【アラスカ】(2)
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ノワリーと名乗った女性は、目の間に出された『カクテル』をぼんやりと眺めていた。
動きの違いから、確かに先程の店と、この店の違いは理解できている。できているが、先程のイメージが払拭されたわけではない。
ひたすらにまとまりがなく、刺々しいだけの『ジーニポーション』。
そのイメージがあるから、グラスに手を伸ばすのを躊躇してしまう。
だが、そんな彼女に横合いから男の声がかかった。
「安心して下さい。味は確かですから」
ノワリーをこの店に誘った男だ。男は自身の前におかれた、薄黄色のグラスを軽く掲げている。
感じる魔力が人間らしくあり、同時に異質な感じもある謎の男。
この店の雰囲気をノワリーはずっと見ていた。
『あの男』がやっている店にしては、随分と雰囲気が温かい。カウンター一枚の距離が近い。しかし、その一枚ではっきりと線を引いている。
決して踏み込み過ぎないバランス。その辺は『あの男』らしいと言えなくもない。
だからこそ、自分を店へと誘った男にだけ、対応が違うのが分かる。
ピシリとした他への対応と違って、一線を踏む瞬間が見える。
店の関係者なのだろう。そうでなければ、先程の悪戯を苦笑いで許すとは思えない。
いやそれ以前に、銀髪の少女の嫉妬を必死に押し殺した笑顔で、色々と察せてしまうのだが。
ノワリーは今一度、目の前のグラスに視線を落とす。
従業員の動きをつぶさに観察していたのは、男も一緒だ。
基本的に緩い笑みを浮かべている男だが、従業員が『カクテル』を作り始めた瞬間、非常に鋭い目つきをしたのがノワリーには見えた。
男の見せた本気の瞳に、根拠のない自信に、今は少しだけ縋ってみることにした。
「いただきます」
ノワリーは覚悟を決め、その一口を含む。
そして、最初に驚いたのは、何よりもそれが『ジーニポーション』として、確かな力を秘めていたことだ。
軽く見ていた。このようなこじんまりした飲食店にある『ポーション』など、とたかをくくっていた。
しかし、混ぜ合わせることで効果を高めるという話が、決して眉唾ではないことを知った。
一度そうやって認めてしまえば、猜疑心を取り払われた舌が、味を楽しみ始めた。
最初は香りだ。
ふわりと来るのはジーニ特有の、松やにのような香り。そこに、不思議な香味が混ざっている。ハーブのような華やかさと、ハチミツのような甘さを期待させる、心をくすぐる香りだ。
ゆっくりと口に入れれば、その薬草らしい甘い味わいがまず舌を撫でた。
ジーニの特徴といえば、キリッと鋭い味わい、そして舌を刺すような刺激だと思っていた。だからこそ、ポーションを製作するさいには、どれだけそれを減らすかに苦心すると。
だというのに、この一杯は、そこにハーブの甘さを被せることで上手く調和を取ってしまっているのだ。
その味の奥には常に、ジーニの切れ味が潜んでいる。
甘い味わいに油断し切った舌へと、さっと甘さが引いたところで切り込んでくるのだ。
そして、その後味が、甘さで広がった余韻をスッキリと整えてくれる。
季節は冬だ。そして、このカクテルはそんな冬を微かに連想させる。
甘く暖かな春の訪れを待ち、じっと耐え忍ぶ人々に向かってくる春の風。
まだ冬の気配を残しながらも、暖かな印象を与える風。それが一足先に口の中で巻き起こった、そんな感覚。
待ちこがれる春を思わせるこの味は、冬にこそ相応しい。
軽い飲み口に反して、相当に強い力を秘めているのが分かるから、尚更に思うことかもしれない。
薬草系で『ジーニ』を入れる。
そんな注文を、この銀髪の少年はこうまでもストレートに迎え撃った。
ノワリーは、その度胸に素直に感心した。
肌に来る魔力の感じから、人間でないことが分かる『吸血鬼』の少年。彼はひょっとしたら、見た目よりもずっと年を取っているのかもしれない。
そう、まさに『自分』のように。
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フィルの作った一杯を、数度口にして、ノワリーは柔らかな息を吐いた。
そしてまず、その一杯を作ったフィルへと言葉を向ける。
