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異世界転移バーテンダーの『カクテルポーション』  作者: score
第五章 幕間

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【アースクエイク】(1)

 もともと、パスティスの飲み方として【パスティス・ウォーター】に、少し他の材料を加えるというものがある。

 その一つが【パスティス・ウォーター】にグレナデンシロップを足す【トマト】と呼ばれるものだ。

 俺が今回用意したものも、アブサンとパスティスの違いはあるにせよ【トマト】にライムを足しただけのものと考えられる。

 他にも、グレナデンシロップではなく、ミントリキュールを足した【パロケ】と呼ばれるカクテルも相応に飲みやすいものだ。



 さて、今回用意したカクテルの感想を詳しく聞いてみたいところではあるが、俺には次の用意が待っている。

 恐る恐るグラスを持ち上げたクレーベルを横目に、もう一杯に取りかかることにした。




 ──────




 クレーベルの視線の端で、目の前のバーテンダーの青年が新しい作業に入ったのが見えた。洗い物をしていたサリーにバースプーンを渡し、自らは『オールド』の前で少し思い悩んでいる様子だ。

 そうなると、ほんの少し、このまま飲まないでも良いのではという弱気が顔をあげる。

 先程飲んだ一口は、それほど、クレーベルの頭の中に強烈な印象を残していた。


 まるで飲み物と思えないような、そんな印象を。


「大丈夫だから。信じてみて」

「フィル様……」


 そんなクレーベルの心を見抜いたようなタイミングで、フィルが言った。

 いままで何度もやり取りがあるので、総とも知らない仲というわけではない。しかし、クレーベルが最も心を許しているのがフィルであることも変わりはない。

 彼の後押しもあって、クレーベルはようやく最初の一口を含んだ。


 強烈な印象は大分薄まっている。

 水によって香りは軽やかに。仄かなライムの酸味は口当たりを柔らかく。

 それでいて、思わず呑み込むのを拒絶したくなった強烈な味わいは、幾分か和らいでいた。


「あっ、先程よりは随分と、大人しくなりましたね」

「大人しくって」

「あ、いえ。すみません」


 クレーベルのあまりにも正直な感想だった。隣で聞いていたフィルのみならず、周りの人間がみな微かな苦笑いを浮かべている。

 冷たいグラスを持っているにも関わらず、体表面がぶわっと熱を持った。決してポーションのせいではないだろう。


「でも、それなら総さんが言っていたみたいに、混ぜてみようか」


 クレーベルを穏やかに見守っていたフィルが、そう言って手を差し出した。

 少し照れつつ、そんなフィルにマドラーを渡すクレーベル。一も二もなく、フィルはそのマドラーで丁寧にロックグラスの中を混ぜ合わせた。

 顔の端整さに違わぬ、ほっそりとした白い指先が、軽やかにマドラーを扱う。

 クレーベルが見蕩れていると、白濁していた液体が瞬く間に赤く染まった。

 フィルはクレーベルの視線に気付いたのか否か、ふんわりと優しい笑みを浮かべてその一杯を差し出した。


「さぁ、どうぞ」

「はい」


 我ながら現金だとクレーベルは思った。

 フィルから差し出された一杯であれば、それほどの躊躇もなく口に運ぶことができた。


 ふわりと口の中に広がる香味が、まず全然違っていた。

 あの特徴的に過ぎた薬草の感じが収まり、代わりに広がるのは甘みを帯びたベリーの果実香だ。

 確かにアブサンの雰囲気も感じるのだが、それと重なり合ったベリーが、見事にその癖を中和し、いっそ飲みやすいと言えるほどの口当たりに変えている。

 こくりと呑み込めば、後味としてやはりアブサンが残る。残るのだが、その味は先程ストレートでいったときほどの強烈さはない。

 グレナデンに塗られた舌の上で広がるその香りは、まるで薔薇の花のような、華やかな広がりをもってすっと抜けていく。


