もう一つの贈り物
日常の皮を被った、悩ましい日々はすぐに過ぎる。
ノイネはますますヴェルムット家に馴染み、少しだけ俺や双子にも慣れる。街で気になる所も減り、家での作業に馴染み、店にもちょいちょいと顔を出すようになる。
そしてその間、彼女が答えを催促するようなことはなかった。
彼女は本当に静かに、俺達が答えを出すのを、待ってくれていた。
彼女への感謝をひしひしと感じながらも、俺はまだ答えを出せていなかった。
何をそんなに悩むのかと自分自身に問いかけても、曖昧な返事がくる。
思えば俺は、何かを天秤にかけて悩むほど大切に思うものを、これまでの人生では持ってなかったのだ。
譲れない自分というものが、無かったのだろう。
しかし、この世界に来て、自分が思っていた以上に『ここ』が大切になっていた。
それだけ居心地の良い空間へと変わってしまっていた。
スイの存在もカクテルの探求も、俺にとってこの場所になくてはならないものだった。
どっちが欠けても嫌なんだ。
「……渋いな」
俺は静かに口に含んでいた少量の酒を呑み込み、そう呟いた。
再び巡ってきたイージーズ定休日の夕方。ベルガモやイベリス達と話をした一週間後。
せっかくの休みだからと、溜まっている課題を進めているところである。
自室の机にグラスを並べた俺は、そこにほんの少量ずつの液体を注いでいる。
傍らには水。それと口に含んだ液体を吐き出すためのお盆。
先程の薬酒であるが、テイスティングが主目的であるなら呑み込む必要はなかった。喉を通る感触を何度も確かめる必要はない。
しかしどうにも、勿体無い気持ちがあって、俺はついつい口に含んだ酒を呑み込んでしまう。だから毎日、三、四種類程度しか課題のために飲めないのだ。
それ以上の数を見ようと思うと、どうしても酔ってしまう。
酩酊するという意味ではなく、舌が馬鹿になってしまうという意味だ。
今呑み込んだのは、ラベルによると『ガンコウラン』という植物。
ランと付いてはいるが、蘭科ではなくツツジの仲間であり、常緑の小低木らしい。
果実は黒い球形で食べられるし栄養も豊富。ジャムとして利用されることもあるとか。
果実酒として見れば、沈んでいる実は僅かに黒褐色に変わり、液体には赤系統の色が移って、鮮やかだ。
しかし、果実系の中では、渋さが目立つ。香りも、そちらに準ずる。
今回は、他にも『オオミノツルコケモモ』や『オトコヨウゾメ』あたりと一緒に味を見て、比較を行っていた。
その中で『ガンコウラン』は、一番渋みを感じた。色合いは綺麗なのだが、黒い果皮に含まれていたのだろう渋酸っぱさは、やはり人を選ぶ。
俺はグラスから手元に目を移し、何度目かの所感をまとめようとペンを取る。
サラサラとペンを滑らせ、殴り書きで綴った。一つの果実の所感を書くのに、短くても二十分ほどかかるのもまた、課題がゆっくりとしか進まない理由か。
ペンを置き、うーんと腕を伸ばしたところで、いきなり背後から伸びた手が俺のメモをひったくった。
「え?」
俺が驚いて目をやると、いつの間に部屋に入ったのか、ノイネが俺の書いたメモに目を通していた。
しかし彼女はすぐに顔をしかめる。
「読めませんね。いったい何語なのですか」
「ああ、それは日本語って言って……じゃなくてですね」
俺が一人でメモを取る時はついつい日本語を使ってしまう。ノイネにも俺の素性を多少は話したが、さすがにそんなことまでは逐一説明してはいない。
というのはさておいて、俺はノイネに非難の目を向ける。
「勝手に入ってくるのはどうかと思います」
「何度もノックをしたのですが、返事が無かったものですから。心配で踏み入ってしまいました。申し訳ありません」
「……え、ノックしてました?」
「気付いてなかったのですか」
彼女が嘘を言っているわけでないとすれば、俺は彼女のノックをひたすら無視していたのか。
無断で入ってきたことを非難するのは当然の権利だと思う。思うが、そもそもここの家の人間はよく無断で入ってくるし、今回は俺も悪かった。
「えっと、すみません。こっちも今後気を付けますので……」
「はい。こちらこそすみません」
二人して微妙な謝り合いをしながら、俺はふと部屋の入り口付近へと目をやった。
そこには、見覚えのない小包が置いてある。
「それで、ノイネさんはどうして俺の部屋に?」
「そうでした。あなた宛てに荷物が届いたので、それを知らせにきたのです」
ヴェルムット家に届いた荷物を、当たり前のように受け取っているノイネである。
俺はひとまず彼女に礼を言ってから、小包を見る。紐で十字に縛られた布袋のようなものだ。送り主は『ホワイトオーク』とあった。
少しだけ興奮気味に中を開けると、これまた小さな箱があり、その中には梱包材に包まれた瓶が入っていた。瓶の中身は褐色の液体だ。
その中に手紙も同封されていて、その主は、俺が研修に行っていたとき世話になったアルバオ・グレイスノアとあった。
『
総へ
久しぶり、元気にしているかな。君のことだから、飲み過ぎてはいないかと心配しています。ポーションだからと言っても、飲み過ぎは体に良くないと思うよ。
