在庫危機(6)
「お疲れさんマスター」
お客さんの見送りを済ませて戻ってきた俺に、イソトマが労るような表情で言った。
食事客が落ち着き、カウンターに残っている客もイソトマただ一人。
カウンターの上と洗い場は戦場跡みたいにグラスが残っているが、どうにかお客さんは捌き切った。
もう少し閉店まで時間があるので、更なる来店の可能性は残されている。だが、一応は乗り切ったと言っても良い。
サリーが疲れ切った表情──を必死に隠しながら洗い物をしている。
俺はイソトマの斜め前に立って、今日の営業中の感謝を先にすることにした。
「イソトマさんも、助けて頂いてありがとうございます」
「いやいや、俺は何もしてねえよ? 飲んでただけだ」
謙遜するようにイソトマが言うが、彼がさりげなく俺達を助けてくれていたのは、良く分かった。
彼が今日注文したのは『オールド』のロックのみだ。それもグラスは交換しなくて良いと言って、氷も丸氷以外を指定してくれた。
忙しい時にそういう気遣った注文をしてくれるのは、申し訳ないがとても助かる。
更に、こちらが会話に回れない状況で積極的に、ぽつんとしているお客さんに声をかけてくれたので、大分楽をさせてもらった。
彼は確かに飲んでいただけではあるが、それがどれだけありがたいことか。
「一杯、自分に付けときますんで、どうですか?」
「良いの? お言葉に甘えちゃうよ?」
感謝の気持ちを俺なりに伝えれば、イソトマは遠慮しながらも不敵に笑う。こういう狙いで助けてくれた訳ではなかろうが、期待も多少はあったのかもしれない。
俺がそういう人間だと知る程度には、彼とも付き合いが長くなった。
そしてちょっと悩んだ後に、イソトマがにやりと笑って言った。
「勘違いかもしれないけど、今日『ジーニ』カクテルを出し渋ってた、よな?」
「あ、バレました?」
「なんとなくだけどな」
この時間になってまで、常連客にそれを隠す気にはならない。
俺がおどけてみせると、イソトマはうむと頷き言った。
「じゃ、それを肴に【ダイキリ】でも貰おうかな」
「かしこまりました」
俺は慇懃に頷きながら言った。
なお、現在のジーニの在庫は、ワンショット──30mlもない。
これ以上、一杯でもジーニの注文があれば、詰んでいたところであった。
「……そんなことがあって、よく普通に営業しようと思ったなぁ。マスター」
「そうでしょうか?」
「流石にそんな事情じゃ、誰も責めねえよ」
同情するように言いつつ、イソトマは【ダイキリ】を緩やかに口に含む。
ことのあらましを簡単に伝えれば、彼は本日行われた、突発的なキャンペーンの意図をすぐに理解した。
「しかし、自分が悪いわけでもないのに、責任を負うこともないと思うがなぁ」
確かに、今日に関しては、俺達がミスをしたというわけではない。
そういう意味では、スライム研究者なりに責任を押し付けて開き直ることもできたわけだ。
……いや、開き直るもなにも、出せないものは仕方ない話だし、その状況に至ったならばどうしようもなかったが。
「でも、誰も責めないとしてもです。カクテルが飲みたくて来たお客さんが、飲めないで帰るっていうのは、申し訳ないじゃないですか」
バー部門を閉めたとしても、食事は提供できるので店は開く。
そして入ってきたお客さんが、バーに用事だったとしたらそれは大変申し訳ないことになってしまう。
バーは特別な事情が無い限りは、毎日開いているものだ。俺が日本で働いていたとき、そう教わった。
いつでも開いているからこそ、人は何かあったときに気楽にバーに向かうことができる。
普段の日常で、ふと何か吐き出したくなったとき、定休日だったら寂しいことだ。
と、そんな俺の言葉を聞きつつ、イソトマがちらりと横目で厨房の方を見た。たまたま、ベルガモが皿を持ってライへと渡しているところだった。
「はて、俺の記憶じゃあ何回か、この店は開いてるのに、カクテルは出なかったことがあるけどなぁ」
「……人の命が関わってたときは勘弁してください」
「冗談だ冗談」
……ただし、特別な事情があったときには閉めるのもやむなしである。
