もう一つの課題
ノイネがヴェルムット家に滞在し始めて、三日が経った。
当初は、自分の居場所を見つけられずに戸惑っていた彼女ではあったが、三日もすると生活に馴染んでしまっているのだった。
例えば、朝食を作るキッチンで。
「ライ。スープはこんな感じでどうですか」
「んー? わっ……すっごい美味しい。え、なんで」
「香草の使い方です。香りは直接味には関わりませんが、重要な要素なのですよ。特に扱い易い香草になりますと──」
「へー。勉強になるなぁ」
と、いつの間にか敬語を取っ払ったライと、料理のあれこれを交換する関係になっていたり。
かと思えば、スイの私室にて。
「スイ。読んだ本はきちんと、規則正しくしまいなさい」
「……私は場所とか、分かるから」
「あなたが分かるかどうかの話をしているのではありません。他の者が見たときの見栄えの話をしているのです。だいたい、場所が分かった所で、そんな風に積み上げてしまっては取り出すのにも一苦労ではないですか、そもそも──」
「分かったから! しまうから!」
と、俺達が諦めていたスイの本を綺麗に片付けさせたり。
他にも、共有スペースである居間では。
「フレン。居眠りをするのなら、きちんと自室のベッドで寝なさい」
「あぁ? いちいち面倒だろ」
「あなたがそうやって横着することで体調を崩したら、誰がこの家を支えるのですか。あなたは昔から自分の健康を疎かにしすぎです。そもそも年頃の娘が住む家に男を居候させるなどと、無神経な」
「うるせえな。あんたは俺の母親かっての」
「はい。義理ですが」
「……あ」
と、煙に撒こうとするときにオヤジさんが使う常套句が、ついに通用しない相手が出てきてしまったり。
三日目にしてすでにノイネは、ヴェルムット家に入り込み始めていた。
フィルとサリーの二人は、ノイネとはそれほど深い交流はしていないように見える。
その辺り、やはりノイネには、身内特有の遠慮の無さから出ている言動でもあるのだろう。
特に言えば、タリアの娘であり、自分の孫娘であるスイとライを特に気にかけている様子が見えた。
そして俺はどうなのかと言えば、俺は俺でノイネとは微妙な関係を築いていた。
現在地は、ノイネの私物を押し込んだ、空き部屋というか倉庫みたいな一室。
普通に考えれば、いきなり倉庫で寝泊まりができるわけではない。しかし、この部屋には俺の部屋にはないベッドがある。
俺がかつてこの家に住むことになったとき、辞退したそれだ。そのため、少し埃っぽいことを除けば、この部屋は充分に一人の部屋として扱うことができた。
そして今、俺はノイネが並べたいくつもの瓶を前に、ごくりと唾を呑み込んだ。
「技術を教えるというわけではありません。よろしいのですね」
「はい」
俺が頷いたのを確認してから、ノイネは静かに説明を始めた。
「私が現在、手元に持っている薬酒はおよそ二百種類です。そのうち、そうですね……あなたはジャポン出身と見受けられますので、そのあたりで取れる材料を使ったものでも、試しに飲んでみますか」
俺が再度頷くと、ノイネは並んでいる瓶のうちのいくつかに手を伸ばす。
俺が今なにをしているのかと言えば、ノイネに頼んで彼女の荷物であり商売道具でもある『薬酒』の試飲をさせて貰っているのだ。
彼女は現在、路銀の他に荷物として薬酒を何種類も所持していた。どうやってそれだけの量を持ち運んでいるのかといえば、それもまた魔法の力と言えるだろう。
ノイネは攻撃魔法こそ得意ではないが、それ以外──特に第五属性の魔法を色々と扱えるらしい。時間と空間に関する属性というだけあって、重さを軽減したり、反応を送らせたり早めたり、荷物袋の空間を広く誤魔化したりと色々と使い道があるようだった。
通常、エルフの薬酒とは何種類もの薬草を組み合わせ、それぞれに適した成分の抽出法でもって、酒に薬効や風味を溶け込ませて行くことで生まれるらしい。
しかし、その技術そのものはノイネ自身や、エルフ達の中でもそれなりに大事なノウハウ。スイが交換条件に出す程のものなので、ただで教えて貰えるわけではない。
ただ、ノイネが持っているのはその『完成品』だけではなかった。
複合酒の他に、単一の薬草の効果を溶かし込んだシンプルな薬酒も、彼女は複数を持ち運んでいた。複合酒よりも安価で販売したり、必要なときにその場で調合したりするためのものだ。
