カクテルグラス再び(2)
現在地は、作りが洋風であるにも関わらず、所々に和のテイストを盛り込んだ部屋の中。箪笥や机、小物入れなどに風情を感じ、たまにアクセントのように入るガラス細工に目を奪われる。
その家にお邪魔する度に、どこか懐かしい香りを感じ、俺の気は緩む。
しかし今は、そんな俺も酷い緊張状態にあった。
茣蓙に胡座をかいた男が、うーむと唸り出してから暫く経った所だ。
小豆色の短髪に、目を引く一本の角を持つその和装の男性は、俺が尋ねたひと言に、深く考え込んでいる。
「…………」
「…………」
男二人、居間の卓の前に座り、向かいあって無言。
その状態で、どのくらいの時間が経過しただろうか。
やがて、カッと目を見開き、男は言った。
「龍とか、どうだろうか?」
「龍!」
その予想外の答えに、俺のテンションも否応無しに上がった。
「ああ、龍だ。そして虎もだ」
「虎も! 二つも!」
「龍虎だ、龍虎。これは素晴らしい作品になるぞ」
「お、おお……」
まったくイメージできないその図に、その場の勢いで圧倒される。彼がいったい何を言っているのか分からないが、なんとなく凄いことだけは分かってしまう。
いや、正直に言おう。俺は今、少しだけ酔っている。
だから、彼の言う事に適当な返しをしている気がする。
なぜならば、俺達の前には『ポーション』ではない『酒』があるのだから。
「鱗の一つ一つ、模様の一つ一つ、心を込めたガラス細工。これは、イケる!」
「イケますか!?」
「ああ、イケる!」
共に少しだけ赤くなり「イケるイケる」と連呼するいい歳こいた男達。呼応するようにテンションが上がって行く。
そんな俺達に水を刺すように、いつの間にか近づいていた和装の女性が、ポカンと男性の頭を叩いた。
「なに馬鹿なこと言ってるんですか旦那様? そんな一点ものに過ぎる、実用性皆無のグラスなんて、作ってる暇があるわけないですよね?」
女性はニコニコとした顔で言うのだが、この人は基本的にいつも笑顔なので、面白くて笑っているわけではあるまい。
それに対し、和装の男性は憮然とした表情で言い返す。
「しかしだなメグリ。カクテルのためのグラスじゃない、グラスのためのカクテルを作るとなれば、グラスにも、そのくらいのインパクトがだな」
「必要ありません」
ピシャリと言い切ったメグリさん。
彼女は和装の男性──カムイさんを放置して俺に向き直る。
「総さんも、あまり馬鹿なことをこの人に考えさせないでください。この人、馬鹿ですから、本当に作りかねませんよ」
「……あはは」
そう苦笑いで返したところ、台所のほうからもう一人の女性の声がした。
「メグリさん! 噴いてます! 鍋が噴いてます! 魔法、魔法使っていいですか!?」
「ああ! すぐ行きます! 待って!」
助けを呼ぶ声は、スイのものだ。
今、台所がどのようになっているのかは分からない。だが、スイの慌てぶりからして、彼女のキャパシティを越えたことにはなっているのだろう。彼女は技術的に料理が作れないわけではないが、慣れない台所に苦戦しているのかもしれない。
メグリさんは、さっと卓の上に持ってきていた皿を並べた。この辺りでは珍しい柄の陶器で、その上には一口大に切られた、胡瓜や白菜の漬け物が乗っている。
「もう少しで出来ますから、それでも食べて大人しく待っていてください」
そう言い残し、言葉よりも先に動くくらいのスピードで、メグリさんはまたそそくさと台所へと戻って行った。
俺とカムイさんは向き合う。皿と漬け物はあっても、何故か箸がないのだが。
「ま、素手で良いか。構わねえかあんちゃん?」
「大丈夫です。あ、注ぎます」
「お、悪いねえ」
カムイさんは掴んだ胡瓜を口に放り込み、その手でおちょこを差し出す。俺はすかさず、とっくりを傾けて彼の杯を満たした。
こういったお行儀の悪い行いも、なんとなく昔を思い出して暖かくなる。
俺とカムイさんは、胡瓜や白菜をパリパリと摘みながら、二人の女性が戻ってくるのを待つことにした。
現在俺とスイが居るのは、ガラス職人であるカムイさんの家だ。
少し前に、ベルガモからの伝言でカムイさんから話があると聞いた。恐らく、グラスかボトル関係の話だと思ったので、スイと都合を付けてここを訪れることにしたのだ。
そんなカムイさんだが、今や俺達とは切っても切れない関係になっている。
ウチのグラスやボトルは、今やそのほとんどを彼に作ってもらっているのだ。
もともと、彼と最初に出会ったときはカクテルグラスの製作依頼だった。この街のガラス工房にことごとく門前払いされ、途方にくれていたところで街外れに住むガラス職人の話を聞いたのである。
そしてこの場所に辿り着き、俺のもともと居た『日本』と、似ているようで違う『ジャポン』という国から来たガラス職人に出会った。
それから悶着あり、グラスの製作を行ってもらえることになったのだった。
まずは、三角形のカクテルグラス。それから、ロックグラス、タンブラー、コリンズグラスと一通りのグラスを製作してもらう。
彼の作ったグラスは、それまでの市販のグラスよりも透き通っていて、どこか暖かく、手に馴染む。
来店するお客さんの誰もが、口に出すわけではないがひっそりと満足度を上げていたように思える。
グラスが済んだ後も、今度は『ポーション』を入れるボトルを一つ一つ作ってもらった。
それまでは画一的なボトルにラベルを貼って誤魔化していたのだが、じつは我慢の限界だった。
バーの酒棚は、見た目にも美しくないといけない。そのためには、ボトルから凝る必要がある。
