【プラチナ・ブロンド】(2)
【ビトウィーン・ザ・シーツ】と言えば、そのカクテル名からして意味深なカクテルとでも言えば良いだろうか。
直訳すれば『シーツの中』だが、転じて『ベッドに入って』的なニュアンスのある言葉である。ああいったロマンティックな意味合いに取れないこともない。
もし、俺が作ろうとしているカクテルが本当にこれだったら、確かにサリーがビビるのも頷けるというものだ。俺だってサリーの立場ならビビる。
そして、材料だけで見れば、確かに勘違いの可能性はゼロではない。
カクテルの奥深いところに、レシピの自由度が上げられるだろう。
出版されているカクテルブックを見たところで、A社とB社で微妙に食い違っていることなど日常茶飯事だ。
それでいて、ほんの1tspの違いだけで、名前が全く異なってしまうようなカクテルもまた存在する。
氷やグラスの大きさで入る量がことごとく変わるオレンジジュースやソーダが、適量と言われるのも仕方ないところだろう。
結局のところ、大切なのはカクテルに込められた意味と、それを自分の作る一杯として表現するバーテンダーの心なのかもしれない。
話を戻せば、ラムとコアントローを使ったカクテルもまた多い。どちらも一般的な材料であるし、オリジナルを考えたところで最初のうちに候補に挙げるものだ。
そして【ビトウィーン・ザ・シーツ】と【プラチナ・ブロンド】は双方とも、ラムとコアントローを20mlずつ使うカクテルだ。
だが、最後が違う。
【プラチナ・ブロンド】は生クリームを使うが【ビトウィーン・ザ・シーツ】はブランデーとスプーン一杯のレモンが加わる。
三分の二が同じ材料であろうとも、見た目や味わいはまるで違う。ついでにアルコール度数も違う。
そこまで変わればまったく別物。親戚ですらない赤の他人だ。
材料は多少似通ってはいる。ただ、サリーがここで間違えたというのは、俺としては注意力不足と言わざるを得ない。
「ウチではブランデーは常温保存。となると保管場所はコアントローと同じかそれに類する所と推測できたはずだ。俺が常温の棚からコアントローしか出してないんだから、ブランデーは違うって分かるだろ」
俺が何よりもまず言ったのはそんなことだった。
常日頃から、観察と推測をする癖をつけておけというのはいつも言っていることだ。
俺だったら、同じ場所にある材料なら同時に出す。それは営業中も、それ以外の時でも自然に行ってしまう癖だ。サリーが知らない筈が無い。
そんな俺が常温の棚から出したのがコアントローだけなら、少し考えれば除外できた可能性だと思うのだ。
「そ、そんなの、き、気付いちゃったら緊張で頭回らなかったんですもん」
「普段の営業で、そんな泣き言を言っても誰も聞いちゃくれないぞ」
サリーの羞恥にまみれた言葉に、俺はやや硬質に返した。
俺の職業意識が高い言葉に、サリーは少し睨むように俺を見た。
「…………でも、今は営業中じゃないんだし、聞いてくれても良いじゃないですか」
言って、サリーは不貞腐れたように唇を尖らせた。小声で「ほんとカクテルバカ」と、恐らく俺に聞こえるように付け足す。
くわっと俺が睨めば、サリーは口笛を吹いて誤魔化した。
……正直なところ、サリーの言い分は分かる。緊張で味が分からない、何も見えない、何も分からない。そんな状況に心当たりは……ないでもない。というか今日とか。
だけど、今の俺はそれじゃ駄目なんだ。何も考えず、何の覚悟もしないでサリーを呼んでしまった俺だから、そういう所に気をつけなければ。
カクテルバカのままで居なくては、駄目なのだ。
「というわけで、どうぞご賞味あれ」
「……はい、いただきます」
俺が淡々といつもの調子を崩さずに言えば、サリーも頭を切り換えて目の前の一杯に向き直った。
いろいろと前置きが付いたが、結局これが、サリーの為に作った一杯なのは違いない。
【プラチナ・ブロンド】──白金の髪を持つ女性をイメージしたカクテルである。
「……綺麗な、でもどこか冷たさのある白、ですね」
見た目の感想からサリーは述べた。
俺はそんな彼女の感想を邪魔する言葉は挟まない。ただただ彼女がそれを一口含むのを待つのだった。
──────
(……ほんと、馬鹿みたい)
サリーは目の前のグラスを見つめながら、心中で自虐的に言った。
分かっているのだ。頭では分かっているのだ。
この夕霧総という男は、何も意識しちゃいない。自分のことを女だと思ってはいるが、女として見てはいない。
それは自分に限った話でもない。他のどんな女性が相手だろうと、まるで口説いているようにしか見えない営業中であろうと。
この男は、相手を女性と思っても、女性と見ることなどしない。