「ありがとう。堪能させていただきました」
感想を素直に告げられ、フィルは表情を緩めた。実のところ、フィルが完全に新規のお客さんに腕を見せる機会はそう多くない。
俺が研修に行っていた二ヶ月間は、客足自体が少し落ち込んでいた。そして俺が帰ってきてからは、俺が新規対応をすることが多い。
しかし、それもそろそろ考え時なのかもしれない。
今日、フィルは立派に一人で考え、要望に答えてみせた。新規のお客さんに対して、俺が比重を置いて接客する必要はもう薄いのかもしれない。
弟子の成長を見るのは、嬉しい反面少し寂しい。そう言っていた先輩の言葉が、ほんのりと理解できた気がした。
「こちら、チェイサーですわ」
横合いから、すっとサリーが水の入ったグラスを差し出した。
度数が高い飲み物を出す場合には、チェイサーを一緒に出すのは基本だ。
たとえサリーがどれだけ俺に腹を立てていようと、他のお客さんへの対応は怠らない。少しは褒めるところが出来てよかった。
ノワリーは礼を言って受け取り、水を含む。それからもう一度、フィルの作った【アラスカ】を口にした。
「お気に召しましたか?」
「ええ。一軒前に酷い物を飲みまして。十分に口直しができました」
ノワリーは満足そうに告げる。しかしその後、目を探求者のそれへと変えてフィルに尋ねる。
「ところで、この一杯。『ジーニ』の他に入っているものは?」
「シャルトリューズの黄色です。ご存知ですか?」
フィルの返答に、ノワリーは納得した顔で頷いていた。
シャルトリューズは、地球ではリキュールの女王と称されるほど有名な薬草系のリキュールである。
代表的なものに、薄い黄色をした『ジョーヌ』と、緑色をしている『ヴェール』の二種類がある。
どちらも、甘く華やかな味わいを持つが、あえて言うと『ジョーヌ』の方が甘さに比重が置かれ、『ヴェール』のほうが薬草の風味が強い。
さて、このシャルトリューズだが、地球ではとある逸話で有名だ。
それは、このリキュールに用いられる薬草の配合比率は、シャルトリューズを生み出した『シャルトリューズ修道院』の、三人の修道士以外には極秘ということである。
その三人は、代々静かに次の世代へと、その極秘の比率を受け継いでいるのだ。
それと面白い相似がこの世界にもある。
この世界のシャルトリューズは、魔草に分類される『シャルトリューズ草』という植物の果実から取られる。
しかし、その『シャルトリューズ草』が、果汁を絞れる果実を実らせる条件を知っているのは『シャルト魔道院』という施設の最高魔導士のみなのである。
つまり、この世界においても『シャルトリューズ』は、その製法の極秘が保たれているという話なのである。
そんなシャルトリューズの名前が出ても、ノワリーはその答えを予想していたように、何度か頷いているだけだ。
俺は、少しの悪戯心と、純粋な疑問の心でフィルに聞いた。
「しかし、なんで【アラスカ】を選んだんだ?」
横槍を入れるような質問に、フィルは一度『答えていいのか?』と言いたげな視線を送ってきた。
だが、ノワリーもその答えが気になってはいたようで、俺に苦言を漏らすでもなく、フィルの回答を待っている。
フィルはそれを確認してから、彼なりの考えを話した。
「単純に、僕自身がパッと思いついたから、というのが理由の一つです。すみません」
先程の自信に満ちた笑みが嘘のように、少し不安げに言った。
だが、俺がその弱気を指摘する間もなく、流れるようにもう一つの理由を告げる。
「そしてもう一つは、その、貴女がスイさんに興味を持っていらっしゃるように見えたので」
フィルの言葉に、やや自覚があったのか、ノワリーは少し身構えた。
「それは、どういう意味ですか」
「いえ。あなたは『カクテル』にだけ興味を持っているというよりは、このお店そのものに何かしらの興味を持っているように見えました。ですので『シャルト魔道院』を出たオーナーである、スイさんにちなんだ材料を使ってみようと思ったんです」
なんとも、正直に言ってしまう少年である。フィルは。
これがもし、俺やサリーだったらどうだろう。フィルが述べたような事実を、きっとレシピの選定理由として心の中で考えるだろう。
しかし口に出すときには違う。
