これからの未来について
それから、俺は『イージーズ』の常連客と散々話しまくった。オヤジさんの料理を食べまくった。そして、この世界の酒を飲みまくった。
冷えてはいないが、祝いの酒に文句を付けるほど、俺は無粋ではない。
なにより、一番美味しい酒というのは、楽しい場で飲む酒のことである。充分、美味しくいただきました。
飲む傍ら、俺は様々な話をしていた。
自分のことを聞かれて面白おかしく語ってみせたり、逆に色々と質問をして、この世界の知識を蓄えてみたり。
常連の多くは雇われの労働者のようだ。小さな不満を燻らせつつ、皆が楽しそうに人生を過ごしていた。
自身で店を持ち、日々頭を悩ませている人間もいた。苦労話に花が咲いた。
そんなやり取りを通して、俺はぼんやりと、『イージーズ』という大衆食堂が、街の人間に愛されているのだと実感した。
そんなところに、俺は、入って行くのだ。
ここに居る客は皆、オヤジさんの客である。そして多少はライの客である。
今日来てくれていた人達の中には、カクテルに興味を示し、頼むと言ってくれた人達もいた。
だが、それはあくまで『オヤジさん』が認めたから、お情けで言ってくれたのだ。
俺は、ここから『俺の客』を作っていかないといけないのだ。
時間が経ち、店の中はなお入り乱れる。俺は気配を消してひっそりと外に出た。
俺が出て行ったことに気づいた人間は、いなかった。
ただ、一人を除いて。
「どうしたの?」
スイの声が店の入り口から聞こえて、俺はそちらを振り返った。
店から漏れる光に照らされて、丁度後光が差したような神々しい少女の姿があった。
「主役が外に出ちゃ、だめでしょ」
「ちょっとだけ、酔い覚ましがしたかったんだ」
責めるようなスイの声に、俺は静かに答えた。
彼女は呆れたように息を吐き、そっと俺の隣にきた。
「なに見てたの?」
「星、かな」
俺は道の端っこから、ぼんやりと夜空を見上げていた。
星座の知識なんてない。だが夏の大三角形くらいなら知っている。
もともとの俺の世界はもうすぐ夏だった。この世界もそう変わらない気がする。
さりとて、夜空のどこを見ても、見慣れた三角形は見つからなかった。
「色々と、信じられないものを見てきたはずなのに、今、一番実感してる」
「……異世界に、来たってこと?」
「ああ」
だってそうだ。
色々なことがあった一日だった。
でも、実感するのは、今の時間だ。
それは、もとの世界での話。
準備を整えて、店をオープンさせるのは、いつも午後八時丁度だった。
体内時計でいう、今まさにその時だ。
「総は、やっぱり帰りたいって、思う?」
「え?」
スイの震える声がした。
俺は戸惑い、彼女の目を見る。
暗闇の中、星を映す綺麗な瞳が、俺のことを真剣に見つめていた。
「私に頼まれなかったら……ううん、頼まれてる今でも、本当は自分の世界に早く帰りたいって、思ったり、しないの?」
「……いや、不思議と、あんまり思わない」
スイが不安そうに尋ねてきたが、俺は無意識に答えていた。
「店はまぁ、なんとかなる。俺が居なくても、代わりなんていくらでもいる。それくらい、俺の存在なんて取るに足らないものだった」
「そんなこと──」
「あったんだ。少なくとも親からは、俺は死んだことにされてたしな」
最初から、俺は大した人間じゃなかった。
俺のカクテルのファンだと言ってくれていた人も居たが、少数だ。
だから、俺が抜けた影響なんて、そう大きくはない。
「でも、ここには俺しかいない。自意識過剰かもしれないけど、スイを助けてあげられるのは俺だけだ。だから、俺は自分の意思でここにいたい。スイの側にいたい。スイと、一緒に居たいんだ。そしてこれから、助けるし、助けられたい。お互いを必要としあえる関係に、なれたらなと思うんだ」
俺は、言い切ってから少し照れくさくなって、はにかんだ。
