危機は去りて(6)
今回、少し長くなってしまいました。すみません。
サリーが台所に立ち、俺に尋ねる。
「開けても良いですか?」
「ん。遠慮せずにどうぞ」
人の家の冷蔵庫を開ける前に許可を取る。こんなのは当たり前かもしれない。
なのに、それを尋ねられたのが少し新鮮に感じてしまった。
そんな俺の感想は置いておいて、サリーは俺の部屋の冷蔵庫を開ける。水と風の魔力で最適な温度に保たれた材料が、所狭しと並んでいた。
「ワイン、炭酸飲料、水、各種ジュース、それとグラス。ライム、レモンに……乾きもの」
俺の冷蔵庫の中身をさっと声に出してから、一度扉を閉めサリーは俺を心配そうに見つめてくる。
「総さんは、この部屋にバーでも作るつもりなんです?」
「いや、あれな。食事の心配がないとなると、必然的に入れるものは限られてくるだろ」
「私、イベリスの冷蔵庫は画期的だと思いますけど。これはちょっと」
サリーの顔がほんの少し引き攣っていた。
いや、俺だって日本に住んでいたときはちゃんと食料も入れていた。
特にバーテンダーなんてやっていると、基本的に薄給だし、酒の勉強に金はかかるしで無駄遣いは極力控えねばならない。
となると自炊が基本だが、帰りの時間に開いているスーパーは近所になかった。仕事終わりで遠出する気にもなれないので、早めに起きて買いだめすることとなる。
必然的に、冷蔵庫の中身は食料とカクテルの材料で、ギリギリの陣取りゲームである。
それが、今の住居環境だと食事の心配がない。
必然的に、入る物と言えば酒の材料となるわけである。
……なんて隙のない回答であろうか。
「でも、これだけあれば何でも作れそうですね」
そんな俺の脳内言い訳が聞こえるわけもなく、サリーは冷蔵庫を前にして悩んでいた。
言ったサリーの表情、決意の中にほんのりと不安が見える。
営業中はひた隠しにしているのであろう、カクテルへの迷いが現れているようだ。
「サリーさ。今なに考えてる?」
尋ねると、サリーは少し考え込むように下を向く。冷蔵庫の中身を思い出しているのだろうか。
それから慎重に言葉を選び、おずおずと口に出す。
「何を、出したら良いんだろうと」
「そうだな」
「……聞いても良いですか? 今、何を作れば良いのか」
こんな状況で、それを聞いたら怒られるのではないか。そう思っているのが丸わかりであった。
彼女の不安そうな表情に、意図して柔らかく笑みを返す。
「当たり前だろ。これはテストでもなんでもない。早く作れとも言ってない。難しく考えずに作れば良いさ。何事も挑戦だ」
彼女の苦手意識は、きっとカクテルへの感覚を鈍らせている。
何を作れば良いのか分からない。転じて、相手の好みが分からない。そうなると、無難無難に逃げがちになってしまい、成長が鈍化する。
カクテルを美味しく作りたければ、挑戦するしかないのだ。
「だけど、挑戦とか言って変な組み合わせを作るのは違うぞ。それじゃただの不味いカクテルになるだけだ」
そこまで言ってから、俺はたまにサリーがオリジナルで作る、ヤケクソみたいな組み合わせに釘をさした。
無闇な挑戦は、誰も幸せにしてくれない。
「でも、だからといって【ダイキリ】だけ作ってても、仕方ないじゃないですか」
「それは違うぞ。同じ【ダイキリ】にだって差異は生まれる。聞けば良いんだよ。例えば【ダイキリ】のシロップ。多め少なめなんて、万人の好みがあるんだから」
「でも、フィルは」
フィルはそんなこと聞いてないじゃないか。と、続けたいのだろう。
確かにフィルは、特に常連さんに対してそういった細かい部分を尋ねることは、あまりない。そして、そんなフィルを見ているからか、いつの間にかサリーもそれを尋ねることを余りしなくなった。
そして二人のカクテル評価に、違いだけが残るのだ。
「フィルは、聞いてないだけで、ちゃんと見てるんだ」
「どういう意味です?」
「お客さんが同じカクテルを頼んだら、比率とかをほんのちょっとずつ調整して、一番美味しそうな表情になる場所をずっと探してるんだ」
同じカクテルを作ったところで、フィルとサリーの微小な差は、積み重なってカクテルの評価に繋がっている。
フィルは、お客さんがカクテルを飲んだときの表情を、バレないように良く観察している。そして、ここぞというポイントを探り当てたら、後はそれに合わせる。
