弟子への一杯
「さて、何に致します? お客さん」
ここ数ヶ月で使い慣れた台所に立ち、俺は冗談めかしつつサリーに問いかけた。
サリーは少し酔っているのか、ほんわりとした表情をした後に、そちらもまた冗談っぽく返してくる。
「お任せしますわ。私の為に作って下さるのでしたら、なんでも」
ふふん、と弟子のくせに俺を試すように笑ってやがる。
俺はちょっとだけ彼女の顔を良く見て、そのシルエットを見て、そしてふっと笑みを返してやる。
「そうだな。お前の為にって言ったけど、少しだけ俺の遊び心に付き合ってくれよ」
「はい?」
いつもは今の気分だの、好みだのを聞く所だが、今日はちょと趣向を変えた俺の言葉。
サリーの不思議そうな顔に、俺はわざと真剣な顔を作って尋ねる。
「サリー。お前に弟子が出来るって言ったらどうする?」
「へ? わ、私に弟子、ですか?」
青天の霹靂、とでも言うようにサリーは呆気に取られた顔をした。
その顔が面白かったので暫く観察したくもなったが、あんまり放置すると、留守になって手元でうっかりテーブルのグラスを落としそうだ。
仕方ないので、さっさと補足をすることにした。
「落ち着け今じゃない。まだそんな話はない」
「あ、なんだ、驚きましたわ」
俺の話を聞いて、サリーはほっと胸をなで下ろした。
しかし、そんなことあるわけない、とでも言うようなサリーを少し諌める。
「ホッとしてるけどな、決して無い話じゃないんだぞ。お前ももう一年だろ? 俺がお前等を弟子に取ったのは一年半だぞ。あと半年後に弟子を取るって考えてみろ」
「……想像付きませんわ」
「……まぁ、俺もまだ、間違いだらけのペーペーだけど」
フィルやサリーの前では師匠面をしている俺だが、実際の経験はそんなものだ。まだまだ毎日悩みは多いし、カクテルも練習が欠かせない。
日本で考えれば、二年程度ではカウンターに立たせてすらもらえないバーも、あるかもしれない。
しかし、今はこうやって働いているし、弟子も居る。ましてやこの世界では、バーテンダー歴は一番長いわけだ。
そんな俺の弟子であるフィルやサリーも、この世界で二番目に歴が長い。ゆくゆくはそういう話もあるだろう。
「だから、ちょっと考えてみよう。お前にもし弟子が出来たらって」
「…………はぁ」
まだ混乱中といった感じではあるが、サリーはコクリと頷いた。
俺はそれを確認してから、問いかける。
「自分に弟子が出来たとして、サリーはさ、どうしたいと思う?」
「どう、とは?」
「お前が、弟子に最初に飲ませる一杯は、どんな一杯が良いと思う? どんなカクテルが相応しいと思う?」
俺がこんな話をしているのは、サリーが弟子というものを、どういう存在だと捉えているのかをなんとなく知りたいからだ。
彼女の中の『弟子』という思いを知って、彼女がソレをどうしたいのかを知って。
そして彼女の中にある『弟子への一杯』を、当ててみるのも楽しそうだと思ったのだ。
答えは色々あるだろう。
基本にして受け入れやすい【スクリュードライバー】や【ジン・トニック】で、まずはカクテルを楽しんで貰いたいと思うかもしれない。
ステア、シェイクの技術の詰まった【ジン・フィズ】や【ダイキリ】で、自分もこういうものを作りたいと思わせるのも良い。
カクテルの王様と名高い【マティーニ】で、カクテルという味の奥深さを知ってもらうのも面白いだろう。
最初の一杯は、その人にとっての『カクテル』の一番深いイメージになりうる。最初に飲ませる一杯など、考えただけで限りない。
そんな俺の遊び心に気付いているのか居ないのか。
サリーは、想像以上に真剣な顔で悩んでいる。
実際に自分に弟子ができる。その想像が上手く行かないながらに、彼女は精一杯考えて、それから、ぽつりと零した。
「その弟子に合った、一杯、を?」
大分溜めてからのひと言。
そして、それ以上の言葉はなかった。
「……人の話聞いてたか? 弟子に対して、どんな一杯を作るかって聞いてるんだから、そもそも合ってない一杯を作るわけないだろ」
少しからかってやろうと思ったが、サリーは思ったよりも必死に反論してくる。
「ち、違くて! そういう、なんというか、こっちが考えることじゃないと思ったんです!」
「というと?」
「相応しい一杯は、その時にならないと分からない筈です」
最初はとぼけたことを言い出したと思ったが、サリーは熱心に語っている。少し息を荒くしつつ、思いの丈を語ってみせている。
