自分勝手な欲望
「……待ってくれ。スイ」
彼女の行動の意味に気付いたとき、俺はようやく、この場で会話に入る。
正しくは、会話に入る権利を与えられたような気持ちになっていた。
「どうして、急にそんな結論を出したんだ?」
「急じゃない。ほんとはずっと、そういうことを考えてた」
俺に問いかけられても、スイは焦った様子一つ見せず、淡々と答える。
「だって私。この店で一番、ソウの役に立ててないから」
静かに告げられた言葉。
俺はそんな彼女の思いに、呆気に取られてしまった。
それがあまりにも、俺の抱いている感想と一致しなかったから。
「馬鹿言うな。今までずっとスイにポーションを作ってもらって、助けてもらって、ここまでやってきたんだぞ」
「でもそれって、今はポーションを作る以外に何もしてない、ってことでもあるよね?」
「……何もって」
「だったら、作り置きを大量に残せば、総は困らないよね?」
彼女の出した結論を、心情でははっきりと否定したかった。
彼女にはポーション製作以外でも、色々と世話になってきた。冒険の話だったり、試作の際の成分の抽出だったり。たくさん世話になってきた。
しかし、今の彼女にやってもらっていることは、どうだろう。
俺の満足が行くようにボトルは大体揃ってしまった。
営業中に手が足りないという問題も、弟子が育ってきてほぼ解消している。
そしてなにより、オーナーという名目はともかくとして、彼女が接客業でアドバイスできることは、そうそうない。
オーナーという肩書きだけがあって、それだけ。
材料の問題さえ片付いてしまえば、店自体は回るというのは、嘘じゃないのだ。
だけど。
「……そういう問題じゃない」
俺は頭の中で、スイが何を思ってそんなことを言ったのか、論理的には納得した。
しかし、心情の部分ではっきりと、モヤモヤが残っている。
これはきっと、この店で俺が働いている、意味とか意義に関わってくる問題だ。
「俺がここに居るのは、スイが誘ってくれたからだ。スイの理想となら、一緒に歩いて行けると思ったからだ」
バーやカクテルだけの問題なら、確かにスイの重要性は低くなっているのかもしれない。
だけど、前に立つ理念は違う。
一人でも多くの人に知ってもらって、一人でも多くの人を救いたい。そんな理想を持つ彼女が中心に居たから、俺達は今日まで進んできたのだ。
この店が、色々な人達に寄り添うようにやっていられるのは、全て彼女の理念ゆえだ。
「でも、総の理想は、私とは違う」
そんな俺の心を見透かすように、スイは静かに言った。
「私も総も、カクテルを広めるという目的は一致してる。でも、その先の理想は違う。総は、カクテルの更に先に進むことが、一番大切なんじゃないの?」
「……俺はそんなこと、ひと言も」
「でも、カクテルのためなら仕方ない、でいっつも済ませてきたんでしょ? 昔からずっと、今日までずっと」
「…………」
言葉に詰まった。何も言えなかった。
スイの寂しそうな笑みが、俺の今日取った行動の結果を、静かに表していた。
俺は、スイの願いを知っていて、直接お願いされて、それでも今日この店に来た。それもこれも、全ては『カクテル』のために。
身内の心情よりも、一人のエルフと『カクテル』を優先した。
スイの寂しげな言葉で、自分が取った行動が、どれだけスイの心を傷付けたのかに気付いてしまった。
さっきの営業中、スイは怒っていたのではない。ただ、傷ついていたのだ。
その傷を精一杯表現した行動に、俺ははっきりと、苦言を呈してしまった。
謝れば、それで済むと思ってしまっていたのだ。
身内だからで済ませて、スイの心を考えていなかった。誰もが俺と同じ考え方ができるわけ、ないのにも関わらず。
誰よりも自分勝手だったのは、俺なんじゃないか。
「……それでも、俺はスイにそこまでしてもらって、前に進もうだなんて」
ぐっと拳を握りしめ、それでも言った。
スイはそんな俺に、ひたすら優しい声音で返す。