(それに安心してるくせに、それに腹立つなんて本当に自分勝手)
営業中にそういう姿を見れば心がざわつく。だけど、同時に総の性格を良く知っているから、落ち着ける。
そしてそれは、そのまま自分にも跳ね返ってくることだ。
勝手に期待したのも、勝手に緊張したのも、そして勝手に拗ねているのも自分。
自分やフィルはあまり顕著ではないと思っていた、吸血鬼特有の自己中さが頭をもたげているみたいだ。
(でも悪いのは総さんだし。分かってるくせに、はっきりしないこの人だし)
結局サリーは、そう結論付けた。そう思わないとやっていられない。
それでも、ささやかな抵抗くらいは、したかった。
いっそのこと、この一杯に文句でもつけてやろうかと思った。
自分がこの一杯に駄目だしでもすれば、総はムキになってあれやこれやと言ってくるに違いない。
そこで、さっき見つけた【ビトウィーン・ザ・シーツ】を注文してやるのだ。そうまでされたら、この男だって少しくらいは揺らぐかもしれない。
口で何を言ったって、どうせこの人には響かないのだ。カクテルで伝えるのも、悪くない気がする。
そんな益体も無いことを考えながら、サリーは右手を伸ばし、静かにグラスを口に近づけた。
ふわっ、と優しい生クリームの香りが鼻をくすぐる。しかし、そこに混じった柑橘の爽やかな皮の匂いが、甘過ぎない印象を与えた。
それだけではない。慣れていない人だったら騙されるかもしれないが、しかし、はっきりとしたサラムの酒感も確かにある。
甘く柔らかな印象でありながら、中身は凛として鋭い、そういう女性の姿が見えるようだ。
香りの印象を抱きつつ、サリーはすっとグラスを傾ける。
イメージと違わぬは柔らかな口当たり。唇に当たる感触もどこか丸い。生クリームの丸さというよりは、泡が口に当たる丸さに似ている。
その感触に続いて、すっと口に入ってくるのは甘過ぎない滑らかな液体。
味の印象としては、やはり生クリームが強い。そのクリームの泡の中に、コアントローの柑橘と、サラムの強さが包まれている。
優しい口当たりとは裏腹に、度数はかなり強い。しっかり意識しないと、簡単に沈んでしまいそうだ。
だが、こちらをゆっくりと誘うようなその感覚が、また心地よい。
髪に指を埋め梳くかのように、舌の上をするすると滑る液体。
生クリームの泡が弾ければ、口の中で香るコアントローの柑橘。
甘くはないが温かい。そんな印象の味わい。
こくりと呑み込めば、強いカクテルにも関わらず、クリームが穏やかに、喉を通って落ち着いて行く。
総はサリーに向かって、これがピッタリのカクテルだと思ったのだろう。それは分からなくもない。ただ、サリーは少しだけ違うと思った。
これは自分を表しているのではない。
サリーが抱いたのは、自分の髪の毛を優しく撫でる、誰かの手のイメージである。
そして、それをする人間など、飲む者の心の中で決まっている。
まるで、子供のように拗ねていた自分を、優しく撫でて宥めるような。
そんな総の手を連想してしまって、サリーは目を閉じた。
本人には、きっとそんな気はないのだろう。だけど、この一杯は嬉しくないのかと言われれば嘘になった。
言葉は足りないくせに、カクテルだけは足りている。
思えばきっかけもそうだった。初めて会ったときも、店で失敗したときも、言葉ではなくカクテルで助けて貰ってきたのだ。
そんな彼のカクテルに、自分は惹かれてしまったのだ。
口を開けば調子の良い本人よりも、カクテルのほうがずっと真摯であった気がする。
(悔しいなぁ……カクテルばかりの総さんに怒ってるのに、そんな総さんのカクテルがやっぱり好きなんだから)
複雑な心境になりながらも、サリーはもう一口含んだ。
甘過ぎない癖にとても優しい舌触り。少しだけ心が安らぐ。誰かさんが決してやってくれないだろう、優しく頭を撫でてもらっているような心地よさ。
サリーの中で始めに抱いた、文句を付けてやろうという気持ちはとうにない。今はただ、純粋に、思った通りの感想を述べることにしよう。
そう決めて、サリーは言葉を口にするのだった。
──────
「悔しいけど、美味しいです」
「悔しいってなんだこら」
ずっと無言で【プラチナ・ブロンド】の味を噛みしめるようにしていたサリー。そんな彼女が、最初に漏らした感想はそれだった。
美味しいのは良いが、悔しいと言うのがどうにも引っかかる。
「俺の技術に不安があったとでも言うのか」
「そうじゃなくて、総さんの癖に、なんでこう『分かってる』みたいなカクテル作れるのかなって」
「馬鹿にしてるのか、このやろ」
全く釈明になっていない言葉を吐いたサリーに、俺は軽いデコピンをかましてやった。
