危機は去りて(1)
「ふいー、終わったぁー」
カウンターに体を預けて、完全に脱力したライの言葉である。
フィルに半ば背負われていたクレーベルを見送り、閉店ギリギリまで居てくれたイソトマも去れば、今日の営業もほぼ終わりだ。
テーブル席はそれよりも前に空になっていて、今日はいつになく忙しそうだったライが、今はだらけてカウンターに突っ伏している。
そんな彼女に苦笑いしつつ、俺は水の一杯も出してやる。
「お疲れさん。だけど、いつお客さんが来るかもだぞ」
「それはカウンターだけでしょー? 私の方はラストオーダーもう終わりー」
イージーズのラストオーダーに関しては、料理は閉店の三十分前で、飲み物は特に設けていない。
調理に比べて、カクテルを作る方が時間もかからず片付けも早く済むゆえの設定だ。
となると、テーブル席の方はできる片付けを済ませてしまえば、こういう場合、給仕は暇になる。
ということで、言ったライは完全にオフモードである。
見かねたサリーは、ライにおしぼりを被せつつ、嗜める声をかける。
「でも、外からだって、そんなみっともない姿は見られるわよ」
「良いのー。ありのままの私が人気なんですー」
「まったくもう」
サリーはいつにも増して呆れた声を出すが、咎めるのは止めたようだ。
ここがもっとピシッとしたレストランであれば、こんなライの態度は許されないだろうが、どこまで行っても下町の料理屋である。
あまり堅苦しくない、これくらいの態度が受け入れられているのもまた事実だ。
とはいえ、ライがここまで自分を見せるのは心を開いている身内に対してだけだ。彼女は彼女で意外とそういう相手が少ないことを知っている。
特に今日は、カウンター側の突発的な処置によって、特に飲み物面で走り回ってもらったわけだし、少しくらいは優しくしても良いだろう。
「なんか飲むか?」
「牛乳でなんか」
「あいよ。サリー、牛乳でなんか」
俺に注文をそのまま渡されたサリーは、少しびくりとする。
忙しいときの機敏さはどこへやら、固まったまましばらく動かず、ややあって俺に聞き返してきた。
「私ですか?」
「お前だよ。せっかく身内からの注文なんだ、堂々と失敗しろって」
「ちょっと、失敗は困りますよー」
ライからの緩いツッコミが入るが、それには答えず俺はサリーを見る。
若干渋い顔をしているのは、身内からの注文だから、というのがむしろある。
身内──特にライとイベリスはカクテルの評価が辛めだ。サリーのオリジナルなんかは結構な率で批判される。
同性故の言いやすさもあるのかもしれないが、単純に技術の差もある。
サリーは少し悩んだ後に、一本のボトルに手を伸ばした。
「では【カルーア・ミルク】を」
「冒険しなさすぎだろ」
「うっ、じゃあなんなら良いんですの」
俺が思わず突っ込んでしまうと、サリーは眉間に皺を寄せて睨んでくる。
しかし、ここで『何なら良い』という返答がくるのはちとまずい。正確には、そういう弱みを見せてしまうのがまずい。
俺が何か言うでもなく、目を光らせた赤毛の少女がすかさず口を挟んだ。
「自分で考えよ? 身内だからって手を抜かずにね?」
堂々とだらけているライに正論を言われるのは、相当悔しいことだろう。
んん、と軽い咳払いをして、サリーはライへと向き直る。
「……では、どのようにお作りしましょうか?」
「ヘロヘロしてるから、そんな私に合うものを」
「……オリジナルで?」
「お任せでー」
そして、考えた末にサリーが出したカクテルは、中々に挑戦的な一品だった。
テキーラ──テイラ、レモン、カルーアをシェイクしたもの、を牛乳でアップするという、俺ですらちょっと味のイメージがつかない一杯である。
挑戦的すぎて味が尖りに尖りまくり、ライに思い切り『美味しくない』と言われていたのが印象的であった。
「そういえば、総。最近そんなに忙しいの?」
美味しくないと言いつつ、その褐色の液体をチビチビと舐めているライが話を振ってきた。
なお、サリーは不貞腐れたように、一人無心でボトルを磨いている。
閉店まであと十分というところで、俺も大分気を抜いてライの質問に答える。