『この秘密主義の魔草が宿す、不思議な魅力とあなたが重なってしまったので』
だとか、適当なことを言って相手を乗せる選択をしてしまう。
そういう、口八丁が出ないところが、フィルの美徳であり、欠点だ。
とはいえ、今回に限っては、相手が良かったと言える。
「そうですか。なるほど。確かに、私は彼女を意識してしまっていたかもしれません。そういう理由でしたら、納得もできます」
ノワリーは、固い口調でもってフィルの誠実な答えに好感を示した。細かいところで嘘を付けないのは、フィルが年上の女性に可愛がられている一因でもある。
現にこのノワリーも、フィルには多少心を許したようで、少し柔らかい印象の声で言った。
「ここは良いお店ですね。私は気に入りました」
そのひと言は、フィルのみならず、その言葉が届いた全ての人の心をくすぐった。
今ばかりは、ここに連れてきた俺やヴィオラ、機嫌を悪くしていたスイやサリーなども少しだけ嬉しそうに笑みを浮かべる。
「……それと、この店のマスターは今日いらっしゃいますか」
続いた質問には、フィルは困ったような顔になったわけだが。
彼はチラリと目線で俺に意見を扇ぐ。だが、フィルが対応する前に彼以外の視線が俺に集中してしまっていた。
ノワリーも釣られるように俺を見て、なるほど、と納得したように頷く。
「これは、宣伝ご苦労様です」
「いえ、決してそのようなつもりは……少しくらいありましたが」
否定しようとして、しかしと思い直した。
考えようによっては随分とダイレクトに、店の宣伝をしたことになってしまう。美味しい『カクテル』を飲んで貰いたかっただけであっても。
だが、彼女はすぐに俺から視線を外し、フィルに向き直って再度尋ねた。
「しかし違います。もう一人居ると思うのです。本当の店のマスターが」
本当の店のマスター。
そうである。俺はこのイージーズのバー部門を任されているだけであり、更に言えばバー部門のオーナーがスイで俺はその下。
俺を呼ぶ時の『マスター』とは称号のようなもの。
では誰が、この店で一番上に立っている人間なのかといえば。
「私、呼んできますね!」
給仕の途中で話を聞いていたライが、ぴゅーっと厨房まで早歩きで向かう。
そして、厨房の中でなにやら話し声がしたあと、その人が姿を現した。
「んだよ。今日は客が少ねえからって、俺が厨房を離れるわけには……」
普段の粗野なイメージを感じさせない清潔な調理服を着たオヤジさんが、ぼやきつつライに引っ張られて厨房から姿を現す。
そして、すぐに気付いたのだろう。店に青髪の女性が二人いることを。
オヤジさんとノワリーは、すぐに互いに気づき、そして思い思いの表情を浮かべた。
ノワリーは睨むような冷たい表情を。
そしてオヤジさんは、どこか苦い顔を。
会話の口火を切ったのは、オヤジさんだった。
「……なんのようで来やがった。ノイネ」
ノイネ?
つい先日聞いた名前が、オヤジさんの口から出ていた。
そして、ノワリーはその言葉を、自分に向けられたものだと認識して返した。
「それが義理の母に対する態度ですか。何年経っても相変わらずですね。フレン」
ざわりとした雰囲気が、再び店を包んだのは言うまでもない。
耳に入ってきた『義理の母』という単語に、誰もが驚愕している。
特にスイとライの二人は、口を開け、その二人の顔を見比べていた。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
前話では、問題が起こる前提条件、描写してきたスイやサリーの性格や精神的未熟さ、それをフォローするフィルの成長や、その問題を押してまで『カクテル』を飲んで欲しかった主人公などを書いてきたつもりでした。
しかし、サリーの未熟さばかり指摘され、自信の描写力や説明力の不足などを痛感しました。
それらについては次話でひとまずのまとめとなる予定です。よろしければ読んでいただけると幸いです。
また、本日ツイッターの方でレモンとショットグラスで作った【ダイキリ】の画像を張ります。
よろしければご覧ください。
@score_cooktail
次は11日に、重曹とクエン酸で作った【ジン・フィズ】を作りたいと思います。
※0706 誤字修正しました。




