在庫危機(4)
「良いか。一応簡単なフレッシュの使い方を教えておくぞ」
カウンターに戻り、入り口の鐘の音に気を配りながら俺はサリーに言った。
いつもなら、開店してしばらくはのんびりと来客を待っているが、今日はそうもいかない。
開店直後はカウンターに座ってくる客はあまりいないので、その間にサリーにある程度仕込んでおかなければならない。
サリーは、いつもの彼女らしくないほど真剣な様子で、メモを取り出し俺の言葉を聞く態勢に入った。
「まず、リンゴみたいな固い果実は、まともに潰そうとしなくていい」
「……と言いますと?」
「アップル・リキュールを使ったときの飾りにするか、アレを使え」
言って、俺はカウンター内側、その端に収まっている機械を指差した。
そこにあるのはブレンダー。通常はフローズンカクテルなどを作るときに使う機械だ。一般的にはミキサーと言った方が伝わるだろう。
毎日使うような器具でもないので、使わない普段はしまってあるのだ。
「使い方は大きく分けて二つだな。フローズンスタイルとかのカクテルとしてそのまま出すか、リンゴをペースト状にして材料として使うか」
「……あの、私フローズンカクテルって苦手、なんですけれど」
「リンゴをぶつ切りにして、気持ち多目に材料を入れて、クラッシュアイスを詰めるだけ。考えるな、感じろ」
サリーの弱気発言が聞こえるが、逃げ道を残しておくわけにもいかない。
もともと、ブレンダーは固いものを機械の力で砕き、混ぜ合わせてしまうものだ。カクテルに使わない場合、リンゴなどが本来のターゲットだろう。
洗うのが少し面倒なので普段から積極的に使うことはないが……特別なカクテルが必要になれば、これほど心強い存在はない。
「次に、ブドウみたいな柔らかい果実は、そうだな。すりこぎで簡単に潰れてくれるし、シェイカーにそのまま入れて、少し強めにシェイクするのでも良い」
前者の使い方をするならば【モヒート】のようにミントと一緒に潰すなどが合う。後者の使い方ならば、普段のシェイクのカクテルに、新鮮な果実味が合わさって、いつものシェイクカクテルとはひと味違った美味しさが生まれる。
あえて注意点をあげるならば、普通に注ごうとしても、果実が詰まって口から出ないこと。かぽっとストレーナーを外して、氷ごとタンブラーなりに注ぐ形が一般的だろう。
「洋梨は、どっちでも大丈夫だ。お客さんの好みに合いそうな方を自分で選択すればいい。もちろん、ブドウだってブレンダーに入れても良いのは忘れるなよ」
固い果物を簡単に潰すことはできないが、柔らかい果物をブレンダーに入れていけない理由はない。
ただ、その辺りは手間と成果の見極めだ。正直に言ってブレンダーを使うカクテルは、作るのに時間がかかる。
機械を準備するのにも、材料を見極めるにも、出来上がった後に洗うのにも、単純にシェイカーを使うときの倍くらいの時間を見るべきだ。
人が少ないときならば良いが、混雑時に一々それをやっていると手が回らなくなる。だからこそ、使うときを見極めなければならない。
作成するカクテルもそうだが、扱う道具の状況を見ての取捨選択もまた、刻一刻と変化する場を乗り切るために必要なことだ。
「ここまでで何か質問は?」
「一つ良いでしょうか?」
「何でも聞いてくれ」
俺が本当に簡単な説明を済ませたところで、サリーはおずおずと尋ねてくる。
「それぞれの果実に合う組み合わせの、定石のようなものは、ありませんか?」
「……定石か」
俺は頭の中の経験と、組み合わせのイメージをいくらか引っぱり出す。
個人的には、そのあたりは実際に自分の舌で学習して欲しいところだが、今は仕方ないか。
「これから言うことは、あくまで俺の個人的な意見だってことを忘れるなよ」
「はい」
一応の前置きをしてから、俺はまず初歩から始めることにした。
「フレッシュの果実を使うときに一番気を使うのは、果実そのものの味を殺してしまわないことだ。果実を使うなら、それと相性が良いものを選ぶのが定石。果実側が持っている甘みと酸味に、真っ向からぶつかる材料は避けるのが無難だな」
例えば、リンゴの果実とオレンジ・キュラソーならどうだろうか。
リンゴとオレンジの果皮。ともに果実系であるし、リンゴは分りやすい酸味を持つ。
オレンジとリンゴ自体の組み合わせも悪くはないので、そこまで喧嘩することはないだろう。
しかし、リンゴの果実とコーヒー・リキュールの組み合わせはどうだろうか。
もちろん、絶対に合わないと言うつもりはないが、コーヒー・リキュールの奥深い甘苦さと、リンゴの瑞々しい甘酸っぱさを、わざわざ合わせる必要も感じない。
