あの頃の残滓(5)
──────
『乾杯!』
集まった人間の乾杯の声が揃う。声に合わせて、夏の熱さで軽く汗をかいたビールジョッキが打ちつけられた。
テーブルにはさっと作ったつまみが並んでいる。茹でた枝豆や冷奴。もやしと肉野菜の炒め物に、チャンプルーなんかだ。
この場に居るのは俺を含めて三人。他の二人は大学時代の同期である青木と梅原だ。
良くつるんでいた櫟井にも声をかけたが、彼は仕事が忙しいようで予定が合わなかった。
現在地は、まだ大学時代から住処を変えていなかった俺の部屋。青木もまだこの辺りに住んだままなのだが、俺の部屋の方が集まりやすかった。
何より、俺の部屋の方が、色々と酒が揃っていることだし。
「しっかし久しぶりだな夕霧。ちゃんと生きてたのか」
「なんだそれ。生きてるっつの」
梅原の言葉に、俺は苦笑いしつつ答えた。
梅原は、大学を出て大手の電機メーカーに就職した。あまり連絡を取ってはいなかったが、それなりに楽しくやっているようだ。
久しぶりに会って少し髪の短くなった彼だが、昔と変わらぬフランクさだ。
彼は少しだけ、俺との再会を噛みしめるように言ってみせる。
「いや、本当に良かった。ちょっと心配してたんだよ」
「……梅原?」
「ああ、なんでもない。で、まだバーテンダーやってるんだって?」
誤魔化すようにビールを含んでから、梅原が尋ねた。
「まだってなんだ、まだって。やってるっつの」
「マジで? まだ続いてんの?」
俺が不服そうに言うと、梅原は本当に驚いた顔をしていた。
いったい、俺がバーテンダーとして働いていることの何がそんなに意外だというのか。
「梅原。あんまり夕霧を見くびらないほうが良いぞ」
俺の不満を代弁するように、その場に居たもう一人の友人、青木が口を挟んだ。
青木は院に進んだ。つまり、まだ大学に通っているわけで、住居を移していないのもある意味では当然だろう。
他の二人に比べれば、会う機会が多いので、たまに飲んで愚痴をこぼしている。
ウチの大学は就職よりも進学が多いので、青木の方が正道とも言える。のだが、俺の親しい友人達は就職が多かったのは、なんでなんだろうか。
そんな青木のフォローに、梅原はなおも疑うような顔をしていた。
「だがなぁ青木。あの夕霧だぞ?」
「いやいや。こう見えて夕霧、なんと接客中には営業スマイルが出来るんだぞ」
「嘘だろ?」
梅原は目を丸くしていた。こいつ俺のことをなんだと思っているんだろうか。
別にバーテンダーを始める前だって、笑うくらいはできたっての。
少しだけムッとしつつ、営業スマイルを浮かべて言ってやった。
「いらっしゃいませ、お客様。そろそろ何かお作りしますか?」
「ほんとだ! 夕霧が愛想良く笑ってる! 気持ちわる!」
「なんだとこら」
愛想笑いを取り下げてジト目で睨む。
すると梅原は、急にホッとした様子でうんうんと頷いた。
「そうそう。それだよそれ。その捻くれた感じの無愛想な顔が、夕霧って感じ」
「お前は俺のことをなんだと思ってるんだよ、本当に」
俺がわざとらしくため息を吐いたところで、俺も梅原も我慢できなくて少し笑ってしまった。
バーテンダーを初めて、何ヶ月になるだろうか。
根っこの性格の部分は変わらなくても、少しずつ接客については身に付いてきた。
お客さんの顔や表情を見ることは覚えてきたし、魅力的な立ち方や話し方も少しずつ考えられるようになった。それに笑顔も苦にならなくなってきた。
平日には一人で店を任せられるようになってきたし、俺のカクテルを美味しいと言ってくれる人も増えてきている。
少しずつ、カクテルが上達しているのが、自分でも分かっていた。
今はバーテンダーをやっているのが、たまらなく楽しかった。
「でもほんと、夕霧がバーテンダーをやるとか言い出したのは、マジで驚いたからな」
「そんなにか?」
「そんなにだよ。お前に接客業は絶対無理だって思ったもん」
梅原の言葉には、青木も頷きこそしないが同意の顔を見せていた。
まぁ、そりゃそうだろうさ。俺だってそう思う。
人付き合いが苦手で、気遣いも全然できなかった俺が、急に接客業なんて無謀だ。
だがバーテンダーなら、なんとかなるような気はしたのだ。
「信じてやれよ梅原。俺がこの前店に行ったらさ、まじで別人みたいに社交的な夕霧が居たんだぜ?」
青木はそこで大袈裟に言ってきた。
俺が務めているバーに青木はつい最近遊びに来てくれた。一人営業はまだ心許ないところもあったので、知っている人が来てくれるのは心強い。
まぁそれ以上に、なんとなく恥ずかしいところもあるのだが。
「まじかよ。そんなのもうバーテンダーじゃん」
「バーテンダーだよ!」
梅原このやろう。どうあっても、俺に接客業ができると認めたくないらしいな。
「ま、付き合い長い俺から見たら、あ、こいつ今の話に興味ないな、とかバレバレだったけど」
と思っていたら、味方だと思った青木にも背中を刺される。
「マジで? なんの話?」
「……あー、なんだったかな」
青木が先日のことを思い出すように唸っていた。
少し真面目な話と察したのだろう。梅原は会話に入らず、久しぶりに来た俺の部屋を見渡すようにしてから、あの頃に比べて少し増えた酒瓶に目をやった。
「……酒は昔から好きだったか」
部屋には、カクテルの練習に使うためのリキュール類が所狭しと並んでいた。