「まぁ、ボチボチな」
「……そんなに忙しいかあ」
ライは俺の返答をどう思ったのか、ちょっとつまらなそうに唇を尖らせ、どこを向くでもなく横を見る。
そちらに視線をずらしたところで、厨房の入り口があるだけだ。
「……最近、総とあんまり話してないなぁって」
そっぽを向いたまま、聞こえるかどうかの大きさでライがぼそりと言った。
確かに、ヴェルムット家に居候していたときと比べて、ライだけでなくヴェルムット家の人間と接する機会は大幅に減った。
今まで朝に起きれば顔を合わせていたのだから当たり前だ。朝食の時間はずっと話していたし、休みの日なんかは雑談に興じたりもした。
「……別に、良いんだけどさ」
別に良いと言いながら、別に良さそうな顔をしていないライ。
また、グラスをちびっと傾けて、美味しくなさそうに顔をしかめる。
そういえば、と俺は以前コルシカから聞いたことを思い出す。コルシカとライは年齢が近いせいか結構仲が良く、よくライは農場の手伝いをしている。
そんなコルシカに、俺が家に寄り付かなくなってライが拗ねていると聞いていた。
頭の中でその情報を引き出した俺は、漠然と作っていた予定表を頭に広げた。
「……そうそう、ちょっと暇ができたら、遊びに行きたいと思ってたんだよ。良いかな?」
「っ! ほんとっ?」
途端に、ライはぱぁっと顔を輝かせた。
がばっと体を起こし、身を乗り出すようにしてから、はっと自分の体勢に気付き、慌てて座り直す。
軽い咳払いの後、澄ました顔でライが言い直した。
「まぁ、お姉ちゃんが寂しがってたし、お父さんも張り合いなさそうにしてるから、喜ぶと思うよ」
姉と父親のためにあそこまで嬉しそうになるとは、なんて良く出来た娘さんだろう。
だが、その中に、一人入っていないのは気になるな。
わざとかもしれないので、俺はしっかりと聞き返す。
「ありがと。でも、ライは喜んでくれないのか?」
「私は、新しい料理の実験台になってくれるなら、歓迎しちゃう」
「喜んで」
俺がこくりと頷くと、今度は喜色を隠そうとせずにライがはにかんだ。
思えば、こういう風に彼女が嬉しそうに笑うのを、最近は見てなかった気がする。
いつまでもヴェルムット家の厄介になっているのはと家を出たが、たまにはちゃんと顔を出さないとなと思い直した。
会えるうちに、しっかり会っておかないと、後悔することだってあるんだ。
「それで、いつ来るの?」
ライは若干ウキウキしつつ、俺の予定を尋ねた。
「あー、またいつか──」
「いつかは駄目。今決めないと、総は絶対忘れるもん」
「手厳しい」
若干厳しい意見をぶつけられながら、次に店が休みになるときに必ず行くという約束をした。
思えば、ライの作る料理を食べるのは久しぶりのことだし、それはそれで楽しみだ。
問題は、それを知ったスイが自分まで作ると言い出さないかだが。いや、やめよう。彼女だって作ろうと思えば作ることは可能なんだし。希望を強く持つんだ。
「サリーは、一緒に行くか?」
「え?」
ライに約束を決められながら、俺は黙り込んでいるサリーに話題を振った。
彼女は、少しだけ迷ってから、いいえと首を振る。
「ちょっと、休みの日にやりたいことがあるので、遠慮しますわ」
「……そうか?」
サリーがそうやって控えめに断ったので、しつこく勧誘するのは止める。
ただ、そう言った彼女の表情は、何か悩んでいるようにも感じられた。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
いつものごとく遅れてしまい申し訳ありません……
余談ですが、サリーが作ったカクテルの、牛乳でアップするのを除いたバージョンは、それなりに面白い味がします。
自分は【濡れ羽】という名前を付けて、ごく稀に冒険したい時に作っていました。
比率は1:1:1です。
冒険したいという方は、勧めませんが頭の片隅にでも。
※1031 もの凄く根幹に関わるミスをしていたので訂正致しました。どうしてジンとテキーラを間違えていたのか……
※1031 誤字修正しました。
※1128 誤字修正しました。