冒険するつもりなら止めはしないが、定石としてはあまり考えるべきではない。
フレッシュを使うならば、果実形のリキュールを合わせつつ、甘みと酸味のバランスを取るのが外さない選択だろう。
「自分の中の果実のイメージと、リキュールのイメージを組み合わせてみろ。甘みと酸味のバランスを取って、足りない分はオレンジジュースやグレープフルーツで埋める。そうすれば、よっぽどのことが無い限り、味が喧嘩することはない」
主役がフレッシュであることを忘れなければ、それだけで失敗はない。
それが、フレッシュの果実を使ったカクテルの強みである。
しかし、それを頭に入れてもなお、さっき言った取捨選択で考える時間がないこともある。
そんなときの抜け穴も、一つだけ教えて上げることにした。
「それと、迷った時に強いのは、紅茶だ」
「紅茶、ですか?」
サリーはメモとのにらめっこを一時中断し、もの問いたげな目で俺を見てくる。
「ああ。紅茶のリキュールは、果実と凄く相性が良い。果実、紅茶リキュ、それにジンジャーとかの炭酸の組み合わせ。考える時間がなくても、これだけで充分美味い」
奥の手と言うか、これは俺が個人的に好きな組み合わせに過ぎないのだが。
紅茶リキュール。紅茶のエッセンスを盛り込んだ甘めのリキュール。日本のバーでも『ダージリン』や『アールグレイ』などを冠して、それ系統のリキュールを置いているところは多い。
その紅茶リキュールは、存外フレッシュと相性が良いのだ。
紅茶リキュールのカクテルで、有名どころを言えば【ダージリン・クーラー】などがある。
クーラー・スタイル──ベースとなるお酒を、主にジンジャーエールなどでアップする、カクテルの形式の一つだ。
【ダージリン・クーラー】の材料には『シャンボール』など、ラズベリー系のリキュールを使うのが普通だ。
そこに果実を加えてやると、紅茶はその果実の風味を受け入れてくれる。
適度な酸味を加えるのを忘れなければ、これほど使い勝手の良い組み合わせはない。
「納得行くか?」
「……なんとなくは」
「まだお客さんは来てないから、不安なら一度試しておけ」
「……はい」
サリーは素直にこくりと頷いた。
しかし、その表情は未だに芳しくはない。
どうしても拭い切れない不安が、その顔から、雰囲気から滲み出てしまっている。
それではいけないと、俺は少し悩み。
「不安そうな顔すんな!」
「きゃっ!?」
彼女の不意を突いて、少し背中を叩いた。
サリーは突然の行動にメモを落としかける。だが、直後にはムっとした顔で俺に食って掛かってきた。
「な、なにするんですの!?」
「おう、その意気だ」
「は? いったいなんの話です?」
「だからさ。バーテンダーがさっきみたいな、不安そうな顔してちゃだめだろ」
彼女の不安を怒りで塗り潰してやったあとに、俺は指摘した。
その途端に、またぶり返しそうになったのでびっと指を突きつけて言ってやる。
「昔言っただろ。不安そうなバーテンダーが出す一杯と、自身満々のバーテンダーが出す一杯。どっちが美味くなるかって」
確か昔、フィルとサリーがカクテルを作った時に、似たような話をしたはずだ。
お客さんの前で、バーテンダーが不安そうな顔をしていてはだめだ。お客さんがカクテルを注文したとき、最初に見るのはバーテンダーの顔なのだから。
サリーはしばしぽかんとした後に、緊張が抜けた表情でふっと笑う。
「出来立てのカクテルは、世界で一番美味しいカクテル。でしたわね?」
「その通りだ。出来たその瞬間だけは、最高のカクテルだ。だから?」
「胸を張ります」
そう言い切ったサリーは、完全に不安を吹っ切ったようだった。
カクテルを出すとき、何もかもが不安でもバーテンダーだけは自信を持たないといけない。虚勢でも張らないといけない。
それが、カクテルを美味しくするための第一歩なのだから。
「よし。あらためて、聞く事はないか?」
「大丈夫ですわ」
サリーは、書き込んだメモをさっと流し見て、それから深く頷いた。
どうやら、不安はしっかりと呑み込んだようだ。
「それじゃ聞くぞ。今日お客さんが入ってきて、その黒板に気付いた。これは何か、と聞かれたらなんて答える?」
少しだけサリーを試すように言ってみるが、彼女は満面の笑みで、精一杯の虚勢を張って言ってみせた。
「当店自慢の限定メニューですわ。ぜひお試しくださいな」
そう答えた彼女の笑顔は、うっかり注文したくなるくらい魅力的だった。
少なくとも俺は、そう思った。