そして、その話を聞いているときに俺が興味を持ったので、ノイネはその試飲を俺に提案してくれたというわけなのだ。
「そもそも、ジャポン周りの素材は私もまだ研究段階なので、大した量はありませんが」
言いながら、ノイネはことりことりと瓶を並べて行く。瓶と言っても、お酒が入っているようなボトルの形状ではなく、大きなジャム瓶のような感じだ。
瓶にはラベルが張ってあり、素材となった植物の名前、漬けた年月日、漬けた酒の種類らしき表記、そして効能などが書いてある。
「浸けた酒は統一してあります。私の里の近辺で取れる『アワクス』と呼ばれる果実から作られる蒸留酒です。私は基本的にその『アワクス酒』で漬けますが、ワインやその他の酒を使うことも無くはありません」
「蒸留酒、使うんですね」
「人間の社会ではあまり飲まれませんが、醸造酒よりもよほど扱いやすいものですよ」
「ええ、はい。知ってます」
彼女の補足説明を聞きつつ、俺は瓶の中身を観察してみることにした。
瓶の中には、透明だったり褐色だったり、赤色や黄色だったりと様々な色の付いた液体。底か上部には、目印としてだろう──漬け込んだ実などのサンプルが一粒二粒残っている。
「『ガンコウラン』『ムラサキシキブ』『オトコヨウゾメ』『アクシバ』『オオミノツルコケモモ』『シラタマノキ』『オニウコギ』……」
つらつらとラベルを読み上げる。残念ながら、先程口にしたものは俺の記憶では全く馴染みのない面々である。
なんとなく漢字を思い浮かべられはするのだが、浮かんだところで植物の形状や実の種類、何より味が全く浮かんでこない。
しかし、その後に続いたのは、少しばかり聞き覚えもあるものだ。
「『キンモクセイ』『マタタビ』『ノイバラ』……『ヤマザクラ』」
キンモクセイと言えば、桂花とも言う日本人にも馴染みの深い花だ。その甘い香りはキンモクセイの季節が来たことを実感させるし、『桂花陳酒』というお酒はそれなりに聞いたことがある人も多いのではないだろうか。
続いたマタタビも、日本古来より伝わる薬酒としては有名なものだ。俺もこれは一度だけ日本で飲んだことがあるのだが、たとえようのない、吐き出したいくらいの苦味を持つえぐい酒であった。良薬口に苦しとは良く言ったものだ。
その後のノイバラは、野バラとも呼ばれる植物だ。日本のバーで働いていた時にとあるお客さんから聞いた話では、その実は実際に薬として扱われていたりするとか。
そしてヤマザクラ。日本の桜並木に良く植わっている『ソメイヨシノ』ではないが、桜という花がこの世界にも存在している事実は、俺の心をほんのりと盛り上げた。
後は、名前は聞いたことは無かったのだが、その見た目で興味を引かれるもの。
「この『カラハナソウ』……って、『ホップ』ですか?」
良く見知った緑色ではなく、酒に浸けられることで褐色になってはいる。しかし、瓶の底に沈んでいるその実。マツボックリに似たその実の形はどう見てもホップであった。
ホップとは、エールを作る際に苦味付けとして用いられる植物である。ビール特有のあの苦味は、ホップの苦味から取られているものだ。
「良く知っていますね。こちらは、この近辺で取れる『ホップ』の近縁種です。ジャポンでは山野に自生しているようですね」
俺が酒飲みらしき反応を返すと、ノイネは感心したような表情を浮かべた。
そんな彼女は、微笑みながら用意しようとしていた最後の瓶を並べる。
最後に出てきた一瓶に、俺はついつい、ぞっとしてしまう。
「……『ヤマブドウ』……」
ヤマブドウ。
言わずと知れた、野山に自生している『ブドウ』の近縁種。少し知識があれば、普通に山で生えている実を取って食べることもできる、小さなブドウだ。
しかし、更に知識を持ってしまうと、取って食べることはできても、酒に浸けることはできなくなってしまう。
日本の法律では、個人が『ヤマブドウ』を浸けた果実酒を作ることは禁じられているのだ。
禁止された詳しい経緯まで把握しているわけではないのだが、ブドウとヤマブドウ、それとブドウ科の果実を漬け込んで果実酒を作ることは、酒税法違反となるらしい。
「どうかしましたか」
「い、いえ、なんでも」
俺は日本で禁じられている代物が出てきてうっかりビビってしまったが、良く考えなくてもこの世界のこの国に、それを禁止する法律があるわけがない。