というわけで、俺とスイはたまにボトルの製作をお願いするために、いくつか『リキュールポーション』を持ち込んでは、それぞれにあったボトルを試行錯誤してもらっていた。
と、彼と出会ってからそういうやり取りがずっと続いていたのだが、最近ようやく一段落したところなのだ。
そんな折りに呼び出されたとあっては、顔を出さないわけにはいかない。
というわけで、俺とスイは二人で訪れた次第である。
で、二人で来てみたら、カムイさんとメグリさんは二人揃って、
『新米が食べられるから、ご馳走になっていけ』
という趣旨の発言をしたのであった。
料理をすると言ってメグリさんは台所へ。俺も手伝おうかと言ったがやんわりと断られ、代わりにスイを引きずって行った。
残された男二人。何をするとなったら、ちょうどメグリさんの実家から送られてきた酒があるから、飲んで待とうとなったわけである。
昼間から飲んでいるけど、まあ、たまには良いだろう。
「イケると思うんだがなぁ。龍と虎のグラス」
「何がいけないんですかねぇ」
で、待つのにも若干疲れたので、俺は先日ふと思った話を振ってみたのだ。
グラスに合わせてこちらがカクテルを作るとしたら、どんなグラスを作るか、と。
「カクテルって、種類によって色とりどり変わるだろう? それぞれの色に染まる、龍の鱗と虎の毛皮。こちらで光の加減や、少し色彩を整えてやりゃあ、モノによっちゃあ、とんでもなく映える。人の前に現れる度に姿を変える龍虎。こいつは良いと思うんだ」
残念そうに言うカムイさんは、少しだけ拗ねた子供のようである。
しかし、言われればなるほど。彼が一体何を思って『龍のグラス』とか言い出したのかは少し分かった。
もともと、彼の専門はガラス細工であり、グラス量産ではない。
とんでもない時間と、技術をかけて一点を作ることこそ、彼の本懐なのだ。
「そういえば、最近仕事が増えてるんですよね?」
「誰かさんのおかげでな。このままじゃ俺の──いや『カミカゼ』の名前は、ガラス職人じゃなくグラス職人として広まっちまう」
「あはは」
その点に関しては、苦笑いをする他ない。
彼は、店にあるグラスに小さく『カミカゼ』の名を残している。それがたまたま、ウチに来た金持ちのお客さんの目に止まり、少しだけ有名になっているようだ。
真心の篭った、美しいグラスを作る職人として。
仕事が増えて嬉しい反面、自分の作品の追及の時間が減ってしまうのは頂けない。とはカムイさんの言。
不平を言ってはメグリさんに『ならさっさと有名になって、作品だけで食っていけるようになってください旦那様』と、嗜められているとか。
俺は、その話題を誤魔化すように、くいっと一杯おちょこを干した。
「どうよ、味は?」
「あ、どうもです」
カムイさんが入れてくれる酒を干したおちょこで受け止めて、それから答える。
「もちろん美味しいです。この辺じゃあ飲めるとこないですし」
「だよなぁ。わかっちゃいたが、好きな時に好きなだけ『酒』が飲めないのは、いただけない。これも武者修行の辛さよなぁ」
くーっ、と泣くような素振りを見せるカムイさん。
しかし、それを飲みながら言っても説得力はない。
だが、ふざけているように見えても、彼の言っていることは真実なのだ。
「……いずれは、国に帰るんですよね」
「ああ。そのつもりだ」
ふと零せば、カムイさんは赤くなった顔で、しかし真剣に言った。
彼の目標は、異国の地で名を上げること。そして、晴れて正式にメグリさんとの婚姻を、メグリさんの実家である『シラユリ家』に認めてもらうことだという。
あまり見えないが、この二人には既に子が居るのだ。その子を実家に預けて、彼らは二人でこの国まで来たらしい。
「そしたら、寂しくなりますね」
「かか、男に言われてもなぁ。ま、心配すんな。何も言わねえで急に消えたりしねえよ」
「そうですか」
「それに、ここは結構居心地良いしな。子供を連れて、またこの国で暮らすってのも、悪くねえ気もしてんだ」
しんみりしそうな話題と見てか、カムイさんは殊更に明るく言ってみせた。
そしてまた、水みたいにおちょこを呷り、くーっと酒臭い息を吐く。
「ま、俺達のことは気にすんな。さて、行くか」
簡単に言葉で決着を付け、それからカムイさんはすっと立ち上がった。
俺は彼を見上げる形で、尋ねる。
「行くって? どこにです?」
「決まってんだろ。つまみ食いにだ」
「……またメグリさんに怒られますよ?」
「かまわんかまわん。お前も来い。怒られたら『嫁の手料理が待ち切れなかった』とでも言っておけば良いのよ」
快活に笑うカムイさんなら、確かにそれで許されるのかもしれない。
しかし、俺はそれで許されるというか、それ以前の問題があるのだが。
「よ、嫁って……!?」
それはひょっとして、スイのことを言っているのだろうか。
俺が戸惑いの顔をしていると、カムイさんは「ん?」と首を傾げる。
「違うのか?」
「ち、違いますけど」
「ま、気にすんな。いつも一緒に居るなら嫁みたいなもんだろ。大丈夫大丈夫」
「…………」
それは全く別物の気がするが、彼にとっては同じようなものらしい。
ひそひそと忍び足で台所へと向かって行くカムイさんに、俺は呆れながら付いて行くことにした。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
まだ確定ではありませんが、この次の更新が遅れるかもしれません。
その場合、またあらすじでご連絡いたします。よろしくお願いします。




