気まずい感情に理屈を
翌日の朝。
ばったりと廊下で顔を合わせた俺とスイは、お互いに気まずそうに目線を逸らす。
「おはよう」
「……ん、はよう」
それでも挨拶だけは交わして、すれ違った。
ライが作ってくれた朝食を囲む席でも、俺達はどこかしらギクシャクをかかえたままだった。
いつもは騒がしいライが基本的に無言だし、そうなるとそこから話を盛り上げる俺も何も喋らない。
ちゃちゃを入れるサリーも大人しいし、たまに的確なツッコミを入れるフィルもその要素がない。
そんな話で調子に乗った俺達を叱るオヤジさんも何も言わなければ、それらを薄い笑顔で見ているスイも、笑っていない。
何度かサリーがやや高めのテンションで話を振ってみても、二言三言のキャッチボールで止まってしまう。
上手く話題を探せないときの会話の痛々しさは、筆舌に尽くし難い。
結局朝食が終わるまで、俺達はただモソモソと食べ物を喉に流し込んでいた。
美味しい筈なのに、あんまり味を感じなかった。
今日は普通の営業日だ。
シフト的には俺とフィルが入っていて、サリーは休み。スイには特に予定はないが、予定が無いときの彼女は昼間、基本的に店に居ることが多い。
バー部門の営業時間でなくとも、魔力欠乏症で駆け込む人が居た時に対処できるように。
ぼんやりと考え事をしていた午前中が終わり、ふらりと外に出て行ったサリー以外のメンバーで店に向かうと、カウンターに座ってぼんやりしているスイが居た。
俺達が店に入ったときも、スイはあまり反応せずにぼんやりとボトル棚を眺め続けていた。
「……スイ。誰か来たか?」
「誰も」
「そっか」
声をかけるが、素っ気ない返事の応酬で会話は終わる。
フィルが心配そうに見てくるので、苦笑いしながら大丈夫と返す。それから静かに、開店前の確認に取りかかることにした。
オヤジさんの作った昼食を囲んでいるときにも、朝食とあまり空気は変わらない。
サリーの代わりにベルガモが、彼女の朝のポジションに収まっただけだ。
昼食を済ませてしまえば、ルーチンワークのように決まった動きで、掃除や器材の準備、氷を割る作業などに移る。
何も考えずにそういうことをしていられるのは、少し気が楽だった。
だけど、どうしても意識してしまうことはある。
何も考えずに居れば注意が散漫になり、ついうっかり、同じようにぼーっとしていたライとぶつかってしまった。
「わっ」
「っと、すまん」
二人して態勢を崩しかけたあとに、一声かけて戻る。
だが、立ち止まって向き合ってしまうと、そこからまた目を逸らすというのは、どうにもわざとらしい。
「……その、昨日はなんだ。ごめんな」
意識して、俺は話題を口にした。それでも、本当に触れたい話題は口にできない。
俺が謝ると、ライは微妙な表情でそれを受ける。
「いや、うん。私もなんか、ごめんね」
「あ、ああ」
当たり障りのない言葉。逃げてしまうなら、今だった。
だけど、俺はここで一歩だけ踏みとどまって、本当に話すべき話題を口にした。
「……違う。そのさ。スイ、も聞いて欲しい」
ライが笑って誤魔化してしまう前に、スイが静かに受け流してしまう前に。
彼女らが確認を取る前に。
俺は、とにかく出した結論を口にすることにした。
「俺はやっぱり……スイにそこまでして貰うくらいなら、時間をかけて進むのだって良い、と思う」
一晩悩んで、俺は一度こういう答えを出した。
確かにスイの言い分も分からなくは無いし、ノイネの求めも分からなくない。
だけど、言い方悪く言えばスイを犠牲にしてまで、取るべき選択肢ではないと思う。
胸の中で「それで良いのか?」と囁く声に、聞こえないフリをして、俺はそういう結論を出したのだ。
「だから、スイはそんなに思いつめる必要なんて、ない」
俺の声は、届いていた筈だ。
フィルが準備を続けている中で、カウンターに座っていたスイが、振り向いて答えた。
「私は、それでも、総の力になりたい」
昨日の、ややあてつけるような言い方ではなく、スイは芯のある声で言った。
「私が嫌なの。総が求めているものが見つかれば、この店はもっと大きくなる。もっと大きくなれば、それだけ救える人が増える」
彼女も一晩経って、昨日の感情に理由を付けたのだ。
確かに『ベルモット』が手に入ればそれだけ、カクテルの幅は広がる。カクテルの幅が広がれば、もっとこの店を有名にだってしてみせる。
それは、俺だけのためじゃなく、スイの目的にも通じることである。
だから彼女は、俺のために、そして自分のためにそれをすると、言っているのだ。
「それに、総だって本当は、早く手に入れたいって、思ってるんでしょ?」
最後に付け足したその寂しい笑みに、俺はぐっと唇を噛んだ。
心の中ではどんな美辞麗句を並べた所で、そう思う自分を否定することは出来ない。
「私のことなんて気にしないで、カクテルのことを、気にしていれば良いじゃない。何よりカクテルが大切なカクテルバカなんだから」
酷く抑揚の無い声で、スイはさらにそう続けた。
視界の端っこで、準備を続けていたフィルが驚いた顔をしていた。そんな言い方しなくても、と割って入りそうな雰囲気がある。