俺は流れを変えようと、意図的にちょっと悪い笑みを浮かべながら、嫌らしく言った。
「それに。大変は大変ですけど、今日は大変儲かったわけですしねぇ、げへへ」
「お客さんを前に、嫌らしい話はしないって言ってただろー」
「おっとしまった。他のお客さんには秘密にしてくださいね?」
「分かってるよ……はっ、これが口止め料か」
多少気安い関係だからこそ言える冗談に、イソトマはしっかりと応えてくれる。
手に持った【ダイキリ】にハッとするイソトマ。それからお互い、ちょっとだけ吹き出した。
二人で軽く笑って流したあと、イソトマは【ダイキリ】を干した。
俺が仕草で、次のご注文を尋ねようかと示したところで、イソトマはそれを制し、静かに尋ねてきた。
「そういや、いつかマスターに聞いてみたいと思っていたことがあるんだ」
「はい? なんでしょうか?」
このタイミングで切り出したということは、次の一杯に関わることかもしれない。
あるいは、俺の尋ね方に関してのアドバイスか。
少し気持ちを改めて言葉を待っていると、イソトマはこう言った。
「マスターは、嫌いな酒──ポーションとかカクテルって無いのか?」
どうやらそれは、純粋な疑問であったようだ。
「嫌いなお酒、ですか?」
「そう。いっつも見てるけど、マスターは何でも飲むじゃないか。何か一つくらいはダメな酒があるんじゃないかとね」
「はぁ」
嫌いな酒。嫌いな酒か。
少しだけ頭を捻っているところで、未だに洗い物と格闘しているサリーが横合いから話に参加してくる。
「私も、少し気になりますわ」
「えーと、なんでだ?」
「もちろん、なんとなく」
純粋な好奇心。そんな顔だ。
さっきまで疲れが滲んでいた顔に、今は嬉々とした色を乗せたサリー。
良いから仕事しろ、と逃げたいところだが、ちゃんと手だけは動かしている。こんな所だけしっかり成長しやがって。
イソトマとサリーの二人にじっと見つめられて、俺はやや考えた。
そうしていると、頭の中に一つだけ、ふっと浮かんできたものがあった。
「嫌い、ってわけでは決してないんですが。そうですね。普段はあんまり好んで飲まないお酒ならありましたよ」
「ありました?」
「過去形ですの?」
俺の言い方に、イソトマとサリーが揃って不思議そうな顔をした。
「実は、ここでバーを開いて、自分の頭の中にある『欲しい物』はだいたい揃えたんですけれど、まだ揃ってないものがありまして。それが『ソレ』です。もう一年半は飲んでないわけですね」
それは、とある薬草系のリキュールである。
この世界でも、存在だけは確認しているのだが、それを店に並べるまでには至っていない。
何故なら、その『魔草ポーション』は、この国では他の魔草とは一線を画す存在となっていた。故に、今に至ってもまだ、仕入れのルートを作れていない。
「で、そいつは?」
「それは──」
俺が名前を告げようとしたとき。
お客様の来店を告げる鐘の音が、入り口のドアから響いた。
俺とサリーは咄嗟に顔を向け「いらっしゃいませ」と声をかける。かけてから、その相手が見知った存在であると気付いた。
営業中には見ないバッグを持った彼は、ちらりと周囲を窺う。その場に残った雑然とした雰囲気と、未だ列を成している洗い物を見て、少し察したらしい。
「なんか、今日は随分と忙しかったみたいですね」
「いらっしゃいフィル。できればあと二時間早く来て働いて欲しかったよ」
「えーっと、一応休みなんですけど」
若干申し訳なさそうな顔をする銀髪の美少年に、俺は冗談だと告げる。
フィルはホッと安堵した表情になってから、聞いてくる。
「まだ時間大丈夫ですよね?」
「知っての通り、閉店まではまだ時間があるさ。一人か?」
俺がコースターの用意をしながら尋ねると、フィルは首を振った。
「実は連れが──」
フィルが言い終わらない内に、すぐさまカランとドアの音が続く。
入ってきた黒髪の少女は、そっとフィルに寄り添ってにんまりと笑みを浮かべた。
「ごきげんよう。本日はフィル様をお借りしていますわ」
フィルに続いて現れた彼女は、名前をクレーベル・サフィーナという。