 先程、あれほど飲めないと思った味わいが、追加の材料でこうも変わってしまう。

 分かっていたつもりのカクテルの奥深さに、クレーベルは再度驚かされた気がした。


「どうでしょうか? 大丈夫そうですか?」


 ふいに横から声をかけられた。

 正面のフィルから視線を動かせば、冷凍庫にカクテルグラスをしまったらしいバーテンダーが、楽しげに尋ねてきていた。




 ──────



 作業の合間に、クレーベルが味見を終えたようだったので、俺は立ち上がり際に尋ねてみた。

 彼女は少し言葉を選んでから、にんまりと笑みを浮かべた。


「これなら、はい。美味しいと思います」

「それは良かった」


 アブサンがどう、とまではいかないだろうが、美味しいと言って貰えて安心した。

 俺がホッとしていると、クレーベルの様子に少し安堵したのだろう。

 ずっと不安げにクレーベルをチラチラと見ていたイソトマが、そわそわと聞いてくる。


「で、俺にはどんなのを作ってくれるんだ?」

「イソトマさんが好きそうなものですよ」

「いやいや、そりゃそうだろ」


 お茶を濁すような返答に、イソトマは呆れた声をあげた。

 だが、仕方あるまい。例えばアブサンの味をあまり言葉にしにくいのと同じように、今から作るカクテルもまた言葉にしにくい。

 いや、言葉にしても良いのだが、画一的な評価はしづらい。それだけ、材料の選択に余地があるカクテルだとも言えるのだ。

 とはいえ、流石に今の言葉では不十分かと考え直す。


「思うに、イソトマさんは、実はアブサンとそこまで相性が悪いわけではないと思うんですよ」


 俺のやや断言するような口調に、イソトマは空になったチェイサーのグラスをちらりと見た。


「……そんなこと言われてもなぁ」

「ただ、慣れてないんですよ。もともと、甘い系統よりは辛い系統のお酒がお好きですし、その好みの面から見ても、異物感が強かったんだと思います」


 これはむしろ日本人に多い問題かもしれないが、アブサンの持つ独特の甘みは、慣れていないと舌に合わないことが多い。

 日本の甘い菓子と、ヨーロッパなどの甘い菓子の違いをなんとなく想像してもらうと、舌の感覚の違いもイメージがつくだろうか。

 その舌の感覚の違いは、当然酒の好みにも現れる。海外で人気の酒が、日本ではそんなに、という現象はとても多い。


 しかし、それも突き詰めれば慣れの問題だと俺は思っている。


 知らない味をいきなり受け入れるのは難しいかもしれない。しかし、徐々にならしていくことで、その味を美味しいと感じられるようになるものだ。

 人間の舌は、そういう風に出来ている。

 俺だってアブサンを最初に飲んだときは、あまり美味しいとは感じられなかった。しかし職業柄、少しずつ慣らしていって、それなりに味わうくらいはできるようになった。


 というわけで、俺はその慣らしの一環として、今回のカクテルを選んだ。

 今日という日にその一杯は、ちょっとだけ痛いと言えば痛い。

 しかし幸いなことに、その一杯を作るだけの分量は、ギリギリ残っている。


「そういえば、お酒と人間は似てるって、前に言いましたよね?」

「あー、マスターに一杯たかられたときの」

「人聞きの悪い事言わないくださいよ」


 からからと笑って、冗談だと言うイソトマに苦笑いを返す。

 とはいえ、覚えてくれているのなら良い。

 俺は、少々わざとらしい例えを使って、今から作るカクテルを説明する。


「アブサンは、少し捻くれた女の子です。そんな子といきなり仲良くなろうとしても難しいでしょう? じゃあどうするか」


 にっと笑い、用意しておいたボトルを手に取った。


「決まってます。共通の知り合いに、紹介してもらうんですよ。そうやって少しずつ、アブサンと打ち解けていけば良いんです」


 俺が最初に手に取ったのは『オールド』のボトルだ。