一カ所が分かれば、それからはその味を参考に他も調整していけば良い。それは味の比率だけに留まらず、シェイクの強さや炭酸の強さ、色合いの好みなども同じ事。
それを続けて、フィルは柔軟に相手の好みにピッタリの一杯が作れるようになってきた。
「だから、フィルのカクテルは美味いって言われる」
「……私は」
「別に、サリーが悪いってわけじゃない。フィルは多分俺の真似をしててそこに気付いただけだ」
それはフィルが磨いた技術だから、サリーに今からやれと言うのは難しい。いくら技術を磨いたところで、結局それが分からなければすぐに効果は出ない。
技術的な差よりも、大きな違いはそこにある。
だが、その代わりに彼女も磨いてきたものがある。見て分からないのなら、聞けば良いだけなのだ。
「でもサリーは、フィルと違ってお客さんとずっと話してきただろ? それを活かして聞けば良いんだよ。もう少し甘い方が良いかとか」
「……教えてくれますか?」
「教えてくれるに決まってる。誰だって飲めるんなら美味い方が良い。味の好みを聞かれて答えないなんて意地悪して、誰が得するんだ?」
もっと格式高い店であれば、それが失礼に当たる場合もあるかもしれない。
しかしウチはそこまで厳格な店ではない。カクテルの味ももちろんだが、純粋に楽しんで欲しいというのが一番だ。
お客さんに楽しんで貰って、カクテルも気に入って貰って、そしてそれを少しずつ周りに広めて貰う。そのサイクルが一番だと思っている。
その過程で、より楽しんで貰う為に好みを聞くことが、どんな悪事と言えるのか。
「今日は練習だ。俺は何でも答えてやる。適当に色々聞いてみれば良い」
「では……」
それから、俺は彼女のカクテルの練習に付き合うことにした。
どんなカクテルが飲みたいかと聞かれて、せっかくなので【ダイキリ】とした。
始めは普通に作ってもらう。レシピ通りに作れば当然スタンダードな味になる。決して不味いわけではない。
だがそこで終わらせない。俺はもう少し辛い方が好みだ。そう教えてやればサリーもそう意識する。
シロップの量が減り、全体的に酸味が強くなる。
さっきよりも好みに近づいたが、まだちょっと違う。曖昧に言うとサリーは悩む。
それでもサリーは諦めない。俺が曖昧な表現に切り換えたと見て、ライム、シロップといった言葉を使わずに、彼女自身の感覚で俺の好みを割り出そうとする。
しゅっとした感じとか、ほわっ感とか、途中変な表現があって笑ってしまうが、彼女は恥ずかしがりつつ真剣だった。
彼女の言葉を聞き、時に頷き、時に否定を返しつつ試作が重なる。
そして何杯目かの【ダイキリ】を飲んだ俺は、うむと頷いて笑ってやった。
「今までで一番美味しいぞ」
「本当ですか!?」
「ああ。フィルが作ったのと比べても遜色ない」
俺の言葉に、サリーはパッと花が咲いたような笑顔を浮かべた。
フィルと違って、彼女はあまり自分のカクテルが褒められることに慣れていない。だからその喜びはひとしおだろう。
彼女の嬉しそうな表情に思わず俺も嬉しくなるが、最後に言っておかないといけないこともある。
俺はその場に並んだ【ダイキリ】のグラスを見て、それからサリーに言った。
「ここに並んでるの、全部お前が作ったわけだけど、お前は味の違いって分かるか?」
「ん? 当然ですわ」
何をいきなり、という顔をしてサリーはグラスを一つずつ味見する。
ほんの僅かな、シロップにして1mlあるかくらいの差の【ダイキリ】たちを、サリーは悩む事無く並べて行く。
テーブルの上に横一列に並べ、サリーは自信ありげに言ってみせた。
「左から、シロップの量が少ない順です」
「良く分かるな」
「これくらい、当然ですわ」
ふふ、と少しドヤ顔で言ってみせるサリーに、俺はピシャリと言い返す。
「でもな。お客さんにしてみれば、それは当然じゃない。この微量のシロップの差が分かる人なんて、百人に一人いるかどうか」
フィルやサリーは、俺から見ても味覚が鋭い。もしかしたら吸血鬼という種族的な問題が絡んでいるのかもしれない。
しかし、普通の人間は違う。シロップにして1mlの違いが分かる人はそういない。
「だけどな。分からなくても、なんとなく好みにぴったりかどうか、っていうのは誰にでもある。分からないなりに、好きや嫌いがあるんだ。それを探してあげるのが、こっちの仕事。それを覚えておいてくれ」