主に食料品系を取り扱っている新進気鋭の商会──『サフィーナ商会』の会長の娘であり、現在この『イージーズ』とかなり密接な関係にある人間の一人だ。
彼女に詰め寄られて、フィルは若干たじたじしているが、それを見せつけられた俺達三人の意見は一致した。
「デートか」
「デートね」
「デートだな」
俺、サリー、イソトマの三人が口を揃えたところで、クレーベルとフィルがそれぞれ答えた。
「そう。その通りですわ」
「ち、違いますよ!?」
クレーベルは俺達の言葉に乗っかり、フィルは必死に否定する。
まったく正反対のことを言いながら、息はピッタリである。
そして各々が、お互いの言葉に驚いた表情で向かい合った。
「そんなフィル様……私とのことは遊びだったのですか?」
「違いますよね? そういう話じゃなかったですよね? どうしてもバーテンダーとしての力が欲しいとか言って、僕を呼び出しましたよね?」
どうやら、今日フィルを誘ったのはクレーベルらしい。
見ての通りフィルはグイグイと来るクレーベルの対応に困っているところがある。それなので、普通に誘っては来ないと見たか、彼女なりに機転を利かせたのだろう。
俺の想像を肯定するように、クレーベルは涼しい顔で言う。
「そんなもの、デートって言ったら来てくれないから、方便に決まっています」
「道理でおかしいと思った……途中からバーテンダー全然関係なかったからね」
「でも、おかしいと思いつつ付き合ってくださるなんて……やっぱりフィル様はとてもお優しい方。そんな所がまた魅力的です」
「……それは君が無理やり。まぁ、確かに断らなかったのは僕だけど」
フィルが観念したような顔をすれば、クレーベルはうっとりと目を細め、嬉しそうにはにかんでいた。
まぁ、本当にデートだったか、そうじゃなかったかは関係ないだろう。
結局のところ、フィルはこの時間までクレーベル嬢に付き合っていたのだ。
ニコニコ笑顔のクレーベルを見れば、フィルがなんだかんだで彼女にしっかりと応えてあげていたことはわかる。
そしてそれを端からみれば、まぁ、デートだな。
「マスター。うんと辛いのくれよ。甘ったるくて仕方ないんだ」
イソトマからの遠回しな野次が入り、俺はそれに合わせる。
「申し訳ありません。【ドライ・マティーニ】と言いたいところなのですが、生憎ジーニが……」
「なんてこったい。これじゃいったい、何を飲めば良いんだ」
「フィルに聞いてみるのはどうでしょうか? 彼、カクテルに詳しいんですよ」
「大丈夫か? 今のフィルに聞いたら、甘ったるい答えしかなさそうだぞ?」
言いつつ、イソトマはニヤニヤとした表情でフィルの様子を窺った。
我ながら、面倒くさい絡み方をしている自覚がある。
そしてフィルから面白い反応が返ってくることを期待して待つが、彼は想像とは全く違った顔をしていた。
イソトマの注文を聞いて、それにピッタリの一品がまさにある。
そんな、正解を見つけたバーテンダーの顔である。
「ちょうど良かった。辛いのかは知らないですけど、今日はコレの件で呼び出されたんです。イソトマさんも、良かったら是非」
「うん?」
「総さんが、ずっと欲しいって言ってた『魔草ポーション』です」
若干事態を呑み込めずにいたところで、フィルはクレーベルに目配せをする。
彼女が、うん、と嬉しそうに頷いたので、フィルも喜色を浮かべたまま持っていたバッグから一つの瓶を取り出した。
緑暗色をした瓶。その中に含まれている液体もまた、仄かな緑色の気配を感じた。
なぜ、暗色の瓶なのにそう思ったのか。
中身は見えないのに、そんな印象を受けたのか。
それは、俺の中にその瓶の色で、こびりついているイメージがあったから。
何より、俺が欲しいと言っていた『魔草ポーション』など、そうはないから。
フィルは、瓶を俺に手渡しながら、嬉しそうにその名を告げた。
「──『アブサン』です」
それは、俺が先程挙げようとした名前だった。
地球においては、ニガヨモギを原料とする薬草系のリキュールの一種。
そして、この世界で俺が欲していた『魔草ポーション』の、最後に残ったものの一つであった。
※1017 表現を少し修正しました。
※1018 誤字修正しました。




