺を置いて歩き出した。
そんな彼女が、上機嫌なのか不機嫌なのかは、その背中からは分からなかった。
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