「自分が弟子を持ったら、そう思っても明確なイメージは浮かびませんでした。そんな相手に、相応しい一杯も何もありません。だから、自分が何をされて嬉しかったか、と考えてみたんです」
そのじっと見つめてくるような視線は、少し照れる。
「……お、おう。それで?」
「私が楽しいときも、私が辛いときも同じです。どんな一杯の時でも、この人は私の為にこれを作ってくれたんだって思えると、嬉しかったんです。この人は、私を分かってくれている、そう思える気がして」
そりゃ、状況に合わせた一杯を考えるのはバーテンダーの仕事だから、当たり前だ。
当たり前だと思っていることを、一々言葉にされるのはこそばゆい。
しかし、言えと言った手前止めるわけにもいかず、俺はムズムズしながら黙って聞く。
「だから私がもし弟子を持つとしたら、その弟子に合った一杯を。君のことはちゃんと分かってるよ、って伝えられる一杯が良いなと……思ったんですけど!」
それまで真剣に語っていたサリーだったが、最後の最後で語調が荒くなる。
途中で、心の内を語っているのが恥ずかしくなったのだろう。
俺は途中までのからかう気をどこかにやって、こっちもこっちで恥ずかしくなりつつ言った。
「あー。まぁ、俺もお前等にはだな、その……少しでもバーテンダーを楽しんで貰えるようにって、結構色々考えてはいたから、そういう風に言って貰えると、嬉しい」
逃げずに、真っ直ぐ弟子への感謝も込めた。
サリーはちょっと嬉しそうに頬を緩めるが、すぐにきっと表情を引き締める。
それからやや怒り気味に、あるいは、嬉しさを誤魔化すように言う。
「っ、も、もう良いじゃないですの! それで、何を作ってくれるんですか!」
彼女の剣幕にビビるわけではないが、少しだけプレッシャーはかかった。
こんなことを言われて『ほら、これがお前の弟子に作りたい一杯だろ』みたいな遊びを行うわけにはいかないだろう。
俺が、俺の考えで彼女の為に一杯を作らなくては。
「……あー。ちょっとだけ、考えさせてくれ」
堂々と待ったをかけると、サリーは少し口を尖らせて睨む。
「こ、ここまで言わせて……」
「そうじゃない。ここまで言わせちまったから、もうちょっと考えさせて欲しいんだ」
そして、俺はサリーを見つめた。
俺は果たして彼女をどう思っているのだろう。
可愛く、そして憎たらしい弟子である。時たま、俺に作るカクテルに私情が混ざるのがいただけない。しかし責任は俺にもあるので、そこはまあ、今は考えるまい。
そういう諸々の感情は抜きにして、俺は、彼女をどんな風に捉えているのか。
彼女に相応しい一杯は、どんなものになるのだろうか。
「…………」
「な、なんですの、そんなに見つめて?」
俺の視線に、サリーは恥ずかしがるように顔を逸らした。
その折に、彼女の銀髪がゆらりと揺れる。流れるような細い輝きに、俺は自分でも無意識に言葉を漏らしていた。
「……綺麗だな」
「なっ!?」
くわっとサリーが目を向いた。
あわあわと口をわななかせる彼女に、流石に悪いと思って訂正を入れる。
「ああ、いや、お前の髪の毛を見て言ったんだ」
「…………そ、そう。それはありがとう、ございます」
サリーはそんな俺の言葉に、思いっきり顔を俯かせた。
彼女の綺麗な銀髪が、その表情を覆い尽くす。
「……分かってますもん。総さんは誰にでも、言いますもん。もう、慣れましたもん」
震える声で言うサリー。銀の隙間に仄かに見える耳は、それでも赤く染まっている。
失敗した。色々と感情を考えるようになってから、スイやサリーにはあまりこういった事を言わないようにしていたのに。
少し酔っていると自制が利かず、ぽろりと思ったことが漏れる傾向にある。スイに対しても、サリーに対しても。
俺はパンと、軽く自分の頬を叩いた。
「総さん?」
「いや、悪い。ちょっと酔ってる」
「…………ま、まあでも。もう少し酔ってくれても……」
「これからカクテル作るんだから、それじゃ困るだろ」
ぼそりと零したサリーに告げる。それから顔を触れてしまったので一度手を洗い直す。
そして、頭の中でカクテルを一つ決めた。
「待ってな。すぐに作るからさ」
俺の言葉にサリーがまた顔を上げた。雰囲気が変わったことを察したのだろう。まだ少し顔は赤いながらも、バーテンダーとして、師匠を見る目つきとなっている。
ほんの少しだけ、ニュアンスが異なるかもしれないが。
これから作る一杯は、きっとサリーにピッタリの一杯であることだろう。
※1119 誤字修正しました。