昔はそんなものはなかった。俺はもっぱらウィスキー専門だったし、俺の知り合いにカクテルを自作するタイプの酒好きも居なかった。
それが今では、部屋には様々なリキュールが並び、冷凍庫にはジンからテキーラまでが冷やしてある。
冷蔵庫も材料で大分手狭になっていて、知っている人が見たら凄い変わり様だろう。
「しかし、酒瓶が増えまくったせいか、華がないなこの部屋」
「人の部屋にケチ付けるな。追い出すぞ」
「だってよ。無骨っていうか殺風景っていうか。なんかな」
言いながら、梅原はどこか釈然としない表情をしていた。
それから、彼は並んだ酒瓶を手に取っては、なんのリキュールかを見始める。
質問されたときにはのんびり答えながら、しばしビールを飲んで箸を動かしていると、先日に意識を飛ばしていた青木が帰ってきた。
「あれだ。年配の男性にダーツの話とかされてたとき」
「あー……ダーツバーと比較して、なんで置かないとか言われてたとき?」
「ただの無茶ぶりだろ? あんな真面目に『オーナーの意向が』とか言われたらお客さんも困るって」
「……反省します」
確かに、青木に言われてみると反省しかできない。
俺自身、ダーツをやったことがないので、ダーツの話をされてもピンと来ないものがあった。カウントアップは点が増えて、ゼロワンは点が減る、というのだけかろうじて覚えている。
しかし、相手はそれが好きで、面白く話をしたいだけなのだから、積極的に聞いてみないといけなかった。
俺が反省している横で、青木は更に続けた。
「あと、そのあとの」
「そのあと、何の話してたっけ?」
「……いや、やっぱりそっちは良いや」
「?」
途中で青木が言葉を止める。
気になるところで止まったので、俺はその後になんの話をしていたのかを思い出す。
最初はダーツの話だ。ダーツのルールとか、投げ方のコツとかを身振り付きで説明されて。そして、その後だ。
確か、ダーツをやっていると、たまに初心者の女の子が一人で来ることがあって。
……ナンパにも良いとか、そういう話だったか。
「……青木。気にし過ぎだって」
「……かもな。悪い」
青木が口をつぐんだ理由が分かった。
そのときの俺はきっと、女性関係の話をされて、また違った無関心の表情をしてしまっていたのだろう。
それくらいで表情が変わるようでは、バーテンダー失格だ。
誤魔化すように、俺は愛想笑いを浮かべた。
「というかあの人もさ。俺のこと誤解しすぎなんだよな」
「誤解って?」
「いや、俺が童貞だって聞いて、なんで彼女を作らないのかとか言ってきてさ。作らないんじゃなくて、モテないから作れないんだってなぁ」
俺の言葉に、青木は肯定も否定もせずに、ただ曖昧に眉をひそめた。
しかし、俺の理論は、何も間違っちゃいない。
俺はモテない。だから彼女なんて作れない。元来、俺は無愛想だし、面白い話なんてできるわけじゃない。口を開けば理屈っぽい、ただのゲームオタクだ。
そんな俺を好きになる人間なんて、よほどの物好きくらいだろう。
だから、俺に彼女ができないのはそういう理由。それは、仕方のないことで──
「あれ? 夕霧、これ空だぞ」
まだ酒瓶を見ていた梅原が、唐突に言った。
俺はそちらに目を向ける。梅原が持っていた瓶を見る。
とある、ジャパニーズウィスキーの空き瓶だった。
「……あー。そだな。後で捨てるよ。後で」
自分でもらしくないくらい、動揺しているのが分かった。
俺はそれを必死に顔に出さないようにして、なんでもないように振る舞う。
梅原はそこで気を利かせるように、提案した。
「そうか? じゃあどこに置いとけば良い? 空き瓶はどこにまとめてるんだ?」
「だから、俺が後でやっとくって」
「良いって、場所借りてるんだしこのくらい。お、この袋か?」
言っている間に、梅原は俺が空き瓶をまとめているスーパーの半透明の袋を見つけ出す。
それに、その瓶を入れようとして、
「止めろっ!!」
俺は、自分でもびっくりするくらいの声で、そう言っていた。
梅原も青木も、俺の大声に目を丸くする。
慌てて、俺はどうして止めたのかを早口で説明した。
「いやあれだ。ちゃんと中を洗ってから捨てないと、そういうのこの辺うるさくて。というか大家さんにも、そういうの注意されてるからさ。やばいんだよ」
「あ、ああそうか。なら、仕方ないな。悪い」
俺の説明を聞いて、梅原はうんうん頷き、空き瓶を元の場所に戻した。
中身の入った生きたボトルの群の中に、その『白州』の空き瓶は帰ってくる。
その事実に、俺はどうしようもなくホッとして、それから明るく言った。
「と、悪いな変に大声出して。お詫びにさ、良かったらなんかカクテル作るぞ」
「お、じゃあ、プロの技術でオススメお願いしようかな」
「かしこまりました」
梅原はすぐに乗ってきた。この変な空気を彼も変えたいのだろう。
さて、オススメと言えば何が良いか。夏場だし、爽やかな炭酸系が鉄板だが、グレープフルーツなんかも悪くない。
少しウキウキと頭でカクテルを描きつつ、青木にも尋ねる。
「青木はどうする?」
「あ、ああ。俺も同じのをくれ」
「かしこまり」
梅原に比べて、青木はまだ微妙そうな表情をしていた。
これは気合を入れて、とびっきりの一杯を作らないといけないようだな。
俺はちらりと、もう一度だけ『白州』の空き瓶を確認し、それから作業に取りかかるのだった。
※1124 表現を少し修正しました。