こちらは君達が帰ったあとも、大忙しです。ホリィ先生とセシル先生が仲直りしてからというもの、あの人達から生まれる様々なアイディアを検証するのに、手が全くと言って良いほど足りていません。しかし、そのおかげで僕のような新人にも色々な仕事が回ってくるので充実しています。
さて、今回君に送ったのは、君が示したもう一つの可能性の結果です。
まだ季節ではないので大量には作れませんでしたが……『麦芽』ではなく『ブドウ』を使った『オールド実験』の末に生まれた新しい『ポーション』。
君が以前言っていた言葉を借りれば『ブランデー』となります。
まだ試作品ですが、君が気に入るだろう味の良いものを一つだけ瓶に詰めました。感想を聞かせてくれると嬉しいです。
君が残して行った『音声送る君』ですが、十分程度なら動かせると思うので、君が休みの日の夜九時くらいに連絡をくれれば。
最後にもう一度。
君のおかげでこっちは忙しいけど、とても楽しくやれてるよ。
その分、そちらに遊びに行くのはずっと先になりそうだ。余裕が取れそうなら連絡するよ。イベリスやギヌラ、それにスイや君の周りの人達にもよろしく。
アルバオ・グレイスノア
』
アルバオらしいやや堅苦しい事務連絡と、友人としての砕けた締めの手紙だった。
俺は彼の手紙に懐かしさを感じつつ、もう一度瓶を見る。
たった一瓶だが、もしかしたらこの世で初めてかもしれない『ブランデー』の瓶。
なんというか、頬がゆるまずにはいられない。
「荷物については分かりましたか」
と、一人ニヤニヤしていたところで人の声。この場には俺以外にも人が居た事を今更ながらに思い出し、少し恥ずかしくなった。
「えっと、まぁ。友人が俺の言ったことを覚えていてくれて、試作品のポーションを送ってくれたんですよ」
「……『第五属性』ですね」
「見ただけで分かるんですか?」
「私くらいになれば」
落ち着いた口調で言うノイネ。だが、彼女の目にもその新しいポーションの入った瓶は興味深く映っているようだ。珍しく、目が輝いている。
ノイネはしばしばイージーズにも顔を出しているのでウィスキー系のポーションは既に試している。だからこそ、尚更にその違いが気になるようだ。
俺は彼女の少しだけ子供っぽい姿に、面白くなって勧めた。
「良かったら、一口飲みます? いつも店で出してるのとはまた違って──」
「……い、いえ、それだけしかないのならば」
「遠慮しなくても」
「……では、一口だけ」
駄目押しのひと言で、ノイネも欲望に負けた。
ひとまず、テーブル前の椅子を彼女に譲り、俺は立ったまま準備に入る。
テーブルにテイスティング用のグラスを二つほど用意。瓶の封を開けて静かに注いだ。
液体が瓶から流れ落ちる瞬間、『彼』が秘める豊かな甘い香りが弾ける。
ウィスキーとは違う果実っぽい甘さが、俺とノイネの鼻孔をくすぐっていく。
「これは、どういった種類のポーションですか」
「えっと、そうそう。ノイネさんなら作ったことがあるかもしれませんが、ワインを蒸留して作られるお酒……をイメージしたオールドポーションですね」
「ワインを……ですか」
グラスを一つ渡すと、ノイネは不思議そうにその琥珀色の液体を揺らしている。
「ワインの蒸留酒は、このような色にならないと思いますが」
「……ああ、それは樽の色です。オールドの元になる『ニューポット』を樽に漬け込んで、そこから時間をかけてやれば、ゆっくりと液体はその色になっていくんですよ。ウィスキーも元からあの色ってわけじゃありません」
「木樽ですか。確かに保存には便利ですが、魔法的影響が大きいので、薬酒にはあまり用いませんね」
どうやら、薬酒においても樽は液体になんらかの影響を与えるそうだ。そういうひょんなところでも、この世界は酒の発展に厳しい。
もっとも、地球のウィスキーだって、もともとは樽に詰めて熟成していたわけではない。昔は穀物から作られた醸造酒を蒸留しただけの、無色透明のものを飲んでいたらしい。
樽詰めの初まりは、ウィスキーに多大な酒税がかけられたころ。
当時の酒造者たちは、ウィスキーを密造し、手近にあったシェリー酒の空樽に液体を詰め、隠した。時間を置いて樽を開けてみると、中の液体には色が付き、味わいもまろやかになっていた。
というのが、ウィスキーが今の形になった、最初のエピソードと言われている。
重い酒税もなければ、そもそも酒の技術もそこまで進んでいないこの世界だ。
それに加えて、魔法という要素から樽が敬遠されがちとなると、いかに薬酒で進んでいるエルフでも、そのあたりは知らないところなのかもしれない。
「とりあえず、先入観は取っ払って、試しに飲んでみるのが良いですよ」
「……では」
「あっ、ゆっくりですよ。強いですから」
「わかっていますよ」
俺の忠告に、ノイネは苦笑いで返した。そりゃそうか、蒸留酒を飲み慣れている人間には要らぬ世話だった。
俺とノイネは静かにグラスを掲げ、ゆっくりとその液体を口に含んだ。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
果実酒の味に関しては、あくまで個人の感想です。
実際に条件の違いで味わいが変わることは充分考えられますので、ご了承ください。
あと、少し感想返信遅れます。すみません。
※0724 誤字修正しました。




