危機は去りて(4)
「ほい、グラスとつまみ」
言いつつ、俺は相変わらず動きがぎこちないサリーにそれらを手渡す。彼女はテーブルの、部屋の入り口から見て右手側にちょこんと行儀良く座っていた。
「並べて待っててくれ。ワイン取ってくるから」
「はい。分かりました」
並べろと言っても、大きな皿一つなのでコーディネートも何もあったものではない。基本、中央にドンで間違いではない。
つまみには結局、チーズをスライスしたものを用意した。俺にはチーズの知識はあまりないので、適当に店の人にオススメされたものである。今切ったのは、確かチェダーとゴーダだ。
彼女が了承したのを確認し、一度台所に戻り、ワインのボトルとコルク抜きを用意する。ワインはそれなりに良い値段の赤だ。とはいえ高級品という程ではない。
ワインはさっさと開けてしまい、ボトルだけを持って再びテーブルの前に戻ってくる。
サリーが並べてくれたグラスの配置を見て、思わず声が漏れた。
「あー」
「え? 何か変ですか?」
グラスはテーブルを挟んで対になるように置かれていた。
俺が昔、鳥須伊吹と同じように飲んでいたときは、グラスは隣りあうように置いてあったので、なんとなくそれが基準に思えていた。
テーブルを四角形として、辺同士が繋がるような配置である。
むしろ、今の状態でもその方が良いとも思う。
「サリー。向かい合う方が良いか? 隣り合う方が緊張しなくて良いぞ」
「……あ、そうでした……」
俺が指摘すると、サリーはハッとしたように声を漏らした。
バーカウンターでも言えることだが、人は意外と向き合って喋るのは苦手だ。
対面で相手を真っ直ぐ見ながら喋ると、双方が変に緊張したり、意見が対立的になったりしやすいらしい。
そしてバーテンダーは、お客さんの真正面には基本的に立たない。
真正面にバーテンダーが立つと、お客さんにかなりの威圧感を与えることになる。しかし、それではくつろいで貰えない。
席二つ分くらい離れた場所で、斜め前に立って会話するのが基本となる。
それはどのような時でも応用できる。例えばテーブルの座り方だって、対面に座るより斜め同士に座った方が、お互いを意識せずに会話がしやすくなる。
例を挙げれば、相手から視線を外したいときなどは、真正面では相手からわざと視線を逸らさないといけない。それが隣り合った面であれば、ただ前を向けば良いのだ。
両者を比較して、相手が受ける印象の違いはなんとなく分かると思う。
と、これはバーテンダー時代に教わったことの受け売りである。家で鳥須伊吹と飲んでいた時にそんなことを意識していたわけではない。
その辺りを自然にやっていたのが、あの女の恐ろしいところでもある。
俺はグラスをちょいっと移動させる。右手側にサリー、背後には台所がある配置だ。これに関しては特に深い意味はない。
俺がボトルを掲げると、サリーは自分が注ぐと主張する。が、今日誘ったのは俺のほうだ。謹んでお断りし、彼女のグラスに半分ほど注いだ。
それから自分のグラスにもさっさと注いでしまって、ボトルの口を綺麗な布巾で拭う。準備を終えてから、ようやく座ってグラスに手を伸ばした。
「さてと、今日は……そうだな。ひとまず、無事一日を乗り切れたことに乾杯するか」
「か、乾杯」
サリーの声が硬質なのが気になるが、今は良い。
グラスをカチリと合わせ、俺とサリーはそろってワインに口を付けた。
ブドウらしい、果実的な酸味と香り。それに赤ワイン特有の仄かな渋みが、心地よく舌に広がっていく。それなりにしただけあって、悪くはない。
美味いワインと不味いワインの違いはどこにあるのか、俺にははっきりとは言えない。だが経験上、不味いワインは飲みにくくて、美味いワインは飲みやすい。
その点から言えば、こいつは充分に飲みやすいほうに入るだろう。飲みにくいワインは一口含んだだけで、この先それを調理酒にすることを考え始める。
「まあまあだな。どう思う?」
「…………」
「サリー?」
「……え? あ、はい! とっても美味しいですわね」
俺が再度声をかければ、彼女はハッと気付いた様子で慌てて言った。
やっぱりというか、凄まじい緊張っぷりである。とても店で客相手に暴言スレスレの冗談を言う女と同一人物とは思えない。
俺が逆に感心していると、俺の返答が無いことに焦ったのか。サリーは重ねるようにしてワインを褒めた。
「ほ、本当にこんなに美味しいワイン、初めて飲みました!」
「そりゃ、どう考えても言い過ぎだろ。お前の実家を考えたら」
「うっ」
俺が呆れると、サリーは図星をさされたように唸った。
忘れがちではあるが、彼女はそもそも俺には想像も付かない環境で育った生粋のお嬢様なのである。吸血鬼に飲酒年齢のあれこれがあるかは知らないが、少なくとも今までで一番のワインが、ここで出てくるとは考え辛い。