つまり、この世界では、合法である。
ふーっと、気持ちを落ち着けている俺を不思議そうに見つつ、ノイネは言った。
「さて、ここでただ試飲を、というのは簡単ですが、少し面白くないかもしれませんね」
彼女はまさに、俺を試すような目をしていた。
先程まで並べられた瓶に夢中だった俺は、そんな雰囲気の変化を敏感に察する。
彼女の俺を見る目が、オヤジさんが俺を試す時の目と似通って見えた。
「私は確かに、スイからの取引に応じました。もしそのような運びになれば、彼女が交換条件として求めてきた『薬酒』のノウハウをあなたに教えるという契約は、しっかり履行致します。しかし、そもそもあなたが私のノウハウを引き継げるほどの器があるのかを、私は知りません」
教えると約束はしたが、それを理解できないと言われるのは困る。
確かに、ノイネにとっては重要な問題であるのだろう。安請け合いしたが故に、死ぬほど苦労させられてはたまらない。
「ですので、彼女の条件とは別に、私もあなたを試させていただきます。あなたが私の出す課題すらクリアできないようであれば、最初から取引そのものを無かった事にさせていただきたいのです」
ノイネの真剣な声に、俺はごくりと唾を呑み込んだ。
この三日間、俺は自分がどういう結論を出すべきかを悩んでいた。しかし、当たり前だがその結論を出した更に先も、話は続いて行くのだ。
どれだけ悩んでいようと、次はやってくる。その次に対応できないのなら、どちらの選択肢を選んでも、意味など、ない。
「分かりました」
俺は、考えるまでもなく答えた。
その決意の早さにノイネは少し目を丸くした。
「迷わないのですね」
「迷ってどうにかなる問題じゃないですし、俺が課題をこなせれば良いだけでしょう。自分だけで解決できる問題なら、悩む必要なんてありません」
それに、どちらでもプラスになる話だ。
仮に、俺達がどんな結論を出しても問題ない。今ここで課題を出されて、それに応じようとすればその分だけ、俺は薬酒の知識を得られる。
それは、その先の道がどうだろうと、多かれ少なかれ役に立つ事だろう。
「良いでしょう。では、課題を出します。期限はあなたたちが結論を出すその日まで。内容は……」
ノイネは、並べた瓶に目を落とす。
俺が口頭で読み上げた、いくつものラベルを流し見る。
しばらく悩むように沈黙し、そしてふむと微笑を浮かべて言った。
「こちらに並べたジャポン材料の『薬酒』──主には『果実酒』ですが──を全て飲んで、その味をまとめてください。美味いも不味いも、酸いも甘いも、あなたが感じた味を全てです。その感想が、私の納得できるものであったのならば、とりあえずあなたを認めて差し上げます」
ここに並んでいる『薬酒』──全て。
俺が口頭で読み上げた数、十三種類。
それら全てのテイスティングをして、嘘偽りない感想をまとめること、か。
「分かりました」
「おや。すんなりですね」
「だって」
味の違いをまとめる。それは俺のライフワークみたいなものだ。
カクテルの一杯、材料1mlの違いを突き詰めて行くのが、カクテルの先を求めるということ。それが俺の選んだバーテンダーの目指す先だ。
そんな俺にとって。
「俺はそれが楽しくて、バーテンダーをやっているみたいなものですから」
その課題は、あまりにも目的と手段が一致し過ぎていたのだった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
作中で出てきた植物は、実際に日本に生えているものになります。全体的には実をつける植物の果実を漬けていると思っていただけると。
ただ、薬酒や果実酒として実際に飲まれているかどうかは別問題になります。
美味しいかどうかは、さらに別問題になります。
真似をして漬け込むという奇特な方がいらっしゃいましたらお気を付けください。
正直、普通に美味しいのは……あんまり……オススメはキンモクセイの花酒です。
また、架空の果実として出てきた『アワクス』の蒸留酒ですが、それから作られた蒸留酒は『泡盛』の味をイメージしていただけると幸いです。
それとヤマブドウを漬け込むと本当に違法になるので、止めましょう。
※0714 表現を少し修正しました。