俺はそんな彼を手の平を見せて止め、スイに言った。
「……分かってるから、やめてくれ。悪かった」
彼女の憎まれ口の理由は、きっと俺に『行ってしまえ』と思わせるためだろう。
俺を怒らせて、そこまで言うなら勝手にしろとでも思わせて、俺の心の負担を少しでも軽くさせようと思ってのことだろう。
だけど、冷静になった今なら、そんな分りやすい挑発の意図が見えないわけがない。
俺が怒るでなく、辛そうに返したことで、スイはすぐに表情を改める。
「……うん、ごめんなさい」
そしてまた、昨日みたいにお互いが頭を下げた。
傍観していたライは、そこでまた彼女なりの希望を述べた。
「私はやっぱり、お姉ちゃんがそこまで意地を張る理由なんて分からないよ。今みたいなお姉ちゃん、なんか、やだ。嫌い」
嫌いとまで口にしてから、ライは心配そうに、言葉を続けた。
俺やスイを、ハッとさせる言葉を。
「今のお姉ちゃん。総がウチに来る前と、似たような顔してるもん。無理して自分に言い聞かせて、張りつめてる顔、してるもん」
スイは声を詰まらせる。
そう指摘されて、否定しない程度に自覚はあるのかもしれない。
自分の行いを、自分だけは正しいと信じて、がむしゃらになっていた頃のスイを俺は知らない。
しかし、見ず知らずの俺がたった一度見せたカクテルを、即座に信じて縋る程度には追いつめられていた筈だ。
今の彼女が、その頃と同じだとすれば。
きっと、ずいぶんと無理をして、先程の意見を選んでいるに違いない。
「なぁスイ。ライもこう言ってる。だから」
俺がスイを説得するために、ライの言葉に乗っかろうとしたところで、そのライが俺にも言った。
「総も。一緒だよ」
「え?」
「総も、お姉ちゃんと似たような顔してる。納得してないのに、それが正しいって無理やり納得させてるんでしょ。本当は、心の中で答えなんて出てないくせに」
それ見ろ、見透かされてるぞ。
心の中でそう叫ぶ、欲望に忠実な俺が居る。
分かり切っていることだ。どちらも選びたいんだ、俺は。
俺は『ベルモット』も欲しいし、スイに無理なんてして欲しくない。
そうやって選べないから、無理してでもどちらかを選んで、無理やり納得させるしかないのだ。
それきり俺達三人はまた、黙り込んでしまう。カウンターのフィルが、心配そうに俺達を見て口を開きかけ、そして閉じている。
俺達が心配で仕方が無い、しかしなんて言って良いのか分からない。そういう彼の気持ちが痛いほど分かった。
そんなとき、カランという涼やかな鐘の音がした。
「やっぱり、また面倒なことになりましたわね」
続いて姿を現した銀髪の少女は、はぁ、と呆れ顔であった。
それから、俺、スイ、ライの三人の手を取り強引にテーブルに着ける。
「お前今日非番じゃ」
「関係ありませんわ。非番だろうと気になることは、気になるんです」
俺の素朴な疑問を一刀両断してから、サリーはまず、俺に面と向かって言った。
「まず、総さんは『ベルモット』が欲しい。だから、ノイネさんの知識を伝授してもらいたい。だけどその引き換え条件にスイさんを、というのはなんとなく、モヤモヤして気に入らない。合ってますね?」
「……あ、ああ」
サリーがきっちりとまとめた俺の意見は、だいたい合っていると言える。
言えるのだが、もっと俺の中では複雑な気がしているので、ざっくり説明されすぎてしまっている気が、こう。
そんな俺に構うことなく、サリーは次にスイに向き直る。
「次、スイさん。あなたも総さん同様『ベルモット』の可能性は信じているし、自分が出て行ったところで店の影響は少ない──だからノイネさんとの取引は理にかなっていると思っている。でも、ぶっちゃけ総さんと離れ離れになるのは嫌だから、感情で納得できてない。違いますか?」
「……それじゃまるで、私が総のことしか考えて無いみたいじゃ」
「はい、合ってますね」
スイの複雑そうな表情での、モゴモゴとした言葉をこれまた一刀両断。いつも思っているけど、こいつスイに結構容赦ないな。
俺がさりげなくスイと視線を合わせないようにしていた横で、サリーは最後にライへと向き直って言った。
「最後、ライ。ぶっちゃけ『ベルモット』のことはどうでも良いし、ゆっくりやれば良いと思っている。だからシンプルに反対。それなのに、大好きな二人が変に理屈を付けて言い合っているのが嫌だ。だからもう全部反対。オッケー?」
「……更に言うと、お姉ちゃんが、私のことなんてどうでも良くて、総ばっかり見てる気がするのも気に入らない」
「素直でよろしい」
サリーはにっと笑みを浮かべ、最後に大きな声で告げた。
入り口の扉の向こうに居る、その誰かに語りかけるように。
「というわけなんです。こんな風にお互い思い合っているのにバラバラじゃ、話なんてまとまるわけがありませんわ。どう思います?」
続いて、もう一度鐘の音が店内に響いた。
そして控えめに姿を現したのは、昨日見た青色の髪の毛。
俺達それぞれの言い分を知って酷く困った顔をしている、ノイネの姿だった。
※0711 表現を少し修正しました。