サリーは「つっ」と小さく呻き、不満げに俺を睨む。暴力には断固屈さぬという心意気が見える。
だが、彼女は文句を言うでもなく、ふと懐かしい顔になった。
「……そういえば、私いつから、総さんに蹴られてないんでしょう」
言われてみると、俺もサリーを久しく蹴っていない気がした。というかそもそも、蹴るという行為が全く褒められたものではない。
彼女との付き合いも一年くらい。俺から見ても、少しはまともなバーテンダーらしくなってきた。
そろそろ、言っても良い頃合いだろう。
「……あー、最初のころは蹴ってばっかで悪かったな」
「いえ、まぁ、嫌でしたけど。でも今なら意味は分かります。口で言っても分からない相手には、体で教えるしかないんだろうなって」
そこのしみじみとした言い方には、何か彼女なりの実感を感じられる。
近くに口で言っても分からない人が居ます! とでも訴えるかのようだ。
「……なんか苦労してるみたいだな」
「ええほんとに。酔っぱらって付きまとってくる痴漢のほうが、よっぽど扱いやすいんですけどね」
「……お前まさか、酔っぱらって告白してきた男性を……」
「蹴りませんから! そりゃそういう人もたまには居ますけど、ね?」
にやりと笑ったサリーから、少しだけ圧力を感じた。多分魔力的な迸りだろう。
こういう店で働く女の子には、それなりにそういう輩が付く。口で言っても分からないパターンは確かにある。
しかしサリーはそもそも吸血鬼。もともとの身体スペックが違う。
彼女の圧力を感じれば、力でどうこうしようと考える愚か者はいないだろう。
「でも、私はこのカクテル気に入りましたけど、少しだけ外してません?」
話を切り換えるようにサリーが言う。そういう風に指摘されれば気にもなる。
俺は少しだけ身を乗り出して、真剣にサリーの言葉を聞く姿勢になる。
「というと?」
「【プラチナ・ブロンド】って名前です。私の銀髪を連想して、だとは思いますが、私の髪はどちらかと言えば白銀です。白金系の金髪だと少しニュアンスが違います」
そこを指摘されてしまったか。
それは確かに、思う所はあったのだ。ニュアンスの違いというか、銀系の色でも多少の違いは存在するなと。ブロンドは金髪のことだし、純粋な銀系のサリーとは微妙に違う。
だが、そこで俺から一本取ったと思われても、困るぜ。
最初から自分で思っていたからこそ、そういう時の返しは用意しておくものだ。
「まぁ、確かにそうかもしれないけど、俺はそれで良いと思ったんだよ」
「どういう意味ですの?」
俺が間髪を入れずに答えれば、サリーもまた興味深そうに俺を見てくる。
俺はいつもの営業のように、さらっと口にした。
「サリーには笑顔が似合うからさ。凛とした白銀も良いけれど、白く輝く白金でもイメージに合うんじゃないかってな」
困った時には褒めて誤魔化すという、会話の基本である。
褒められて悪い気がする相手はそう居ないので、相手がもの凄く怒っているとかでなければそれなりに有効。相手に満足してもらう口八丁の一つだ。
が、そこは相手もまた、俺の弟子であり、バーテンダーであった。
「……そういうこと言って誤魔化す癖。スイさんにも止めろって言われてませんでした?」
ニコニコと全く誤魔化された気配のない作り笑いで、俺の痛い所をチクチクと刺してきやがる。
「……おう」
「まったくもう……まったくもう!」
サリーは言いつつ、完全に俺を見ないようにそっぽを向いてしまった。
彼女の顔は良く見えないが、そのおかげで白銀の髪の毛は良く見える。
やっぱり、彼女の綺麗な銀髪は輝いて見える。さっきの言葉は、もちろん俺の本心でもあるのだ。
とはいえ、サリーだって自分の髪の毛には特別な思いがあるだろう。
それを冗談みたいに言ってしまえば、怒るのも仕方ないのかもしれない。
……ん?
失敗したかな、と反省しているところで、ある事に気付いた。
機嫌の悪いように見えるサリーだが、それでもことあるごとに【プラチナ・ブロンド】に手を伸ばしては、それを含んでいる。
それも、結構なハイペースで。
「ひょっとして気に入ったか?」
「……悪いんですか!」
その文句を言う為にこっちを向いたサリーは、なんだ。
思ったよりもずっと、機嫌の良さそうな顔をしているじゃないか。
「いや悪くない。俺も嬉しい」
「…………ん」
そして結局、サリーは【プラチナ・ブロンド】を飲み干したのであった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
大変遅くなりました。そして結構長くなりました。
また言ってるよと思われるかもしれませんが、気を付けます……
※1119 表現を少し修正しました。