「たった一日の付き合いだけど、それくらいスイは俺にとって大切な人だと思う」
この世界に来て、初めて会ったのがスイだったから。
俺はこの世界でやるべき事を見つけられた。
だから、俺のその言葉は嘘偽りのない、本心だ。
「……な、えと」
「ん?」
「あ、ありがとう」
言われたスイも、なにやら照れたように顔を真っ赤にしていた。
まるで、恋愛に慣れていない女の子が、ストレートに告白されたみたいだった。
「そ、それじゃ、その、私も。うん」
「うん?」
「私も、その、総と一緒に居たい。えと、だから、できるなら末永くその、助けて欲しい、と思うから」
「おう」
ところどころどもりながらスイが言ったので、俺はにっと笑みを浮かべた。
そして彼女の手を握って、ぎゅっと力を込めた。
「これからもよろしくな。スイ」
「……よろしく。総」
握った手から、スイの体温が伝わってきた。
思えば、ノリや演技で女の子と手を繋いだことはあっても、こうやって真剣に握手をするような機会はなかった。
意識すると少しだけ、この状況が照れくさくなってくる。
「ま、そのためにも、まずは準備だな。あと二週間しかないんだ」
「……そうだね。私達の未来のためにもね」
俺の言葉に、スイは素直に頷いた。だが、手は離していない。
彼女は少しうっとりと目を細めていた。
恐らく、店が上手く繁盛して、彼女の希望である『安価なポーション』で『貧しい人』が救われる未来でも見ているのだろう。
だが、その想定はまだ早い。この先の未来を想像して悦に入るのは自由だが、そのためにはやるべきことが山ほどあるのだ。
「ベースは良いにしても、その他の色々がまだ足りないな。少なくとも、ソーダを中心とした炭酸系の割り材はなんとかしたい」
「……えと、そう、なの?」
「それが済んだらリキュールだな。ただ、製法なんか分からないしなぁ。さらに現状、ウィスキーやブランデーは後回しにせざるを得ないが、いずれ必ず」
「……そ、そう」
「たぶん、そういう諸々の為にはまたスイの魔法の力が必要になると思う。本当、末永くよろしく頼むぜ、相棒」
「あ、相棒?」
そこでスイは、ようやく手を離した。
かと思うと、きょとんとした目で俺を見つめてくる。
俺は何かおかしなことを言っただろうか。
いや、そんな筈はない。
俺は最初から、ずっと『カクテル』製作の話と『バー』の経営の話をしていた。
「そうだろ? 俺とスイで、力を合わせて一緒に『バー』をやっていこうって話だ。俺たちは助け合う関係になるんだ。俺は『魔法』は使えないし、スイは『カクテル』を知らない。だから、二人で力を合わせて、末永く『バー』を守って行こう。そしてゆくゆくは『酒文化』の発展に貢献を──」
「あ、そう。うん。そうだね」
俺もまた将来への『酒文化』の発展の夢を熱く語ろうとしたが、スイに切られた。
その後に、スイはどうしてだか、じとっとした目で俺を睨んでいた。
「なんだその顔?」
「……別に」
「まぁ、美人だからどんな顔でも似合うけど」
「……っ!?」
俺がからかうと、スイはその表情を即座に崩した。
そして、今度は怒りで赤くなり、俺の手を強引に掴んで引いた。
「もういい。ほら、酔いは醒めたでしょ。戻ろう」
「あぁ。引っ張るなって」
「しらない。総は、信用ならないって分かったから」
少しだけご機嫌斜めだが、それでもほんのりと嬉しそうなスイに引っ張られて、俺たちは店の中へと戻った。
その直後、二人が消えたことに気づいていた客達に囃し立てられて、スイは顔を真っ赤にして叫んでいた。
その姿は、無表情がデフォの彼女にしては、やたらと可愛らしかった。
ついでに俺は、
張り付いた笑顔のオヤジさんとライに厨房まで引き摺られて……そこから先はあまり覚えてない。徹夜だったし気絶するように寝たんじゃないかな。うん。