 店に並んでいる中で、比較的特徴が少ない『スコッチ』を選んだ。香りはやや控えめだが、甘さがいい塩梅で、どんなカクテルに合わせても良い。

 そいつを20ml、メジャーを使ってシェイカーへと計り入れる。シェイカーの中に、じんわりと琥珀色が広がった。


「幸い、イソトマさんはどんな酒とも仲が良い。アブサンともすぐに仲良くなれますよ」


 俺がオールドを選んだところで、イソトマもおやと思ったようだ。

 オールドを用いるカクテルは、そう多くない。いや数はあるのだが、あまりお客さんに勧めることがない。

 だからこそ、俺が最初にカクテルの材料に選んだことに、興味を惹かれた顔になっていた。


「総さん、ちょっとクサいですわよ。その喩え」

「……お前はさっさと洗い物をしなさい」

「分かってますわよ」


 横からニヤニヤ顔で茶々を入れてくるサリーを刺してから、俺はもう一本も手に取った。

 冷凍庫から取り出され、ボトルから白いもやを吐き出す一本。本日、ギリギリの状態からスタートした『ジーニ』だ。

 ジーニのボトルを見たイソトマは、心配そうな顔で俺に尋ねてくる。


「おい良いのか? もう無いんだろ?」

「明日にはなんとかなりますよ。最後の一杯分は、お世話になったイソトマさんにです」


 感謝の気持ちも込めながら、最後の一滴ギリギリまでボトルを傾ける。

 メジャーカップにはぴったり20ml。本当にギリギリだったが、足りて良かった。

 常温だったオールドと違い、氷点下のジーニがシェイカーに落とされたことで、シェイカーの中の温度が一気に下がる。

 その空気を感じつつ、俺は最後の材料に手を伸ばした。


 ショットグラスに残った20mlの、アブサンだ。


 そちらをシェイカーに注いでみるが、他の液体と混ざり合ったところでアブサンが白濁することはない。

 液体は、僅かに黄色がかった透明のままだ。

 当たり前だ。アブサンの白濁する原因が『アルコール度数』によるものなら、その他の材料と混ざり合ったところで、極端に度数が下がることなどありえない。

 この世界のアブサンが魔力的な何かだとしても、変わりはあるまい。


 バースプーンで軽くステアして、味を見る。

 確かめるまでもない、強烈な香気と、むせるような高濃度の酒感。それでいて、味わい自体はどちらかと言えばマイルドなのが恐ろしい。

 つまりは、問題ないということ。


 氷をシェイカーの八分目ほどまで詰めて、蓋をし、ココンとまな板に打ちつける。

 固く閉まったシェイカーを胸元まで持ち上げ、ゆるりとシェイクを始めた。


 いつも通りを意識しつつ、少しだけ速度と力に注意する。

 ジーニのおかげでそれなりに冷えているとはいえ、常温の材料が多い。

 うっかりすると氷が溶けてしまい、水っぽくなりやすい。

 力を込めることなく、手首のスナップで軽やかに。中の氷が跳ね、その温度をすーっと液体に伝えて行く。


 カランとシェイカーの底を叩く度に、指に伝わる振動が心地よい。

 その指に伝わる感覚、耳に伝わる音、最適のポイントを体全体で意識しながら、シェイカーと一体になっていく。響き渡る音にその身を浸すが、その時間はそう長くはない。

 やがて、緩やかにシェイクを終える。


 一度シェイカーを置き、冷凍庫を開けて冷やしていたカクテルグラスを取り出す。

 丁度、ジーニのボトルが入っていた隙間がぽっかり空いているのが、殊更に気になった。


 冷やされて薄く白くなったグラスを、イソトマの前に。

 飲み終わっていた【ダイキリ】と入れ替わりに、新しいグラスがその場に立つ。

 シェイカーのトップを開け、ゆるりと中の液体を注いでやる。薄く黄色がかった液体が、するりとカクテルグラスを満たしてゆく。


 最後の一滴まで注ぎ、シェイカーを切って俺は告げた。


「お待たせしました。【アースクエイク】です」



 静かに揺蕩う黄色の震源が、ふわりと香気を漂わせながらそこにあった。


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