サリーはそれから、あー、うー、と言葉を詰まらせたあとに、ぼそりと本音を告げた。
「……き、緊張で味が良くわかりません、わ」
頬を赤くして、若干しょんぼりしたように俯いた銀髪の美少女は、なかなかどうして様になるなと少し思う。
恥ずかしげな顔を隠すように、垂れ下がった艶やかな銀髪。その中でチラチラと俺の様子を窺っている、羞恥で潤んだ目。
仕事上がりのフォーマルな服装であっても、その仕草は凝縮された女性らしさを感じさせる。
俺がもし俺ではなかったら、性欲に衝き動かされて襲っていたかもしれない。それくらい、彼女が整った外見をしていることを実感する。
だけど、今の俺は彼女の先輩であり、今日はその立場で彼女を誘ったのだ。間違いなどあってたまるものか。
「さて。んじゃまず、その緊張を解すところから始めないとな」
「……う、うう」
そうしないと、せっかくの二人きりなのに、弟子の悩みも満足に聞いてやれない。
とはいえ、どうしたものか。
例えば営業前なら、適当にからかって怒らせることで彼女のペースに戻すのだが、生憎それを今やると、その先に繋がらない。
かといって、女性をあやすように動いたところで、それはそれで先に進んでくれない。いや進むけど、そっちに進まれると困る。
となると、あー、スマートな行動がパッと浮かんできてくれない。
くそっ。俺が今まで積んできた経験では、弟子一人の悩みを聞くこともできないのか。
「あの、総さん?」
俺が悩んでいると、いつもと違ってしおらしいサリーが控えめに声をかけてくる。
「どうした?」
「……今日は、どうして誘ってくれたんですか?」
「…………」
彼女の質問に、俺はしばし口を閉ざした。
何かを期待するような、しかし、頭ではそれはないと分かっているような。そしてそれが分かっていてもなお、万が一そうであったら嬉しいなと思っているような。
そんな、揺れる水面の如き感情の動きが、彼女の目から窺える。
少し胸が痛んだ。だけど、頭は痛くならない。
俺は、返事の代わりにチーズを一切れ摘んで、サリーの口に押し込んだ。
「むぐ?」
「チーズを食べて、ワインを飲む。なんだかんだで、昔からずーっと楽しまれてきた組み合わせだよな」
「…………」
「酒を上手く飲む工夫ってのは、本当に大昔からずっと続いてきたと、俺は思うんだよ」
そう言って、俺は彼女に目線をあわせることはしなかった。
サリーではなく、前を向いていた。
それだけで通じる程度には、俺とサリーの関係性は深くなっていると思っている。
チラリと目線を向ければ、サリーはチーズを呑み込み、ワインを含んでいた。
「……はぁ。総さんはカクテルバカの前に、酒バカでもあるんでしたわね」
彼女の緊張が完全に解けたとは思えない。それでも、随分とマシになったと見える。
彼女のため息混じりの言葉。そこにはいつもカウンターで並んで立っているときの、後輩としてのサリーが居る。
俺は少しだけ安堵しつつ、いつもの調子でサリーに講釈を垂れた。
「酒バカとは失礼な。酒を上手くする料理、料理を上手くする酒というものは、大昔から人の永遠のテーマとして食卓をだな」
「はいはい。分かってたけど分かりましたから」
「おう。ところで、オヤジさんと話してて今度、料理とカクテルの最高の組み合わせを模索するっていう──」
「…………」
おかしいな。ようやくいつもの調子に戻ったと思ったのに、今度はサリーさんの目がどんどん光を失っていく。
だが、せっかくダイニングバー形式であるのだから、乾きものだけに留まらず様々な料理と酒の組み合わせをもっと積極的に模索するべきだ。それは俺がオヤジさんと常々議論を重ねているテーマでもある。
それくらいサリーも分かっても良い頃合いなんだから、そんな『こいつ、そんな話をする為に呼んだのか?』みたいな目はおかし──くないな。
ちがうちがう。そういう話をするんじゃなかった。
「というのは、今は置いといて」
「はい」
熱した鉄が急速に冷めたみたいに、サリーの声が固い。
緊張で固いんじゃなくて、温度が低くて固い。
俺はおほんと咳払いして、一口ワインを含んだ。酒はその味わいを楽しむほかに、人の口をほんの少し軽くする力もある。
ここで、ウダウダと誤魔化しても仕方あるまい。俺は一足飛びで、彼女にまず聞かないといけないことを尋ねた。
「なんか最近、バーテンダーについて悩んでたりする?」
それを尋ねられたサリーは、肯定も否定もしない。
ただ、曖昧な、笑顔とも泣き顔ともとれない微妙な表情をするのであった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
更新停止が長引いて申し訳ありませんでした。
なるべく体調に注意してこれからも更新していきたいと思います。
次話以降、また一日おき更新でよろしくお願いします。
※1109 誤字修正しました。