「それで、あなたの目的が遠ざかっても……良いの? あなたの目指す、カクテルへの道が、なんの障害もなく見えているのに」
否定しろ。否定しろ。
頭の中ではっきりと、その結論だけを繰り返す。
なのに、否定のためになんて言って良いのかが分からない。見えてこない。
どんな回答をすれば、彼女を納得させられる。
今日という日に自分の目的をはっきりと優先させた俺が、自分の目的はどうだって良いだなんて、どの口で言えるのか。
「私はやだよ!」
頭の中で必死に言葉を探していた俺を置いて、声が響く。
さっきは呆然としていただけだったライが、今度は明確な意志を持って否定の声を上げていた。
「魔道院に行ってたお姉ちゃんがやっと帰ってきて、店にも色んな人が増えて、それで楽しくやってるのに。急にお姉ちゃんだけ居なくなるなんて絶対に嫌!」
「ライ。だけど、私達の目的が……それにノイネさんの問題だって」
突然駄々を捏ねるようになった妹にスイは困った顔で返す。
しかしライは、そんな大人ぶったスイの言葉に、尚更に反発した。
「そんなのお姉ちゃんが行かなくたって良いじゃん! 総だって、何をそんなに焦ってるのさ! 今すぐ分からなくたって良いよ! 今まで手探りでやってきたのに、どうしていきなり、そんな近道しようとするの!」
握った拳が、じんわりと汗をかいた。
潤んだ瞳で精一杯叫んだライの言葉に、ズキリと刺された。
確かに、俺は何を焦っていた。
今日のことだって、日を改めて約束するなり、いくらでも方法はあったのに、なぜ焦ってここに来た?
……俺は、天狗になっていたのかもしれない。壁に当たる度に都合良く突破できて、簡単に考えていたのかもしれない。
だから、薬酒で何も結果が出てない今、無意識に近道を選択してしまったのか。
「みんな、自分勝手だよ! 私だって、そうだけど……でも! そんな無理して、急いで前に進もうとしなくて良いじゃん!」
その言葉を最後に、ライは再び俯いて、静かに嗚咽を漏らす。
スイは俺に対していた時の決意の表情をはっきりと崩して、ただライの頭を優しく撫でていた。
ライの声以外存在しなくなった空間で、それまで黙っていたノイネが言った。
「あくまで、私は不測の事態に備えて行動しているだけです。緊急性のある話ではありません。ですから、急に決める必要はありません」
期限を明確に決めることもなく、ただ抑揚の少ない声で告げた。
「私はどちらでも構いません。ここで駄目なら、他の心当たりを訪ねるだけです。しかしもし、スイさんが来て下さるというのであれば、彼女の願いを受け入れるのもやぶさかではありません」
だから、どうするのかは自分たちで決めろ。
その後に続くだろう言葉を勝手に補足して、俺は俯いた。
バーテンダーとして、人の心を優先するべきだとする俺は、スイを止めろとはっきり言っている。
彼女が中心になって守ってきたこの店を、彼女ナシで語ることなどできはしない。ノイネのことは残念だが、身近な人をもっと大切にするべきだ。
しかし、夕霧総として、カクテルを求めている俺はそんな俺に反論する。
目の前に来ているチャンスをみすみす逃して、なに綺麗事言ってやがる。たかが一年や二年スイが居ないだけで『ベルモット』に近づけるんだぞ。
そのどちらもが、俺の心から湧いてくる答えだ。
心から湧いて出てくる、二つの相反する欲望だ。
偽善っぽくて醜悪な、目を背けたくなる自分本位な感情だ。
人を大事にしたい。カクテルも大事にしたい。
だから、心で決めないといけない。本当は、どっちの方が大切なのか。
以前悩んだときとは違う二律背反が、頭を叩きまくっている。
「……ひとまず、今日のところはお開きだ。それで良いかお前ら」
オヤジさんはぶっきらぼうに言った。それに対する反論は上がらない。
ノイネは、自分の宿泊先の情報を残し、静かに頭を下げて店の外へと出て行った。
残された俺達は、ただ無言でその場に佇むのみであった。