「…………」
「それを忘れたら、フィルに遅れを取ることになるからな」
俺の最後の忠言を、心に刻むようにサリーは頷いた。
例えば難しいカクテルなんかは、レシピ通りに作ればレシピ通りの味になる。難しいと知っていてみんな練習するから、技術的な差異は生まれ辛い。
そんな状況で差がでるのは、いかに相手の好みを考えるか。それが技術から一歩抜けた先にある、美味しさだと俺は思う。
「なんて。俺だってまだまだなのに偉そうなこと言ったな。悪い」
「いえ。今日はありがとうございます」
「礼なんてよせよ。これは今まで俺がさぼってきたことだ。逆に今まで悪かったって」
最後に俺も苦笑いである。
もちろん、技術ではまだまだ二人に負けるつもりはないが、こういった面は本当にいつ抜かれてもおかしくない。
なにせ、俺自身がまだまだ新米バーテンダーに違いないのだから。お客さんの気持ちを全て分かっているなんて口が裂けても言えない。
難しい話はおしまい、と俺は再度テーブルに並んだ一杯を手に取る。俺が一番美味しいと思った、シロップ少なめの【ダイキリ】だ。
「でも、お前等は本当に良くやってるよ。そもそも、この世界じゃ他の店に勉強に行くこともできないんだからな」
俺が教育を怠ってしまっているのに、そういう側面もある気がした。
この世界では、バーテンダーはここにしか居ない。日本に居たとき当たり前にできた『他の店で勉強する』というのが、この世界ではできないのだ。
そうであるなら、もっと意識して弟子の様子を見てあげなければいけない筈。それを忘れた俺は、まったくもって師匠失格である。
すっと、俺の隣に座り直したサリーは、まだ残っていたワインを手に取りつつ、俺に尋ねてくる。
「……総さんも、人からこういうことを教わったんですか?」
「そうだよ。特に俺なんて技術ばっかり求めてな。案の定すぐに行き詰まった。で色んなお店で飲んだり、先輩に聞いたり、そうやってきたんだ」
最も技術偏重は治ったとは言い難いが、多少はマシになっただろう。
言っていると、俺は先輩に教えて貰った一番大切なことを彼女に伝え忘れている気がした。それに近いことは何度か言ったが、はっきりとそれを伝えては居なかった。
せっかくの機会なので、俺は最後にそのひと言を添える。
「サリー。カクテルを美味しく作りたかったら、カクテルを好きになれ」
「……好きにですか?」
「そ。カクテルは自分自身。お前がカクテルを怖がっちゃだめだ。たとえ誰になんと言われようと、お前だけは自分のカクテルを好きになってやれ」
初めての人に、初めての一杯を出すときはいつも怖い。
口に合わなかったらどうしよう。気に入らなかったらどうしよう。そんなことをいつも思う。
だけど、そのカクテルが一番美味いと、自分だけは信じてやれるのだ。それが出来るのは自分だけなのだ。
果たして、サリーは俺の言葉に、はっきりと頷いてみせた。
「分かりましたわ。私は自分のカクテルを好きになります。少なくとも総さんのカクテルよりも」
「なんだとこのやろう」
「冗談です」
言ったサリーの表情は、本当に彼女は綺麗だと思わせる朗らかな笑みだった。
これで暫くは、カクテルを作るのが怖いとは言わないでくれるだろう。
ようやっと、一つくらいは師匠らしいことができたのではないだろうか。
「さて、じゃ、お返ししないとな」
俺は持っていた【ダイキリ】を干してから、静かに立ち上がる。
何を? と表情で尋ねてくるサリーに、俺はニッと悪戯っぽく笑ってみせる。
「こんなに作ってもらったわけだし、お返しに作ってやるよ。お前の為にカクテルを」
そう言ったときのサリーは、気のせいでなければとても嬉しそうに見えた。
ま、本音を言えばずっと目の前でカクテルを作られて、俺もやりたいとウズウズしていただけなんだけど。
それを言ったら、彼女は機嫌を崩す気がしたので言わないでおこう。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
更新遅れて申し訳ありません。少し長めになってしまいました。
また、作中の内容はあくまでも作者の一意見として受け止めていただけると幸いです。
カクテルに正解はないと思いますので。
※追記、ちょっと日曜日はお休みにして、次回更新は月曜日に回そうと思っております。ご了承ください。




